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どうして生きなきゃならないのかとか、どうして人を殺しちゃいけないのかとか
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「いいよ、中身までは言わなくて。……充分、頑張ったんだね」
「その貼り紙とか、持ち物を捨てられたこととか、そうまで大したことじゃないって、分かってます。死ぬほどのことじゃないって。僕が怖いのは、彼らの行為じゃなく、価値観なんです。あんなことを楽しんでできる、精神なんです。僕が反抗して、例えば彼らと喧嘩しても、きっと彼らより重く罰されるのは僕です、あの先生は恐らくそうする。そして彼らはまた笑う。社会も敵なんだ。太刀打ちできる場所と方法が僕にはない」
水葉先輩は、静かに僕を見ていた。
言いたいことは全て言っていい。そう伝えてくれている。
誰かに言いたかった。でも、誰にも言えなかった。特に、僕を、静かで、大人しくて、善良だと思っている人には。
でも僕の周りには、そんな人しかいない。
「一つ一つの、本来なら大したことないはずの仕打ちが、重い刃物みたいに、僕の生きる意味を削っていく。僕はただ辛くて死にたいんじゃない、彼らとあの先生がいる場所で、生きる意味が見い出せないんです。辛さに耐えてまで生きる価値を、認められない。そのために選んだ不登校という逃げ道も、僕の道を悪い方へ狭めていく。きっとこんな風に今生きている僕は、別の場所でも、生きることに失敗します。なら、どうして、こんな思いをしてまで生きていなくちゃならないんですか」
「……どうして生きなきゃならないのかとか、どうして人を殺しちゃいけないのかとか。そういう疑問の答は、多分、直接それに向き合った対話とかより、全然関係ない歌とか、物語とかの中にあるんだと思う」
先輩の静かな声に、僕は、渦を描いて沈んでいく一方だった思考を止めた。
「五月女くんが貸してくれた本は、どれも、その答の一つずつになる物語だった気がする。だから私は本が好きだし、それを分かち合える人もとても大事。本だけじゃないよ。その人の残す足跡の一つ一つに、意味があると思う」
それは――
「分かる気が……します」
「だから私は、大切な人のために、その人がこの世からいなくならないように、頑張るよ。五月女くんが、死なない理由を守る」
「え?」
先輩は、ベッドの上で小さく伸びをした。胴の辺りが痛んだのか、びくりと体を軽く強ばらせる。
「今日は、ちょっと疲れちゃったな。後はまた明日お話しない? 私がゴースト出して、五月女世界に行くから」
先輩の、入院着からわずかに覗いた鎖骨の中央辺りが、はだけているわけでもないのに、急に見てはいけないもののように見えた。
そうだ、相手は女子高生で、僕は男子だ。外ならともかく寝ている部屋に忍び込んで、帰ってくれと言われたのに食い下がるわけにはいかない。
僕は慌てて、
「あ、す、すみません。それじゃ、今日はこれで失礼します」
水葉先輩の体が傷付いていると知りながら、一方的に僕の事情を長々と話していたことを、今更ながらに恥じる。自分で思っていたより、このところ、先輩のことを気安く考え過ぎていたかもしれない。
「また明日ね」
「はい。お休みなさい。……すみませんでした、先輩。僕の傷のせいで……それに、ありがとうございます」
「いいえ。五月女くんが、今までやってきたことでもあるでしょ。それが自分に還ってきただけだよ」
僕は、一二歩後ずさった。今日はほかの入院患者を治す気にはなれない。このまま帰ろうと思う。でも。
「水葉先輩。……僕が帰っても、死なないですよね?」
先輩は両手をぱたぱたと横に振った。
「死なない死なない。まだ、やり残したことがあるし」
「そう言われると、心残りがなくなったら死なれそうで怖いんですが……とにかく、明日はもう少し色々話しますからね」
僕は目を閉じ、ゴーストを維持している集中力を手放す。
体がふうっと上空に引っ張られる感覚がして、五月女世界へ急激に近づいていく。
この時僕は、先輩に自殺未遂の経験が経験があると知りながら、どこか現実感がなかったんだと思う。
先輩は最初に死のうと思った夏からこの冬までの数ヶ月間、生き続けた。
