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第二章 ダンテと離婚希望の君4
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■
事務室には、カルス、トリスタン、それにキールが一度ずつ休憩にやってきて、また出て行った。今晩も皆フル回転だ。
二時間があっという間に過ぎた。
そろそろフルクトラさんがお帰りになる時間だ。
私は髪のセットを直し、ドレスを整えて、玄関へ出た。
ちょうど、ダンテがフルクトラさんをエスコートして階段を降りてくるところだった。
凝視しないように気をつけながら、彼女の顔を見る。
来た時よりも、とろんとした目。上気している頬。整えているけどまとめ切れていないおくれ毛。全体に、張り詰めたものがなくなって柔らかそうになっている肌。
よかった、奉仕のほうは上手くいったみたい。さすがダンテ。
私も努めて上品な声で、ゆっくりと話しかける。
「本日はありがとうございました、よろしければまたおいでください」
私としては、フルクトラさんは、きまり悪げにそそくさと退出するんじゃないかと思っていた。
けれど、彼女は私のマスク(一応着けてる)越しにこちらの目を見て、その双眸にはっきりとした意思を宿して、言ってきた。
「あの……魔導士さん、ですよね……昼間の……」
「あ、えーと……」とダンテを見ると、小さくうなずいていたので、まあいいかと思い、「はい、そうです。その節はどうも。えへへ」
「セレラから、あの後改めて聞きました。とてもよくしてくださったって……それなのに私、こ、このように、あさましいところを……あ、いえ、皆さんがそうというわけではなくて、私が、……娘がいて、あんなことがあって、なのに」
私は、ずいと進み出て、フルクトラさんの手を取る。
「私たちは、もちろん、人の道にもとるようなことをしているとは思っていません。それはお客様も同じです。なにかの理由があって、あるいはなんの理由もなくたって、必要なものを得るために、ここにおいでくださっていると思っています。あさましいなんてとんでもない。苦しい時こそお力になってお慰めするために、私たちはここにいるんです」
「……ありがとう、ございます……」
フルクトラさんの目から、涙がこぼれた。
こんな風に、ハルピュイアに来ることで自分を責めるお客様というのはいる。そういう時は、すぐに否定するようにしている。
私のお店は、苦しむために来るんじゃなくて、女の人を慰め、励まし、楽になってもらうために来てもらう場所だから。
「ダンテさん、ルリエルさん、私、誰にも相談できなくて、……両親とは子供の頃に死に別れていて、身寄りはおらず……最初の結婚も、失敗でした。ただ一つの財産は、セレラだけです。なんとか、幸せな家族を作ろうと思って、二度目の結婚を……でも、私が……あさはかで……」
フルクトラさんの涙は、止まらなかった。
私は、彼女の隣に立つ浅黒い筋肉太郎に、視線を送る。
――ダンテ。
――おうよ。
無言のやり取りは、それだけで意志を疎通できたと確信できた。
「フルクトラさん、よかったら、明日にでも詳しくお話を聞かせてもらえませんか。私はただのいち魔法使いですけど、なにかお力になれるかもしれません。そうですね、午後一番に、今日と同じベーカリーでいかがです?」
フルクトラさんは、ダンテに送られて、ハルピュイアを去っていった。
もどってきたダンテが、こきこきと肩と首を回す。
「これってほんと、ただのお節介かもだけど。……なんとかするわよ、ダンテ」
「ああ。結構色々聞いちまったよ。もう、知らぬ振りはできねえな。あの人、大分追い詰められてるみたいだしよ」
「そうなんだ?」
「部屋に入って最初はあわあわしてたな、トリスタンからもらったエルダースフラワーの茶を飲んでもらったら、少し落ち着いたよ。それからシャワーを浴びるまではよかった。けどその後、思い切って今日はここへ来たけど、どうしても娘のことが頭にちらついてだめだと。結局、交合まではいかなかったよ」
「そうだったんだ……。でも、気分はよさそうだったけど……」
「そりゃ、こっちも仕事だからな。料金以下の思いしかさせずに帰すわけにいくかよ。最後まで交合せずとも、体はしっかり満足させたつもりだ。罪悪感を抱かせずに体の飢えを満たす方法は、それなりにあるさ」
「お、おおー。やるじゃん、ダンテ」
「誰だと思ってやがる。それに、今回はあの人が、おれの体を気に入ってくれたのが大きかったな。筋肉がある体って、意外にしなやかで、それでいて平熱が高いだろ? そういう肉体に強く抱かれるのが心地いいらしい。スポーツマンや格闘家が好みなんだと」
「へえ……。そんなに違うの?」
私は思わず、厚く張ったダンテの腕や胸元をじろじろ見てしまう。
「ま、好き好きだけどな。明日は、おれも行ったほうがいいか? こういっちゃなんだが、信頼関係は築いたつもりだ」
「もちろん! ダンテ、頼れるう!」
■
翌日は、フルクトラさんはセレラを連れておらず、一人でベーカリーにやってきた。
マスターに頼んで、店内にいくつかあるパーテーションを使って囲いを作り、私たち三人の半個室状態にさせてもらう。
私はコーヒー、ダンテは砂糖を入れたカプチーノ(この世界にもスチームミルクやフォ-ムドミルクがある。もしかしたら、前に転生してきた地球人がいて地球の文化を広めたんじゃないかと思うことが、特に食べ物関係では多々ある)。フルクトラさんは、甘く蜜煮にしたりんごのスライスを入れた紅茶だった。
「離婚、しようと思っています――」
そう言うフルクトラさんに、私とダンテは同時にうなずいた。
「――ですが、私のほうから一方的に切り出したら、どうなることかと思うと……プライドの高い夫なんです。なんとか、向こうも納得できる別れ方じゃないと」
「プライドかあ……。どんな人なんです?」
炒り卵を入れて軽めにしてあるミート・ポテトパイを切り分けながら、私が訊いた。
「マジカルボウルの選手なんです。今はすっかり二軍に定着してますけど……」
「マジカルボウル?」とダンテを見る。
「前にも教えたろ。八対八のチーム戦で行う球技で、地球でいうところのハンドボールという競技に近いようだ。魔力不干渉処理を施したボールを手に持ち、相手のゴールゲートに叩き込めば得点。三十分ハーフで、点が高いほうの勝ち。直接ボールに使うんでなければ、魔法の使用は許可される……というかどのチームも積極的にやってくる、だからマジカルボウルだ。……西大陸の花形スポーツだぞ。なんで覚えてないんだ」
「えへへ。私、サッカーとか野球もあんまり詳しくなくて……スポーツ観戦とかも、したことないんだよね」
脱線しかけたのを戻して、フルクトラさんに続けてもらう。
「選手として、結果が出せないものですから、どんどん荒れてしまって……。昔エースだった頃の栄光が忘れられないんです、きっと。そのせいでお酒に逃げて、練習がおざなりになって、また活躍できなくなって……」
「悪循環ってわけですね……」
ふむ、とダンテが息をついた。
カプチーノをぐいと飲んで、唇にミルクの泡をつけながら、言ってくる。
「なら、一度本業でいい目を見せてやって――つまり活躍させてやって、それでいい気分になっているところで、離婚を切り出すっていうのはどうだ? 今、マジカルボウルのほうに希望が持てないからこそ、酒に逃げて家族にもつらく当たってるんだろ? 仕事のほうに活路が見いだせれば、あんたたちへの執着が弱まるんじゃないか」
「そんな短絡的な」と私は言ったけど、フルクトラさんは、
「そういうところは……あると思います、あの人」
あるんかい。
それはそれでいいとしても、私としては、一応確認しておきたかった。
「一応、もう一度聞かせてください。フルクトラさんは、本当にそれでいいんですね? 離婚ということになって、構わないんですね? ……セレラも?」
フルクトラさんは、力強くうなずいた。
「構いません。セレラは、あの人――リドーレに懐いているんじゃなくて、気を遣っているだけです。あの人が、結婚前に私に言っていたことは、全部嘘でした。一軍への返り咲き間近というのも、家族の時間を大切にすると言ったのも、セレラに苦労はさせないと言ったのも……。あの時の私は愚かで、そんな都合のいい話を、すがりつくようにして信じてしまったんです」
「……そういう時は、ありますよ。誰だってあります」
「リドーレは、私や娘を愛してなんかいなかった。ただ、手近なところで見つけた、好きにできる女や娘を手に入れたかっただけだったんです、きっと。私は、最初に離婚した後、懸命に、独りで、自分の力だけで働いていたつもりでした、でも、もしかしたらいつもどこか心細くて、……そんな時に、リドーレに熱烈に接されて……今思えば見透かされていたんですね――」
フルクトラさんは、また泣いていた。
これは止めなくていいだろう。止めるべきじゃない。誰かが、いつか、聞いてあげるべきことだったんだと思う。今まで、周りに誰もいなかったというだけで。
「――でも、結婚したら、リドーレは、私に急速に興味をなくしていきました。釣った魚にやる餌はもったいない、みたいなことなんでしょうね」
「そんなこと……」
事務室には、カルス、トリスタン、それにキールが一度ずつ休憩にやってきて、また出て行った。今晩も皆フル回転だ。
二時間があっという間に過ぎた。
そろそろフルクトラさんがお帰りになる時間だ。
私は髪のセットを直し、ドレスを整えて、玄関へ出た。
ちょうど、ダンテがフルクトラさんをエスコートして階段を降りてくるところだった。
凝視しないように気をつけながら、彼女の顔を見る。
来た時よりも、とろんとした目。上気している頬。整えているけどまとめ切れていないおくれ毛。全体に、張り詰めたものがなくなって柔らかそうになっている肌。
よかった、奉仕のほうは上手くいったみたい。さすがダンテ。
私も努めて上品な声で、ゆっくりと話しかける。
「本日はありがとうございました、よろしければまたおいでください」
私としては、フルクトラさんは、きまり悪げにそそくさと退出するんじゃないかと思っていた。
けれど、彼女は私のマスク(一応着けてる)越しにこちらの目を見て、その双眸にはっきりとした意思を宿して、言ってきた。
「あの……魔導士さん、ですよね……昼間の……」
「あ、えーと……」とダンテを見ると、小さくうなずいていたので、まあいいかと思い、「はい、そうです。その節はどうも。えへへ」
「セレラから、あの後改めて聞きました。とてもよくしてくださったって……それなのに私、こ、このように、あさましいところを……あ、いえ、皆さんがそうというわけではなくて、私が、……娘がいて、あんなことがあって、なのに」
私は、ずいと進み出て、フルクトラさんの手を取る。
「私たちは、もちろん、人の道にもとるようなことをしているとは思っていません。それはお客様も同じです。なにかの理由があって、あるいはなんの理由もなくたって、必要なものを得るために、ここにおいでくださっていると思っています。あさましいなんてとんでもない。苦しい時こそお力になってお慰めするために、私たちはここにいるんです」
「……ありがとう、ございます……」
フルクトラさんの目から、涙がこぼれた。
こんな風に、ハルピュイアに来ることで自分を責めるお客様というのはいる。そういう時は、すぐに否定するようにしている。
私のお店は、苦しむために来るんじゃなくて、女の人を慰め、励まし、楽になってもらうために来てもらう場所だから。
「ダンテさん、ルリエルさん、私、誰にも相談できなくて、……両親とは子供の頃に死に別れていて、身寄りはおらず……最初の結婚も、失敗でした。ただ一つの財産は、セレラだけです。なんとか、幸せな家族を作ろうと思って、二度目の結婚を……でも、私が……あさはかで……」
フルクトラさんの涙は、止まらなかった。
私は、彼女の隣に立つ浅黒い筋肉太郎に、視線を送る。
――ダンテ。
――おうよ。
無言のやり取りは、それだけで意志を疎通できたと確信できた。
「フルクトラさん、よかったら、明日にでも詳しくお話を聞かせてもらえませんか。私はただのいち魔法使いですけど、なにかお力になれるかもしれません。そうですね、午後一番に、今日と同じベーカリーでいかがです?」
フルクトラさんは、ダンテに送られて、ハルピュイアを去っていった。
もどってきたダンテが、こきこきと肩と首を回す。
「これってほんと、ただのお節介かもだけど。……なんとかするわよ、ダンテ」
「ああ。結構色々聞いちまったよ。もう、知らぬ振りはできねえな。あの人、大分追い詰められてるみたいだしよ」
「そうなんだ?」
「部屋に入って最初はあわあわしてたな、トリスタンからもらったエルダースフラワーの茶を飲んでもらったら、少し落ち着いたよ。それからシャワーを浴びるまではよかった。けどその後、思い切って今日はここへ来たけど、どうしても娘のことが頭にちらついてだめだと。結局、交合まではいかなかったよ」
「そうだったんだ……。でも、気分はよさそうだったけど……」
「そりゃ、こっちも仕事だからな。料金以下の思いしかさせずに帰すわけにいくかよ。最後まで交合せずとも、体はしっかり満足させたつもりだ。罪悪感を抱かせずに体の飢えを満たす方法は、それなりにあるさ」
「お、おおー。やるじゃん、ダンテ」
「誰だと思ってやがる。それに、今回はあの人が、おれの体を気に入ってくれたのが大きかったな。筋肉がある体って、意外にしなやかで、それでいて平熱が高いだろ? そういう肉体に強く抱かれるのが心地いいらしい。スポーツマンや格闘家が好みなんだと」
「へえ……。そんなに違うの?」
