12 / 45
第三章 1
しおりを挟む
最初は、自分にも同じことができるのではないかと思った。
それくらい、目の前の人物は当たり前のように草むらの中にしゃがみこみ、傷ついた野ネズミの足を治した。
特別な道具を使った様子もない。ただ、野ネズミの上で手のひらと指をくるくると動かしていただけだ。
目の前の人物は、いたずらっぽく笑った。自分よりも年上のはずだが、子供っぽい笑顔がよく似合っていた。
自分が、人と話すのが得意ではないことは分かっている。しかしこの人は、自分がたどたどしく話す間も、せかしたりいらついたりすることなく、ただ聞いていてくれた。
特に、「ゆっくり話せばいいよ」などと言わずに、ただこちらが話し終わるのを待ってくれているのが嬉しかった。
いずれ自分が大きくなり、中学や高校を卒業して大人になって、やがて年寄りになっても、仲良しでいて欲しいと思った。
ずっと仲良しで、傍にいてくれるだろうと思っていた。
■
まるで墓参りにでも行くかのようだった。
シイカを伴って、クツナは午前中から家を出て、電車で三十分ほどかけて少し離れた町で降りた。いつになくクツナの口数は少なく、花の籠など手に提げている。
たどりついたのは、ごく普通の一軒家だった。二人を出迎えたのは、五十代くらいに見える女性で、何度も礼を言いながらクツナから花を受け取った。
「クツナ君、気を遣ってくれなくていいのよ」
「いえ、来たくて来ているんですから。おじさんの様子は……」
「少しはよくなったけど、やっぱりまだね。身の回りのことは一通りできるんだけど」
「お会いしても?」
「ええ、どうぞ。そちらのお嬢さんが、電話で言っていた助手の方ね」
顔を覗き込まれながら微笑まれて、シイカの背筋が伸びる。
「お、お邪魔します」
通された和室には、座椅子に座った男性がいた。頭には白髪が混じり、顔中に細かいしわが散っている。老人にも見えるが、背格好はそこまで老いて見えるわけではなく、一見して年齢を読み取るのは、シイカには難しかった。口を半開きにして、よだれこそ垂れていないが、放心したようにテレビを見ている。
「調子がいい時は、昔みたいにしゃべるんだけどね。ごめんなさいね」
「こちらこそすみません。お久しぶりです、おじさん」
男性の目がクツナを見た。少し口角を上げたように見える。
簡単な世間話をして、五分ほどで、クツナはその家を出た。
「悪かったな、付き合わせて」
「いえ……どういう方なんですか」
「父に次ぐ、僕の師だ。当時既に数少ない、繭使いを生業にできていたほどの達人だった」
「病気か、何か」
「いや。繭使いにやられた。一時期は本当に廃人同然で、あれでもかなり持ち直したんだ」
クツナの後ろを歩いていたシイカの足が、ぴくりとすくんだ。
「繭、ですか? あんな風に、繭使いで人を……」
「そうだ。繭使いは単なる治療技術じゃない。悪用しようと思えば人間を作り変えることさえできてしまう。もちろん、腕次第ではあるし、そうそうできることじゃないんだが。それを君も、知っておく必要があるとも思った」
しばらく無言で、二人は歩く。それでも、駅に近づいて人波が増える前に、シイカが口を開いた。
「私、……繭使いって、もっと平和っていうか、いいことばかりの力だと思ってました」
「そうしようという、一族あげての努力が実を結んだんだろうな。今ではそんなにおっかないことができる繭使いはほとんどいない。危険な輩ってのはただでさえ、平和な世の中では淘汰される。できれば鳴島には、繭使いのいいところばかりを見ていてもらいたいよ。この頃は、少しだが繭の繰り方を覚えてきたんじゃないか」
振り返って、困ったように笑うクツナは、ひどく寂しげに見えた。
シイカの胸に、刺すような痛みが走る。その気になれば金儲けや欲望の充足のためにいくらでも繭を使いようがあるだろうに、クツナが繭使いの技術を悪用するところなど見たことがない。だから、そんな顔をして欲しくない、と思う。
「私、クツナさんに教わったことで、できもしないのに勝手に人の繭をいじったり、悪いことに使ったりしませんから。本当です」
「悪い。少し脅しすぎたな」
シイカはクツナの隣に並んで歩いた。
斜め下から見上げた横顔は、いつも通りに涼しい表情に戻っていた。
それくらい、目の前の人物は当たり前のように草むらの中にしゃがみこみ、傷ついた野ネズミの足を治した。
特別な道具を使った様子もない。ただ、野ネズミの上で手のひらと指をくるくると動かしていただけだ。
目の前の人物は、いたずらっぽく笑った。自分よりも年上のはずだが、子供っぽい笑顔がよく似合っていた。
自分が、人と話すのが得意ではないことは分かっている。しかしこの人は、自分がたどたどしく話す間も、せかしたりいらついたりすることなく、ただ聞いていてくれた。
特に、「ゆっくり話せばいいよ」などと言わずに、ただこちらが話し終わるのを待ってくれているのが嬉しかった。
いずれ自分が大きくなり、中学や高校を卒業して大人になって、やがて年寄りになっても、仲良しでいて欲しいと思った。
ずっと仲良しで、傍にいてくれるだろうと思っていた。
■
まるで墓参りにでも行くかのようだった。
シイカを伴って、クツナは午前中から家を出て、電車で三十分ほどかけて少し離れた町で降りた。いつになくクツナの口数は少なく、花の籠など手に提げている。
たどりついたのは、ごく普通の一軒家だった。二人を出迎えたのは、五十代くらいに見える女性で、何度も礼を言いながらクツナから花を受け取った。
「クツナ君、気を遣ってくれなくていいのよ」
「いえ、来たくて来ているんですから。おじさんの様子は……」
「少しはよくなったけど、やっぱりまだね。身の回りのことは一通りできるんだけど」
「お会いしても?」
「ええ、どうぞ。そちらのお嬢さんが、電話で言っていた助手の方ね」
顔を覗き込まれながら微笑まれて、シイカの背筋が伸びる。
「お、お邪魔します」
通された和室には、座椅子に座った男性がいた。頭には白髪が混じり、顔中に細かいしわが散っている。老人にも見えるが、背格好はそこまで老いて見えるわけではなく、一見して年齢を読み取るのは、シイカには難しかった。口を半開きにして、よだれこそ垂れていないが、放心したようにテレビを見ている。
「調子がいい時は、昔みたいにしゃべるんだけどね。ごめんなさいね」
「こちらこそすみません。お久しぶりです、おじさん」
男性の目がクツナを見た。少し口角を上げたように見える。
簡単な世間話をして、五分ほどで、クツナはその家を出た。
「悪かったな、付き合わせて」
「いえ……どういう方なんですか」
「父に次ぐ、僕の師だ。当時既に数少ない、繭使いを生業にできていたほどの達人だった」
「病気か、何か」
「いや。繭使いにやられた。一時期は本当に廃人同然で、あれでもかなり持ち直したんだ」
クツナの後ろを歩いていたシイカの足が、ぴくりとすくんだ。
「繭、ですか? あんな風に、繭使いで人を……」
「そうだ。繭使いは単なる治療技術じゃない。悪用しようと思えば人間を作り変えることさえできてしまう。もちろん、腕次第ではあるし、そうそうできることじゃないんだが。それを君も、知っておく必要があるとも思った」
しばらく無言で、二人は歩く。それでも、駅に近づいて人波が増える前に、シイカが口を開いた。
「私、……繭使いって、もっと平和っていうか、いいことばかりの力だと思ってました」
「そうしようという、一族あげての努力が実を結んだんだろうな。今ではそんなにおっかないことができる繭使いはほとんどいない。危険な輩ってのはただでさえ、平和な世の中では淘汰される。できれば鳴島には、繭使いのいいところばかりを見ていてもらいたいよ。この頃は、少しだが繭の繰り方を覚えてきたんじゃないか」
振り返って、困ったように笑うクツナは、ひどく寂しげに見えた。
シイカの胸に、刺すような痛みが走る。その気になれば金儲けや欲望の充足のためにいくらでも繭を使いようがあるだろうに、クツナが繭使いの技術を悪用するところなど見たことがない。だから、そんな顔をして欲しくない、と思う。
「私、クツナさんに教わったことで、できもしないのに勝手に人の繭をいじったり、悪いことに使ったりしませんから。本当です」
「悪い。少し脅しすぎたな」
シイカはクツナの隣に並んで歩いた。
斜め下から見上げた横顔は、いつも通りに涼しい表情に戻っていた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる