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第三章
その二 二
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「小島、いないのか」
ふいに、田山の声が襖越しに聞こえた。由貴は身体を起こそうとしたが、めまいがし首を枕から起こすことすらできない。
「失礼いたす」
抑えた声とともに、部屋の襖が静かに開かれる。
「おお、気づかれたか」
由貴はぼんやりうなずいた。無言で見ていると、影が動いて田山の背後から音もなく貴之が現れた。目を覚ました由貴にも表情を動かさず、枕元にあぐらをかいて座る。
「田山、下がっておれ」
疲れが色濃い顔で、貴之は押し出すような低く太い声でつぶやく。
「かわいそうに、たった二日でこんなにやつれて……」
田山がいなくなると、途端に貴之はか細い声で言った。これまでに聞いたこともない、弱った声。
由貴は言葉もなく、そっと目を伏せた。なんの覚悟もできないまま、貴之と対面することになってしまった。
貴之は、なにも言わない。ただただ、由貴を見つめる。その視線のあまりの深さと優しさが、由貴にはいたたまれない。
「……ふれてもいいか」
小さく、つぶやく。なにかを恐れるように細められる瞳。
「殿、なにをおおせられます」
由貴はそう応え、微笑んだ。何事もなかったかのようなふるまいは、はたして正しかったのか。言った後で少し後悔したが、もう遅い。
貴之もまた、わずかに唇を緩めて笑った。布団から出した手に遠慮がちに貴之の指がふれ、そっと握る。
「苦しかろうな」
熱で乾いた熱い肌を、そろそろと貴之の先細りの指先がなでる。同時に貴之は、由貴のほつれ髪を左手でなでつけ、頬を包むとそっと手を離した。
やはり、貴之はすべて分かっている。由貴は耐えきれず目を閉じた。貴之が小さくため息をつく気配。
「お前は、本当に美しいな」
ふわりと舞い降りるような、優しい声。あんなことがあった後に、なぜそんな言葉が言えるのか。貴之の想いはなお、変わらないというのか。
由貴は眉間に皺が寄るほど、閉じた目をさらにきつく閉じた。今、泣くべきではない。
「……もうしばらくすれば、根雪もなくなるだろう」
ぽつ、とはかなく、由貴の耳もとに言葉が落とされる。なにを言いたいのかはかりかね、由貴はうっすらと目を開けて貴之を見上げた。
「また来る」
早口に、前の言葉が消えないうちに貴之は言い、由貴の存在を確かめるようにその顔を一瞬見つめると、部屋を出て行った。
由貴の唇から、弱々しいため息が漏れる。
また、春がやってくる。二度と迎えるまいと決めた春が、死に損ねたこの身にいつもと変わらず華やいだ姿をあらわす。
小島は戻ってこない。だが、夢の中から琢馬が呼びかけているのに、引きこまれそうだ。
にぎやかな江戸の春を、琢馬は物珍しそうに、しかしどこかおどおどしながら歩く。貴之の乗物に気づくのが遅れて、あわてて道を譲り、頭を下げる。
貴之も、こうして夢に逃げることがあるだろうか。きっとあるだろう。貴之が強いばかりの男ではないのは、よく知っている。
過ぎ行く乗物の戸が突然開き、陸尺が慌てる。乗物から身を乗り出した貴之が振り返り、笑った。夢でまで貴之を苦しめているとは、思いたくなかった。
ふいに、田山の声が襖越しに聞こえた。由貴は身体を起こそうとしたが、めまいがし首を枕から起こすことすらできない。
「失礼いたす」
抑えた声とともに、部屋の襖が静かに開かれる。
「おお、気づかれたか」
由貴はぼんやりうなずいた。無言で見ていると、影が動いて田山の背後から音もなく貴之が現れた。目を覚ました由貴にも表情を動かさず、枕元にあぐらをかいて座る。
「田山、下がっておれ」
疲れが色濃い顔で、貴之は押し出すような低く太い声でつぶやく。
「かわいそうに、たった二日でこんなにやつれて……」
田山がいなくなると、途端に貴之はか細い声で言った。これまでに聞いたこともない、弱った声。
由貴は言葉もなく、そっと目を伏せた。なんの覚悟もできないまま、貴之と対面することになってしまった。
貴之は、なにも言わない。ただただ、由貴を見つめる。その視線のあまりの深さと優しさが、由貴にはいたたまれない。
「……ふれてもいいか」
小さく、つぶやく。なにかを恐れるように細められる瞳。
「殿、なにをおおせられます」
由貴はそう応え、微笑んだ。何事もなかったかのようなふるまいは、はたして正しかったのか。言った後で少し後悔したが、もう遅い。
貴之もまた、わずかに唇を緩めて笑った。布団から出した手に遠慮がちに貴之の指がふれ、そっと握る。
「苦しかろうな」
熱で乾いた熱い肌を、そろそろと貴之の先細りの指先がなでる。同時に貴之は、由貴のほつれ髪を左手でなでつけ、頬を包むとそっと手を離した。
やはり、貴之はすべて分かっている。由貴は耐えきれず目を閉じた。貴之が小さくため息をつく気配。
「お前は、本当に美しいな」
ふわりと舞い降りるような、優しい声。あんなことがあった後に、なぜそんな言葉が言えるのか。貴之の想いはなお、変わらないというのか。
由貴は眉間に皺が寄るほど、閉じた目をさらにきつく閉じた。今、泣くべきではない。
「……もうしばらくすれば、根雪もなくなるだろう」
ぽつ、とはかなく、由貴の耳もとに言葉が落とされる。なにを言いたいのかはかりかね、由貴はうっすらと目を開けて貴之を見上げた。
「また来る」
早口に、前の言葉が消えないうちに貴之は言い、由貴の存在を確かめるようにその顔を一瞬見つめると、部屋を出て行った。
由貴の唇から、弱々しいため息が漏れる。
また、春がやってくる。二度と迎えるまいと決めた春が、死に損ねたこの身にいつもと変わらず華やいだ姿をあらわす。
小島は戻ってこない。だが、夢の中から琢馬が呼びかけているのに、引きこまれそうだ。
にぎやかな江戸の春を、琢馬は物珍しそうに、しかしどこかおどおどしながら歩く。貴之の乗物に気づくのが遅れて、あわてて道を譲り、頭を下げる。
貴之も、こうして夢に逃げることがあるだろうか。きっとあるだろう。貴之が強いばかりの男ではないのは、よく知っている。
過ぎ行く乗物の戸が突然開き、陸尺が慌てる。乗物から身を乗り出した貴之が振り返り、笑った。夢でまで貴之を苦しめているとは、思いたくなかった。
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