ひとひらの花びらが

山口 実徳

文字の大きさ
14 / 40

第14話・女と男②

しおりを挟む
 弾力のない乳房に埋まり、あばらが目立つ腰を抱き、脈打つ劣情で潤した。女もそれに呼応して、あやめに絡みつかせたひだをきゅうきゅうと締める。丹田から、腿から、脹脛ふくらはぎから髄を吸い取られるようで、ピンと伸びた脚は痺れて力が失われていった。
 これが女とそれだけを、煮えたぎった脳髄でぼんやり感じて吐息を漏らし、焦点の合わぬ天井をほぅっと仰いだ。

 しばらく抱きしめ合ってから、息継ぎするように身体を離し、生まれ出づるところより垂れる子種に女は触れた。
「ああ、晋一郎や。もっと早く生まれていれば嫁を娶り、子を成していたでしょうに」
 言葉なく布団に腰を下ろしていると、その姿を目にした後家は我に返り、刻んだ皺に溢れる涙を伝わせた。

「晋一郎や! どうして伏見などに行ってしまったの!? どうして帰ってくれないの!? どうして父の後を追って、どうして、どうして公方様は!!……」

 それから声を出せぬほど泣き伏せてしまったものの、それだけで後家の事情が理解出来た。
 幕臣として、公方様の世を守るため薩長と戦い、そこで父子ともども命運が尽きた。その公方様は、ひとりで江戸へ逃げ帰った。何のために父子は生命を落としたのかと、後家の痛みや悲しみが冷たい風を胸に吹かせた。

 ただひたすらに泣く後家をどうすることも出来ぬうち、約束の一刻が訪れてしまった。身なりを正し座敷をあとにし、玄関先で待ち構える金剛の迎えを受ける。
 と、そこへ似たようななりをした若い陰間とすれ違った。彼もまた、はじめての女の相手と見えて、戸惑いを隠せず目を泳がせている。
 金剛は彼を横目に過ぎゆくと、低い声を沈ませて耳打ちしてきた。

「あやめさん、今日の客は後家ですかい?」
「そうだよ、伏見で旦那さんと息子を亡くしたようだ」
 つられて囁いた言葉を聞いて、金剛は眉間にしわ寄せ、口をへの字に歪めて唸った。そうした末、薪を割るかのように、芯からきっぱりと言い放った。
「あやめさん、その女はお忘れなさい」

 谷中の住職というご贔屓様はついたものの、高額なので一期一会が基本。それでいながら、わざわざ忘れろと言われて、一抹の不安を感ずにはいられなかった。
「そりゃあ、いいけど……どうして?」
「その女、身投げでもするつもりでしょう」

 緞帳どんちょうが下り、周りの景色が暗転した。
 亡くした息子と同じ年頃の陰間を呼んで、果たせなかった無念を貪り尽くし、使い切ったら夫と子の後を追う。入れ替わりの陰間には、そして自分自身にも、そういう意味があったのかと気づかされて、先頃までいた料理屋を振り返った。
 しかし金剛は肩に触れ、去りゆく先へと向き直らせた。

 *  *  *

 お城があっけなく明け渡されて、公方様が逃げるように明け方に水戸へ下がった、春のこと。
 彰義隊に加わると若い娘が放っておかないらしいぞと、浮ついた声で話していた牡丹兄さんを、桔梗兄さんが寒いくらいに涼しげに諭していた。
「そんな軟派な理由で、墓守なんかするものじゃあないよ」

 桔梗兄さんが言うように寛永寺を拠点とする彰義隊は、市中から徳川将軍家霊廟へと守護するものを変えて、今も上野に居座っている。
 そうなってから、公方様ではなくなった公方様に忠誠を誓う者が上野に集い、その数は三千とも四千とも膨れ上がった。それだけの数が集まれば、牡丹兄さんと同じ夢を見るような男がいても、おかしくない。

「あれは、薩長との戦のために集っているんじゃあないかい? 本当に戦になったら、どれだけの隊士が残るだろうね」
「せっかく戦をせずに、お城を明け渡したっていうのにねぇ。結局、争わずにはいられないのか」
 牡丹兄さんはつまらなそうに寝っ転がると、ふと思い立って誰にということなく呟いた。

「通和散は、何から作っているか知ってるかい?」
 日の浅いものに尋ねたような気がしたので、頭の片隅に仕舞った記憶を振り絞った。やっとのことで思い出し、ハキハキと答えた。
「とろろ葵です」
「そう、葵を菊門に入れているのさ。それで上手い具合になりゃあ、よかったのにね」
「牡丹、滅多なことを言うものじゃあないよ」

 桔梗兄さんにやんわりと咎められ、牡丹兄さんは見えない明日に不安を浮かべた。
「上客だった奥女中はいなくなって、寛永寺は下駄を脱がされちまった。薩長の連中は、私らを買ってくれるのかね」
「先を読むような商売じゃないだろう? 今は今日の客に備えるだけさ」
 桔梗兄さんが払おうと、牡丹兄さんに渦巻く不安は板間に広がり呑み込んだ。

 彼は公方様の後を追い、水戸に下ってしまったのだろうか。それともまだ上野に残って、幕臣としての意地を張っているのか。
 備えに勤しみながら、あのお武家様は水戸でどうしているのかと、あの後家は今も生きているだろうかと、様々なことが頭を過った。

 とろけさせた通和散を塗りつけて小指から薬指、人差し指に中指と入れていくうち、むずむずとした劣情が腹の下に沸き起こった。
 そしておもむろに、前でピクリと跳ねるものに手を伸ばす。
「あやめ」
 と、険しい声が澄み渡った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...