夜煌蟲伝染圧

クナリ

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第3話 第二章 巨大蟲

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 本棚の整理に取りかかってから、忙しく動き回ったせいで時間の感覚が無くなりかけていた。部室の壁時計を見ると、針はもう九時近くに差しかかっている。
 第四文芸部の部員には、あまり親のうるさいメンバーがいなかった。だから自分達が油断すると、あっという間に夜遅くなってしまう。
 殿音先輩と引科先輩の二年生二人が、ちらちらと端末の画面を見て時刻を確認し出した。殿音先輩はぎざぎざのおかっぱ頭で、見るからにインドア派の不健康そうな面立ちをしていた。体の線は細く、斯波方先輩のように引き締まっているのではなくて単純に筋肉が少ないのが、制服の上からでも分かる。引科先輩は逆に、ふくぶくしく丸っこいフォルムだった。癖のない髪が頭をぺたんと覆っているので丸っこい印象が更に強まっていて、ドンと強く押されたらどこまでも転がって行きそうに見える――……とは、一坂の談。
 誰よりもてきぱきと動いていた山倉先輩が、そんな二人の様子を見て、ようやく時刻を気にした。汗でずれ落ちた眼鏡の中央を人差指で持ち上げつつ、
「ああ、すまん。もうこんな時間か。特に女子、悪かった。思ったよりも進んだし、後はまた明日にしよう」
 部員達は、手元の作業をひとまず終わらせに入った。ただ私は、本棚へ入れようとして本を持つたびに一坂が代わりにやってくれたので、殆ど疲れていなかった。
 引科先輩が腰を伸ばしてぽきぽきと鳴らすと、
「この時間だと、用務員室に帰るって行って来なきゃなんないっすよね」
とため息混じりに言った。
 帰りが遅くなった時は、部室に施錠したことを用務員さんに報告して帰るのがルールだった。
「シナ、頼んでいいか?」
 山倉先輩が、いいよな? というニュアンスで言う。引科先輩も心得たもので、
「はあい。んじゃ、先行って来ます」
 と答えて部室を出て行った。用務員室は、部室棟と本校舎の間の辺りにある。
 夜遅くなればそれだけ夜煌蟲の危険も増えるわけだけど、あまりにも夜煌蟲の存在がありふれて来て、私達の危機感は鈍って来ていた。大抵家に帰ってから、家族に体を見てもらうくらいだ。特に学校の中は蟲の対策もしているし、先生達も夕方くらいから持ち回りで学校の周囲を見回っているので、少なくとも校内にいる限りは安全だと言えた。
 殿音先輩が手持ち無沙汰に窓の外を見て、
「職員室も、まだ電気全部点いてるな。こんな時間に、何でだろ」
と首をかしげた。柚子生先輩も外を眺め、
「職員会議やってるんだって。もう少しかかるんじゃない、何の話してるかは知らないけどっ」
 と、揶揄するような口調で答える。
 すぐに片付けと身支度を終えて、六人とも、後は帰るだけという格好になった。
 その時、外を見ていた私と一坂が、ふときづいた。
「エリヤ、何だろう……あれ」
「うん……」
 うちの高校は、校門を東にして、本校舎が敷地内の中央にある。部室棟が北側のやや東寄りにあるので、ここからは本校舎が右斜め前に見える。その本校舎のこちらから見て奥の辺り、つまり南側の端が、不自然に明るかった。あんな所に電灯は無い。
 光は、緑色をしていた。
 夜煌蟲の光の色。
 見間違いだと思った。
 夜煌蟲は、段差を乗り越えるのが苦手だ。十センチくらいの直径に育った夜煌蟲でも、一センチほどの高さも乗り越えられないというのを、ニュースの実験映像で見たことがある。学校がしている夜煌蟲対策というのも、この性質を大いに利用していた。学校の周囲の小さな坂や高低差を利用して段を作り、学校の敷地も周囲から一段高くして夜煌蟲の侵入を妨いでいた。お陰で、高校の校内で夜煌蟲を見たことは一度もない。
「おい……」
「うそ……」
 山倉先輩と柚子生先輩が、私達の後ろから同じ辺りを見咎めて言うのが聞こえた。
 仮に何らかの方法で夜煌蟲が校内へ忍び込んで来たのだとしても、粒の状態で人の体や自転車、車などにくっついて侵入して来たはずで、それなら小さなサイズの蟲がせいぜい数匹のはずだった。
 だから、――……私達に見えている光が、夜煌蟲のわけがない。
 あんな、……あんな、大きな……。
