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第6話 第三章 新校舎へ
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部室棟に着くと、斯波方先輩がそろそろと建物の入り口に近づいた。
ドアは、開きっぱなしになっている。私達が出た時からそのままなのか、他の誰かの出入りがあったのか、分からない。
ドアの前のひび割れた石段が、今はずいぶん頼もしく見えた。この高さなら、そうそう夜煌蟲は乗り越えられない。ただ、さっきの一体はどうやってか、建物の中に入り込んでいた。何か、こことは別の進入方法があるのだろうか。
「殿音、探りを入れて来ようぜ。新九郎は、女子二人と一緒にここにいてくれよ」
斯波方先輩と殿音先輩、二人の姿がドアの向こうに消える。
一分、二分。
何も起きずに、時間が過ぎる。柚子生先輩が、心細げに部室棟を見上げていた。
そのまま五分以上も経った頃、
「エリヤ、……どう思う?」
一坂が低い声で言った。
「……静か、過ぎるとは思う。さっき二人が入って行ったんだから、少なくとも、無事だったか、とか。何が起きてるんだ、とか。そんな声は聞こえてきそうなものなのに……」
柚子生先輩が首をかしげて、
「そう、……言えば、そうよね。どうしようエリヤちゃん、新九郎君。私達も行こうか」
そう言った時、頭上から、ガン! と音が聞こえた。続いて、
「殿音ッ!」
と斯波方先輩の声。
見上げると、部室棟の三階の廊下の窓が開いて――さっきの音は思い切り窓を開けた音らしい――、人影が飛び出して来た。殿音先輩だ。腰まで空中に出たところで、建物の中から斯波方先輩が上半身を乗り出して、殿音先輩の体を捕まえた。
けれど殿音先輩が、
「ひゃああっ!」
と奇声を上げて、腕を振り回した。月の光を反射して、その手元がひらめく。刃物だ。今度は斯波方先輩が、
「ぐあっ!」
と呻き、その腕が怯んだ。
留める物の無くなった殿音先輩の体は、真っ逆さまに落ちた。下になった頭が、地面に激突する寸前、こちらを向いた。一瞬私達と目が合ってから、殿音先輩の顔面は激しい音を立てて地面に潰された。
口の中に、さっきの刃物だろうか、銀色の破片が見えている。口の奥へ突き抜けて頚椎の辺りまで貫いているようだった。
斯波方先輩が、部室棟のドアから転がり出て来た。両腕をだらりと下げている。
「斯波方君! 怪我してるの、腕?」
「傷は大したことないんですが、……畜生。殿音……」
殿音先輩の潰れた頭部から、夜煌蟲がさわさわと這い出して来た。みるみるうちに、一抱えもあるサイズになる。
「お前らもっと離れろ。部室棟はもう駄目だ、別の所へ……どっかねえのか、高台は」
と言って辺りを見回す。私達も同じようにした。
そして全員で、校庭を同時に視界に入れて、絶句した。
今やグラウンドは、土が見える面積の方が、緑色の光よりもずっと少なかった。
さっきはまばらに夜煌蟲が徘徊していた校庭を、ぼんやりとした光がほとんど覆っている。こんな大発生は聞いたことがない。
ちらほらと、制服姿の人間が校庭に倒れているのが見える。強行突破をしようとして、失敗したのだろう。舌を噛んだのか、もう死んでしまっているようで、どれも微動だにしない。更に遠くを見てみると、学校を取り巻く塀のたもとにも、死体らしきものがいくつも転がっていた。山倉部長と同じ死に方をしたのだろうか。
「冗談じゃねえぞ、……畜生」
斯波方先輩の先導で、私達は蟲のいない方へと、ひとまず走った。例の用務員室を通り過ぎ、その先は本校舎の昇降口だった。手近にいる蟲達が、じわじわと私達を取り囲むようにして移動しているのが分かる。明らかに、私達を追い込もうとしている動きに見える。
「斯波方さん、このままだと本校舎に入るしかありませんけど」
「やむを得ねえよ。他に、選択肢が無い。これは……外には行けねえ」
男子二人の会話に、柚子生先輩が割って入る。
「でも、さっきの職員室見たでしょ。本校舎の中なんて……」
斯波方先輩はそう言う柚子生先輩の手を引いて、昇降口に駆け寄った。
「柚子生さん、職員室は一階の左奥です。素早く右へ走って階段を上がれば、逃げおおせる……」
「逃げおおせる?」
「……かもしれない」
「言い切ってよー!」
でも、確かにそれしかない。さっきまで遠巻きだった緑光の群れは、砂糖に群がる蟻のように、もう数メートルの距離に近づいていた。
「エリヤ、行こう!」
私は一坂に手を引かれ、四人で、五段ほどの石段を越えて昇降口の中に飛び込んだ。
扉を閉めると、中には整然と並んだ下駄箱がある。本校舎の中は明るいので、自動販売機の時と同じ羽目にならないように、異常がないか慎重に目を配った。大丈夫のようだった。
「柚子生さん、すみません。俺の血が付いちまったかな」
「いいわよ、そんなの。早く上に行こ。上履きには、履き替えなくていいわよね」
うんうんと皆でうなずき、私達は職員室のある左の方へ注意を向けながら、土足のまま右手にある階段を駆け上った。その時、慌てていたせいで、私は段を踏み外し、したたかに膝を階段に打ちつけてしまった。
「うあっ!」
「エリヤ!」
一坂に助け起こされて立ち上がった。物凄く痛いけど、折れたりはしていないみたいだった。激痛に耐えながら、また駆け出す。
