51 / 64
花と蛇①
しおりを挟む
高島からの依頼はその人脈から要人や領事館、そして新政府に関わるものになりがちだ。元彰義隊士で身を隠し続けたリュウにとっては、あまり好ましくない仕事である。
「あやかしが現れるのは、どこなの?」
「神奈川台場だよ。ここからすぐの場所だ」
神奈川宿本陣辺りから、海に浮かぶように突き出た砲台だ。ふたつの細い堤で陸地とつながっており、間は船溜まりとなっている。
神奈川台場は、海軍の管轄である。
横須賀のあやかし退治でドライドックを使った恨みを買っているから、リュウの表情もつい固くなってしまう。
「それで、どんなあやかしなのかな?」
「大鰻が出るそうだ」
「江戸前だから穴子かもね」
コンコの冗談に、救われた気がして笑みがこぼれた。
しかし高島の顔は強張って、叩くような勢いで机に手をついた。唇を噛み身体を前のめりにした姿は、まるで懇願しているようだ。
「リュウさん! 海軍の依頼だから断れなかったが、良くない卦が出ているんだ! あなたの身に何か起こるかも知れない。遠慮なく断ってくれていい!」
コンコとリュウは丸く開いた目を合わせると、ふたり揃って深くうなずいて、自信に満ちた笑みを高島に見せつけた。
コンコとリュウにとって魂である妖刀を遣い、横浜を脅かすあやかしを退治するのが、ふたりの務めだという強い意志が、何よりも勝っていた。
「心遣いには感謝するが、引き受けよう」
「大丈夫だって! リュウは僕が守るから!」
「コンコが俺を?」
「リュウはいつも無茶ばかりするんだから」
ふたりの責任感と朗らかなやり取りを前にしても、高島の心配は晴れることがなかった。
その日の夜、神奈川台場。
海に突き出た人工島が松明に照らされて、ぼんやりと浮かび上がっている。
高島の遣いと申し出ると、衛兵は門をすんなり開けた。横須賀のときとは、だいぶ違う。
長い堤を歩いて台場に渡る。
函館五稜郭を半分に切ったような蝙蝠形の台場では、何門もの大砲が真っ暗な海面をじっと睨みつけていた。
やはり横須賀のときとは、だいぶ違う。台場の中央に案内されるなり、四方八方から兵士が姿を現した。
囲まれた!!
リュウが刀に手を掛けると、コンコがピタリと身体を寄せて、固く身構えた。ここは人目につかない海軍の島、人ひとりを闇や波間に隠すなど、容易いことに違いない。
兵士たちが躊躇なく抜いたサーベルが、松明の明かりに浮かび上がる。
「横須賀が、ずいぶん世話になったそうだな」
皮肉しかない礼に続いて、兵士たちから怒号をこれでもかと浴びせられた。
「海軍を馬鹿にしおって!」
「ドライドックを何だと思っている!」
「この死にぞこないが!」
この一言で、雄叫びはピタリと止んだ。リュウが元彰義隊士ということも伝わっていたのだ。
ひとりの男が、獲物を狙う肉食獣にも似たゆっくりとした足取りで歩み寄ってきた。今にも牙を剥きそうな薄い笑いを浮かべている。
「俺のことを覚えておらんか?」
「さあな、暗くて見えん」
「そうか。だが我々は10年、貴様のことを忘れておらぬ」
炎に染まる切っ先が向けられると、リュウは柄を強く握って身を屈め、コンコは食いしばった歯を開き、張り裂けんばかりに啖呵を切った。
「こんな大勢で膾斬りなんて、卑怯だぞ!!」
「お稲荷さんの言うとおりだ!」
台場の船溜まり側に建つ番所から、ひとりの男が飄々と歩いてきた。その風貌から50代半ば、といったところだろうか。
スッと通った鼻筋、真っ直ぐに生えた太い眉、落ち窪んでギョロリとした垂れ目、一度目にしたら忘れない顔立ちの男である。
コンコの隣で立ち止まり、ニカッと笑いかけると兵士たちが腰だけを曲げて頭を下げた。
コンコは釣られて、ニヘッと笑っている。
「すまねぇな、俺があやかし退治の依頼主だ」
「海軍のお願いじゃなかったんだ」
コンコを稲荷狐と見抜いた男は、立て板に水を流すように、つらつらと喋りだした。
「まったく、こいつらには参っちまうぜ。今更、俺に頼ってきた癖に、あやかしじゃねぇかっつったら違ぇと言いやがる。しょうがねぇから、伝を使って俺が頼んだってぇわけよ」
こてこての江戸訛りな上、よく喋るものだからコンコは圧倒されていた。
寡黙なリュウとは真逆である。
「おじさん、海軍の人じゃないの?」
「昔はいたんだぜ。この台場の形を考えたのは俺なんだ、凄えだろ? 近頃はつまんねぇから辞めちまったけどな」
リュウは、この男に思い当たる名前があって、眉を寄せずにはいられない。
疑念を晴らしたのは、コンコだった。
「おじさん、誰なの?」
「勝安芳だ、宜しくな」
通称は麟太郎、諱は義邦、幕臣としての官位は安房守、号は海舟。
大政奉還で安房守が使えなくなったので、今は音を似せた安芳を名乗っている。
高島の言っていた意味が、今わかった。
徳川の世を終焉に導いた男の依頼だったのだ。
勝はリュウをチラリと見ると、誰ということもなく兵士たちに呼びかけた。
「あやかしが出るまで、ふたりと打ち合わせだ! 番所を借りるぜ! 出てきたら教えてくんな!」
