やがて来る春に

天渡清華

文字の大きさ
16 / 25
第三章

その二 四

しおりを挟む
「源次郎様、目を覚まされましたよ」
 小島の声に顔を向けると、そこには源次郎のとまどうような笑みがあった。
 源次郎が来るまで起きているつもりだったが、どうやらいくらか眠ったらしい。由貴は源次郎に、やつれた笑顔を向けた。
「もっと早くにお見舞いをと思っておりましたが、御典医のお許しがなかなか下りず、ご無沙汰いたしました。お加減はいかがでござりますか」
 起き上がろうとする由貴を、すかさず小島が支えてくれる。綿入れが着せかけられる。起きるとまだ頭が重いが、それでも確実に身体の調子は戻りつつあった。
「みかんをありがとう。あとは治っていくばかりだろうと、自分でも思い始めたところだ」
「それはよろしゅうござりました。一時はそのみかんすら口にできなかったとうかがい、心配しておりましたが、こうしてお顔を見て安心いたしました」
 源次郎はそう言ってようやく、いつものような明るく屈託ない笑みを浮かべた。
「殿を頼む」
 言葉を重ねて遠回しに訊くのはもどかしく、由貴はいきなり言った。
「それがしにできる限りのことはいたそうと思っております」
 途端に恥ずかしげに目を伏せる源次郎。つぶやくように言い、由貴に深々と頭を下げる。
 どうやら、源次郎と貴之の仲は想像以上らしい。それは由貴にとって、なによりの救いだ。
「それがし、由貴様がうらやましゅうござります」
 素直に思いを口にする源次郎を、由貴は好ましく思った。この素直さが、貴之の心をやわらげるに違いない。
「……なにが、うらやましい」
 心の底にたまった澱のような懺悔が、そのまま声になった。
「どうすればよろしゅうござりますか」
 ひるむことなく見つめてくる瞳。その真剣さを、微笑みで受ける。
「分からんのだ。なぜ、こんな男を十年もの間、いつくしんで下さったのか」
「殿は、一目惚れだったとおっしゃいました。でも結局、俺が惚れた笑顔を一度も見ることはできなかったと」
 源次郎の瞳には、かすかに責めるような色さえ浮かんでいる。由貴は笑みを深くした。もう互いに、余計な言葉は不要だ。あとを源次郎に託して、ここを出よう。
「どうか、殿をよろしく頼む」
 由貴の言葉を受け、源次郎は少し怒ったようにも見える表情で、黙って頭を下げた。
「それがしは、ずっと殿のおそばにあろうと、心に決めました」
 少しの沈黙の後そう言った声がかすれたのは、固い決意のあまりだろうか。
 由貴もただ無言でうなずき、源次郎は去った。見舞いというよりは、まるで引き継ぎの強要のようだった。
 残された由貴はひとり、肩を揺らして笑う。桜舞い散る風景を、脳裏に浮かべながら。

 いよいよ由貴が湯治に出かける日がやってきた。風は軽やかに自在に舞い、日の光も力を得て、日々春を呼んでいる。もうしばらくすれば、春を謳歌すべく、花という花がいっせいに咲くだろう。何度味わっても、春の歓びは薄れることがない。
 由貴が旅支度の小島に付き添われて御伽衆御殿の裏口に行くと、そこには御伽衆頭の田山をはじめとした、御殿で働く主だった者達が揃い、その中心に貴之がいた。
「これは……。大勢でのお見送り、まことに恐れ入ります」
「しっかり身体を治して、帰ってくるのだぞ」
 貴之の言葉に、由貴を取り巻く人々がうなずく。 
「お言葉に甘え、ゆっくり身体を癒してまいります」
 小島に支えられながら由貴は深々と一礼し、顔を上げると源次郎の顔を思いをこめて見つめた。そのほんの一瞬に、すべてが伝わったような気がした。その代わり貴之の顔は、まともに見ることができない。
「さあ、もうそろそろ行け」
 貴之に背中を押され、由貴は裏口に横づけされた乗物に乗りこむ。溶けるように離れていく指の感触が、由貴の心に確かな刻印を残す。
「では道中頼んだぞ、琢馬」
 鼓膜をたたくその名に、思わず由貴は戸が閉められた乗物の中で周囲を見回した。
「かしこまりました」
 確かに、琢馬の声がした。参ろう、という低く張りのある声を合図に、乗物が動き出す。
 由貴はしばらく、ただ呆然と乗物に揺られた。考えられることも、その意味も一つしかない。
 今、乗物のすぐ横を、琢馬がつき添って歩いている。
 これが、貴之の出した答えだというのだ。
「おお、梅がほころんでおりまするぞ」
 心なしか晴れやかな琢馬の声。嗚咽をこらえ顔を涙で濡らしながら、それでも由貴は乗物の進みゆく先を思い、微笑んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

僕の、しあわせ辺境暮らし

  *  ゆるゆ
BL
雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。 ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります! ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

路地裏の王子様と秘密のカフェ ―10年ぶりに再会した親友はトップアイドルでした―

たら昆布
BL
大学生の千秋がバイト帰りの路地裏で助けたのは、今をときめくアイドル『GALAXY』のセンター、レオだった。 以来、レオは変装して千秋の働くカフェへ毎日通い詰めるようになる。 ​「千秋に会うと疲れなんて全部消えちゃうんだ」 トップアイドルとは思えないほど素直に懐いてくるレオに、千秋は戸惑いながらも多忙な彼を支えたいと願うようになる。 ​しかし、千秋はまだ知らない。 レオが10年前に「また絶対会おう」と約束して別れた泣き虫な親友の玲央本人だということに。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

処理中です...