「馬鹿な……あんな大きさ、あり得るわけが……」
 一坂の声は、震えていた。
 光は段々強まりながら広がって、ついに校舎の端から、発光体の本体が姿を現した。
 闇をまとった、不定形の緑光の塊。全体のフォルムは、這いずるウミウシかクラゲのようだった。
 その背丈は、ゆうに私達を越えていた。二メートル以上は確実にある。
 柚子生先輩が、悲鳴のように、
「シナ君を呼び戻そう! 私達も早く……」
 そう叫びかけた時、私達は同時に、本校舎の三階の窓に人影を見つけた。愛嬌のある、見慣れた丸っこいフォルム。
 それは、毒々しくも鮮やかな緑の光に、全身を包まれていた。
「シナ!」
 叫んだ斯波方先輩が窓ガラスに両手をついたと同時、人影は空中へ身を躍らせた。みるみるうちに速度を増して、その体が、一呼吸後には地面へ叩きつけられた。
「いやあああっ!」
 柚子生先輩の悲鳴が響く。私も足がすくんで、吐き気がこみ上げた。
 落下の衝撃で飛び散った光の粒は闇に散って行く。引科先輩の体を包む夜煌蟲の大部分も、興味を失ったように、その体からゆっくりと離れて行った。そして、……さっき校舎の影から出て来た、巨大な夜煌蟲の塊に吸い寄せられるように近づき、接触して、同化していく。
 のたうつように動く巨大な光る蟲は、ぼろぼろと緑色の粒をまき散らしながら、今やその全身を見せていた。軽トラックより、一回り以上も大きい。夜煌蟲は単体が巨大化するのではなくて、小さな蟲の粒が集合することによって大きくなる。こぼれ落ちた蟲達も、各々が自由に動いていた。再び巨大な塊に同化するものもあれば、離れて行くものもある。
 引科先輩の体は、もうすっかり光を失っていた。殿音先輩が頭を抱えて、
「け、警察――救急車? いや、先に先生に……」
 と狼狽するのを、斯波方先輩が留めた。
「夜煌蟲が離れたってことは、……シナはもう、死んでる。連絡は先生達に任せて、俺達はすぐに逃げよう」
「斯波方、つ、冷たいぞ。ねえ山倉部長、シナを……」
「いや、……斯波方の言う通りだよ。職員室には僕が電話する。皆、出るぞ」
 山倉先輩が携帯端末で、職員室を呼び出す。コール音が漏れてくるけど、向こうはなかなか出ない。
 私達が全員で部室を出ようとすると、一坂が叫んだ。
「待って、行くなら裏門からです。校門はもう駄目だ」
 窓の外、左手に校門が見下ろせる。いつの間にかそこには、大量の夜煌蟲が集まっていた。校門は数十秒で開けられはするだろうけど、とても切り抜けられるとは思えなかった。
 斯波方先輩が、唇を噛んでいたらしい口元をゆるめて、言う。
「慎重に行かないと、裏門だってどうなってるか分からん。シナは、この部室棟から用務員室までの、ほんの十数メートルの間に蟲にやられてるんだ。山倉部長、電話はどうですか?」
「駄目だ、まだ出ない。職員室に灯りは点いてるのにな……。もしかしたら、先生達も通報や対処でてんてこまいになってるのかもな」
 確かに、こんなことになっていれば、真っ先に先生達が動き出すはずだった。でも……。
 ごくりと生唾を飲んだ一坂が、ゆっくりと言った。
「でも、斯波方さん。職員室、……妙に静かじゃないですか?」
 確かに、ここから見える限り、職員室の中が騒ぎになっている様子はない。人影が右往左往しているでもなく、室内から漏れる光は落ち着いたものだった。ただ……。
 一坂が、ひとつ嘆息してから言った。
「注意を呼びかける校内放送ひとつ入りませんね。生徒は本校舎ににもちらほらいるはずだし、この部室棟にも僕らや他の部員が残ってるのに、何の呼びかけもされない。斯波方さん、エリヤ、見て。職員室の明かりが、時々、ほんの少しずつだけど揺れてる。でも、人が動き回ってるような感じじゃない。もっと淡くて、微妙な……」
 そう。微妙な。
 蛍光灯の光の狭間に揺れる、緑の光。
 一坂が、押し出すように言う。
「電気は“まだ点いてる”んじゃなくて、“点きっぱなし”なんじゃないですか。消す人が、……あの中に、もういないから」
 私は、鳥肌を立てながら、その職員室に電話している山倉部長を見た。他の全員も、そうした。
 部長は嘆息しながら、端末を耳から離す。
「いくら呼んでも、誰も出ない」
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