自分の家か庭のように、コンコとリュウを番所へと案内した。
「あやかしが現れるのは、どこなの?」
「神奈川台場だよ。ここからすぐの場所だ」
神奈川宿本陣辺りから、海に浮かぶように突き出た砲台だ。ふたつの細い堤で陸地とつながっており、間は船溜まりとなっている。
神奈川台場は、海軍の管轄である。
横須賀のあやかし退治でドライドックを使った恨みを買っているから、リュウの表情もつい固くなってしまう。
「それで、どんなあやかしなのかな?」
「大鰻が出るそうだ」
「江戸前だから穴子かもね」
コンコの冗談に、救われた気がして笑みがこぼれた。
しかし高島の顔は強張って、叩くような勢いで机に手をついた。唇を噛み身体を前のめりにした姿は、まるで懇願しているようだ。
「リュウさん! 海軍の依頼だから断れなかったが、良くない卦が出ているんだ! あなたの身に何か起こるかも知れない。遠慮なく断ってくれていい!」
コンコとリュウは丸く開いた目を合わせると、ふたり揃って深くうなずいて、自信に満ちた笑みを高島に見せつけた。
コンコとリュウにとって魂である妖刀を遣い、横浜を脅かすあやかしを退治するのが、ふたりの務めだという強い意志が、何よりも勝っていた。
「心遣いには感謝するが、引き受けよう」
「大丈夫だって! リュウは僕が守るから!」
「コンコが俺を?」
「リュウはいつも無茶ばかりするんだから」
ふたりの責任感と朗らかなやり取りを前にしても、高島の心配は晴れることがなかった。
その日の夜、神奈川台場。
海に突き出た人工島が松明に照らされて、ぼんやりと浮かび上がっている。
高島の遣いと申し出ると、衛兵は門をすんなり開けた。横須賀のときとは、だいぶ違う。
長い堤を歩いて台場に渡る。
函館五稜郭を半分に切ったような蝙蝠形の台場では、何門もの大砲が真っ暗な海面をじっと睨みつけていた。
やはり横須賀のときとは、だいぶ違う。台場の中央に案内されるなり、四方八方から兵士が姿を現した。
囲まれた!!
リュウが刀に手を掛けると、コンコがピタリと身体を寄せて、固く身構えた。ここは人目につかない海軍の島、人ひとりを闇や波間に隠すなど、容易いことに違いない。
兵士たちが躊躇なく抜いたサーベルが、松明の明かりに浮かび上がる。
「横須賀が、ずいぶん世話になったそうだな」
皮肉しかない礼に続いて、兵士たちから怒号をこれでもかと浴びせられた。
「海軍を馬鹿にしおって!」
「ドライドックを何だと思っている!」
「この死にぞこないが!」
この一言で、雄叫びはピタリと止んだ。リュウが元彰義隊士ということも伝わっていたのだ。
ひとりの男が、獲物を狙う肉食獣にも似たゆっくりとした足取りで歩み寄ってきた。今にも牙を剥きそうな薄い笑いを浮かべている。
「俺のことを覚えておらんか?」
「さあな、暗くて見えん」
「そうか。だが我々は10年、貴様のことを忘れておらぬ」
炎に染まる切っ先が向けられると、リュウは柄を強く握って身を屈め、コンコは食いしばった歯を開き、張り裂けんばかりに啖呵を切った。
「こんな大勢で膾斬りなんて、卑怯だぞ!!」
「お稲荷さんの言うとおりだ!」
台場の船溜まり側に建つ番所から、ひとりの男が飄々と歩いてきた。その風貌から50代半ば、といったところだろうか。
スッと通った鼻筋、真っ直ぐに生えた太い眉、落ち窪んでギョロリとした垂れ目、一度目にしたら忘れない顔立ちの男である。
コンコの隣で立ち止まり、ニカッと笑いかけると兵士たちが腰だけを曲げて頭を下げた。
コンコは釣られて、ニヘッと笑っている。
「すまねぇな、俺があやかし退治の依頼主だ」
「海軍のお願いじゃなかったんだ」
コンコを稲荷狐と見抜いた男は、立て板に水を流すように、つらつらと喋りだした。
「まったく、こいつらには参っちまうぜ。今更、俺に頼ってきた癖に、あやかしじゃねぇかっつったら違ぇと言いやがる。しょうがねぇから、伝を使って俺が頼んだってぇわけよ」
こてこての江戸訛りな上、よく喋るものだからコンコは圧倒されていた。
寡黙なリュウとは真逆である。
「おじさん、海軍の人じゃないの?」
「昔はいたんだぜ。この台場の形を考えたのは俺なんだ、凄えだろ? 近頃はつまんねぇから辞めちまったけどな」
リュウは、この男に思い当たる名前があって、眉を寄せずにはいられない。
疑念を晴らしたのは、コンコだった。
「おじさん、誰なの?」
「勝安芳だ、宜しくな」
通称は麟太郎、諱は義邦、幕臣としての官位は安房守、号は海舟。
大政奉還で安房守が使えなくなったので、今は音を似せた安芳を名乗っている。
高島の言っていた意味が、今わかった。
徳川の世を終焉に導いた男の依頼だったのだ。
勝はリュウをチラリと見ると、誰ということもなく兵士たちに呼びかけた。
「あやかしが出るまで、ふたりと打ち合わせだ! 番所を借りるぜ! 出てきたら教えてくんな!」
自分の家か庭のように、コンコとリュウを番所へと案内した。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる