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約束
千里眼
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その日を境に、時々、七瀬は妖を自らの結界の中に連れ込んだ。秋臣はそれを面白がり、拒絶するどころか歓迎した。〝能力者〟とはいえ、妖の世界とは馴染みのなかった秋臣には、妖という存在が新鮮で興味深かったのだろう。
ところで、あの日、七瀬に助けられた八咫烏は、そのあとも度々、七瀬と秋臣を訪ねてきた。二人を気に入ったらしい。
相変わらず、七瀬は秋臣に妖の声を聞かせることはしなかった。秋臣はそれに気づいていたかもしれないが、怪訝に思うそぶりも見せなかった。
彼ら友人の日々は、そんな風にして幾月も過ぎた。
梅雨に入り、屋上に行くことはなかなか難しくなった。七瀬の結界は雨をはじくこともできるが、それをすると負担が大きいので、敢えて力を使うことはしなかった。
代わりに、彼らは旧校舎の空き教室を居場所とした。旧校舎には幾つか部活や同好会の部室が入っているが、それらは点在していて、空き教室のほうが多いのだ。もちろん、その鍵は、屋上の時と同じよう方法で、七瀬がスペアキーを作った。
ところで、七瀬には最近、少し気になることがあった。神社内にいる間、何ものかの視線を感じることが多くなってきたのだ。
基本的に、神社内に悪いもの――蛇神がそう判断したものだが――は入ってこられない。そして、最近多く感じる視線に、七瀬は覚えがあった。これはおそらく、蛇神の視線だろうと推測できた。
さらに言えば、 幼いころから馴染みのある、蛇神の眷属である妖たちの様子がおかしい。どこがどう、というわけではないが、何か思うところがあるようだ。七瀬に接する態度が奇妙である。
理由ならいくらでも考えられた。が、神崎家の直系の子孫であり、次の神主になるであろう七瀬の前に、ついに蛇神が姿をあらわそうとしている、という考えが、一番理由としてはあり得そうだった。
当の七瀬は、多少気になるものの、あまり深く考えてはいなかった。妖の行動は予測がつかないことも多い。事前の対策は必要だが、あまり心配しすぎるのもよくなかった。
が――。
七月に入ったばかり、もうすぐ七夕という頃、秋臣は血相を変えて七瀬のいる空き教室に来た。
ちょうどその時、七瀬の結界の中には、妖も、もちろん他の人間もいなかった。七瀬はいつものように、秋臣を結界の中に入れたが、彼の表情を見て眉をひそめた。
「秋臣――」
「七瀬」
秋臣は教室に入ってくるなり、真っ直ぐ七瀬の前に来て、彼の両肩をつかんだ。
「お前――妖に狙われてたりしないか」
秋臣のいつになく真剣な表情に、七瀬は戸惑った。秋臣の手が両肩に食い込んで痛い。
「秋臣、どうしたの」
「いいから答えろ。何かおかしいと気づいたことでもいい。何かないか」
七瀬は両肩をつかまれたまま、秋臣の勢いに押されて答えた。
「おかしいというか……神社内で妖の視線を感じることが増えた。たぶん、神社が祀っている神の視線だと思う」
「神社……神……」
秋臣はその言葉を呟き、やっと手を放して考え込んだ。
解放された七瀬は、友人の顔を覗き込む。
「秋臣、いったい、どうしたの」
秋臣は七瀬の顔を見た。秋臣の顔に一瞬迷いがよぎり、けれど、一呼吸の後、彼は答えてくれた。
「……俺の千里眼で、お前の危機を見た」
秋臣によれば、彼の千里眼で、七瀬の姿を見たのだという。七瀬は何ものか――靄がかったようでよく見えなかったが、小さな人影と対峙していた。人の姿をしていたが、それは妖だと、秋臣は直感した。七瀬とその妖は何か話しているようだった。そして突然、人の形をした妖がその手を伸ばしたかと思うと、七瀬の身体が傾き、倒れた。妖の影は七瀬に覆いかぶさり――。
そこで秋臣の意識は現実に引き戻された。
「……本来、俺の千里眼の能力は高くない。この十五年間でも、数えるほどしか、この能力を発揮したことはない。だが、そのどれも……人の生死にかかわる重大な事柄を告げる時だった」
秋臣はその具体例は示さなかったものの、七瀬には思い当たることがあった。この辺りで有名な、久世家の噂はいつも絶えないものだから。
秋臣の言葉は、七瀬の生死にかかわる――それも妖がらみの――出来事がこれから起こるということを示していた。
そのことを真剣に受け止めてはいたが、七瀬は秋臣ほど、動揺も心配もしていなかった。
「……それは、いつ、どこでなのか、わかる?」
七瀬は冷静に尋ねた。秋臣は記憶をたどるように目線をさまよわせ、答えた。
「七瀬の姿は今と変わりがなかった。過去という感じではない……近い未来。場所は、どこか竹林の中。……そういえば、アジサイもあった。青いアジサイだ」
それは、つまり、今日これからアジサイが枯れるまでの間に、その出来事が起こる可能性が高いということ。
そして七瀬は、秋臣の言う場所の予測がついた。
「……それ、うちの神社かもしれない」
七瀬が奇妙な視線を感じるのは、神社内だけだ。加えて、蛇神の眷属の奇妙な態度。このことが、秋臣の千里眼が視た出来事と関係がないわけがない。とすれば、その出来事が起こるのは、神社内という推測が成り立つ。そして、神社の奥社のほうには竹林があり、そこにはちょうど今、綺麗な青いアジサイが咲いていた。
秋臣は危ぶむような口調で言った。
「……お前の所の神様は、代々、神職の一族にそういう儀式をする慣習でもあるのか」
「聞いたことはないけれど」
ありえなくもない、と、七瀬は言った。そういう慣習があったとして、父が七瀬に事前に知らせるとは思えないし、それなら、眷属たちの奇妙な態度も分かる。
秋臣は考え込んでいる様子だった。やはり彼は、たとえそういう慣習が神崎家にあったとしても、自分の千里眼で視た光景が気にかかっているようだった。
「……一応、父親に訊いてみたほうがいいんじゃないか。気が進まなくても」
七瀬と父親の関係が気軽なものでないことを、秋臣も知っているのだろう。
けれど七瀬は、「いや……」と言葉を濁した。それは、父親に訊くことに気が進まないというわけではなく。
「しばらくはできないな。今日から一週間ほど、父は家を留守にするんだ」
「連絡先は」
「俺、父親の電話番号とか知らないし」
秋臣は呆気にとられたような表情をした。久世家の三男である彼は、いつでも連絡が取れるよう、嫌でも番号を覚えさせられたからだ。
「……ということは、今日から一週間、お前、神社に一人か?」
「うん、人間は」
秋臣は何か迷っているようだった。そして、尋ねた。
「……お前の父親は、留守中、誰かほかのものを家に入れるなとか、言ったりはしてなかったか」
「言ってないけど」
七瀬がそう言うと、秋臣は心を決めたように、友人の目を見て宣言した。
「それなら、しばらく俺がお前の家に泊まりに行く」
え、と七瀬は目を見開いた。
「いや、でも……」
「もう二度と、わかっていたのにその場に居合わせられなかった、という思いはごめんなんだよ」
だから、と秋臣は言った。
「お前が心底嫌じゃないというなら、俺はいくぞ」
ところで、あの日、七瀬に助けられた八咫烏は、そのあとも度々、七瀬と秋臣を訪ねてきた。二人を気に入ったらしい。
相変わらず、七瀬は秋臣に妖の声を聞かせることはしなかった。秋臣はそれに気づいていたかもしれないが、怪訝に思うそぶりも見せなかった。
彼ら友人の日々は、そんな風にして幾月も過ぎた。
梅雨に入り、屋上に行くことはなかなか難しくなった。七瀬の結界は雨をはじくこともできるが、それをすると負担が大きいので、敢えて力を使うことはしなかった。
代わりに、彼らは旧校舎の空き教室を居場所とした。旧校舎には幾つか部活や同好会の部室が入っているが、それらは点在していて、空き教室のほうが多いのだ。もちろん、その鍵は、屋上の時と同じよう方法で、七瀬がスペアキーを作った。
ところで、七瀬には最近、少し気になることがあった。神社内にいる間、何ものかの視線を感じることが多くなってきたのだ。
基本的に、神社内に悪いもの――蛇神がそう判断したものだが――は入ってこられない。そして、最近多く感じる視線に、七瀬は覚えがあった。これはおそらく、蛇神の視線だろうと推測できた。
さらに言えば、 幼いころから馴染みのある、蛇神の眷属である妖たちの様子がおかしい。どこがどう、というわけではないが、何か思うところがあるようだ。七瀬に接する態度が奇妙である。
理由ならいくらでも考えられた。が、神崎家の直系の子孫であり、次の神主になるであろう七瀬の前に、ついに蛇神が姿をあらわそうとしている、という考えが、一番理由としてはあり得そうだった。
当の七瀬は、多少気になるものの、あまり深く考えてはいなかった。妖の行動は予測がつかないことも多い。事前の対策は必要だが、あまり心配しすぎるのもよくなかった。
が――。
七月に入ったばかり、もうすぐ七夕という頃、秋臣は血相を変えて七瀬のいる空き教室に来た。
ちょうどその時、七瀬の結界の中には、妖も、もちろん他の人間もいなかった。七瀬はいつものように、秋臣を結界の中に入れたが、彼の表情を見て眉をひそめた。
「秋臣――」
「七瀬」
秋臣は教室に入ってくるなり、真っ直ぐ七瀬の前に来て、彼の両肩をつかんだ。
「お前――妖に狙われてたりしないか」
秋臣のいつになく真剣な表情に、七瀬は戸惑った。秋臣の手が両肩に食い込んで痛い。
「秋臣、どうしたの」
「いいから答えろ。何かおかしいと気づいたことでもいい。何かないか」
七瀬は両肩をつかまれたまま、秋臣の勢いに押されて答えた。
「おかしいというか……神社内で妖の視線を感じることが増えた。たぶん、神社が祀っている神の視線だと思う」
「神社……神……」
秋臣はその言葉を呟き、やっと手を放して考え込んだ。
解放された七瀬は、友人の顔を覗き込む。
「秋臣、いったい、どうしたの」
秋臣は七瀬の顔を見た。秋臣の顔に一瞬迷いがよぎり、けれど、一呼吸の後、彼は答えてくれた。
「……俺の千里眼で、お前の危機を見た」
秋臣によれば、彼の千里眼で、七瀬の姿を見たのだという。七瀬は何ものか――靄がかったようでよく見えなかったが、小さな人影と対峙していた。人の姿をしていたが、それは妖だと、秋臣は直感した。七瀬とその妖は何か話しているようだった。そして突然、人の形をした妖がその手を伸ばしたかと思うと、七瀬の身体が傾き、倒れた。妖の影は七瀬に覆いかぶさり――。
そこで秋臣の意識は現実に引き戻された。
「……本来、俺の千里眼の能力は高くない。この十五年間でも、数えるほどしか、この能力を発揮したことはない。だが、そのどれも……人の生死にかかわる重大な事柄を告げる時だった」
秋臣はその具体例は示さなかったものの、七瀬には思い当たることがあった。この辺りで有名な、久世家の噂はいつも絶えないものだから。
秋臣の言葉は、七瀬の生死にかかわる――それも妖がらみの――出来事がこれから起こるということを示していた。
そのことを真剣に受け止めてはいたが、七瀬は秋臣ほど、動揺も心配もしていなかった。
「……それは、いつ、どこでなのか、わかる?」
七瀬は冷静に尋ねた。秋臣は記憶をたどるように目線をさまよわせ、答えた。
「七瀬の姿は今と変わりがなかった。過去という感じではない……近い未来。場所は、どこか竹林の中。……そういえば、アジサイもあった。青いアジサイだ」
それは、つまり、今日これからアジサイが枯れるまでの間に、その出来事が起こる可能性が高いということ。
そして七瀬は、秋臣の言う場所の予測がついた。
「……それ、うちの神社かもしれない」
七瀬が奇妙な視線を感じるのは、神社内だけだ。加えて、蛇神の眷属の奇妙な態度。このことが、秋臣の千里眼が視た出来事と関係がないわけがない。とすれば、その出来事が起こるのは、神社内という推測が成り立つ。そして、神社の奥社のほうには竹林があり、そこにはちょうど今、綺麗な青いアジサイが咲いていた。
秋臣は危ぶむような口調で言った。
「……お前の所の神様は、代々、神職の一族にそういう儀式をする慣習でもあるのか」
「聞いたことはないけれど」
ありえなくもない、と、七瀬は言った。そういう慣習があったとして、父が七瀬に事前に知らせるとは思えないし、それなら、眷属たちの奇妙な態度も分かる。
秋臣は考え込んでいる様子だった。やはり彼は、たとえそういう慣習が神崎家にあったとしても、自分の千里眼で視た光景が気にかかっているようだった。
「……一応、父親に訊いてみたほうがいいんじゃないか。気が進まなくても」
七瀬と父親の関係が気軽なものでないことを、秋臣も知っているのだろう。
けれど七瀬は、「いや……」と言葉を濁した。それは、父親に訊くことに気が進まないというわけではなく。
「しばらくはできないな。今日から一週間ほど、父は家を留守にするんだ」
「連絡先は」
「俺、父親の電話番号とか知らないし」
秋臣は呆気にとられたような表情をした。久世家の三男である彼は、いつでも連絡が取れるよう、嫌でも番号を覚えさせられたからだ。
「……ということは、今日から一週間、お前、神社に一人か?」
「うん、人間は」
秋臣は何か迷っているようだった。そして、尋ねた。
「……お前の父親は、留守中、誰かほかのものを家に入れるなとか、言ったりはしてなかったか」
「言ってないけど」
七瀬がそう言うと、秋臣は心を決めたように、友人の目を見て宣言した。
「それなら、しばらく俺がお前の家に泊まりに行く」
え、と七瀬は目を見開いた。
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