夜煌蟲伝染圧

クナリ

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第48話 第九章 センドウヒワコ 2

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 私はそれから、金曜日までの間、毎晩夜中にそっと家を抜け出した。
 トート型をした厚手のビニールバッグを片手に、黒っぽい服を着て、なるべく人目の乏しいところを選んで、目的のものを「収集」する。
 実際に使うことに、なるだろうか。そこまでの覚悟が、今の私にあるわけじゃない。でも、多分問答無用で私を弄ぶ気でいるんだろう人達を相手に、切り札になるものが欲しかった。互角の立場とは言わないまでも、せめて一方的に好きなようにされないで済むだけの、武器が。
 人の出歩かなくなった夜中なら、昼間ほどには外出に抵抗が無かった。誰も私を見る人がいなければ、私のされたことを知る人もいない。
 夜が明ける前に部屋に戻り、朝を迎えるとお母さんに今日も学校は休むと伝え、袋の中身が決して日光に当たらないように机の引き出しへ大事にしまった。
 夜の収集活動は、思ったよりもずっとはかどった。人に見咎められて邪魔が入ることはなかったし、何より無心になってそれを探している間は、私の身に起こった色々な嫌なことを思い出さずに済んだからだ。単純作業に、こんな効果があるとは知らなかった。私はただ、物陰に隠れている小さな粒をつまんではひたすらビニールバッグに落として行くだけの機械と化していた。
 兄さんのことも、自分のことも、一番身近にいながら相談することができないでいる両親のことも、忘れられた。
 ただ時々、兄さんが家に連れて来ていた友達の面影が頭をよぎった。
 あの人は、今どうしているのだろう。
 優しい人だった。あの人の名前を出されたことがあの日私がおびき出された最大の原因だと知ったら、きっと苦しむだろう。
 けれどそれも一瞬のことで、私はすぐに作業に没頭し直して行った。

