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「赫の王」との闘い7
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■
もう無理か。
息を切らした千哉は、頭の中で、撤退の仕方を本格的に考え始めた。
さすがに敵は、度を越えた戦下手ではなかった。巨体と怪我で上手く身動きの取れない二匹の大将の指示で、小回りの利く小動物系の兵がどんどん山中に分け入ってくる。
幻の兵で驚かせつつ、少数の兵で横合いから突く。それだけでもだいぶ効果的なのに、とにかくこちらの味方は度胸がない。踏み込むべき足で、後ろへ逃げてしまう。戦線の維持のしようがなかった。
(別に、切風の命令に従わないってわけじゃないんだよな、この兵たち。ただ、自分の欲求に正直なだけで)
人間の軍隊とは関りを持ったことがないが、妖怪の兵士――特に力の弱いもの――というのはこういうものなのかもしれない。そうした性質を責めても仕方がない。
このままでは、千哉もほかの妖怪たちも、敵に引き包まれて全滅してしまいかねない。
撤退やむなしとして、ただ逃げることで、敵の後軍が中軍に合流することは避けたかった。茉莉の安全だけはなんとか確保したい。
さて、焼け石に水かもしれないが、なにか有効な術はあるかな。頭の中の引き出しをあさっていると。
下方にある広い山道のほうから、異様な気配がした。
敵の攻勢が強まったのかと思ったが、違う。むしろ、敵の寄せ手が崩れかけている。
「なんだ……?」
反転攻勢をしかけられるほどの度胸も戦力も、この第三軍にはいまい。そうすると、なにか別の助けが来たということか。
しかし、切風は集められるだけの戦力を集めてこの戦いに臨んでいる。そしてなけなしの兵を分けて『赫の王』の前軍と中軍を攻めたのであり、だから第三軍にはこけおどしのような兵しかいないのだ。その第三軍を助けられる兵力など、あるはずがない。
千哉は、足の疲労を抜く術を施してから、そろそろと下草の間を滑るように降りて行った。
どうやら将らしい誰かの声が響いてくる。
「近づきすぎるな! 木の間から矢を射かけよ! 撃ちすぎて逃がすなよ、ほどほどに向かって来させるのだ!」
そこにいたのは、犬妖の群れだった。斜面の上側から、山道を通る『赫の王』の兵士に矢を放っている。数は多くはない。せいぜい百匹といったところか。だが、百匹の犬妖の射撃は精妙で、仕掛けてこようとする敵を次々に射倒していく。
先頭に立つのは、百八十センチほどの長身で、緑色の忍び装束のような服を着た、黒髪の男だった。先ほどの声の主らしい。
その男と、千哉の目が合った。
互いに身構えるが、先に男のほうが警戒を解いた。
「千哉殿、ですな」
「ああ、そう……だけど。僕を知っているのか?」
「ええ。我々の……心強き新しい仲間であると」
「今、なんで言いよどんだ?」
「いえ、その」
「いいよ。言ってよ」
男は、こほんと咳払いをした。
「……我々の新しい軍師殿に懸想した、しかし心強き新しい仲間だと……」
「なるほど切風の仲間らしいってのは分かった」
男は、両手を浮かせて驚いている。
「な、なぜそれを!? やはりひとかどの人物というわけですな、只者ではない……!」
「分からいでか。それで、あなたは?」
また咳払い。
「そうでした、申し遅れました。我は、名乗るのもお恥ずかしいことながら、カマイタチの魏良と申します」
■
「魏良さんが!? 無事だったんですか!?」
朔日の背で、茉莉が声を上げた。
雷蘭も驚いているのが、目の前の背筋の緊張で伝わってくる。
道幅は広く、開けていて、犬妖たちは思うさま速度を出せる。茉莉も、激しい揺れに舌を嚙まないよう気をつけていた。
「まーね。散り散りになってた兵も百匹ほど集めてつけた。こっちの手札で伏せておけそうなものは、味方からも隠しておいたほうがいいでしょ」
「では、今、魏良さんが、千哉くんのところに?」
「助けに行ってるはずだよ。そして敵を引きつけてくれてる。おれたちは、今持てる力のすべてを注いで、まずやつらの前軍を倒す。そこから取って返して、最後の後軍を叩く。それで、終わりだ」
「……はい。そうですね」
茉莉の語調に、すぐ横を走っている切風が首を傾げた。
「あれ。茉莉、怒ってる? なんで?」
「怒ってません。怒るようなこと、されていませんから」
茉莉の代わりに、雷蘭が答えた。
「切風様が、マツリに軍師を任せたのに、内緒の戦力を隠していたからでしょう。マツリにすれば、『私って信用されてないんだわ、ふん!』ってなるのは無理もないかと」
「ら、雷蘭さん!」
茉莉が赤面する。
「ああ。それは、悪かったよ。でもさっき言ったように、最終的な責任はおれが取るからね。作戦の推移次第じゃ、魏良をつぎ込んでも負ける可能性はあった。それを軍師のせいになんかさせない」
「そんな……」
「茉莉に魏良のことを言わなかったのは、別の理由もあるよ。おれが下手打って恒河沙にやられた場合、茉莉も無事じゃすまないでしょ。拘束されて、おれたちの軍容を聞き出されることもありうる」
「わ、私、なんにもしゃべりません!」
切風が笑って言う。
「違うよ。ばらしていいんだ。でも君は、知っていることをしゃべらないだろう。知らないと言い張る。そのほうが危ないんだよ。妖怪の中には、言葉を交わした人間の心の中を覗けるやつがいる。君が嘘をついたとなれば、どんな目に遭わされるか分かったもんじゃない。ねえ、茉莉」
「は、はいっ?」
切風が、思った以上に自分のことを思いやってくれていたことに、茉莉は驚きながらも聞き入っていた。そのせいで、返事の声が裏返る。
「ずっと君のことを考えてるんだ。おれは、君になにをしてやれる? こんなにも勇敢な君に、なにをすれば報いてやれるんだ?」
茉莉は、なんと言っていいのか分からなかった。
ここまで、自分がそうすべきだと思うことをしてきた。それだけのことで、こんなにも人の心の中で自分が評価されているなどとは思いもよらなかった。
なにか言わなくては。しかし、答が見つからない。報いるって、なにに? なんと言えばいいのか分からない。そんな時はどうしたらいい。なにも思い浮かばない時は。
「……戦いが、終わった後で……」
「うん?」
「お茶と、お菓子を広げて……考えるというのはどうでしょう」
切風が、速度を落とさないまま、きょとんとした顔になった。
雷蘭の背中が、笑いをこらえている。
「だ、だって、今はなにも考えつきませんし、それどころじゃないですし、適当に答えたくもないんですから、仕方がないじゃないですか!」
「……そうだな。今する話じゃなかった。武器を持って、敵の血や骸にまみれながらするような、そんな話じゃない」
ただ薄暗いだけだった前方の様子が変わった。
武装した妖怪の群れがいる。
喧騒が響いている。
何匹かの熊の変化の姿が見える。そのどれもが背中を向けている。これ以上ない好機だった。
「よーし、行くぞお前ら! 気合い入れろよ! まずは吠えろ! あの敵と、その向こうにいる味方に聞こえるように!」
犬妖たちが鬨の声を上げた。
そして、次々に顔の前で弓を水平に浮かせ、口で矢をつがえて、引き絞った。
もう無理か。
息を切らした千哉は、頭の中で、撤退の仕方を本格的に考え始めた。
さすがに敵は、度を越えた戦下手ではなかった。巨体と怪我で上手く身動きの取れない二匹の大将の指示で、小回りの利く小動物系の兵がどんどん山中に分け入ってくる。
幻の兵で驚かせつつ、少数の兵で横合いから突く。それだけでもだいぶ効果的なのに、とにかくこちらの味方は度胸がない。踏み込むべき足で、後ろへ逃げてしまう。戦線の維持のしようがなかった。
(別に、切風の命令に従わないってわけじゃないんだよな、この兵たち。ただ、自分の欲求に正直なだけで)
人間の軍隊とは関りを持ったことがないが、妖怪の兵士――特に力の弱いもの――というのはこういうものなのかもしれない。そうした性質を責めても仕方がない。
このままでは、千哉もほかの妖怪たちも、敵に引き包まれて全滅してしまいかねない。
撤退やむなしとして、ただ逃げることで、敵の後軍が中軍に合流することは避けたかった。茉莉の安全だけはなんとか確保したい。
さて、焼け石に水かもしれないが、なにか有効な術はあるかな。頭の中の引き出しをあさっていると。
下方にある広い山道のほうから、異様な気配がした。
敵の攻勢が強まったのかと思ったが、違う。むしろ、敵の寄せ手が崩れかけている。
「なんだ……?」
反転攻勢をしかけられるほどの度胸も戦力も、この第三軍にはいまい。そうすると、なにか別の助けが来たということか。
しかし、切風は集められるだけの戦力を集めてこの戦いに臨んでいる。そしてなけなしの兵を分けて『赫の王』の前軍と中軍を攻めたのであり、だから第三軍にはこけおどしのような兵しかいないのだ。その第三軍を助けられる兵力など、あるはずがない。
千哉は、足の疲労を抜く術を施してから、そろそろと下草の間を滑るように降りて行った。
どうやら将らしい誰かの声が響いてくる。
「近づきすぎるな! 木の間から矢を射かけよ! 撃ちすぎて逃がすなよ、ほどほどに向かって来させるのだ!」
そこにいたのは、犬妖の群れだった。斜面の上側から、山道を通る『赫の王』の兵士に矢を放っている。数は多くはない。せいぜい百匹といったところか。だが、百匹の犬妖の射撃は精妙で、仕掛けてこようとする敵を次々に射倒していく。
先頭に立つのは、百八十センチほどの長身で、緑色の忍び装束のような服を着た、黒髪の男だった。先ほどの声の主らしい。
