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第一章 キーランドと薬術院の君1
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私、江藤瑠璃が、この大陸――ベルリ大陸にきたのは今から三年前、十七歳の時だった。
きっかけは、よく覚えていない。なにか怖い目に遭ったような気だけはするけれど、具体的なことは今でも全然思い出せない。
大陸は上から見えると円形に近いらしく、気候なんかは地球の北半球みたいで、北に行くほど寒く南は温かい。最南端のポレポワという国なんかは、聞いている限りはほとんどハワイだ。
私が目を覚ました時は、東大陸のある草原で、制服を着て横たわっていた。体は地球にいた時とほとんど変化がなかったけど、髪だけは燃えるような赤色に変わっていた。
この世界の人々の言葉は、文字も音声も、日本語とはまるで違うものだったけど、なぜかすべて読めたし、聞き取れたし、話すこともできた。
夢を見ているわけではないらしい。そして地球に戻ることは、できないらしい。それが分かると、ここで暮らしていくための名前は、自分で決めた。
それから色々あって、魔法使いになった。それもどうやら、大陸の中でもかなり強力な。
今は西大陸の中でも随一の国であるザンヴァルザン王国、その首都であるヴァルジに住んでいる。
住んでいるどころか、仕事をしている。仕事をしているどころか――
「ルリエルちゃん、社長さんだもんねえ」
「そんないいもんじゃないですよ、アーシェさんー。ていうか、アーシェさんだってそうじゃないですかあ」
野盗たちをザンヴァルザンの騎士団に突き出した翌日、昼下がり。
私は、アーシェさんの回復宿に設けられているコーヒースタンドで、本日の日替わりコーヒーを飲んでいた。薄手の白いカップには花模様が彫刻されていて、見ていて気分が華やぐ。
ベルリ大陸にも、コーヒーや紅茶に当たる嗜好品がある。どちらも、地球のそれらにそっくりだった。だから私はそう呼んでいるし、この世界の人々にもそれで通じる。
アーシェさんは、私と同じ、地球からの転生者だった。一年ほど前にこのヴァルジに転生してきたのが縁で、私のほうからあれこれ世話を焼いた。
地球での名前は、町田朱音というらしい。私より二つ年上の二十二歳で、明るい性格もあってすっかりこの世界に溶け込んでいる。今はアーシェ・マチタとして、冒険者向けの宿を開いていた。
この世界、少し街を出ると森や山には危険な獣がたくさん棲んでいるし、人間に対して明確に害意を持つ魔獣もいる。魔獣は「六つの悪魔」と呼ばれる存在の手下なのだけど、この悪魔というのが、基本的に人間がまともに戦えるような生易しい存在じゃない。
とはいえ「六つの悪魔」は大抵自分の縄張りに引きこもっているので、大陸に十五ほどある国々の騎士団は、おおむね獣や魔獣を討伐する日々を送っている。たまに、悪魔に、国が騎士団ごと滅ぼされてしまうこともあるけれど。
で、そうして戦い続けている騎士団や、民間の冒険者は、年中けがをしている。
彼らを、薬草術や医術、身体機能の回復を促す法術で療養させる施設が、リカバリー・インだった。
「あたしは宮仕えみたいなものだもん。リカバリー・インは、どこも王国への登録制で管理もされてるから」
「そういう割には、ずいぶんな繁盛店みたいですけど」
確かにリカバリー・インは公的機関としての性格も強いけど、やっぱり経営者によってレベルや評判には差がついていく。アーシェさんの宿屋「ヒノキバリネウム」は、ヴァルジでも評価が高かった。詰めているお医者さんや薬草学者さんがしっかりした知識と技術のある人たちで、随所に温かみのあるサービスにもアーシェさんの意気込みが感じられる。
冒険者には女性も多く、ヒノキバリネウムでは完全に男女で施設を分けているのが特に高評価だった。
ベルリ大陸の宿屋には大抵大浴場があるけど混浴が多く、やっぱり、屈強な男性陣の前で肌を出していてはなかなかリラックスできない女の人は多い。この辺りの感覚は、日本でもこちらでも大差ないのだ。
「おかげさまで、それなりにね。でも、ルリエルちゃんとこのお店との割引サービスが結構大きいよ。この世界、割引とかコラボとかって概念があまりなかったから、新鮮だったみたいだし」
「それは、こちらもですよー。ここからの流れで来るお客さん、客層がいいんで助かってますっ!」
そう、アーシェさんのお店と私の経営するお店は、互いの利用者にオリジナルチケットを渡し、どちらかを利用するともう片方が割引されるというサービスを行っている。
この効果が意外とばかにならない。持ちつ持たれつというやつだ。
「アーシェさんも気づいてると思いますけど、ベルリ大陸の人たちって、他人の真似して儲けるみたいなのが生理的に嫌いですよね。だから今のところ、真似されずに済んでるんですけど」
