49 / 62
夜にするもの
しおりを挟む
午前の謁見室は、いつもより人が多かった。
妃候補たちが一列に並び、侍女や従者が控えている。
エリナは、列の端で静かに立っていた。
(……落ち着いて)
昨夜のことを思い出さないように。
何もなかった。
何も、起きていない。
それなのに――
(……忘れて)
自分に言い聞かせる。
妃候補として、いつも通りに振る舞わなければ。
そう、言い聞かせていた。
「――では、本日の報告を」
第一王子バルディンが、穏やかな声で告げる。
いつもと変わらない、王子の顔。
誰に対しても公平で、柔らかい微笑み。
そのはずなのに。
不意に、その視線が――エリナに向いた。
「エリナ」
名を呼ばれただけで、胸が跳ねる。
「はい……」
一歩前に出る。
視線が集まるのが分かった。
「最近、少し疲れているように見えるな」
それだけ。
責めるでも、詰めるでもない。
「……大丈夫です」
そう答えながら、エリナは視線を伏せた。
――その瞬間。
バルディンの目が、ふと細くなる。
「……その目だ」
低く、穏やかな声。
空気が、ぴたりと止まった。
「そういう目は、夜にするものだよ」
やわらかく。
たしなめるように。
――なのに。
言葉の意味が、理解できた瞬間、
エリナの耳が熱くなった。
(……今の、私……?)
周囲がざわつく。
「……今の聞いた?」
「殿下に、そんな目で……」
「いやらしい……」
ひそひそと、抑えた声。
恥ずかしい。
本来なら、顔から火が出そうなはずなのに。
なのに――
(……嬉しい)
胸の奥が、ひどくざわついた。
他の誰でもない。
自分だけに向けられた言葉。
たしなめられたのに、
拒絶ではなかった。
むしろ――
「……余計なことは、考えなくていい」
バルディンが、静かに続ける。
その一言が、
刃のように胸に落ちた。
(……期待、するなって……)
一瞬、息が詰まる。
浮かれていたのは、自分だけ。
そう言われた気がして。
けれど。
視線が、外されない。
そのまま、穏やかに――
「今日も、報告は以上だ」
それだけ告げて、話題は切り替えられた。
誰も、追及しない。
誰も、深く触れない。
それなのに。
エリナの胸だけが、熱を持ったままだった。
(……でも)
余計なことは考えなくていい。
それは、切り捨てではなかった。
否定されたのは、意味づけだけ。
距離も、呼び出しも、何ひとつ変わっていない。
(……夜に、って)
その言葉が、頭から離れない。
恥ずかしいのに。
怖いのに。
それでも――
(……また、呼ばれる)
そう思ってしまう自分が、
いちばん怖かった。
⸻
部屋へ戻ったあと。
侍女から、短い手紙を受け取る。
余計な装飾もない、簡潔な文字。
「……今日も、薬膳を頼む」
それだけ。
それなのに。
胸の奥が、きゅっと締めつけられて、
同時に、熱くなる。
(……期待するな、って)
そう言われたはずなのに。
エリナは、手紙を胸に押し当てた。
――それでも。
夜までの時間が、
ひどく長く感じられてしまった。
妃候補たちが一列に並び、侍女や従者が控えている。
エリナは、列の端で静かに立っていた。
(……落ち着いて)
昨夜のことを思い出さないように。
何もなかった。
何も、起きていない。
それなのに――
(……忘れて)
自分に言い聞かせる。
妃候補として、いつも通りに振る舞わなければ。
そう、言い聞かせていた。
「――では、本日の報告を」
第一王子バルディンが、穏やかな声で告げる。
いつもと変わらない、王子の顔。
誰に対しても公平で、柔らかい微笑み。
そのはずなのに。
不意に、その視線が――エリナに向いた。
「エリナ」
名を呼ばれただけで、胸が跳ねる。
「はい……」
一歩前に出る。
視線が集まるのが分かった。
「最近、少し疲れているように見えるな」
それだけ。
責めるでも、詰めるでもない。
「……大丈夫です」
そう答えながら、エリナは視線を伏せた。
――その瞬間。
バルディンの目が、ふと細くなる。
「……その目だ」
低く、穏やかな声。
空気が、ぴたりと止まった。
「そういう目は、夜にするものだよ」
やわらかく。
たしなめるように。
――なのに。
言葉の意味が、理解できた瞬間、
エリナの耳が熱くなった。
(……今の、私……?)
周囲がざわつく。
「……今の聞いた?」
「殿下に、そんな目で……」
「いやらしい……」
ひそひそと、抑えた声。
恥ずかしい。
本来なら、顔から火が出そうなはずなのに。
なのに――
(……嬉しい)
胸の奥が、ひどくざわついた。
他の誰でもない。
自分だけに向けられた言葉。
たしなめられたのに、
拒絶ではなかった。
むしろ――
「……余計なことは、考えなくていい」
バルディンが、静かに続ける。
その一言が、
刃のように胸に落ちた。
(……期待、するなって……)
一瞬、息が詰まる。
浮かれていたのは、自分だけ。
そう言われた気がして。
けれど。
視線が、外されない。
そのまま、穏やかに――
「今日も、報告は以上だ」
それだけ告げて、話題は切り替えられた。
誰も、追及しない。
誰も、深く触れない。
それなのに。
エリナの胸だけが、熱を持ったままだった。
(……でも)
余計なことは考えなくていい。
それは、切り捨てではなかった。
否定されたのは、意味づけだけ。
距離も、呼び出しも、何ひとつ変わっていない。
(……夜に、って)
その言葉が、頭から離れない。
恥ずかしいのに。
怖いのに。
それでも――
(……また、呼ばれる)
そう思ってしまう自分が、
いちばん怖かった。
⸻
部屋へ戻ったあと。
侍女から、短い手紙を受け取る。
余計な装飾もない、簡潔な文字。
「……今日も、薬膳を頼む」
それだけ。
それなのに。
胸の奥が、きゅっと締めつけられて、
同時に、熱くなる。
(……期待するな、って)
そう言われたはずなのに。
エリナは、手紙を胸に押し当てた。
――それでも。
夜までの時間が、
ひどく長く感じられてしまった。
10
あなたにおすすめの小説
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
王太子は妃に二度逃げられる
たまこ
恋愛
デリンラード国の王太子アーネストは、幼い頃から非常に優秀で偉大な国王になることを期待されていた。
初恋を拗らせ、七年も相手に執着していたアーネストが漸く初恋に蹴りを付けたところで……。
恋愛方面にはポンコツな王太子とそんな彼をずっと支えていた公爵令嬢がすれ違っていくお話。
※『拗らせ王子と意地悪な婚約者』『先に求めたのは、』に出てくるアーネストのお話ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
[完]僕の前から、君が消えた
小葉石
恋愛
『あなたの残りの時間、全てください』
余命宣告を受けた僕に殊勝にもそんな事を言っていた彼女が突然消えた…それは事故で一瞬で終わってしまったと後から聞いた。
残りの人生彼女とはどう向き合おうかと、悩みに悩んでいた僕にとっては彼女が消えた事実さえ上手く処理出来ないでいる。
そんな彼女が、僕を迎えにくるなんて……
*ホラーではありません。現代が舞台ですが、ファンタジー色強めだと思います。
【完結済】春を迎えに~番という絆に導かれて~
廻野 久彩
恋愛
辺境の村から王都の星環教会へやってきた研修生アナベル・ウィンダーミア。
門で出会った王族直属騎士団副団長ルシアン・ヴァルセインと握手を交わした瞬間、二人の手首に金色の光が浮かび上がる。
それは"番"——神が定めた魂の半身の証。
物語の中でしか聞いたことのない奇跡的な出会いに胸を躍らせるアナベルだったが、ルシアンの口から告げられたのは冷酷な現実だった。
「俺には……すでに婚約者がいる」
その婚約者こそ、名門ルヴェリエ家の令嬢セレナ。国境の緊張が高まる中、彼女との政略結婚は王国の命運を左右する重要な政治的意味を持っていた。
番の衝動に身を焼かれながらも、決して越えてはならない一線を守ろうとするルシアン。
想い人を諦めきれずにいながら、彼の立場を理解しようと努めるアナベル。
そして、すべてを知りながらも優雅に微笑み続けるセレナ。
三人の心は複雑に絡み合い、それぞれが異なる痛みを抱えながら日々を過ごしていく。
政略と恋情、義務と本心、誠実さと衝動——
揺れ動く想いの果てに、それぞれが下す選択とは。
番という絆に翻弄されながらも、最後に自分自身の意志で道を選び取る三人の物語。
愛とは選ぶこと。
幸せとは、選んだ道を自分の足で歩くこと。
番の絆を軸に描かれる、大人のファンタジーロマンス。
全20話完結。
**【キーワード】**
番・運命の相手・政略結婚・三角関係・騎士・王都・ファンタジー・恋愛・完結済み・ハッピーエンド
【完結済】ラーレの初恋
こゆき
恋愛
元気なアラサーだった私は、大好きな中世ヨーロッパ風乙女ゲームの世界に転生していた!
死因のせいで顔に大きな火傷跡のような痣があるけど、推しが愛してくれるから問題なし!
けれど、待ちに待った誕生日のその日、なんだかみんなの様子がおかしくて──?
転生した少女、ラーレの初恋をめぐるストーリー。
他サイトにも掲載しております。
凍雪の約束
苺迷音
恋愛
政略として嫁ぐことが決まっている令嬢・キャローナと、従者として主を守り抜くことが全てだった青年・クリフォード。
降りしきる雪の中、彼女が差し出した右手。彼はその手を取り、守り続けてきた忠誠と義務の境界を自ら踏み越える。
そして、雪は命の音を奪っていった。
※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。
お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる