【証拠はいらない】彼氏のふり

Wataru

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【証拠はいらない】彼氏のふり

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「彼氏のふりをしてほしいんです」

そう言って、彼女は頭を下げた。
伏せた睫毛が、やけに長い。

「彼氏の前で、ですか?」

軽く返すと、彼女は小さくうなずいた。

「本当は……別れたくありません。でも、私じゃ、あの人に釣り合わないから」

釣り合わない。
その言葉を口にした瞬間、彼女の肩がほんの少しだけ落ちた。

――ああ、これは厄介な依頼だ。

 

当日。
約束の店に現れた彼氏は、いかにも「順調な人生」を歩いていそうな男だった。
仕事も、立場も、余裕もある。

俺は彼女の隣に立ち、必要以上に近づかない。
手も握らない。
勝ち誇るような態度もしない。

ただ、彼女の話を遮らず、
決断を代弁せず、
雑に扱わない。

それだけだ。

彼氏が俺を一瞥し、彼女に言った。

「……こいつと、付き合ってるのか?」

彼女は少しだけ息を吸い、自分の言葉で言った。

「違う。付き合ってるんじゃない。今日で、全部終わらせに来たの」

彼氏が驚いた顔をする。

「あなたを嫌いになったわけじゃない。でも……自分を嫌いになりながら、誰かを好きではいられない」

沈黙が落ちた。

彼女は泣かなかった。
声も震えていなかった。

ただ、まっすぐ立っていた。

 

帰り道。
彼女がぽつりと言った。

「……彼氏のふりなんて、必要なかったかもしれません」

俺は肩をすくめる。

「最初から、あんたは一人で立ってた。ただ、保険が欲しかっただけだろ」

彼女は、少し笑った。
さっきまでより、ずっと楽そうな顔で。

 

「……男を振る手伝いまで始めたの?」

相棒が腕を組んで睨んでくる。

「違ぇよ」

俺は空を見上げる。

「自分を安売りしない女の背中を、見届けただけだ」

「なにカッコつけてんだか」

相棒は肩をすくめる。

――やれやれ。

 

恋に勝ち負けなんてない。
でも、自分を負けにしない選択は、確かにあるらしい。

俺はそう思いながら、次の依頼を探すことにした。
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