大輪の花火の輪

栗菓子

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第19話 歪み

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わたしは、あの団体へ入って、色々人生経験を聞いて回った。ベテランの保護士のように聞く事だけでも、心の重みや人生の矛盾や痛みに気づく人も居れば、気づかずに子どものようにげらげらと笑って凄いだろと自慢げに言う人も居るのだ。なかには虚言癖と妄想らしき話もあったが、わたしはその人にとっては、それが真実なのかもしれないと思った。

この経験は、女優としての糧にもなった。わたしは何でもあらゆる役ができるように、イメージと多くの人生経験の話を元に補完して、より上手く、本格的な女優として注目されたこともあった。

中には、お金があったのに、精神疾患で高価なものをたくさん買いためて、その中でゴミのように埋もれて死んだ母と子も居た。
生きる力がなかったのだろうか?わたしにはわからなかった。


わたしは生きるのに精いっぱいで、まさか心の病で死ぬ人も居る人も居るのかと思った。

人生って何だろう。生きるってなんだ。そういう力がある人が生き延びるかもしれない。

中には、「何もかもカランどうでさ。虚しいんだよ。なにか落ちていく感じでさ。 オレにとってはこの世界がはりぼてにしか見えないんだ。頭おかしいんだな。きっと。」

と呟きながら能力もあって、頭もいい男がある日、突然全てを捨てて自殺したこともあった。

その人にとって、この世界はどう感じ、見えていたのだろうか?

私は、なんだか昔のおばあちゃんが連れて行ってくれた霊山を思い出した。嗚呼。お祖母ちゃんもなにかあったのだろうか?
いつも何かお祈りしていた。

なんだかあそこはとても不思議な空間だった。時が止まっていて、何かが居るような感じだった。

お地蔵様と、風でカラカラと回る折り紙の飾りが印象的だった。

子どもの頃は、なんだか寂しいところだなと思った。


お祖母ちゃんもたくさん生と死をみてきたのだろうか?

どんなにいい人や才能が有っても呆気なく去っていく人も居る。

反対に、何かが欠けていないか、と不完全な感じがする人がしぶとく生き延びて権力をもって当時は庶民の反感をかう非常識な政策や、行動を行っても殺されずに、長生きしている人が新聞にのったり話題になったりもする。


この世界って、本当はめちゃくちゃで、不条理でかろうじて保っている世界じゃないかしら・・

わたしは色々と世界と人生の歪みを見つけては、その痛みに翻弄されて傷ついて倒れる人たちを見てきた。


貧困や、弱者の生きづらい世界。 どうしてもできない人も居るのに強制される世界。 そのめちゃくちゃな世界に慣れた人が生き延びる世界。
運と生命力。それがあった人は何かあっても生きていくだろう。


中には、子を連れて自殺した母親も居た。 それはいいのかなとわたしは思った。
子どもは子どもの生があるのにな。
なにも連れて行かなくても・・ともやもやしたこともある。

わたしは重い話につかれて、静かなところへいって休んだり、反対に子どもたちが無邪気に遊んでいる公園へいったりもする。

今はまだこの子供たちは幸福だ。だって目も顔も輝いているもの。

わたしは眩しくて目を細めたことがある。

幸福な無知な無邪気な意地悪なところもある子どもたちが遊んでいるのを見るのは楽しい。

ほっとする。まだ世界は大丈夫だな。と確認することもあった。




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