薄幸の王女は隻眼皇太子の独占愛から逃れられない

宮永レン

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第六章

4.お忍び

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「私はミレイユ・シルバ・ディエルシカ。兄が婚約者を得たというのでご挨拶しなければと思ってまいりましたの」



 彼女の名前を聞いても、しばらく言葉が喉の奥から出てこなかった。心臓が嫌な速さで鳴っている。



(ちがう。デルフィーヌお姉様じゃない。落ち着いて)

 腰の辺りまで伸ばした蜂蜜のようにとろりと艶を放つ金髪と、堂々とした居住まいが一瞬だけ姉の姿と重なってしまった。

 アルエットは必死に呼吸に集中する。



「は……じめまして。アルエット・リュシュ・サリアンです」

 なんとか同じように膝をかがめて礼をとった。

 当然のことだが、よく見れば顔が違うことがわかる。ほっそりとした小顔で、自然な化粧に大きな瞳は金色をしていた。

 兄と言うのはフェザンのことだろうか。ディエルシカを名乗るということは彼女も王家の人間なのだろう。



「突然国に攻め込まれて、ご家族を奪われてつらかったでしょう? 挙句遠い場所まで連れてこられ、手籠めにされて、政略の駒に使われるなんてかわいそうだわ」

 彼女は目の前まで躊躇せずやってくると、アルエットの手を自身の両手で包み込んだ。



「え……」

 ミレイユの態度に戸惑う。姉妹というものにいい印象がないせいか、つい拒絶しそうになったが、アルエットを覗き込む瞳は磨き上げられた琥珀よりも澄んだ色をしていた。



「政略の、駒?」

 気になった言葉を問い返すとミレイユは手を離し、形のいい眉を下げてみせた。



「ええ。あなたは帝国の属州国の力のバランスを取る為だけに妃に選ばれたの」



「フェザンはそんなこと……」



「正直に言ったらあなたが逃げ出すとでも思ったのかもしれないわ。そうだ!」

 ミレイユがパチンと派手な音を立てて両掌を合わせたので、アルエットはびくっと肩を揺らす。



「逃げるお手伝いをしてあげましょうか。祖国が恋しいでしょう? 兄には内緒にしておくから、こちらのことは心配しないで」

 ね、とミレイユは首を傾けて花のように微笑んだ。



「私は、自分の意志でここにいるので大丈夫です。フェザンには助けてもらって……もし、事情があるとするなら本人の口から聞きたいです」

 たとえ政略の駒だとしても、フェザンがアルエットを必要としてくれるならば、この身を彼の人生に捧げる覚悟はできている。彼のためなら、泣きたくなることもすべて受け入れる、そう決めたのだ。



「それは知らなかったわ。兄は何も教えてくれないから。もしかして二人は昨日以前にどこかで会ったことがあるの?」

 無邪気な瞳で問われて、アルエットは曖昧に頷いた。するとミレイユは口元を押さえて上品に笑った。



「どんな女性にも靡かなかったのには理由があったのねえ」

 意味ありげに目を細め、ミレイユはアルエットの頭の先からつま先まで視線を下ろしていく。



「アルエットお義姉さま、と呼んでもいいかしら? 私のこともミレイユ、と」



「私はかまいませんけれど……」



「ふふっ、そんなに堅苦しくなさらないで。ああ。こんな何もない部屋に閉じ込められているから気が滅入るんだわ。少しお外へ行かない?」

 ミレイユが笑うだけで、彼女の背後に鮮やかな花弁が舞い降るようだ。きっと愛されて育ったのだろうと思うと、それだけで眩しく感じる。



 フェザンがいつこちらに足を運ぶかわからないので、できるだけここを離れたくなかったが、義妹の申し出を断る胆力はなかった。



「はい。ミレイユ……が、そう言うなら」



「優しいお義姉さまでよかったわ! そうと決まれば着替えなくてはね――」

 わざわざ着替える必要があるのだろうかとアルエットは首をひねったが、ミレイユはジゼルを呼びつけ二人分の服を用意させると、あっという間に着替えを手伝わせた。



「ミレイユ、これは……」

 用意された服に身を包んだアルエットは、戸惑いの表情を浮かべる。



「着慣れないと思うけど、動きやすくていいのよ」

 くるりとその場で一回転してみせたミレイユはアルエットと似たような服装をしていた。平民が着ているような飾り気のないワンピースに、一つにまとめ上げた髪の色が隠れるような頭巾をかぶっている。



