やがて来る春に

天渡清華

文字の大きさ
10 / 25
第二章

その二 三

しおりを挟む
 夕餉のあと、源次郎がこたつにあたって茶をすすっていると、藤尾があわてて転がりこむ勢いで部屋に入ってきた。
「なんだ、どうした」
「殿が、殿がお越しでございます」
 藤尾があまりにも慌てているので問うと、本来なら今日は先々代の正室の月命日で忌日にあたるという。房事は慎むべき日なのだ。
 昼に由貴に対して、抱きたいから一緒に来い、などと言い放った貴之だ。恐れ多いことだが、そんなことは気に止めないのかも知れない。
 とにかくも藤尾に支度を手伝わせながら、源次郎は妙に落ち着いていた。昼間あの場にいあわせたことで、かえって肝が据わったようだ。
 やがて、貴之がやってきた。火鉢のそばに座って源次郎の挨拶を受けると、かすれた声で言った。
「話をしたくて来た。忌日だが、それならよかろう」
 そう言って、ちらりと視線を藤尾に投げる。有無を言わせない威厳。藤尾は追われるように部屋を出て行った。
「昼間は、すまなかった」
 源次郎と二人きりになると、貴之は源次郎を膝がふれあうほど近くに呼び、まず謝った。
「まったく、由貴の言う通りだった。お前にはなんの罪もない。大人気ないことをした」
 貴之は深く頭を下げた。猛々しく怒鳴っていたかと思えば、家臣にも頭を下げる。普通、高貴な身分の者はこんなにも素直に感情を出さない。謝るにしても、せいぜい会釈程度だ。
 その型破りさに面食らいつつ、源次郎は目の前の貴之に、昼間とは違う感情の震えを感じた。なりふり構わず想う相手の心を求め、あえぎもがき暴れる貴之の人間くささが、かなしくもかわいらしい。
「もったいないお言葉。うれしゅうございます」
「許してくれるか」
 源次郎の瞳をまっすぐに見つめる貴之の瞳は、真っ赤に充血していた。
「許すなど、恐れ多い」
 貴之はふっと息をついた。
「お前は、いわば当て馬だったのだぞ? それでもか」
 源次郎はうなずいた。衝撃でなかったと言えば嘘だ。だがもういい、と源次郎は思う。こうして貴之から謝罪の言葉も聞けた今、もうこれまでのことは水に流そう。
「望めば、御伽衆の職を免じここから出してやるが、どうする?」
 貴之の言葉に、さすがに源次郎は躊躇した。源次郎を見る貴之の目が、少し笑っている。どうせお前もここを離れたいのだろう、とでも言いたげに。
 ここで引き下がるのは、なんだか悔しい。
「……どうかこのまま、置いて下さいませ」
 源次郎は両手をついて頼んだ。はかなく微笑み、さらばと言った由貴の行く末を、貴之の心の落ち着く先を、見守りたかった。
 ここで生きていこう。
「なにか別の職を与えてもよいのだぞ? 今後も御伽衆として、ということでよいのか?」
 貴之は源次郎の返事を意外に思ったようだ。身を乗り出して尋ねるのに、源次郎は笑顔を作った。
「よろしゅうござります。どうか今後とも、よろしくお願いいたします」
 貴之は源次郎の顔を見据え、しばらく言葉もない。決意のほどを探られているようで、源次郎はこわばりそうになる笑みを崩すまいとした。
「……分かった、気が変わったらいつでも言え」
 やがてそう言うと、貴之はようやく笑った。
「話せてよかった、今宵はこれで切り上げよう」
 貴之はさっと立ち上がり、部屋を出た。源次郎は見送るべく、あとに従う。
「また来る」
 昼間の暖かさが嘘のように、夜の廊下は冷えきっている。廊下の壁に点々とともる、ろうそくの火さえ恋しく思えるほどだ。貴之はそんな中を、ゆっくりと歩いて中奥へと戻っていく。
 供も連れず、一人帰っていく毅然とした背中。あの方の真の姿を、もっとちゃんと知りたい、と源次郎は思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

僕の、しあわせ辺境暮らし

  *  ゆるゆ
BL
雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。 ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります! ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

路地裏の王子様と秘密のカフェ ―10年ぶりに再会した親友はトップアイドルでした―

たら昆布
BL
大学生の千秋がバイト帰りの路地裏で助けたのは、今をときめくアイドル『GALAXY』のセンター、レオだった。 以来、レオは変装して千秋の働くカフェへ毎日通い詰めるようになる。 ​「千秋に会うと疲れなんて全部消えちゃうんだ」 トップアイドルとは思えないほど素直に懐いてくるレオに、千秋は戸惑いながらも多忙な彼を支えたいと願うようになる。 ​しかし、千秋はまだ知らない。 レオが10年前に「また絶対会おう」と約束して別れた泣き虫な親友の玲央本人だということに。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

処理中です...