二階に着いたところで、手近にあった2‐Aの教室へ入る。この中には、蟲は入り込んではいないみたいだった。適当に椅子を引いて、私達は久し振りに腰を下ろして座った。
ドアは、開きっぱなしになっている。私達が出た時からそのままなのか、他の誰かの出入りがあったのか、分からない。
ドアの前のひび割れた石段が、今はずいぶん頼もしく見えた。この高さなら、そうそう夜煌蟲は乗り越えられない。ただ、さっきの一体はどうやってか、建物の中に入り込んでいた。何か、こことは別の進入方法があるのだろうか。
「殿音、探りを入れて来ようぜ。新九郎は、女子二人と一緒にここにいてくれよ」
斯波方先輩と殿音先輩、二人の姿がドアの向こうに消える。
一分、二分。
何も起きずに、時間が過ぎる。柚子生先輩が、心細げに部室棟を見上げていた。
そのまま五分以上も経った頃、
「エリヤ、……どう思う?」
一坂が低い声で言った。
「……静か、過ぎるとは思う。さっき二人が入って行ったんだから、少なくとも、無事だったか、とか。何が起きてるんだ、とか。そんな声は聞こえてきそうなものなのに……」
柚子生先輩が首をかしげて、
「そう、……言えば、そうよね。どうしようエリヤちゃん、新九郎君。私達も行こうか」
そう言った時、頭上から、ガン! と音が聞こえた。続いて、
「殿音ッ!」
と斯波方先輩の声。
見上げると、部室棟の三階の廊下の窓が開いて――さっきの音は思い切り窓を開けた音らしい――、人影が飛び出して来た。殿音先輩だ。腰まで空中に出たところで、建物の中から斯波方先輩が上半身を乗り出して、殿音先輩の体を捕まえた。
けれど殿音先輩が、
「ひゃああっ!」
と奇声を上げて、腕を振り回した。月の光を反射して、その手元がひらめく。刃物だ。今度は斯波方先輩が、
「ぐあっ!」
と呻き、その腕が怯んだ。
留める物の無くなった殿音先輩の体は、真っ逆さまに落ちた。下になった頭が、地面に激突する寸前、こちらを向いた。一瞬私達と目が合ってから、殿音先輩の顔面は激しい音を立てて地面に潰された。
口の中に、さっきの刃物だろうか、銀色の破片が見えている。口の奥へ突き抜けて頚椎の辺りまで貫いているようだった。
斯波方先輩が、部室棟のドアから転がり出て来た。両腕をだらりと下げている。
「斯波方君! 怪我してるの、腕?」
「傷は大したことないんですが、……畜生。殿音……」
殿音先輩の潰れた頭部から、夜煌蟲がさわさわと這い出して来た。みるみるうちに、一抱えもあるサイズになる。
「お前らもっと離れろ。部室棟はもう駄目だ、別の所へ……どっかねえのか、高台は」
と言って辺りを見回す。私達も同じようにした。
そして全員で、校庭を同時に視界に入れて、絶句した。
今やグラウンドは、土が見える面積の方が、緑色の光よりもずっと少なかった。
さっきはまばらに夜煌蟲が徘徊していた校庭を、ぼんやりとした光がほとんど覆っている。こんな大発生は聞いたことがない。
ちらほらと、制服姿の人間が校庭に倒れているのが見える。強行突破をしようとして、失敗したのだろう。舌を噛んだのか、もう死んでしまっているようで、どれも微動だにしない。更に遠くを見てみると、学校を取り巻く塀のたもとにも、死体らしきものがいくつも転がっていた。山倉部長と同じ死に方をしたのだろうか。
「冗談じゃねえぞ、……畜生」
斯波方先輩の先導で、私達は蟲のいない方へと、ひとまず走った。例の用務員室を通り過ぎ、その先は本校舎の昇降口だった。手近にいる蟲達が、じわじわと私達を取り囲むようにして移動しているのが分かる。明らかに、私達を追い込もうとしている動きに見える。
「斯波方さん、このままだと本校舎に入るしかありませんけど」
「やむを得ねえよ。他に、選択肢が無い。これは……外には行けねえ」
男子二人の会話に、柚子生先輩が割って入る。
「でも、さっきの職員室見たでしょ。本校舎の中なんて……」
斯波方先輩はそう言う柚子生先輩の手を引いて、昇降口に駆け寄った。
「柚子生さん、職員室は一階の左奥です。素早く右へ走って階段を上がれば、逃げおおせる……」
「逃げおおせる?」
「……かもしれない」
「言い切ってよー!」
でも、確かにそれしかない。さっきまで遠巻きだった緑光の群れは、砂糖に群がる蟻のように、もう数メートルの距離に近づいていた。
「エリヤ、行こう!」
私は一坂に手を引かれ、四人で、五段ほどの石段を越えて昇降口の中に飛び込んだ。
扉を閉めると、中には整然と並んだ下駄箱がある。本校舎の中は明るいので、自動販売機の時と同じ羽目にならないように、異常がないか慎重に目を配った。大丈夫のようだった。
「柚子生さん、すみません。俺の血が付いちまったかな」
「いいわよ、そんなの。早く上に行こ。上履きには、履き替えなくていいわよね」
うんうんと皆でうなずき、私達は職員室のある左の方へ注意を向けながら、土足のまま右手にある階段を駆け上った。その時、慌てていたせいで、私は段を踏み外し、したたかに膝を階段に打ちつけてしまった。
「うあっ!」
「エリヤ!」
一坂に助け起こされて立ち上がった。物凄く痛いけど、折れたりはしていないみたいだった。激痛に耐えながら、また駆け出す。
二階に着いたところで、手近にあった2‐Aの教室へ入る。この中には、蟲は入り込んではいないみたいだった。適当に椅子を引いて、私達は久し振りに腰を下ろして座った。
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