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縁(えにし)
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■
「茉莉以外は、初めまして。僕は帷千哉といいます」
そう名乗った少年は、白一色の和装に身を包んでいた。身長は百七十五センチ近く、ややあどけない顔立ちの割には背が高い。
茉莉の目には、彼の服装は、一見して神社の神主のそれのように見えた。立烏帽子こそないものの、狩衣を、動きやすいようにやや簡略化したような意匠をしている。
和装だけでも個性的ないでたちだったが、なによりもまず、彼の真っ白な髪が全員の目を引きつけた。
少しくせのある、長めの白髪は、茉莉には見慣れたものだったが、人間といえば黒髪と認識している妖怪一同には、驚き以外の何物でもない。
雷蘭が「なにそれ……染めてるの?」と独り言のように言った。
茉莉が「あ、あれは、彼の場合染めてるわけではなくて」と口をはさんだが、先に千哉が答えた。
「いいえ、生まれつきですよ。確か妖怪って、人間の髪が多少茶色や赤に染まってても、あまり認識できないんでしたっけね。それでも、これだけ白ければ別ってことかな。ね、茉莉」
そう言って、千哉は茉莉に視線を向けた。
「千哉……くん? 本当に」と、茉莉が半ば呆然としてつぶやく。
「本物だよ。久しぶりだね。まさか、妖怪に囲まれて再会するとは思わなかったけどさ」
軽妙にそう言う千哉に、犬妖が唸り声を立てて睨んだ。
「お、なんだよ、犬妖が。やるのか?」
「千哉くん! え、え、なんでそんなに喧嘩腰なの?」
あわあわとする茉莉に、千哉が言う。
「喧嘩腰? そりゃそうだろう、君を裏世界に拉致して、どうやら妖怪の戦に巻き込んでるんだろう? 喧嘩どころか、ここで全員調伏したいくらいだ」
「なんですって」と雷蘭。「マツリの知り合いらしいけど、あまり妙な真似をするんなら、容赦しないわよ」
「容赦しない? くちばしも爪もあまり強力ではないように見えるけど、そのあんたがどうやって?」
千哉の挑発的な口調に、茉莉が「千哉くん!」ととがめる。
「お前……祓い師か」
抑揚のない口調でそう言ったのは、切風だった。その手に、黒い剣が握られているのを見て、茉莉がぎょっとする。そういえば、さっき渡したままだった。
切風は、さすがに剣を構えはせずに切っ先を地面に向けて下ろしてはいたが、その目つきは明らかに千哉への敵意を帯びていた。
「そう。よく分かったね。ああ、この格好じゃ分かりやすすぎたかな」
「いいや。お前の髪だよ。その白一色の頭。帳とかいったね。お前、一選の孫かなにか?」
「ご名答。へえ、祖父を知っているのか」と、千哉が意外そうな顔をする。
「まあね。……あの野郎は、生きてるの? 也寸志や八澄は死んだって聞いたけど?」
「茉莉の祖父母だね? まあね、一選おじいさんは存命だよ。君みたいな知り合いがいるというのは、初耳だけど」
「へえええ。あの根性曲がりが、やっぱりなあ」
「やっぱり? なにが?」
「人間は、死ななくていいやつから死んで、死んだほうがいいやつほど生き残る」
「ずいぶんだな。僕の師であり、祖父でもある人に対して」
「やるか?」
「やろうか」
険悪な空気は、一気に、危険域まで緊張を増した。
慌てて茉莉が割って入る。
「ちょ、ちょっと待ってください! 千焼くん、本当に久しぶりだね、会えて嬉しいよ! 今、祓い師? をやってるの? そういえばそういうおうちだったよね、でも、切風さんたちと戦うみたいなのは、絶対だめ!」
「どうして。茉莉、君は人間だ、妖怪に囲まれているべきじゃない。僕が以前君と別れて、祖父の住むこの信州に修行のために引っ越したのは、君を守るためなのに……こんなことに」
「私は拉致されてここにいるんじゃなくて、私がそうするべきだと思ったから、切風さんたちと一緒にいるの! 命の恩人への恩返しと、人間を守るために……って、え? 今、なんて?」
「……君は人間だ」
「そこじゃなくて、後半っ。……私がなにか、とか」
「聞き間違いだろう。そうめんが霞むウィスコンシン州で富豪の亀に飛び乗ったのは黄身を煽るためだったのに、と言ったんだ」
「絶対違うよね!?」
茉莉から視線を逸らす千哉に、(知ったことではなさそうに)切風が告げた。
「まあとにかく、おれがお前に言いたいことは二つだけだよ。まず、外の物騒なのを片づけてくれねえかな。目障りなんだ」
茉莉が、「外?」と、ガラスなどがはまっておらず風穴同然の四角い窓から周囲を見渡した。そして、息をのむ。
犬神屋敷改め犬神茶房の周りを、百人近い狩衣姿の人間が取り囲んでいた。手には槍やなぎなたといった武器を持っている。
「な、なにあれっ!? 千哉くん、なにする気!?」
「なにもする気はないよ。僕の目的は、茉莉、君を表に連れて帰ることだけだ」
静かにそう言い放つ千哉を、切風が身をかがめて、下からねめつけた。顔にはいやらしい笑顔が浮かんでいる。
「なにもする気はないねえ? そりゃそうだよね、あんなのただのはりぼてだもん。お前、あんな安い幻術でおれたちをだまくらかせるつもりじゃないよねえ?」
「……貴様、かなりの使い手のようだな。確かにあれらは全て幻だ。一目で見破られるとは思わなかった。貴様とやるには、相応の覚悟がいりそうだな……」
再び緊張が高まろうとしたのを察して、茉莉が二人の間に入り込んだ。
「ま、待って! もう一回言うよ、千哉くん。私は、望んでここにいるの。私がやるべきことがあるの。だから――」
だから。
だからなんだというのか、茉莉は、その先まで考えて口にしたわけではなかった。
しかし、あまりにも自然に、その言葉は茉莉から告げられた。
「――だから、千哉くんも、私たちと一緒に戦ってくれない?」
「な……!?」
絶句する千哉よりも先に、雷蘭が口を開く。
「なに言ってるの、マツリ! あたしたちを調伏するなんて言い放ったやつに、協力をですって!?」
「千哉くんは、……子供のころから私を守ってくれた、私のたった一人の友達なんです。事情を知っていれば、絶対にそんなこと言わなかったはずです。ね、千哉くん、先走ってごめん、無理になんて言わない。でもせめて、事情だけでも分かって欲しいの」
茉莉の真剣な表情に、ゆるゆると、千哉の戦意がしぼんでいく。
「……そうだな、僕こそ先走って悪かったよ。見たところ、君、この妖怪たちとずいぶん打ち解けてるんだね。聞かせてくれ、その事情というのを。ああ、ただ、その前に」
千哉が切風を見やる。
「さっき、僕に言いたいことが二つあると言ったな? 兵士の幻術はもう消したよ」千哉の言葉に、茉莉が外を見ると、あれだけいた狩衣姿の兵士が、跡形もなく消えていた。「……で、もう一つはなんだ?」
切風は、腕組みして、首を不自然なほどに傾け、ぎらりと目を光らせて言う。
「お前、いつまで、何回、茉莉を呼び捨てにしてやがんのかな?」
■
木柵鉄観音を口に含むと、千哉は、少年らしい顔で素直な反応を見せた。
「凄い。いい香りだ。妖怪が、こんなお茶を……?」
「け。茶を飲むのに、妖怪とか人間とかの違いがあるんですかねー」
切風が毒づく。
それでも、千哉が飲んでいるのは、改めて切風が手ずから入れた一杯だった。
切風いわく、「初見の相手に、見習いの茶で舐められるわけにいかねえじゃん」とのことで、茉莉は「そういうものですか……」と首をかしげ、ワタヌキは「見習いってわしのこと?」と自分を指でさした。
「……あるかもしれないじゃないか」
「は。お前には、今度とっておきの花茶を入れてやるから目えひん剥いてみるがいいよ。湯を注ぐと、器の中で花や葉が開くやつだ」
茉莉が、「あ、動画で見たことあります。きれいですよね、あれ」と目を輝かせる。
切風が満足げにうなずいた。
「そうそう。透明のアクリルの茶器も用意してあるからな。ガラスより割れにくくていいよなー」
千哉は「妖怪が、アクリルの茶器……」などとつぶやいていたが、すっかり毒気を抜かれているのは、茉莉が見ても確かだった。
「お前千哉とかいったな、祓い師の小僧。今回の戦、一選も絡んでくるわけ?」
「いや、祖父は今動けない。信州の怪異の勢力図が変わりかねない状況だとは知っているから、歯がゆいけれど」
切風が手をひらひらと振る。
「あーいい、いい、来なくて。なんか昔の話とかされてもやりにくいし」
「……祖父と、そんなに密接な関係にあったのか?」
「密接っていうか、茉莉の祖父母の也寸志と八澄な、あの二人と一選がもともと知り合いなんだよ。事情があって、おれは也寸志たちとは離れ離れになったけど、一選の野郎とはその後も多少つき合いがあったんだ。よりによって、一番説教くさいやつと一番長いつき合いになったなあ」
確かに、祖父母同士が知り合い同士だったというのは、茉莉も千哉も聞いていた。
「……確かに、祖父は、説教は長い」と、しぶしぶといったていで千也が言う。
「お。分かる? さすが孫。まあ、人間とおれじゃそもそもの価値観が違うから、しょっちゅうがみがみ言われてたよ。……あの頃のおれは、自分より弱いやつはおれになにされても仕方ないし、逆におれはおれより強いやつにはいつ殺されても文句は言えないと思ってた。ああ、後のほうは今でも思ってるけど」
「……それを、僕の祖父が?」
「あー、よく小言言われた。……おれにすれば、それまでにいろいろあって、也寸志たちと出会った頃には弱り切って荒んでたんだ。だからそんな風に考えてたんだけど、一選のやつ、『それはまだ我々と出会っていなかった頃の話だろう』とか偉そうなこと言いだしてさ。力あるならば弱気を守れ、己だけでなく己が守るべき者のためにその力を使え、とかなんとか、ことあるごとに言われた」
「あ」と雷蘭。「それで、切風様……」と茉莉と切風を交互に見る。
「え、なに、なんですか?」
戸惑う茉莉に、切風がくっくっと笑う。
「そ。やけに茉莉に甘いと思ったでしょ? 恩人や他人の人間たちのために戦います、なんて言う人の子を見てたら、あいつらのこと思い出してさ。まさか孫とはなー。……也寸志と初めて会った時のおれは、自分でも、傲慢で思い上がった、嫌なやつだったと思うよ。一選のやつは、面と向かっておれにはっきりそう言いやがったけどね」
切風が半眼でじろりと千哉をにらんだ。
「……僕が思っていたよりも、ずっと深い関わりがあったようだな」
「まあね。……おれは一生、あいつらと共に生きていこうと思った。それは叶わなかったけど、妖怪だてらに喫茶店なんぞやろうと思ったのも、菓子が好きな男と、茶が好きな女が何十年か前にいて、……一緒に菓子を食べて、茶を飲んだ。こうるさい祓い師も一緒にね。その一日一日を、今でも忘れないからだよ」
切風の視線が、遥か遠くへ向かう。
茉莉が知りえない過去。母づてに気いたことすらない、祖父母と妖怪の関わり。
母を経て自分に託された守り刀の黒い牙。
偶然のような、必然のような出会い。
それらに、茉莉はいっとき思いを馳せた。
「……まいったな」と千哉が茶碗を置いた。「茉莉を腕ずくで奪い返すことも辞さないつもりだったのに」
その気がなくなった。
そう言って苦笑する千哉に、切風が笑みを返す。この妖怪の笑顔の種類を、いつしか茉莉は数え出したくなった。
「とはいってもさ、茉莉がこれから、危険な戦いに赴くことは変わらないわけで。悪いけど、おれの牙が茉莉の中にある以上、茉莉も戦いの場に躍り込んでいくことは避けられない。千哉『クン』としては、茉莉のためにも、協力してくれるかなあ?」
「……是非もないさ」
わざとらしく茉莉の名前を連呼するのは、切風なりのからかいを含んでいるとは承知しつつも、茉莉本人にとってはなかなかむずがゆいものがある。
「そいつは結構。あと、これは言っておかないとね。当然千哉クンは気づいてるだろうけど、戦闘能力としては足手まといになる茉莉を、わざわざ戦場に連れて行かないで済む方法がある」
切風の言葉は千哉に向けられたものだったが、茉莉のほうが激しく反応した。
「えっ!?」と、思わず椅子から立ち上がる。「そんな方法あるんですか!? それなら戦術の幅も広がりますし、私も足手まといにならないで済むならそのほうが!」
だが、千哉は静かに息をついて「それを、一番恐れていた」とかぶりを振った。
「そ。つまり、おれが茉莉を殺しちゃえばいいわけ。たぶんそうすれば茉莉に縛られた牙は自由になって、おれのもとに戻ってくるから」
こともなげに言われて、茉莉は絶句した。
恐怖のためではない。その可能性を全く考えていなかった、自分の思考の隙のせいだった。
切風の性格によっては、とっくに茉莉は始末されて、牙を取り戻した切風は一軍を率いて『赫の王』に突っ込んでいっていてもおかしくなかったわけである。
「でも、それはしないよ。千哉クンは結構前から茉莉の動向をつかんでたみたいだし、その恐れがないから今まで泳がせてたんでしょ? まあ、いきなり裏世界に入っちゃったのは予想外だっただろーけど」
「え? え?」
「……茉莉、悪い。君が飯田に引っ越してきたのは、おれの一族の要望でもあるんだ」
「え、ええ!?」
「ここのところ、体の具合が悪かっただろう? いくら守り刀があっても、長い間君を狙う妖怪たちの敵意にさらされて、体がまいってきてるんだ。ただの人間なのに強力な霊力を持つ君は、流山では妖怪の間で有名になりすぎて――いい餌として――、このままじゃいつ変事が起きるか分からない。だから、僕や祖父がいる信州に移ろうということになったんだ。僕たちなら、すぐ傍で君を守れるから、そう提案した。僕はもちろん、祖父にとっても君は他人じゃないからな」
「そう……だったんだ……」
「千哉クン、お前が短気を起こして、茉莉のためにおれたちを調伏しようなんてしなかったのはよかったよ。おかげで、悪くない状態で『赫の王』とやれる」
「いい加減、クンはやめろ。今のところ、僕たちの目的は一致している。協力するさ」
「時間は、かけたらかけるだけ、おれたちが不利になる。一戦だ。全軍をもっての奇襲で、ただ一戦で決める。負ければ――いや、勝ちきれなければ、おれたちの敗北になるだろうな。二戦目を戦う余力は、おれたちにはない」
「同感だ。見たところ、今日までにだいぶやられたんだろう? ここが鍔際だ。後はない」
切風が、張り詰めた空気を弾けさせるように、ぱんと平手を打った。
思わず、茉莉は少しのけぞる。
「いいね。じゃあ、さっそく役割分担と行こうよねえ。敵は大勢、戦闘能力でも優位にあって、勢いに乗って攻めてくる。こいつらを殲滅するには、事前の準備がいるからね。手の空いてるやつは、ひたすらに矢作りして。今回は矢の尽きる時が勝機の尽きる時とも言えるくらいだから。――さて、茉莉」
「え、は、はいっ?」
唐突な引っ越しが自分の身の安全のためだと知って、そちらに意識がいっていた茉莉が、慌てて返事をする。
見ると、切風がにやにやと笑っていた。
「千哉は、ワタヌキや雷蘭と諜報活動してもらうよ。で、正確な情報がないと作戦の立てようもないから、それを待ってる間、茉莉はねえ」
「……はい。なんでもします。なんでも言ってください」
切風が立ち上がった。
そして、笑顔のまま窓から外を見やる。
「あらら、いい天気だねー」
「……裏世界ですから、薄暗いですけど」
「こんな日は、外で体を動かすに限るなー」
「……と言いますと?」
切風が、笑顔のまま茉莉に向き直った。
「つまりね、特訓」
「特訓。とは……」
「最低限の護身術くらい、身につけないとさ。大丈夫、也寸志直伝の柔術を、やさーしく教えてあげるから」