その男と、千哉の目が合った。
互いに身構えるが、先に男のほうが警戒を解いた。
「千哉殿、ですな」
「ああ、そう……だけど。僕を知っているのか?」
「ええ。我々の……心強き新しい仲間であると」
「今、なんで言いよどんだ?」
「いえ、その」
「いいよ。言ってよ」
男は、こほんと咳払いをした。
「……我々の新しい軍師殿に懸想した、しかし心強き新しい仲間だと……」
「なるほど切風の仲間らしいってのは分かった」
男は、両手を浮かせて驚いている。
「な、なぜそれを!? やはりひとかどの人物というわけですな、只者ではない……!」
「分からいでか。それで、あなたは?」
また咳払い。
「そうでした、申し遅れました。我は、名乗るのもお恥ずかしいことながら、カマイタチの魏良と申します」
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「魏良さんが!? 無事だったんですか!?」
朔日の背で、茉莉が声を上げた。
雷蘭も驚いているのが、目の前の背筋の緊張で伝わってくる。
道幅は広く、開けていて、犬妖たちは思うさま速度を出せる。茉莉も、激しい揺れに舌を嚙まないよう気をつけていた。
「まーね。散り散りになってた兵も百匹ほど集めてつけた。こっちの手札で伏せておけそうなものは、味方からも隠しておいたほうがいいでしょ」
「では、今、魏良さんが、千哉くんのところに?」
「助けに行ってるはずだよ。そして敵を引きつけてくれてる。おれたちは、今持てる力のすべてを注いで、まずやつらの前軍を倒す。そこから取って返して、最後の後軍を叩く。それで、終わりだ」
「……はい。そうですね」
茉莉の語調に、すぐ横を走っている切風が首を傾げた。
「あれ。茉莉、怒ってる? なんで?」
「怒ってません。怒るようなこと、されていませんから」
茉莉の代わりに、雷蘭が答えた。
「切風様が、マツリに軍師を任せたのに、内緒の戦力を隠していたからでしょう。マツリにすれば、『私って信用されてないんだわ、ふん!』ってなるのは無理もないかと」
「ら、雷蘭さん!」
茉莉が赤面する。
「ああ。それは、悪かったよ。でもさっき言ったように、最終的な責任はおれが取るからね。作戦の推移次第じゃ、魏良をつぎ込んでも負ける可能性はあった。それを軍師のせいになんかさせない」
「そんな……」
「茉莉に魏良のことを言わなかったのは、別の理由もあるよ。おれが下手打って恒河沙にやられた場合、茉莉も無事じゃすまないでしょ。拘束されて、おれたちの軍容を聞き出されることもありうる」
「わ、私、なんにもしゃべりません!」
切風が笑って言う。
「違うよ。ばらしていいんだ。でも君は、知っていることをしゃべらないだろう。知らないと言い張る。そのほうが危ないんだよ。妖怪の中には、言葉を交わした人間の心の中を覗けるやつがいる。君が嘘をついたとなれば、どんな目に遭わされるか分かったもんじゃない。ねえ、茉莉」
「は、はいっ?」
切風が、思った以上に自分のことを思いやってくれていたことに、茉莉は驚きながらも聞き入っていた。そのせいで、返事の声が裏返る。
「ずっと君のことを考えてるんだ。おれは、君になにをしてやれる? こんなにも勇敢な君に、なにをすれば報いてやれるんだ?」
茉莉は、なんと言っていいのか分からなかった。
ここまで、自分がそうすべきだと思うことをしてきた。それだけのことで、こんなにも人の心の中で自分が評価されているなどとは思いもよらなかった。
なにか言わなくては。しかし、答が見つからない。報いるって、なにに? なんと言えばいいのか分からない。そんな時はどうしたらいい。なにも思い浮かばない時は。
「……戦いが、終わった後で……」
「うん?」
「お茶と、お菓子を広げて……考えるというのはどうでしょう」
切風が、速度を落とさないまま、きょとんとした顔になった。
雷蘭の背中が、笑いをこらえている。
「だ、だって、今はなにも考えつきませんし、それどころじゃないですし、適当に答えたくもないんですから、仕方がないじゃないですか!」
「……そうだな。今する話じゃなかった。武器を持って、敵の血や骸にまみれながらするような、そんな話じゃない」
ただ薄暗いだけだった前方の様子が変わった。
武装した妖怪の群れがいる。
喧騒が響いている。
何匹かの熊の変化の姿が見える。そのどれもが背中を向けている。これ以上ない好機だった。
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この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
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