 土曜の夜、彼らと待ち合わせをしたのは、私の家から自転車で十五分くらいのところにある大きい公園だった。
 そこから五分くらい歩くと駅があり、その公園も駅に近い方は、夜でも割合明るい。公園の中心には池があり、昼間は家族連れがよく遊びに来ている。
 彼らは、五人全員で、時間通りにやって来た。
「おおー、ヒワコちゃん。いるいるー、今そっち行くからねー」
 変な抑揚をつけながら、彼らが近づいて来る。
 場所は、池のボート小屋のドアの前を指定してあった。駅からは反対側の位置にあって、かなり暗い。私がこんなに危なっかしい場所を指定したことを、疑問に思わないんだろうか。それだけ、私のことなど侮り切ってもいるのだろう。
 ボート小屋は岸から五メートルちょっと離れて、池の中に建っている。そこに岸から続く桟橋は幅が狭く、大人が二人でやっと通れるくらいだ。手すりもない。
 五人。一度に相手取るには、数が多い。でも、やるしかない。
 失敗したって、構わない。そうしたら、――……最悪、兄さんの後を追うだけだ。また、酷い目に遭わされる前に。
 ボート小屋のドアの前は、ほとんど真っ暗だった。ドアにもたれた黄色いワンピース――分かりやすいよう、あの日着ていたのと同じものを用意した――を目印に、彼らは桟橋を渡って来る。
 いよいよドアのすぐ前まで近付いた時、先頭の一人が声を上げた。
「ああ? 何だこれ」
 彼が、ドアの前に私はおらず、ワンピースをかけてあるだけだということに気付いた時、私は池のほとりの茂みから素早く抜け出して、桟橋の上を駆けた。
「ねえ!」
 大声を出すと、五人はぎょっとして振り返る。彼らが硬直しているその瞬間に、私はビニールバッグの口を少し開いて、いっぱいに詰め込んだ夜煌蟲を彼らに見せつけた。
「うお!? おい、何だ、何のつもりだ」
「教えて。あなた達が、お兄ちゃんを殺したのね?」
 私の胸ポケットに入れた携帯電話は、録音機能をオンにしてある。
「くそ、それどっかやれよ。何言ってんだ、俺らが――」
「答えてくれないなら、この中の蟲をあなた達にぶつけます。早く言って。お兄ちゃんを、あなた達が死なせたんでしょう!」
 先頭にいた一人が、怒号とともに言って来る。
「てめえ、いっちょ前に人脅してんじゃねえぞ。この後どうなるか、分かってんだろうな。ああそうだよ、お前の兄貴には蟲の塊を食わしてやったんだよ。妹のことで話があるって言ってやったらあっさりついて来やがって、マジでお前らきょうだいだな。あっさり死んだよあいつ、生命力全然ねえな」
 罵詈雑言が並べられるのを聞いて、私は歯が欠けるのではないかというくらい、強く歯を食いしばっていた。彼らが兄さんを死に追いやったと、確信はしていた。けれど心のどこかで、そんなものは私の勝手な思い込みであって欲しいとも願っていた。
 何も悪くない兄さんが、同級生の遊び半分の悪意でこの世からいなくなってしまったなんて、あってはならないことだと思ったからだ。
 そして、この五人にも少しは人間らしいところがあると思いたかった、その気持ちが胸の中でガラガラと崩れて行った。
「ホラ、言ってやったんだからそれ離せや。てか、俺らがもらってやるよ。よく集めたなあ、こんだけありゃ何か出来るぜ。何か、おもしれえことがよ……」
 先頭がそう言いながらビニールバッグに手を伸ばし、持ち手をつかんだ。
「離して!」
「そうかよ、そんなに離したくねえならまずはお前にくれてやるよ、心配すんな、すぐには死なせねえから――」
 男の筋張った片手がビニールバッグの口を大きく開き、もう一方の手がその中に突っ込まれる。
 その瞬間、バッグの中から緑色の光が迸った。
 学校で聞いたことがある。夜煌蟲は普通は動きがゆっくりだけど、獲物のすぐ近くに近付くと、別物のようなスピードで瞬時に動き、相手に取り憑くことがある。
 彼らも今までに蟲を見たことはあるだろうけど、街中の蟲の大抵のやつはサイズが小さく、多少速く動いても問題にはならない。兄さんに食べさせたという時も、蟲が素早く動くところは見ていなかったのだろう。
 彼は蟲を避け切れず、一息に右腕が緑色の繭に包まれた。
「あ、くそ、おい、取ってくれよ」
 仲間の方へ振り向いた途端、緑色の光が、他の四人にも降り注いだ。ビニールバッグの口の方を五人に向けていた私は夜煌蟲からは死角になったのか、こちらへは襲って来なかった。
 彼らの肩に、頭に、お腹に。一度へばりついた蟲は地面へは落ちず、暴れる体にしがみついている。
「うおっ、何――……」
「お、おい……これ……!」
「おいてめえ、ふざけんじゃねえぞ!」
 五人が、桟橋を岸側へ渡ろうとする。その途上には私がいる。先頭の一人が、私を捕まえようと手を伸ばしていた。蟲への対処より、直情的に、私への報復が先だと決めたらしい。
 彼らから、兄さんを死なせたという言葉が聞ければそれで良かった。けれど事態は、思いがけない方へ展開している。
 どうしよう。心臓が激しく鳴った。
 私は彼らに捕まる前に、とっさに、家から持って来て足元に置いておいたさすまたを拾って突き出した。見えづらいように黒く塗ってあるので、かなり避けにくいはずだ。
 扱い方は、お父さんに習ったことがある。一旦まっすぐに突き出して驚かせ、相手の動きを止めてから先端で足元を攻撃する。
 U字の中に相手の足を入れたら柄をひねってやり、転ばせる。これで向こうの動きは封じられるし、転倒している味方が邪魔になって後ろの人達はまっすぐに進めない。
 私はさすまたを掴まれたり距離を詰められないように気を付けながら、次々に彼らの足元を狙った。
 ただでさえおぞましい行為の想像をしながら油断し切っていたところに夜煌蟲を浴びせられ、パニックになっていた彼らは、全員簡単に転がった。行動の自由まで失って、彼らは凄まじい混乱の中にいた。
「約束して下さい。兄さんに何をしたのか、自分達で学校やご両親に言うって。そうしたら――」
 そうしたら。
 そうしたら、どうする。さすまたを捨てて彼らに駆け寄り、虫を取り離す手伝いをする?
 このままでは、手遅れになって彼らは死んでしまう。私は、五人に死んで欲しいわけじゃない。
 でもことここに至ったら、蟲を引き剥がした後、彼らは私を間違いなく、ただで許しはしない。
 死ぬよりも辛い思いをさせられるかもしれない。五人の薄情で狂暴そうな見た目が私の恐怖を煽り、足がすくんだ。
 再び、どうしよう、どうしようと胸が早鐘を打つ。
 でも、やっぱり、駄目だ。人が五人も死んでしまうなんて――
 その時、
「おい、飛び込め! やべえよ、早く剥がさねえと!」
と一人が叫んだ。
 このままではらちが明かないと思ったのか、一人、二人、と池に飛び込み始める。
 けれどそれこそ、彼らにすれば最悪の選択だった。
 あっという間に五人ともが水に入った。
 時間差はあっても皆一度水に沈み、浮かび上がって、呼吸のために大きく口を開けるのは同じだった。その口に、肩や胸の辺りに付いていた夜煌蟲がシュッと素早く飛び込んだ。
 五人全員、同じことが起きていた。
 必死になって水面を叩いていた十本の手が、ほんの数秒で、瞬く間に静かになり、やがて池は無音になった。
 彼らはまだ浮いていて、頭を水面に出している。何人かは無気力に。何人かは悲しそうな顔で。
 もう、……時間の問題だろう。
 彼らが、死ぬまで。
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