「茉莉以外は、初めまして。僕は帷千哉といいます」
そう名乗った少年は、白一色の和装に身を包んでいた。身長は百七十五センチ近く、ややあどけない顔立ちの割には背が高い。
茉莉の目には、彼の服装は、一見して神社の神主のそれのように見えた。立烏帽子こそないものの、狩衣を、動きやすいようにやや簡略化したような意匠をしている。
和装だけでも個性的ないでたちだったが、なによりもまず、彼の真っ白な髪が全員の目を引きつけた。
少しくせのある、長めの白髪は、茉莉には見慣れたものだったが、人間といえば黒髪と認識している妖怪一同には、驚き以外の何物でもない。
雷蘭が「なにそれ……染めてるの?」と独り言のように言った。
茉莉が「あ、あれは、彼の場合染めてるわけではなくて」と口をはさんだが、先に千哉が答えた。
「いいえ、生まれつきですよ。確か妖怪って、人間の髪が多少茶色や赤に染まってても、あまり認識できないんでしたっけね。それでも、これだけ白ければ別ってことかな。ね、茉莉」
そう言って、千哉は茉莉に視線を向けた。
「千哉……くん? 本当に」と、茉莉が半ば呆然としてつぶやく。
「本物だよ。久しぶりだね。まさか、妖怪に囲まれて再会するとは思わなかったけどさ」
軽妙にそう言う千哉に、犬妖が唸り声を立てて睨んだ。
「お、なんだよ、犬妖が。やるのか?」
「千哉くん! え、え、なんでそんなに喧嘩腰なの?」
あわあわとする茉莉に、千哉が言う。
「喧嘩腰? そりゃそうだろう、君を裏世界に拉致して、どうやら妖怪の戦に巻き込んでるんだろう? 喧嘩どころか、ここで全員調伏したいくらいだ」
「なんですって」と雷蘭。「マツリの知り合いらしいけど、あまり妙な真似をするんなら、容赦しないわよ」
「容赦しない? くちばしも爪もあまり強力ではないように見えるけど、そのあんたがどうやって?」
千哉の挑発的な口調に、茉莉が「千哉くん!」ととがめる。
「お前……祓い師か」
抑揚のない口調でそう言ったのは、切風だった。その手に、黒い剣が握られているのを見て、茉莉がぎょっとする。そういえば、さっき渡したままだった。
切風は、さすがに剣を構えはせずに切っ先を地面に向けて下ろしてはいたが、その目つきは明らかに千哉への敵意を帯びていた。
「そう。よく分かったね。ああ、この格好じゃ分かりやすすぎたかな」
「いいや。お前の髪だよ。その白一色の頭。帳とかいったね。お前、一選の孫かなにか?」
「ご名答。へえ、祖父を知っているのか」と、千哉が意外そうな顔をする。
「まあね。……あの野郎は、生きてるの? 也寸志や八澄は死んだって聞いたけど?」
「茉莉の祖父母だね? まあね、一選おじいさんは存命だよ。君みたいな知り合いがいるというのは、初耳だけど」
「へえええ。あの根性曲がりが、やっぱりなあ」
「やっぱり? なにが?」
「人間は、死ななくていいやつから死んで、死んだほうがいいやつほど生き残る」
「ずいぶんだな。僕の師であり、祖父でもある人に対して」
「やるか?」
「やろうか」
険悪な空気は、一気に、危険域まで緊張を増した。
慌てて茉莉が割って入る。
「ちょ、ちょっと待ってください! 千焼くん、本当に久しぶりだね、会えて嬉しいよ! 今、祓い師? をやってるの? そういえばそういうおうちだったよね、でも、切風さんたちと戦うみたいなのは、絶対だめ!」
「どうして。茉莉、君は人間だ、妖怪に囲まれているべきじゃない。僕が以前君と別れて、祖父の住むこの信州に修行のために引っ越したのは、君を守るためなのに……こんなことに」
「私は拉致されてここにいるんじゃなくて、私がそうするべきだと思ったから、切風さんたちと一緒にいるの! 命の恩人への恩返しと、人間を守るために……って、え? 今、なんて?」
「……君は人間だ」
「そこじゃなくて、後半っ。……私がなにか、とか」
「聞き間違いだろう。そうめんが霞むウィスコンシン州で富豪の亀に飛び乗ったのは黄身を煽るためだったのに、と言ったんだ」
「絶対違うよね!?」
茉莉から視線を逸らす千哉に、(知ったことではなさそうに)切風が告げた。
「まあとにかく、おれがお前に言いたいことは二つだけだよ。まず、外の物騒なのを片づけてくれねえかな。目障りなんだ」
茉莉が、「外?」と、ガラスなどがはまっておらず風穴同然の四角い窓から周囲を見渡した。そして、息をのむ。
犬神屋敷改め犬神茶房の周りを、百人近い狩衣姿の人間が取り囲んでいた。手には槍やなぎなたといった武器を持っている。
「な、なにあれっ!? 千哉くん、なにする気!?」
「なにもする気はないよ。僕の目的は、茉莉、君を表に連れて帰ることだけだ」
静かにそう言い放つ千哉を、切風が身をかがめて、下からねめつけた。顔にはいやらしい笑顔が浮かんでいる。
「なにもする気はないねえ? そりゃそうだよね、あんなのただのはりぼてだもん。お前、あんな安い幻術でおれたちをだまくらかせるつもりじゃないよねえ?」
「……貴様、かなりの使い手のようだな。確かにあれらは全て幻だ。一目で見破られるとは思わなかった。貴様とやるには、相応の覚悟がいりそうだな……」
再び緊張が高まろうとしたのを察して、茉莉が二人の間に入り込んだ。
「ま、待って! もう一回言うよ、千哉くん。私は、望んでここにいるの。私がやるべきことがあるの。だから――」
だから。
だからなんだというのか、茉莉は、その先まで考えて口にしたわけではなかった。
しかし、あまりにも自然に、その言葉は茉莉から告げられた。
「――だから、千哉くんも、私たちと一緒に戦ってくれない?」
「な……!?」
絶句する千哉よりも先に、雷蘭が口を開く。
「なに言ってるの、マツリ! あたしたちを調伏するなんて言い放ったやつに、協力をですって!?」
「千哉くんは、……子供のころから私を守ってくれた、私のたった一人の友達なんです。事情を知っていれば、絶対にそんなこと言わなかったはずです。ね、千哉くん、先走ってごめん、無理になんて言わない。でもせめて、事情だけでも分かって欲しいの」
茉莉の真剣な表情に、ゆるゆると、千哉の戦意がしぼんでいく。
「……そうだな、僕こそ先走って悪かったよ。見たところ、君、この妖怪たちとずいぶん打ち解けてるんだね。聞かせてくれ、その事情というのを。ああ、ただ、その前に」
千哉が切風を見やる。
「さっき、僕に言いたいことが二つあると言ったな? 兵士の幻術はもう消したよ」千哉の言葉に、茉莉が外を見ると、あれだけいた狩衣姿の兵士が、跡形もなく消えていた。「……で、もう一つはなんだ?」
切風は、腕組みして、首を不自然なほどに傾け、ぎらりと目を光らせて言う。
「お前、いつまで、何回、茉莉を呼び捨てにしてやがんのかな?」
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木柵鉄観音を口に含むと、千哉は、少年らしい顔で素直な反応を見せた。
「凄い。いい香りだ。妖怪が、こんなお茶を……?」
「け。茶を飲むのに、妖怪とか人間とかの違いがあるんですかねー」
切風が毒づく。
それでも、千哉が飲んでいるのは、改めて切風が手ずから入れた一杯だった。
切風いわく、「初見の相手に、見習いの茶で舐められるわけにいかねえじゃん」とのことで、茉莉は「そういうものですか……」と首をかしげ、ワタヌキは「見習いってわしのこと?」と自分を指でさした。
「……あるかもしれないじゃないか」
「は。お前には、今度とっておきの花茶を入れてやるから目えひん剥いてみるがいいよ。湯を注ぐと、器の中で花や葉が開くやつだ」
茉莉が、「あ、動画で見たことあります。きれいですよね、あれ」と目を輝かせる。
切風が満足げにうなずいた。
「そうそう。透明のアクリルの茶器も用意してあるからな。ガラスより割れにくくていいよなー」
千哉は「妖怪が、アクリルの茶器……」などとつぶやいていたが、すっかり毒気を抜かれているのは、茉莉が見ても確かだった。
「お前千哉とかいったな、祓い師の小僧。今回の戦、一選も絡んでくるわけ?」
「いや、祖父は今動けない。信州の怪異の勢力図が変わりかねない状況だとは知っているから、歯がゆいけれど」
切風が手をひらひらと振る。
「あーいい、いい、来なくて。なんか昔の話とかされてもやりにくいし」
「……祖父と、そんなに密接な関係にあったのか?」
「密接っていうか、茉莉の祖父母の也寸志と八澄な、あの二人と一選がもともと知り合いなんだよ。事情があって、おれは也寸志たちとは離れ離れになったけど、一選の野郎とはその後も多少つき合いがあったんだ。よりによって、一番説教くさいやつと一番長いつき合いになったなあ」
確かに、祖父母同士が知り合い同士だったというのは、茉莉も千哉も聞いていた。
「……確かに、祖父は、説教は長い」と、しぶしぶといったていで千也が言う。
「お。分かる? さすが孫。まあ、人間とおれじゃそもそもの価値観が違うから、しょっちゅうがみがみ言われてたよ。……あの頃のおれは、自分より弱いやつはおれになにされても仕方ないし、逆におれはおれより強いやつにはいつ殺されても文句は言えないと思ってた。ああ、後のほうは今でも思ってるけど」
「……それを、僕の祖父が?」
「あー、よく小言言われた。……おれにすれば、それまでにいろいろあって、也寸志たちと出会った頃には弱り切って荒んでたんだ。だからそんな風に考えてたんだけど、一選のやつ、『それはまだ我々と出会っていなかった頃の話だろう』とか偉そうなこと言いだしてさ。力あるならば弱気を守れ、己だけでなく己が守るべき者のためにその力を使え、とかなんとか、ことあるごとに言われた」
「あ」と雷蘭。「それで、切風様……」と茉莉と切風を交互に見る。
「え、なに、なんですか?」
戸惑う茉莉に、切風がくっくっと笑う。
「そ。やけに茉莉に甘いと思ったでしょ? 恩人や他人の人間たちのために戦います、なんて言う人の子を見てたら、あいつらのこと思い出してさ。まさか孫とはなー。……也寸志と初めて会った時のおれは、自分でも、傲慢で思い上がった、嫌なやつだったと思うよ。一選のやつは、面と向かっておれにはっきりそう言いやがったけどね」
切風が半眼でじろりと千哉をにらんだ。
「……僕が思っていたよりも、ずっと深い関わりがあったようだな」
「まあね。……おれは一生、あいつらと共に生きていこうと思った。それは叶わなかったけど、妖怪だてらに喫茶店なんぞやろうと思ったのも、菓子が好きな男と、茶が好きな女が何十年か前にいて、……一緒に菓子を食べて、茶を飲んだ。こうるさい祓い師も一緒にね。その一日一日を、今でも忘れないからだよ」
切風の視線が、遥か遠くへ向かう。
茉莉が知りえない過去。母づてに気いたことすらない、祖父母と妖怪の関わり。
母を経て自分に託された守り刀の黒い牙。
偶然のような、必然のような出会い。
それらに、茉莉はいっとき思いを馳せた。
「……まいったな」と千哉が茶碗を置いた。「茉莉を腕ずくで奪い返すことも辞さないつもりだったのに」
その気がなくなった。
そう言って苦笑する千哉に、切風が笑みを返す。この妖怪の笑顔の種類を、いつしか茉莉は数え出したくなった。
「とはいってもさ、茉莉がこれから、危険な戦いに赴くことは変わらないわけで。悪いけど、おれの牙が茉莉の中にある以上、茉莉も戦いの場に躍り込んでいくことは避けられない。千哉『クン』としては、茉莉のためにも、協力してくれるかなあ?」
「……是非もないさ」
わざとらしく茉莉の名前を連呼するのは、切風なりのからかいを含んでいるとは承知しつつも、茉莉本人にとってはなかなかむずがゆいものがある。
「そいつは結構。あと、これは言っておかないとね。当然千哉クンは気づいてるだろうけど、戦闘能力としては足手まといになる茉莉を、わざわざ戦場に連れて行かないで済む方法がある」
切風の言葉は千哉に向けられたものだったが、茉莉のほうが激しく反応した。
「えっ!?」と、思わず椅子から立ち上がる。「そんな方法あるんですか!? それなら戦術の幅も広がりますし、私も足手まといにならないで済むならそのほうが!」
だが、千哉は静かに息をついて「それを、一番恐れていた」とかぶりを振った。
「そ。つまり、おれが茉莉を殺しちゃえばいいわけ。たぶんそうすれば茉莉に縛られた牙は自由になって、おれのもとに戻ってくるから」
こともなげに言われて、茉莉は絶句した。
恐怖のためではない。その可能性を全く考えていなかった、自分の思考の隙のせいだった。
切風の性格によっては、とっくに茉莉は始末されて、牙を取り戻した切風は一軍を率いて『赫の王』に突っ込んでいっていてもおかしくなかったわけである。
「でも、それはしないよ。千哉クンは結構前から茉莉の動向をつかんでたみたいだし、その恐れがないから今まで泳がせてたんでしょ? まあ、いきなり裏世界に入っちゃったのは予想外だっただろーけど」
「え? え?」
「……茉莉、悪い。君が飯田に引っ越してきたのは、おれの一族の要望でもあるんだ」
「え、ええ!?」
「ここのところ、体の具合が悪かっただろう? いくら守り刀があっても、長い間君を狙う妖怪たちの敵意にさらされて、体がまいってきてるんだ。ただの人間なのに強力な霊力を持つ君は、流山では妖怪の間で有名になりすぎて――いい餌として――、このままじゃいつ変事が起きるか分からない。だから、僕や祖父がいる信州に移ろうということになったんだ。僕たちなら、すぐ傍で君を守れるから、そう提案した。僕はもちろん、祖父にとっても君は他人じゃないからな」
「そう……だったんだ……」
「千哉クン、お前が短気を起こして、茉莉のためにおれたちを調伏しようなんてしなかったのはよかったよ。おかげで、悪くない状態で『赫の王』とやれる」
「いい加減、クンはやめろ。今のところ、僕たちの目的は一致している。協力するさ」
「時間は、かけたらかけるだけ、おれたちが不利になる。一戦だ。全軍をもっての奇襲で、ただ一戦で決める。負ければ――いや、勝ちきれなければ、おれたちの敗北になるだろうな。二戦目を戦う余力は、おれたちにはない」
「同感だ。見たところ、今日までにだいぶやられたんだろう? ここが鍔際だ。後はない」
切風が、張り詰めた空気を弾けさせるように、ぱんと平手を打った。
思わず、茉莉は少しのけぞる。
「いいね。じゃあ、さっそく役割分担と行こうよねえ。敵は大勢、戦闘能力でも優位にあって、勢いに乗って攻めてくる。こいつらを殲滅するには、事前の準備がいるからね。手の空いてるやつは、ひたすらに矢作りして。今回は矢の尽きる時が勝機の尽きる時とも言えるくらいだから。――さて、茉莉」
「え、は、はいっ?」
唐突な引っ越しが自分の身の安全のためだと知って、そちらに意識がいっていた茉莉が、慌てて返事をする。
見ると、切風がにやにやと笑っていた。
「千哉は、ワタヌキや雷蘭と諜報活動してもらうよ。で、正確な情報がないと作戦の立てようもないから、それを待ってる間、茉莉はねえ」
「……はい。なんでもします。なんでも言ってください」
切風が立ち上がった。
そして、笑顔のまま窓から外を見やる。
「あらら、いい天気だねー」
「……裏世界ですから、薄暗いですけど」
「こんな日は、外で体を動かすに限るなー」
「……と言いますと?」
切風が、笑顔のまま茉莉に向き直った。
「つまりね、特訓」
「特訓。とは……」
「最低限の護身術くらい、身につけないとさ。大丈夫、也寸志直伝の柔術を、やさーしく教えてあげるから」
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