デコボコな僕ら

天渡清華

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その1

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「大沼さん、いいにおいしません?」
 浅草橋駅の方に歩きながら、寺田が大沼の肩のあたりに顔を寄せて、くんくんとにおいを嗅ぐ仕草をする。なれなれしい態度にムッとしながら、俺は自分の気持ちをなだめるためにも空を仰いだ。
 老舗の人形屋の、いかにも古そうで立派な木の看板。まっすぐ続く道の上、夜空に浮かぶ雲。明るい都会の空は、星も全然見えない。
 大きく息を吸いこむ。まだ気がおさまらない俺は、ちっちぇ人間だな。大沼とはただの同期なのに、内心牙を剥いて怒ってる犬みてえで。
「ああ、ルームフレグランス変えたせいかなあ」
 大沼は自分でも半袖の二の腕のあたりを嗅ぐ。
 ルームフレグランス? なんちゅうしゃれたもん使ってるんだ、やっぱり言わないだけで恋人がいるのか? 俺んちなんか、タバコやらなにやらでくさいとは思うけど、なんも置いてねえぞ?
「オシャレですねえ、恋人の趣味とか?」
「いや、そんな人はいないよ。俺、子供の頃からいいにおいする物が好きでさ。入浴剤も好きだし」
 知るほどに俺とは違いすぎる趣味。金持ちのおぼっちゃんかも、って女子社員の期待も当たってるかもなあ。まだ私服見たことねえけど、私服もオシャレなんだろうな。部屋もきれいにしてそうだし、入浴剤入れてゆったりバスタイム、ってか? うちの風呂広いのかなあ。いいなあ、一緒に風呂入ってみてえわ。
「樹? 怒ってる?」
「……へっ? え、な、なにが?」
 大沼と風呂、という妄想が、すっとんきょうな声と同時に爆発して消えた。危ねえ、もう少しでエロい領域まで行っちまうとこだった。
 あわてて大沼を見ると、じっと心配そうに見られててドギマギする。奥二重で少し目尻が垂れた、大きな瞳。街のネオンに照らされて、きれいだ。
「ずっと黙ってるからさ」
 確かに、大沼と二人だとテンション上がっちまうこともあって、俺はわりとしゃべっちまうけど。やっぱり大沼は優しいなあ。好きだわ。
「ごめん、ちょっと考え事」
 頭をかきながら言う俺に、ほっとした顔になる。大沼は表情豊かで、でも会社でも不機嫌そうな顔は見たことなくて。くるくる変わる表情を、ずっとそばで見ていたいと思う。俺がこいつを笑わせて、二人ずっと楽しくいられたらいい。
「ほら、着きましたよ」 
 エレベーターで雑居ビルの五階に上がると、寺田は店の入り口で店員に、予約した寺田ですと言った。大沼も驚いたらしく、思わず顔を見あわせる。いつの間に? こいつ、手回しよすぎだろ。
「金曜の夜なんで、一応です」
 びっくりしている俺達を見て、へらっとうれしそうに笑ってみせる寺田。通された個室で、寺田は俺達を奥に並んで座らせ、自分は個室の入口側、つまりいわゆる下座に座った。まず飲み物をタッチパネルでオーダーし、メニューを俺達に向けて広げ、自分はタッチパネルを見る。さりげなく、でもしっかり今日の飲みを仕切るつもりか。カンペキじゃねえか。
 気がきくヤツだとは思ってたけど、これは俺もうかうかしてらんねえかも知れねえぞ。
「大沼さん、実家人形町ってことは先祖代々昔からずっとそこに住んでた感じですか?」
 俺と寺田は生ビール、大沼はウーロン茶で乾杯すると、大沼の方に身を乗り出すようにして寺田が言った。
「うん、まあね」
 大沼は笑顔で枝豆に手を伸ばす。俺もその辺詳しく聞いてみたい。でも、さんざん聞かれてるからなのか大沼はこの件になると口が重くなるから、なるべく黙ってることにする。
 俺んちも開業医で、親父がクリニックの院長先生で母親が事務を見てるから、騒がれてウザい気持ちは分かる。
「え~、すごいじゃないスか。生粋の江戸っ子ってヤツ?」
「別にすごくないよ。それを言うなら、大島専務んとこも相当昔から甘酒横丁に住んでるよ」
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