「ミレイユ皇女殿下。本当によいのですか?」

 ジゼルは脱いだドレスとアルエットを交互に見つめて、ためらいがちに尋ねた。



「ええ。気晴らしが必要だと思うの。護衛はいらないわ、逆に怪しまれてしまうから」

 ミレイユはいたずらっぽく片目をつぶった。



「あの、この恰好でどちらに――」



「お義姉さまに王都を案内するわね。お忍びというやつよ」

 ぐいっと手を引かれ、アルエットは転ばないように慌てて彼女についていった。



「時々、息抜きに王都へ行くの」

 そう話すミレイユは堂々としたものだ。時折すれ違う近衛も使用人も誰も声をかけてこない。

 ミレイユの正体に気づかないのか、気づかないふりをしているのが暗黙の了解なのかはわからないが、拍子抜けするほどあっさりと王宮を後にできた。



 小さな馬車は、遠くに見える橙色の屋根の並ぶ街並みを目指して一気に駆け下りていった。



「お義姉さまは、お忍びしたことがないの?」

 揺れる馬車の中で、ミレイユがこちらに好奇心旺盛な瞳を向ける。



「部屋から出てはいけないことになっていたから……」



「まあ。厳しいのね。でもそれでどうやって兄とお知り合いに? エグマリン国とはあまり交流がなかったと思うのだけど」



「フェザンとは、ミスダールで会ったの」



 閉ざされた冬の保養地で、芽吹いた恋の花は春に可憐に咲き零れた。未来がみえなくて立ち止まって泣いていた自分に、生きる意味をくれた力強い道しるべの光が、今この瞬間もこの胸に宿っている。



「ミスダール、綺麗な所よね。子供の時にしか行ったことがないけど。たしかあれはまだ春になるかならないかの頃だったわね?」

 ミレイユがそう言った時、馬車が停止したので二人で降りる。



 賑やかな町の入り口には近衛が立っているが、アルエットたちを見ても呼び止めることはなかった。



「私は、冬にミスダールに行くように父に言われて……」

 アルエットはぽつりぽつりと身の上を話し始めた。フェザンと出会って救われたこと、二人で図書館に通ったこと、再会の約束をして別れたこと――



 ミレイユは相槌を打ちながら、時々質問を挟みながら話を最後まで聞いてくれた。



「病で失明した時、兄はとても苦しんでいたわ。周囲に当たり散らすようなことはしなかったけど、ずっと神経を張りつめているみたいだった。父ももっと言葉を選べばよかったのにね」

 ミレイユは歩きながらため息を零した。



「片目が使えない不利な状態で万が一刺客に襲われたら、戦場に赴く必要があったら……厳しい結果になるかもしれない。だから父はそれを心配して兄に皇太子の座を辞せよと進言したの。そんな心配がないことを兄自身が証明したわけだけど」

 肩をすくめたミレイユは、アルエットに同意を求めて視線を送ってきた。



「フェザンは強くて、国の未来をちゃんと考えていて、とても立派な人」



「さすがお義姉さま。兄のことをよくわかっているのね」

 くすっと笑ったミレイユは、広場にある噴水の前のベンチを指さした。



「少し座りましょうか。私、あちらで何か食べるものを買ってくるわ」

 屋台や店の並ぶ通りを見つけて、アルエットは頷いた。



「まだ帰らなくて大丈夫? フェザンが心配しないかしら」



「来たばかりで何を言っているの。せっかく外へ出られたんだからのんびりしていきましょう」

 そう言ってミレイユは行ってしまった。



 一人になり、アルエットは落ち着かない気分になる。

 大きくてにぎやかな街だった。人々の顔には活気があり、幸せで溢れているようだった。



 しばらくぼんやりしていると、隣のベンチに座る人の顔ぶれが何度か変わる。



(遅いな、ミレイユ……)

 彼女が歩いていった方向に姿を探すが、こちらに戻ってくる気配も、屋台の前にいる人混みの中にも見つけることができない。



「もしかして、何かあったんじゃ……」

 何度かお忍びで来たことがあると言っていたが、もし皇女だということがばれて誘拐されてしまっていたら、どうすればいいのだろう。



 予想が悪い方へ傾くと、それは勢いを増してアルエットを不安に駆り立てた。

 思い切って立ち上がると、アルエットは店のある方へ向かい、何軒かに声をかけるが、ミレイユのような人を見たと話す者はいなかった。



(どうしよう……ミレイユに何かあったら私のせいだわ)

 部屋で退屈そうにしていた自分を気晴らしに連れ出してくれた彼女に、危害が加えられたらその全責任はアルエットにある。なによりフェザンの大切な妹だ。



「他のお店に行ったのかも――」

 アルエットの足は自然と速くなり、石畳の上を強く蹴っていた。たしかに、この服装は動きやすくてよかった。



 出会う人に声をかけながら、アルエットはあちこちを駆けずり回る。息が切れて、壁に寄りかかると、細い路地の向こうにも建物が見えた。古い通りなのか、寂れた印象だ。



 久しぶりに体を動かして萎えそうな足を叱咤し、アルエットはそちらに進んだ。曲がり角を曲がった時、足元に大きな塊があってぎょっとする。

 薄汚れた服にぼろぼろの帽子をかぶった大男が座り込んでいたのだ。
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