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白鯨①
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文明開化により寒村から劇的な発展を遂げた町が、横浜の他にもうひとつある。
そこは横須賀。
複雑に入り組んだ海岸線が防波堤を兼ね、天然の要塞を成す、軍港として理想的な地形が、帝国海軍の重要拠点に選ばれた。
高島の元に海軍から依頼が舞い込んで、コンコとリュウがやって来た。物々しい雰囲気にコンコは緊張の面持ちで、リュウは険しい顔である。
軍港の門前で衛兵に声を掛けたが、話は簡単にはいかなかった。
「高島嘉右衛門の遣いだ」
「名前は?」
「コンコだよ! こっちはリュウ」
「氏名で答えよ。名前は!?」
ふたりは困惑し、口をつぐんでしまった。
リュウは彰義隊士として上野の山で死んだことになっている。
コンコは人の姿だが、その正体は稲荷狐の神様である。
高島を冠した偽名を使ったことはあるが、先に高島の遣いと言ってしまったから使えない。
3度目ともなれば厳しく問われる。強い口調で名前を聞かれてコンコはオロオロとし、リュウは苛立ち帰ってしまおうかと考えた。
ひとりの士官が奥から門の前へとやって来て、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「どうした」
「ハッ! この者たちが高島嘉右衛門様の遣いと申しております!」
「僕、コンコ。こっちはリュウだよ」
「お待ちしておりました、どうぞ中へ」
今度は呆気なく入れてしまい、拍子抜けした。この件は軍でも一部の上官しか知らないらしい。
しかしこの士官、舐め回すようにリュウを見て終始ニヤニヤとしている。リュウはと言うと、親の仇にでも会ったような目で睨みつけていた。
「ここ横須賀は国防の要です。見聞きしたものは決して口外なさらぬよう」
キョロキョロと辺りを見回していたコンコは、ゼンマイが弾け飛んだように首を止め、正面へと視線を釘刺した。
「それをお約束頂けるなら、この軍港をご案内しましょう」
コンコは沸き立つ嬉しさを噛み殺しているが、リュウの表情は固いままだ。
真っ赤に焼けた鉄塊に、巨大なハンマーが打ち下ろされた。ハンマーが上がると鉄塊はふたりがかりで動かされ、再びハンマーに激しく叩きつけられる。
「これはスチームハンマー、蒸気機関の鍛冶屋です」
軍港に隣接する横須賀造船所である。
陸蒸気や蒸気船が身近な横浜に暮らすコンコとリュウだが、産業用蒸気機関は初めて目にした。凄まじい機械音が轟いており、会話をするのもやっとである。
「製鉄と蒸気機関は文明開化の要、横須賀こそが日本の中枢です」
横浜はおろか東京も差し置いて中枢を名乗るとは、大きく出たものだ。
だが日本における最先端技術が結集している。秘匿にされるのも当然である。
次に連れてこられた場所で、コンコは目を丸くして「鯨のお墓?」と尋ねたので、士官は可笑しそうにしていた。
「これはドライドック、船の修理で使います」
地面をくり抜いて石を敷き詰めたそれは、コンコが言うように巨大な石棺にも見える。
「へぇ~! どうやって船を入れるの?」
「水を満たして門を開けるんだよ。船が入ったら門を閉めて、水を抜くんだ」
「どうやって水を抜くの?」
「これも蒸気機関だ。排水のために作られたのが蒸気機関。これが本来の使い道というものだよ」
「そうして、あの船を直しているのか」
ふたつあるドックうちの一方は、既に使用中であったのだ。
リュウの一言に士官は唇を噛んだ。ただの修理ではなさそうである。
口外しない約束でも、国防上ここまでしか見せられないと言われたので、今回の本題に入ることにした。
「それで、どんなあやかしが出るの?」
コンコの質問を、士官は鼻で笑った。
「あやかし? そんな非科学的なものがいるか。鉄と蒸気機関で築かれた機械文明を見ただろう」
コンコはムッとして、リュウは苛立った。
「怪異が起きているから、俺たちが呼ばれたはずだ。ここで何があったのだ」
「ふん、上官どもの戯言よ。起きた事象については、国防上の都合で言えん」
士官はリュウに肩をぶつけ、低い声で囁いた。
「そんなことより、夜ここに来い。聞きたいことがある」
リュウは横目に睨みつけ、聞こえよがしに奥歯をギリッと噛み鳴らした。
朧月が窮屈な湾内を照らしている。天然の防波堤により、波の音は微かであった。
人気のないドック脇では士官がひとりで待っており、リュウの影が近付くに連れ口角がいやらしく吊り上がった。
「よくぞ命拾いしたものよ、上野の山以来だな」
「人違いだ」
彰義隊士だった当時、剣を交わした相手が多すぎた。この士官も、いけ好かない警部も、そのうちのひとりだろう。
リュウは誰ひとりとして覚えていない。
士官がサーベルを投げてきた。
「決着をつけよう。志半ばは、お互い様だろう」
リュウはサーベルを投げ返し、腰のものを見せつけた。
「俺の刀は、これだけだ」
士官は眉をピクリと動かしてから、目を剥いて歯を見せて、悪魔のように笑った。
「貴様、上野で死んだことになっていないか? 死んだと聞いて探したが、欠片のひとつも見つけらなかった男がいた。貴様だ、小僧」
押し黙ったリュウの鋭い目付きが、士官の予想を確信に変えさせた。
「一度死んだ身であれば、身元不明の無縁仏だ。俺が土左衛門にしてやろう」
負ければ水死体、勝てば牢獄または死刑、どちらに転がっても地獄行き。分が悪いだけの勝負だが、断ることは許されない。
リュウが静かに刀を抜くと、士官は喜々としてサーベルを抜いた。
そこは横須賀。
複雑に入り組んだ海岸線が防波堤を兼ね、天然の要塞を成す、軍港として理想的な地形が、帝国海軍の重要拠点に選ばれた。
高島の元に海軍から依頼が舞い込んで、コンコとリュウがやって来た。物々しい雰囲気にコンコは緊張の面持ちで、リュウは険しい顔である。
軍港の門前で衛兵に声を掛けたが、話は簡単にはいかなかった。
「高島嘉右衛門の遣いだ」
「名前は?」
「コンコだよ! こっちはリュウ」
「氏名で答えよ。名前は!?」
ふたりは困惑し、口をつぐんでしまった。
リュウは彰義隊士として上野の山で死んだことになっている。
コンコは人の姿だが、その正体は稲荷狐の神様である。
高島を冠した偽名を使ったことはあるが、先に高島の遣いと言ってしまったから使えない。
3度目ともなれば厳しく問われる。強い口調で名前を聞かれてコンコはオロオロとし、リュウは苛立ち帰ってしまおうかと考えた。
ひとりの士官が奥から門の前へとやって来て、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「どうした」
「ハッ! この者たちが高島嘉右衛門様の遣いと申しております!」
「僕、コンコ。こっちはリュウだよ」
「お待ちしておりました、どうぞ中へ」
今度は呆気なく入れてしまい、拍子抜けした。この件は軍でも一部の上官しか知らないらしい。
しかしこの士官、舐め回すようにリュウを見て終始ニヤニヤとしている。リュウはと言うと、親の仇にでも会ったような目で睨みつけていた。
「ここ横須賀は国防の要です。見聞きしたものは決して口外なさらぬよう」
キョロキョロと辺りを見回していたコンコは、ゼンマイが弾け飛んだように首を止め、正面へと視線を釘刺した。
「それをお約束頂けるなら、この軍港をご案内しましょう」
コンコは沸き立つ嬉しさを噛み殺しているが、リュウの表情は固いままだ。
真っ赤に焼けた鉄塊に、巨大なハンマーが打ち下ろされた。ハンマーが上がると鉄塊はふたりがかりで動かされ、再びハンマーに激しく叩きつけられる。
「これはスチームハンマー、蒸気機関の鍛冶屋です」
軍港に隣接する横須賀造船所である。
陸蒸気や蒸気船が身近な横浜に暮らすコンコとリュウだが、産業用蒸気機関は初めて目にした。凄まじい機械音が轟いており、会話をするのもやっとである。
「製鉄と蒸気機関は文明開化の要、横須賀こそが日本の中枢です」
横浜はおろか東京も差し置いて中枢を名乗るとは、大きく出たものだ。
だが日本における最先端技術が結集している。秘匿にされるのも当然である。
次に連れてこられた場所で、コンコは目を丸くして「鯨のお墓?」と尋ねたので、士官は可笑しそうにしていた。
「これはドライドック、船の修理で使います」
地面をくり抜いて石を敷き詰めたそれは、コンコが言うように巨大な石棺にも見える。
「へぇ~! どうやって船を入れるの?」
「水を満たして門を開けるんだよ。船が入ったら門を閉めて、水を抜くんだ」
「どうやって水を抜くの?」
「これも蒸気機関だ。排水のために作られたのが蒸気機関。これが本来の使い道というものだよ」
「そうして、あの船を直しているのか」
ふたつあるドックうちの一方は、既に使用中であったのだ。
リュウの一言に士官は唇を噛んだ。ただの修理ではなさそうである。
口外しない約束でも、国防上ここまでしか見せられないと言われたので、今回の本題に入ることにした。
「それで、どんなあやかしが出るの?」
コンコの質問を、士官は鼻で笑った。
「あやかし? そんな非科学的なものがいるか。鉄と蒸気機関で築かれた機械文明を見ただろう」
コンコはムッとして、リュウは苛立った。
「怪異が起きているから、俺たちが呼ばれたはずだ。ここで何があったのだ」
「ふん、上官どもの戯言よ。起きた事象については、国防上の都合で言えん」
士官はリュウに肩をぶつけ、低い声で囁いた。
「そんなことより、夜ここに来い。聞きたいことがある」
リュウは横目に睨みつけ、聞こえよがしに奥歯をギリッと噛み鳴らした。
朧月が窮屈な湾内を照らしている。天然の防波堤により、波の音は微かであった。
人気のないドック脇では士官がひとりで待っており、リュウの影が近付くに連れ口角がいやらしく吊り上がった。
「よくぞ命拾いしたものよ、上野の山以来だな」
「人違いだ」
彰義隊士だった当時、剣を交わした相手が多すぎた。この士官も、いけ好かない警部も、そのうちのひとりだろう。
リュウは誰ひとりとして覚えていない。
士官がサーベルを投げてきた。
「決着をつけよう。志半ばは、お互い様だろう」
リュウはサーベルを投げ返し、腰のものを見せつけた。
「俺の刀は、これだけだ」
士官は眉をピクリと動かしてから、目を剥いて歯を見せて、悪魔のように笑った。
「貴様、上野で死んだことになっていないか? 死んだと聞いて探したが、欠片のひとつも見つけらなかった男がいた。貴様だ、小僧」
押し黙ったリュウの鋭い目付きが、士官の予想を確信に変えさせた。
「一度死んだ身であれば、身元不明の無縁仏だ。俺が土左衛門にしてやろう」
負ければ水死体、勝てば牢獄または死刑、どちらに転がっても地獄行き。分が悪いだけの勝負だが、断ることは許されない。
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