王子の溺愛癖を、私はまだ知らない。

Wataru

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嫌われた?

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 それから、日々は淡々と過ぎていった。

 薬膳を作り、
 薬草を調べ、
 図書館と厨房を往復する。

 やるべきことは、変わらない。
 手を抜いているわけでもない。

 それなのに――
 バルディンから、声がかかることはなかった。

(……今日も)

 廊下を歩きながら、エリナは無意識に足を止める。
 呼ばれる気配を探してしまい、はっとして、また歩き出す。

 数日。
 それだけの時間。

 たったそれだけで、
 胸の奥が、じわじわと削られていく感覚を、エリナは初めて知った。

(……もし、このまま)

 もし、もう二度と呼ばれなかったら。
 あの夜は、ただの気まぐれだったとしたら。

 「ここにいていい」と言われたのも、
 深い意味なんて、なかったのだとしたら。

(……お願い、なんて)

 口にしてしまった言葉を、思い出す。

 欲しがる声。
 縋るような視線。

(……重かった?)

 胸が、じわりと苦しくなる。

 はっきり拒まれたわけじゃない。
 叱られたわけでもない。

 ただ――
 呼ばれない。

 それだけの事実が、
 静かに、確実に、不安を育てていく。



 数日後。

 回廊の片隅で、妃候補たちの小声が耳に入った。

「今日の午前中、殿下を中庭でお見かけしましたわ」
「ええ、執務の合間だったみたい」

 何気ない世間話。
 聞き流していいはずの会話。

 ――それなのに。

 エリナの足が、ぴたりと止まった。

(……中庭?)

 今日の午前中。
 自分も、確かにその近くを通っていた。

 けれど。

(……会ってない)

「最近、本当にお忙しそうよね」
「それでも、ちゃんと声をかけてくださるのが殿下らしいわ」

 楽しげな笑い声。

 エリナは、何も言わず、その場を通り過ぎる。

(……おかしい)

 偶然だと、思おうとした。
 時間がずれていただけだと。

 でも。

 他の妃候補は、見かけている。
 声も、かけられている。

 なのに。

(……私だけ?)

 胸の奥に、冷たいものが落ちる。



 その日、エリナは用事もないのに回廊を歩いていた。

 籠は持っていない。
 届ける書類もない。

(……偶然、会えたら)

 そんな言い訳を、胸の中で繰り返しながら。

 中庭。
 執務室の近く。
 医務室の回廊。

 ――いない。

(……また)

 胸の奥が、すうっと冷える。

 時間をずらしても、
 場所を変えても、
 どうしても、バルディンの姿だけが見つからない。

(……忙しいだけ)

 そう言い聞かせようとして、
 思い切れなかった。

「エリナ様?」

 不意に声をかけられ、振り向く。

 同じ妃候補の一人が、穏やかに微笑んでいた。

「殿下をお探し?」

「……いえ」

 反射的に否定する。

 けれど、その一瞬の間を、相手は見逃さなかった。

「あら、そう?」

 軽く首を傾げてから、何気ない調子で言う。

「でも最近、殿下――
 あの方と、よくお話しされているみたいよ」

 ――あの方。

 名前は出ない。
 それが、かえって残酷だった。

「中庭でも、図書室の前でも」
「何度かお見かけしたわ」

(……知らない)

 胸の奥で、何かが、静かに崩れる。

 自分は、見ていない。
 自分は、呼ばれていない。

 探しても、会えなくて。
 それなのに、他の誰かとは――

(……私だけ)

 口元が、かすかに震えた。

「そう……なんですね」

 それだけ答えるのが、精一杯だった。

 相手は気づかないまま、会釈して去っていく。



 その場に残されたエリナは、しばらく動けなかった。

 避けられているのかもしれない。
 もう、必要とされていないのかもしれない。

 お願いなんて、言ったから。
 欲しがる顔を、見せたから。
 欲張ったから、いけなかった。

 あんなことをしなければ、
 今日も、会えたかもしれないのに。

(……ばか)

 自分を責めても、
 心は、少しも楽にならなかった。

 ――会えない。

 それだけで、
 こんなにも、心が不安定になるなんて。

 そして、その不安の正体が、
 「嫌われたかもしれない」ではなく、

 「もう、特別じゃないのかもしれない」

 その恐れだということに、
 エリナは、まだ気づいていなかった。

 ただひとつ確かなのは――

 このまま、何も言わずに待ち続けることが、
 もう、耐えられないということだけだった。
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