「保守的なところはあるよね。総じてプライドも高い。だから目立つことすると恨みを買いやすいし、厄介事も多いけれど――」
アーシェさんがそこまで言った時、すぐ近くの広場のほうから、いくつもの大声が聞こえてきた。
「な、なんだろ? ルリエルちゃんも、隠れたほうが」
お店の壁に身を隠したアーシェさんが、広場の方向をうかがう。
「いえ、私はむしろ行ってきます」
「なんで!?」
私は髪をまとめてローブ――今日は緋色ではなくて地味なダークグレイの――に隠すと、広場へと足を向けた。
男の人の怒声が聞こえてくる。
「そんなことも言われなきゃ分かんねえのかよお! 遊びでやってんじゃねえんだぜ!」
どうやら、野菜を売っている露店の店主が、若い店員さんに怒鳴っているようだった。
「す、すみません……」
「謝ったってどうにもならねえよ! ったく、役立たずが。何年やってんだ、どいつもこいつも! ちっとは考えて働けや!」
私は、傍らにいたおじさんに小声で訊いた。
「なんですか、あれ?」
「あー。あのジェームズっていう露店商な。つまんないことで逆上しちゃ、店員に当たり散らすんだよ。今日は、あの店子が客の注文を受けた時、ちょっともめたらしい」
「もめた、ですかー」
「なんでも、午後一番に来るって約束してた客がまだ来ないらしくてね。で、ジェームズが、予約を受けた店員さんにどういうことだって言って責めてるらしい」
「……そんなの、店員さんにはどうしようもないじゃないですか」
「ジェームズは、典型的な『トラブルの時には、それに関わったやつにとにかく全責任がある』っていう主義者だからね。あいつの下にいる店子は、そのせいで客と接するのがどんどん嫌になっていく。接客業って、トラブルが絶えないからなあ」
どうも、とお礼を言って、そそくさとその場を離れた。
もう少し現場に近づいて情報を収集したけど、最初に聞いた話で間違いないようだった。
確かに、接客業はトラブルが絶えない。それは身に染みて分かっている。でもそれでいちいち、下の者に当たられちゃたまらない。ただの、上役の未熟さのツケじゃないかっ。
よし、やろう。
とはいえなにかの間違いの可能性もあるから、軽めに。
私は右手のひらに魔力を集中して、空気中から魔素を集めた。
そして二十メートルほど先にいる、まだ騒いでいる店主――ジェームズとかなんとか――の足元に狙いを定める。
「爆ぜろ、爆炎よッ」
大人しめの詠唱を唱えた瞬間、店主の足元が爆破された。
吹っ飛んだ店主は、空中で一回転半ほどして、べちっと地面に叩きつけられる。
私、江藤瑠璃が、この大陸――ベルリ大陸にきたのは今から三年前、十七歳の時だった。
きっかけは、よく覚えていない。なにか怖い目に遭ったような気だけはするけれど、具体的なことは今でも全然思い出せない。
大陸は上から見えると円形に近いらしく、気候なんかは地球の北半球みたいで、北に行くほど寒く南は温かい。最南端のポレポワという国なんかは、聞いている限りはほとんどハワイだ。
私が目を覚ました時は、東大陸のある草原で、制服を着て横たわっていた。体は地球にいた時とほとんど変化がなかったけど、髪だけは燃えるような赤色に変わっていた。
この世界の人々の言葉は、文字も音声も、日本語とはまるで違うものだったけど、なぜかすべて読めたし、聞き取れたし、話すこともできた。
夢を見ているわけではないらしい。そして地球に戻ることは、できないらしい。それが分かると、ここで暮らしていくための名前は、自分で決めた。
それから色々あって、魔法使いになった。それもどうやら、大陸の中でもかなり強力な。
今は西大陸の中でも随一の国であるザンヴァルザン王国、その首都であるヴァルジに住んでいる。
住んでいるどころか、仕事をしている。仕事をしているどころか――
「ルリエルちゃん、社長さんだもんねえ」
「そんないいもんじゃないですよ、アーシェさんー。ていうか、アーシェさんだってそうじゃないですかあ」
野盗たちをザンヴァルザンの騎士団に突き出した翌日、昼下がり。
私は、アーシェさんの回復宿に設けられているコーヒースタンドで、本日の日替わりコーヒーを飲んでいた。薄手の白いカップには花模様が彫刻されていて、見ていて気分が華やぐ。
ベルリ大陸にも、コーヒーや紅茶に当たる嗜好品がある。どちらも、地球のそれらにそっくりだった。だから私はそう呼んでいるし、この世界の人々にもそれで通じる。
アーシェさんは、私と同じ、地球からの転生者だった。一年ほど前にこのヴァルジに転生してきたのが縁で、私のほうからあれこれ世話を焼いた。
地球での名前は、町田朱音というらしい。私より二つ年上の二十二歳で、明るい性格もあってすっかりこの世界に溶け込んでいる。今はアーシェ・マチタとして、冒険者向けの宿を開いていた。