僕は、深い苦しみを抱えながらも毎日のように笑顔で夜の時間を共にしてくれた水葉先輩が、何の予兆も見せずにいなくなるなんてことは、まるで信じていなかったのだろう。
いや、予兆はあった。今までお互いに隠していたことを知って、さらけ出しあったという、大きな変化が。ただ、僕には、それが予兆だと感じられなかっただけで。
先輩が、自殺を目論んだ友達の苦しみを吸い取った。そうして、自分の苦しみにしてしまった。そんなことも、分かっていたのに。
僕の意識が、水葉世界から引き抜かれた。
五月女世界へ戻ってくる。日が暮れてすぐにゴーストを飛ばしたのに、既に深夜だった。この辺りのタイムラグは日によってまちまちで、いまだに上手く要領が掴めない。
ベッドの上で、身を起こした。
ゴーストになった後はよくこうなるのだけど、体がひどく重い。全身に鉛の重りを吊り下げられたみたいだった。
喉が渇いたので、水でも飲もうかと、部屋を出る。右手にある、咲千花の部屋のドアが目に入った。もう寝ているだろう。
誰が裏切り者だ、と苦笑した。
もしこれからも咲千花が学校に行けないままなら、今の中学への登校以外の選択肢を考える必要が出てくる。
ただ、それもしゃくな気がした。咲千花が望んでそうするのではなく、選択の余地なく追いやられるような進路を取らされるのは、理不尽だ。
やはり、こうなった原因を解決したい。そして何より、一度傷付いた咲千花の心は、どうすれば回復するのだろう。
そこで、あっと気付いた。
水葉先輩は、精神の治療もできた。そのコツを教えてもらおう。
水葉世界の咲千花も、恐らく同じような境遇にいるだろう。そちらを僕のゴーストで改善できれば、五月女世界の咲千花もきっと快方に向かうのではないか。
フィードバックはあるだろうけど、それで済むならどうということはない。
疲労に痺れる足を引きずって、僕は階段を降りた。
体のコンディションはひどいものだったけれど、明るい展望が見えたことで、足取りが軽くなったのを自覚する。
明日、先輩とは何から話そう。咲千花の心を僕が治すことを、渋るだろうか。あの人はいつも、自分より人の心配ばかりしている気がするから。それをどうやって言いくるめるか。
そんなことを考えて、僕は、軽い興奮状態にあった。もしかしたら鼻歌くらい口ずさんでいたかもしれない。
咲千花の部屋のドアの向こうで、今、何が起きているのかも知らずに。
「その貼り紙とか、持ち物を捨てられたこととか、そうまで大したことじゃないって、分かってます。死ぬほどのことじゃないって。僕が怖いのは、彼らの行為じゃなく、価値観なんです。あんなことを楽しんでできる、精神なんです。僕が反抗して、例えば彼らと喧嘩しても、きっと彼らより重く罰されるのは僕です、あの先生は恐らくそうする。そして彼らはまた笑う。社会も敵なんだ。太刀打ちできる場所と方法が僕にはない」
水葉先輩は、静かに僕を見ていた。
言いたいことは全て言っていい。そう伝えてくれている。
誰かに言いたかった。でも、誰にも言えなかった。特に、僕を、静かで、大人しくて、善良だと思っている人には。
でも僕の周りには、そんな人しかいない。
「一つ一つの、本来なら大したことないはずの仕打ちが、重い刃物みたいに、僕の生きる意味を削っていく。僕はただ辛くて死にたいんじゃない、彼らとあの先生がいる場所で、生きる意味が見い出せないんです。辛さに耐えてまで生きる価値を、認められない。そのために選んだ不登校という逃げ道も、僕の道を悪い方へ狭めていく。きっとこんな風に今生きている僕は、別の場所でも、生きることに失敗します。なら、どうして、こんな思いをしてまで生きていなくちゃならないんですか」
「……どうして生きなきゃならないのかとか、どうして人を殺しちゃいけないのかとか。そういう疑問の答は、多分、直接それに向き合った対話とかより、全然関係ない歌とか、物語とかの中にあるんだと思う」
先輩の静かな声に、僕は、渦を描いて沈んでいく一方だった思考を止めた。
「五月女くんが貸してくれた本は、どれも、その答の一つずつになる物語だった気がする。だから私は本が好きだし、それを分かち合える人もとても大事。本だけじゃないよ。その人の残す足跡の一つ一つに、意味があると思う」
それは――
「分かる気が……します」
「だから私は、大切な人のために、その人がこの世からいなくならないように、頑張るよ。五月女くんが、死なない理由を守る」
「え?」
先輩は、ベッドの上で小さく伸びをした。胴の辺りが痛んだのか、びくりと体を軽く強ばらせる。
「今日は、ちょっと疲れちゃったな。後はまた明日お話しない? 私がゴースト出して、五月女世界に行くから」
先輩の、入院着からわずかに覗いた鎖骨の中央辺りが、はだけているわけでもないのに、急に見てはいけないもののように見えた。
そうだ、相手は女子高生で、僕は男子だ。外ならともかく寝ている部屋に忍び込んで、帰ってくれと言われたのに食い下がるわけにはいかない。
僕は慌てて、
「あ、す、すみません。それじゃ、今日はこれで失礼します」
水葉先輩の体が傷付いていると知りながら、一方的に僕の事情を長々と話していたことを、今更ながらに恥じる。自分で思っていたより、このところ、先輩のことを気安く考え過ぎていたかもしれない。
「また明日ね」
「はい。お休みなさい。……すみませんでした、先輩。僕の傷のせいで……それに、ありがとうございます」
「いいえ。五月女くんが、今までやってきたことでもあるでしょ。それが自分に還ってきただけだよ」
僕は、一二歩後ずさった。今日はほかの入院患者を治す気にはなれない。このまま帰ろうと思う。でも。
「水葉先輩。……僕が帰っても、死なないですよね?」
先輩は両手をぱたぱたと横に振った。
「死なない死なない。まだ、やり残したことがあるし」
「そう言われると、心残りがなくなったら死なれそうで怖いんですが……とにかく、明日はもう少し色々話しますからね」
僕は目を閉じ、ゴーストを維持している集中力を手放す。
体がふうっと上空に引っ張られる感覚がして、五月女世界へ急激に近づいていく。
この時僕は、先輩に自殺未遂の経験が経験があると知りながら、どこか現実感がなかったんだと思う。
先輩は最初に死のうと思った夏からこの冬までの数ヶ月間、生き続けた。
僕は、深い苦しみを抱えながらも毎日のように笑顔で夜の時間を共にしてくれた水葉先輩が、何の予兆も見せずにいなくなるなんてことは、まるで信じていなかったのだろう。
いや、予兆はあった。今までお互いに隠していたことを知って、さらけ出しあったという、大きな変化が。ただ、僕には、それが予兆だと感じられなかっただけで。
先輩が、自殺を目論んだ友達の苦しみを吸い取った。そうして、自分の苦しみにしてしまった。そんなことも、分かっていたのに。
僕の意識が、水葉世界から引き抜かれた。
五月女世界へ戻ってくる。日が暮れてすぐにゴーストを飛ばしたのに、既に深夜だった。この辺りのタイムラグは日によってまちまちで、いまだに上手く要領が掴めない。
ベッドの上で、身を起こした。
ゴーストになった後はよくこうなるのだけど、体がひどく重い。全身に鉛の重りを吊り下げられたみたいだった。
喉が渇いたので、水でも飲もうかと、部屋を出る。右手にある、咲千花の部屋のドアが目に入った。もう寝ているだろう。
誰が裏切り者だ、と苦笑した。
もしこれからも咲千花が学校に行けないままなら、今の中学への登校以外の選択肢を考える必要が出てくる。
ただ、それもしゃくな気がした。咲千花が望んでそうするのではなく、選択の余地なく追いやられるような進路を取らされるのは、理不尽だ。
やはり、こうなった原因を解決したい。そして何より、一度傷付いた咲千花の心は、どうすれば回復するのだろう。
そこで、あっと気付いた。
水葉先輩は、精神の治療もできた。そのコツを教えてもらおう。
水葉世界の咲千花も、恐らく同じような境遇にいるだろう。そちらを僕のゴーストで改善できれば、五月女世界の咲千花もきっと快方に向かうのではないか。
フィードバックはあるだろうけど、それで済むならどうということはない。
疲労に痺れる足を引きずって、僕は階段を降りた。
体のコンディションはひどいものだったけれど、明るい展望が見えたことで、足取りが軽くなったのを自覚する。
明日、先輩とは何から話そう。咲千花の心を僕が治すことを、渋るだろうか。あの人はいつも、自分より人の心配ばかりしている気がするから。それをどうやって言いくるめるか。
そんなことを考えて、僕は、軽い興奮状態にあった。もしかしたら鼻歌くらい口ずさんでいたかもしれない。
咲千花の部屋のドアの向こうで、今、何が起きているのかも知らずに。
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