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第二章
その二 三
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夕餉のあと、源次郎がこたつにあたって茶をすすっていると、藤尾があわてて転がりこむ勢いで部屋に入ってきた。
「なんだ、どうした」
「殿が、殿がお越しでございます」
藤尾があまりにも慌てているので問うと、本来なら今日は先々代の正室の月命日で忌日にあたるという。房事は慎むべき日なのだ。
昼に由貴に対して、抱きたいから一緒に来い、などと言い放った貴之だ。恐れ多いことだが、そんなことは気に止めないのかも知れない。
とにかくも藤尾に支度を手伝わせながら、源次郎は妙に落ち着いていた。昼間あの場にいあわせたことで、かえって肝が据わったようだ。
やがて、貴之がやってきた。火鉢のそばに座って源次郎の挨拶を受けると、かすれた声で言った。
「話をしたくて来た。忌日だが、それならよかろう」
そう言って、ちらりと視線を藤尾に投げる。有無を言わせない威厳。藤尾は追われるように部屋を出て行った。
「昼間は、すまなかった」
源次郎と二人きりになると、貴之は源次郎を膝がふれあうほど近くに呼び、まず謝った。
「まったく、由貴の言う通りだった。お前にはなんの罪もない。大人気ないことをした」
貴之は深く頭を下げた。猛々しく怒鳴っていたかと思えば、家臣にも頭を下げる。普通、高貴な身分の者はこんなにも素直に感情を出さない。謝るにしても、せいぜい会釈程度だ。
その型破りさに面食らいつつ、源次郎は目の前の貴之に、昼間とは違う感情の震えを感じた。なりふり構わず想う相手の心を求め、あえぎもがき暴れる貴之の人間くささが、かなしくもかわいらしい。
「もったいないお言葉。うれしゅうございます」
「許してくれるか」
源次郎の瞳をまっすぐに見つめる貴之の瞳は、真っ赤に充血していた。
「許すなど、恐れ多い」
貴之はふっと息をついた。
「お前は、いわば当て馬だったのだぞ? それでもか」
源次郎はうなずいた。衝撃でなかったと言えば嘘だ。だがもういい、と源次郎は思う。こうして貴之から謝罪の言葉も聞けた今、もうこれまでのことは水に流そう。
「望めば、御伽衆の職を免じここから出してやるが、どうする?」
貴之の言葉に、さすがに源次郎は躊躇した。源次郎を見る貴之の目が、少し笑っている。どうせお前もここを離れたいのだろう、とでも言いたげに。
ここで引き下がるのは、なんだか悔しい。
「……どうかこのまま、置いて下さいませ」
源次郎は両手をついて頼んだ。はかなく微笑み、さらばと言った由貴の行く末を、貴之の心の落ち着く先を、見守りたかった。
ここで生きていこう。
「なにか別の職を与えてもよいのだぞ? 今後も御伽衆として、ということでよいのか?」
貴之は源次郎の返事を意外に思ったようだ。身を乗り出して尋ねるのに、源次郎は笑顔を作った。
「よろしゅうござります。どうか今後とも、よろしくお願いいたします」
貴之は源次郎の顔を見据え、しばらく言葉もない。決意のほどを探られているようで、源次郎はこわばりそうになる笑みを崩すまいとした。
「……分かった、気が変わったらいつでも言え」
やがてそう言うと、貴之はようやく笑った。
「話せてよかった、今宵はこれで切り上げよう」
貴之はさっと立ち上がり、部屋を出た。源次郎は見送るべく、あとに従う。
「また来る」
昼間の暖かさが嘘のように、夜の廊下は冷えきっている。廊下の壁に点々とともる、ろうそくの火さえ恋しく思えるほどだ。貴之はそんな中を、ゆっくりと歩いて中奥へと戻っていく。
供も連れず、一人帰っていく毅然とした背中。あの方の真の姿を、もっとちゃんと知りたい、と源次郎は思った。
「なんだ、どうした」
「殿が、殿がお越しでございます」
藤尾があまりにも慌てているので問うと、本来なら今日は先々代の正室の月命日で忌日にあたるという。房事は慎むべき日なのだ。
昼に由貴に対して、抱きたいから一緒に来い、などと言い放った貴之だ。恐れ多いことだが、そんなことは気に止めないのかも知れない。
とにかくも藤尾に支度を手伝わせながら、源次郎は妙に落ち着いていた。昼間あの場にいあわせたことで、かえって肝が据わったようだ。
やがて、貴之がやってきた。火鉢のそばに座って源次郎の挨拶を受けると、かすれた声で言った。
「話をしたくて来た。忌日だが、それならよかろう」
そう言って、ちらりと視線を藤尾に投げる。有無を言わせない威厳。藤尾は追われるように部屋を出て行った。
「昼間は、すまなかった」
源次郎と二人きりになると、貴之は源次郎を膝がふれあうほど近くに呼び、まず謝った。
「まったく、由貴の言う通りだった。お前にはなんの罪もない。大人気ないことをした」
貴之は深く頭を下げた。猛々しく怒鳴っていたかと思えば、家臣にも頭を下げる。普通、高貴な身分の者はこんなにも素直に感情を出さない。謝るにしても、せいぜい会釈程度だ。
その型破りさに面食らいつつ、源次郎は目の前の貴之に、昼間とは違う感情の震えを感じた。なりふり構わず想う相手の心を求め、あえぎもがき暴れる貴之の人間くささが、かなしくもかわいらしい。
「もったいないお言葉。うれしゅうございます」
「許してくれるか」
源次郎の瞳をまっすぐに見つめる貴之の瞳は、真っ赤に充血していた。
「許すなど、恐れ多い」
貴之はふっと息をついた。
「お前は、いわば当て馬だったのだぞ? それでもか」
源次郎はうなずいた。衝撃でなかったと言えば嘘だ。だがもういい、と源次郎は思う。こうして貴之から謝罪の言葉も聞けた今、もうこれまでのことは水に流そう。
「望めば、御伽衆の職を免じここから出してやるが、どうする?」
貴之の言葉に、さすがに源次郎は躊躇した。源次郎を見る貴之の目が、少し笑っている。どうせお前もここを離れたいのだろう、とでも言いたげに。
ここで引き下がるのは、なんだか悔しい。
「……どうかこのまま、置いて下さいませ」
源次郎は両手をついて頼んだ。はかなく微笑み、さらばと言った由貴の行く末を、貴之の心の落ち着く先を、見守りたかった。
ここで生きていこう。
「なにか別の職を与えてもよいのだぞ? 今後も御伽衆として、ということでよいのか?」
貴之は源次郎の返事を意外に思ったようだ。身を乗り出して尋ねるのに、源次郎は笑顔を作った。
「よろしゅうござります。どうか今後とも、よろしくお願いいたします」
貴之は源次郎の顔を見据え、しばらく言葉もない。決意のほどを探られているようで、源次郎はこわばりそうになる笑みを崩すまいとした。
「……分かった、気が変わったらいつでも言え」
やがてそう言うと、貴之はようやく笑った。
「話せてよかった、今宵はこれで切り上げよう」
貴之はさっと立ち上がり、部屋を出た。源次郎は見送るべく、あとに従う。
「また来る」
昼間の暖かさが嘘のように、夜の廊下は冷えきっている。廊下の壁に点々とともる、ろうそくの火さえ恋しく思えるほどだ。貴之はそんな中を、ゆっくりと歩いて中奥へと戻っていく。
供も連れず、一人帰っていく毅然とした背中。あの方の真の姿を、もっとちゃんと知りたい、と源次郎は思った。
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