この世界、少し街を出ると森や山には危険な獣がたくさん棲んでいるし、人間に対して明確に害意を持つ魔獣もいる。魔獣は「六つの悪魔」と呼ばれる存在の手下なのだけど、この悪魔というのが、基本的に人間がまともに戦えるような生易しい存在じゃない。
とはいえ「六つの悪魔」は大抵自分の縄張りに引きこもっているので、大陸に十五ほどある国々の騎士団は、おおむね獣や魔獣を討伐する日々を送っている。たまに、悪魔に、国が騎士団ごと滅ぼされてしまうこともあるけれど。
で、そうして戦い続けている騎士団や、民間の冒険者は、年中けがをしている。
彼らを、薬草術や医術、身体機能の回復を促す法術で療養させる施設が、リカバリー・インだった。
「あたしは宮仕えみたいなものだもん。リカバリー・インは、どこも王国への登録制で管理もされてるから」
「そういう割には、ずいぶんな繁盛店みたいですけど」
確かにリカバリー・インは公的機関としての性格も強いけど、やっぱり経営者によってレベルや評判には差がついていく。アーシェさんの宿屋「ヒノキバリネウム」は、ヴァルジでも評価が高かった。詰めているお医者さんや薬草学者さんがしっかりした知識と技術のある人たちで、随所に温かみのあるサービスにもアーシェさんの意気込みが感じられる。
冒険者には女性も多く、ヒノキバリネウムでは完全に男女で施設を分けているのが特に高評価だった。
ベルリ大陸の宿屋には大抵大浴場があるけど混浴が多く、やっぱり、屈強な男性陣の前で肌を出していてはなかなかリラックスできない女の人は多い。この辺りの感覚は、日本でもこちらでも大差ないのだ。
「おかげさまで、それなりにね。でも、ルリエルちゃんとこのお店との割引サービスが結構大きいよ。この世界、割引とかコラボとかって概念があまりなかったから、新鮮だったみたいだし」
「それは、こちらもですよー。ここからの流れで来るお客さん、客層がいいんで助かってますっ!」
そう、アーシェさんのお店と私の経営するお店は、互いの利用者にオリジナルチケットを渡し、どちらかを利用するともう片方が割引されるというサービスを行っている。
この効果が意外とばかにならない。持ちつ持たれつというやつだ。
「アーシェさんも気づいてると思いますけど、ベルリ大陸の人たちって、他人の真似して儲けるみたいなのが生理的に嫌いですよね。だから今のところ、真似されずに済んでるんですけど」
「保守的なところはあるよね。総じてプライドも高い。だから目立つことすると恨みを買いやすいし、厄介事も多いけれど――」
アーシェさんがそこまで言った時、すぐ近くの広場のほうから、いくつもの大声が聞こえてきた。
「な、なんだろ? ルリエルちゃんも、隠れたほうが」
お店の壁に身を隠したアーシェさんが、広場の方向をうかがう。
「いえ、私はむしろ行ってきます」
「なんで!?」
私は髪をまとめてローブ――今日は緋色ではなくて地味なダークグレイの――に隠すと、広場へと足を向けた。
男の人の怒声が聞こえてくる。
「そんなことも言われなきゃ分かんねえのかよお! 遊びでやってんじゃねえんだぜ!」
どうやら、野菜を売っている露店の店主が、若い店員さんに怒鳴っているようだった。
「す、すみません……」
「謝ったってどうにもならねえよ! ったく、役立たずが。何年やってんだ、どいつもこいつも! ちっとは考えて働けや!」
私は、傍らにいたおじさんに小声で訊いた。
「なんですか、あれ?」
「あー。あのジェームズっていう露店商な。つまんないことで逆上しちゃ、店員に当たり散らすんだよ。今日は、あの店子が客の注文を受けた時、ちょっともめたらしい」
「もめた、ですかー」
「なんでも、午後一番に来るって約束してた客がまだ来ないらしくてね。で、ジェームズが、予約を受けた店員さんにどういうことだって言って責めてるらしい」
「……そんなの、店員さんにはどうしようもないじゃないですか」
「ジェームズは、典型的な『トラブルの時には、それに関わったやつにとにかく全責任がある』っていう主義者だからね。あいつの下にいる店子は、そのせいで客と接するのがどんどん嫌になっていく。接客業って、トラブルが絶えないからなあ」
どうも、とお礼を言って、そそくさとその場を離れた。
もう少し現場に近づいて情報を収集したけど、最初に聞いた話で間違いないようだった。
確かに、接客業はトラブルが絶えない。それは身に染みて分かっている。でもそれでいちいち、下の者に当たられちゃたまらない。ただの、上役の未熟さのツケじゃないかっ。
よし、やろう。
とはいえなにかの間違いの可能性もあるから、軽めに。
私は右手のひらに魔力を集中して、空気中から魔素を集めた。
そして二十メートルほど先にいる、まだ騒いでいる店主――ジェームズとかなんとか――の足元に狙いを定める。
「爆ぜろ、爆炎よッ」
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