【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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本当の自分を生きる

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 王宮を囲む丘陵地帯に、初霜が降りた。

 春の百花祭も、秋の収穫祭も中止された今年の締めくくりに、ようやくカトレアの戴冠の儀が決定した。日取りはカトレアの十九の誕生日、生誕の宴も兼ねて行うこととなっている。

 ドレスの仮縫いや、戴冠の儀に用意する花の選別で忙しい合間に時間を捻出し、カトレアは温室を訪れた。

 不在の間も、庭師たちやオリーブが日を空けることなく世話を続けてくれたため、花たちは斜陽を浴びて心地良さそうにうたた寝をしている。ルークとレイも後をついて入った。

「久し振りにカトレア様が訪れて、花たちも喜ぶでしょう」

 レイが控えめに声をかける。一方、ルークは緊張の糸が切れたように大仰なため息をついた。

「これからずっと、こんな調子で暮らすことになるのか……」

 ゆくゆくは騎士団長となるため、ルークは騎士団の幹部から日夜教えを請うている。堅苦しいのは嫌いだとでも言わんばかりに、伸びかけの黒髪を掻いた。

 レイは呆れたような表情を浮かべながらも、兄としてのルークに接することには徐々に抵抗が薄れているようで、いたずらっぽく微笑した。

「貴方には、適度な息抜きが必要なようですね。頻繁に」
「……言うようになったな、お前」

 ルークが一睨み利かせるが、レイは不敵な笑みで返し、カトレアに向き直った。

「カトレア様。長居は禁物ですが、しばし休んでいかれると良いでしょう」

 レイは折り目正しく一礼すると、私用があると告げ、振り返ることなく去っていった。

「レイ……」

 颯爽と去るレイの後ろ姿を見つめる。ルークが、そっとカトレアの肩に手を添えた。

「汝、花を愛するように、主を愛せよ。お前には、この言葉の意味は分かるな?」

 はっとして、ルークを仰ぐ。英雄ウィルが残した言葉に思いを馳せると、おのずとレイの心境を悟り、カトレアは胸元で手を組み合わせた。

 想いに応えられずとも、レイの優しさは出会った時から今もずっと、変わらない。

「……そうだったのね。だけど、わたしは……」

 無償の愛でなく、咲くとも知れぬ恋を追い求めてしまった。蕾となり膨らんだ想いは、ほころぶ時を待っている。
 視線が絡み合うと、途端に気恥ずかしさが立ち上り、カトレアはわざと強情な素振りを見せた。

「そ、それはそうと! わたしはあの晩のことをまだ許した訳ではないわ!」

 ねめつけるが、ルークは対照的に緩やかな微笑みを向けた。

「……だろうな。あの時は、お前が油断する最たる方法を選んだ。けれど、俺もあの晩のことが、いつしか心残りになってしまった」

 カトレアは小首を傾げた。

「俺は、自分の人生などないものだと、投げやりに生きていた。だから以前お前が指摘した通り、俺は特定の人間に心を傾けるのも、好意を寄せられるのも避けていた。俺のような人間には、他人にまで裂く心などないと思っていた」
「だから……サフランの想いにも応えず、わたしにもレイの方がお似合いだなんて言ったのね」

 こくりとうなずき、ルークが顔を覗き込む。吐息が触れ合うほどの距離に、彼の真摯な瞳が迫る。その中に映るカトレアは、自分でも見たことのないような、咲き初めの蘭のように色づいていた。

「ジャックとして生きていても、この国のこと、レイのこと、お前のことは心の片隅にあった。だけど理不尽に抹殺されたルークをお前が覚えているはずもない。俺だけが覚えているのが悔しくて、ガキみたいにからかっていたのかもしれない」

 だけど、とルークはおそるおそる、カトレアの耳にかかった黒髪から頬にかけて手を添えた。思いがけず優しい手つきに、胸が絞られる。

 カトレアの艶やかな黒髪を梳きながら、ルークはそっと耳元で囁いた。

「冷めた俺の心に、お前の戦う姿が入り込んできた。無茶苦茶でも、世間知らずでも、お前には俺が諦めていた、自分自身を生きたい気持ちがいつでも溢れていた。いつしかそんなお前を守りたいと、柄になく思うようになっていた」

 これまで接してきたルークとは違う、彼が本来持っていた、心の温かさが声にのって伝わってきた。それでも人知れず孤独を抱えていたルークの心中を思うと、素直には喜べない。

「あなたがわたしのそばにいた頃、わたしはあまりにも幼かった。もっと早く気づけていたら」
「もういいんだ」

 口早に遮られる。視線で問うと、ルークはレイとどこか似た、きらめく木漏れ日のような笑顔を返してくれた。

「お前は俺を思い出してくれた。お前の中で、俺はルークとして生きていた。
 だから、お前をそばで支えるのが、俺のこれからの人生でもいいと思えたんだ」

 本当の自分を諦めていたルークの道標が、カトレアという存在となった。それがただ嬉しくて、目頭が熱くなった。

 カトレアは両肩を抱かれ、ルークの懐に引き寄せられた。背中を撫でる、温かな手のひらの感触が心地良い。ルークの腕の力が強まると、肌から立ち上る乾いた匂いと、胸をくすぐる花の香りが入り混じった。

 幼い頃とも、寒空の下で感じたのとも違う、彼の偽りのない感情が、あらゆる箇所から脈々と伝わってくる。こんなに愛おしいと思える存在を間近に感じられるのが、不思議だった。

 花を包み込むようにゆっくりと、白い頬をルークの無骨な手が包んだ。

「これからは、俺は本当の自分を生きる。だから、ルークとして……お前を、愛したい」

 カトレアは大輪の花のような笑顔を向け、厳かに、唇を重ね合わせた。

 薄く、柔らかな感触を感じ、ようやく本当の彼に出会えた喜びが全身を伝っていった。
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