私は思わず、厚く張ったダンテの腕や胸元をじろじろ見てしまう。
「ま、好き好きだけどな。明日は、おれも行ったほうがいいか? こういっちゃなんだが、信頼関係は築いたつもりだ」
「もちろん! ダンテ、頼れるう!」
■
翌日は、フルクトラさんはセレラを連れておらず、一人でベーカリーにやってきた。
マスターに頼んで、店内にいくつかあるパーテーションを使って囲いを作り、私たち三人の半個室状態にさせてもらう。
私はコーヒー、ダンテは砂糖を入れたカプチーノ(この世界にもスチームミルクやフォ-ムドミルクがある。もしかしたら、前に転生してきた地球人がいて地球の文化を広めたんじゃないかと思うことが、特に食べ物関係では多々ある)。フルクトラさんは、甘く蜜煮にしたりんごのスライスを入れた紅茶だった。
「離婚、しようと思っています――」
そう言うフルクトラさんに、私とダンテは同時にうなずいた。
「――ですが、私のほうから一方的に切り出したら、どうなることかと思うと……プライドの高い夫なんです。なんとか、向こうも納得できる別れ方じゃないと」
「プライドかあ……。どんな人なんです?」
炒り卵を入れて軽めにしてあるミート・ポテトパイを切り分けながら、私が訊いた。
「マジカルボウルの選手なんです。今はすっかり二軍に定着してますけど……」
「マジカルボウル?」とダンテを見る。
「前にも教えたろ。八対八のチーム戦で行う球技で、地球でいうところのハンドボールという競技に近いようだ。魔力不干渉処理を施したボールを手に持ち、相手のゴールゲートに叩き込めば得点。三十分ハーフで、点が高いほうの勝ち。直接ボールに使うんでなければ、魔法の使用は許可される……というかどのチームも積極的にやってくる、だからマジカルボウルだ。……西大陸の花形スポーツだぞ。なんで覚えてないんだ」
「えへへ。私、サッカーとか野球もあんまり詳しくなくて……スポーツ観戦とかも、したことないんだよね」
脱線しかけたのを戻して、フルクトラさんに続けてもらう。
「選手として、結果が出せないものですから、どんどん荒れてしまって……。昔エースだった頃の栄光が忘れられないんです、きっと。そのせいでお酒に逃げて、練習がおざなりになって、また活躍できなくなって……」
「悪循環ってわけですね……」
ふむ、とダンテが息をついた。
カプチーノをぐいと飲んで、唇にミルクの泡をつけながら、言ってくる。
「なら、一度本業でいい目を見せてやって――つまり活躍させてやって、それでいい気分になっているところで、離婚を切り出すっていうのはどうだ? 今、マジカルボウルのほうに希望が持てないからこそ、酒に逃げて家族にもつらく当たってるんだろ? 仕事のほうに活路が見いだせれば、あんたたちへの執着が弱まるんじゃないか」
「そんな短絡的な」と私は言ったけど、フルクトラさんは、
「そういうところは……あると思います、あの人」
あるんかい。
それはそれでいいとしても、私としては、一応確認しておきたかった。
「一応、もう一度聞かせてください。フルクトラさんは、本当にそれでいいんですね? 離婚ということになって、構わないんですね? ……セレラも?」
フルクトラさんは、力強くうなずいた。
「構いません。セレラは、あの人――リドーレに懐いているんじゃなくて、気を遣っているだけです。あの人が、結婚前に私に言っていたことは、全部嘘でした。一軍への返り咲き間近というのも、家族の時間を大切にすると言ったのも、セレラに苦労はさせないと言ったのも……。あの時の私は愚かで、そんな都合のいい話を、すがりつくようにして信じてしまったんです」
「……そういう時は、ありますよ。誰だってあります」
「リドーレは、私や娘を愛してなんかいなかった。ただ、手近なところで見つけた、好きにできる女や娘を手に入れたかっただけだったんです、きっと。私は、最初に離婚した後、懸命に、独りで、自分の力だけで働いていたつもりでした、でも、もしかしたらいつもどこか心細くて、……そんな時に、リドーレに熱烈に接されて……今思えば見透かされていたんですね――」
フルクトラさんは、また泣いていた。
これは止めなくていいだろう。止めるべきじゃない。誰かが、いつか、聞いてあげるべきことだったんだと思う。今まで、周りに誰もいなかったというだけで。
「――でも、結婚したら、リドーレは、私に急速に興味をなくしていきました。釣った魚にやる餌はもったいない、みたいなことなんでしょうね」
「そんなこと……」
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