9 / 45
第二章 3
しおりを挟む
依頼者は、ひとまず帰って行った。
「どうも、家族――息子とのトラブルみたいだな」
「大丈夫でしょうか」
「何かあればまたすぐここへ連絡するように、繭に意識付けしておいた。治すべきは依頼者本人よりも息子だろう。ここへ連れて来られればよし、無理そうならこちらから出向くよ。さて、今日は午後の依頼もあるな。少し早いが、自由時間にするか。僕は父と昼食をとるが、鳴島はどうする? 同席するか?」
「いえ、さすがに、いきなり人の家のご飯に混じるっていうのは」
「そうか。じゃあこれ、昼食手当てだ」
クツナは濃い茶色の革財布を取り出し、紙幣をシイカに渡した。
「三千円て……多くないです?」
「昼食がわびしいと、なんだか切ないだろうが」
釣りは返そうと胸中で決め、シイカは駅近くのサンドイッチ店へ行った。
真昼時を迎えようとしている夏の太陽は更に力を増していたが、店内は緩めに冷房が効いており、心地いい。普段コンビニ以外で食べ物を買うことがあまりないので少し緊張したが、難なく注文を終えて窓際の席に座った。明るい日差しの中で、ホットサンドと紅茶を手にゆっくりと食事などしていると、何だか今までよりも自分を取り巻く世界が広がったように思える。
元々の消極的な性格が大きく変わったわけではないものの、この頃、ぎこちなくもクラスメイトの女子とも話すことが増えた。
他の人たちが子供の頃から培ってきた対人能力を、今ようやく自分も育みつつあるのかもしれない、と思った。
ただ対照的に、家族とは今ひとつ打ち解けきれないままでいる。多少の進歩はあるものの、距離が近すぎると、関係性を変化させるというのはむしろ難しいのかもしれない。
午後の依頼者は、きっかり十三時にやって来た。
すでに食事を終えて身支度を整えていたシイカは、クツナとともに施術室に入った。
施術室の手前には和室があり、繭使いの前に依頼者との相談や説明が必要な場合はここで行う。しかしたいていは、施術室へ直行することになっていた。
施術自体は簡単なもので、三十代のサラリーマンとおぼしき男性は、バレーボールサークルで痛めたという手首を治してもらい、来週の試合は万全で望めると大喜びで帰って行った。
「ほとんどの場合、すぐここで治せるんですよね」
一息ついて白衣を外しながら、シイカが言った。
「ま、あのくらいならな」
「どうして私の場合は、『軽々にはできない』んですか?」
「簡単に言えば、君の繭には複雑な部分があるからだ。自分の繭も見ようと思えば見られるだろ? 今日のインコと比べてみろよ」
インコと比べても……とシイカが思った時、御格子家の電話が鳴った。クツナがあまり顧客の履歴を残したがらないため、繭使いの依頼はほとんどがメールなどではなく電話で受け付けている。
クツナが受話器を取った。
「はい。ええ、先ほどはどうも。これからですか、何時ごろ? いいですとも、お待ちしています」
通話を終えると、クツナはシイカに向き直った。微笑みを浮かべている。
「午前の依頼者だ。これから子供を連れて来るってよ」
「どうも、家族――息子とのトラブルみたいだな」
「大丈夫でしょうか」
「何かあればまたすぐここへ連絡するように、繭に意識付けしておいた。治すべきは依頼者本人よりも息子だろう。ここへ連れて来られればよし、無理そうならこちらから出向くよ。さて、今日は午後の依頼もあるな。少し早いが、自由時間にするか。僕は父と昼食をとるが、鳴島はどうする? 同席するか?」
「いえ、さすがに、いきなり人の家のご飯に混じるっていうのは」
「そうか。じゃあこれ、昼食手当てだ」
クツナは濃い茶色の革財布を取り出し、紙幣をシイカに渡した。
「三千円て……多くないです?」
「昼食がわびしいと、なんだか切ないだろうが」
釣りは返そうと胸中で決め、シイカは駅近くのサンドイッチ店へ行った。
真昼時を迎えようとしている夏の太陽は更に力を増していたが、店内は緩めに冷房が効いており、心地いい。普段コンビニ以外で食べ物を買うことがあまりないので少し緊張したが、難なく注文を終えて窓際の席に座った。明るい日差しの中で、ホットサンドと紅茶を手にゆっくりと食事などしていると、何だか今までよりも自分を取り巻く世界が広がったように思える。
元々の消極的な性格が大きく変わったわけではないものの、この頃、ぎこちなくもクラスメイトの女子とも話すことが増えた。
他の人たちが子供の頃から培ってきた対人能力を、今ようやく自分も育みつつあるのかもしれない、と思った。
ただ対照的に、家族とは今ひとつ打ち解けきれないままでいる。多少の進歩はあるものの、距離が近すぎると、関係性を変化させるというのはむしろ難しいのかもしれない。
午後の依頼者は、きっかり十三時にやって来た。
すでに食事を終えて身支度を整えていたシイカは、クツナとともに施術室に入った。
施術室の手前には和室があり、繭使いの前に依頼者との相談や説明が必要な場合はここで行う。しかしたいていは、施術室へ直行することになっていた。
施術自体は簡単なもので、三十代のサラリーマンとおぼしき男性は、バレーボールサークルで痛めたという手首を治してもらい、来週の試合は万全で望めると大喜びで帰って行った。
「ほとんどの場合、すぐここで治せるんですよね」
一息ついて白衣を外しながら、シイカが言った。
「ま、あのくらいならな」
「どうして私の場合は、『軽々にはできない』んですか?」
「簡単に言えば、君の繭には複雑な部分があるからだ。自分の繭も見ようと思えば見られるだろ? 今日のインコと比べてみろよ」
インコと比べても……とシイカが思った時、御格子家の電話が鳴った。クツナがあまり顧客の履歴を残したがらないため、繭使いの依頼はほとんどがメールなどではなく電話で受け付けている。
クツナが受話器を取った。
「はい。ええ、先ほどはどうも。これからですか、何時ごろ? いいですとも、お待ちしています」
通話を終えると、クツナはシイカに向き直った。微笑みを浮かべている。
「午前の依頼者だ。これから子供を連れて来るってよ」
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる