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第四章
その一 四
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身体を重ねあうほどに、肌がなじんでいくのが分かる。受け入れる苦痛よりも快楽が勝るようになり、貴之の腕の中で余韻に浸る楽しみを、源次郎は覚え始めた。
人肌のぬくもりがこんなにもあたたかく、安らげるものだとは知らなかった。貴之の胸に顔を寄せ、ゆったりした鼓動を聞く。肌をなぞり、自分を抱きしめてくれている腕の力強さを確かめる。満ち足りた心は、心地よく湯の中で揺られているかのようだ。
源次郎、と名を呼ぶ声が、眠気でたるんでいる。源次郎は小さく微笑んで、顔を上げた。
期待通りの、甘くたゆたう口づけ。もうすっかりとろかされて、あとに残るのは抱きあって眠る幸せだけだ。
源次郎は甘えるように貴之にもっと寄り添った。ほんの一月前にはそんなことなどとてもできなかった自分を、源次郎はもう忘れてしまっている。
「あのな……」
源次郎の甘えを受け止め、ふわりと抱き直しながら貴之。
「雪が解けたら、由貴を湯治にやることにした」
「え……?」
一瞬、なにを言われたのか分からなかった。貴之になにもかもを預けすぎ、安心しすぎて、五感もふわふらとあいまいになってしまうのだ。
「お前のおかげで、ようやくそういう気になれた。想いのあらわし方は、一つではないしな」
「殿……」
「ずっと、分かってはいたのだ……」
顔をゆがめる貴之の背を、源次郎は思いをこめて一心になでた。
「殿、もうお眠りになっては?」
うん、と幼くうなずき、貴之は笑みを取り戻す。源次郎は本当のところ、つらそうな貴之の姿を、ほんのわずかでも見ていたくなかった。由貴への深すぎる想いが透けて見えるのが、嫌なのかも知れない。
貴之が布団の上に伸ばした腕を置くと、源次郎は当然のようにその腕を枕にして貴之に身を寄せた。
「いいものだな」
しみじみしたつぶやきの意味が分からず、源次郎は微笑む貴之を見上げる。
「こんな些細なことにも、俺は喜びを感じられる。ありがとう」
礼を言われても、なにに感謝されているのか分からない。首をかしげると、貴之は破顔した。
「これからも、遠慮は無用だぞ」
「あ、あの、失礼いたしました、つい……」
当たり前に腕枕をしてしまったのが、さすがに慣れ慣れしかったのかも知れない。やっとそれに気づいて、源次郎は頭をどけようとした。
「いや、いいんだ。俺はうれしい」
貴之の笑顔に、言葉をなくす。そんなにも苦しかったのかと、胸が痛んだ。いったい、貴之と由貴は、どんな夜を重ねてきたのか。どうすれば、そこまで想われるのか。想えるのか。
源次郎はやるせなさに、子供のようにべったりと貴之に抱きついた。
「……殿、それがしはずっと、ここにおります」
小さく胸に押しつけた言葉。貴之はただ腕に力をこめることで、返した。
翌日、源次郎はやっと典医からも許しが出て、由貴を見舞いに行った。ところが、先に知らせていた刻限どおりに訪ねると、由貴は眠っていた。よくなってきたとはいえ、かなり体力を消耗していて、まださほど物も食べられず、眠っていることが多いという。
源次郎は由貴の寝所に通され、しばらく由貴の寝顔を見つめた。
すっかりやつれた、青白い顔。それでもやはり、その寝顔は整って美しい。つい手を伸ばしたくなるような、色気がある。貴之はおそらく、そういうところにも魅かれたのだろう。
由貴は由貴。自分は自分。そう割り切ることが、なかなかできそうにない。由貴の存在は、あらゆる意味で大きい。暗い感情を持たずにはいられない。貴之のこころの大部分はまだ、由貴にとらわれている。
だが、貴之がそこまで由貴に執着したからこそ、源次郎がここに呼ばれたのだとも言えた。由貴が貴之に応えていれば、源次郎は今ここにはいないだろう。それを思えば、むしろ由貴に感謝しなければならないのかも知れない。
とはいえ、貴之を傷つけ、苦しめ続けた由貴を、責めたい気持ちもある。他人にこんな思いを抱いたのは初めてで、その相手が由貴だということが、よけいに源次郎をとまどわせていた。
「源次郎様、目を覚まされましてございますよ」
小島の声にはっとして由貴を見る。源次郎はうずまく思いを隠すのに苦労し、ぎこちなく笑った。すると由貴も、瞳を細めやつれた顔でまぶしそうに笑みを返す。
「もっと早くにお見舞いをと思っておりましたが、御典医のお許しがなかなか下りず、ご無沙汰いたしました。お加減はいかがでござりますか」
なんとかそつなく、見舞いの言葉を言えた。確か最後に会ったのは、一月ほど前だったはずだ。あの時の由貴の笑みが、いまだに忘れられない。今思えばあの日、由貴はみかんもむけないほど動揺していた。さすがに、決意はしていても心乱れていたのだろう。
その決意が貴之にどれほどの衝撃を与えるか、隠された貴之の弱さを由貴が知らないはずはない。そんなことになる前に、なんとかできなかったのだろうか。貴之も由貴も、まっすぐで不器用すぎる。
「みかんをありがとう。あとは治っていくばかりだろうと、自分でも思い始めたところだ」
田山は見舞いの品も不要だと言ったが、源次郎は母親からの差し入れのみかんを藤尾に持たせてやった。藤尾があまりにおろおろしているので、由貴のもとに行く口実を作ってやったのだ。
「それはよろしゅうござりました。一時はそのみかんすら口にできなかったとうかがい、心配しておりましたが、こうしてお顔を見て安心いたしました」
由貴の笑みは澄んで、解放感に満ちているように見えた。多少腹立たしさにも似た思いを感じないでもなかったが、由貴には重荷だったものも、自分にはこの上ない幸せを与えてくれる。喜んで引き受けようと、源次郎は改めて決意した。貴之もそれを、喜んでくれている。
「殿を頼む」
いきなりの言葉に、源次郎は驚いた。心中を見透かされたかのようで、恥ずかしかった。
「それがしにできる限りのことはいたそうと思っております」
思わずこそこそとつぶやくように言い、由貴に深々と頭を下げる。由貴への敬意を、あらわしたつもりだった。どうあがいても由貴を超えられないのは明らかで、悔しく、うらやましい。
その思いをそのまま口にすると、由貴は静かに微笑んだ。瞳が、急に翳る。なにかに耐えるように目を閉じ、由貴は言った。
「……なにが、うらやましい」
感情があざやかな、重く硬い声。由貴も、つらい。それは分かっている。けれど、もう少しうまく、なんとかできなかったのか。貴之は、過ちを繰り返したくないと言った。
「どうすればよろしゅうござりますか」
「分からぬのだ。なぜ、こんな男を十年もの間、いつくしんで下さったのか」
それは由貴の本心のようだった。疲れが、その笑みに浮かんだ。
「殿は、一目惚れだったとおっしゃいました。でも結局、俺が惚れた笑顔を一度も見ることはできなかったと」
「どうか、殿をよろしく頼む」
それだけを言う由貴に、源次郎は逃げられたと感じた。
「それがしは、ずっと殿のおそばにあろうと、心に決めました」
つい感情があらわになったことに、源次郎は気づかなかった。強い決意が、源次郎の心をほてらせていた。
人肌のぬくもりがこんなにもあたたかく、安らげるものだとは知らなかった。貴之の胸に顔を寄せ、ゆったりした鼓動を聞く。肌をなぞり、自分を抱きしめてくれている腕の力強さを確かめる。満ち足りた心は、心地よく湯の中で揺られているかのようだ。
源次郎、と名を呼ぶ声が、眠気でたるんでいる。源次郎は小さく微笑んで、顔を上げた。
期待通りの、甘くたゆたう口づけ。もうすっかりとろかされて、あとに残るのは抱きあって眠る幸せだけだ。
源次郎は甘えるように貴之にもっと寄り添った。ほんの一月前にはそんなことなどとてもできなかった自分を、源次郎はもう忘れてしまっている。
「あのな……」
源次郎の甘えを受け止め、ふわりと抱き直しながら貴之。
「雪が解けたら、由貴を湯治にやることにした」
「え……?」
一瞬、なにを言われたのか分からなかった。貴之になにもかもを預けすぎ、安心しすぎて、五感もふわふらとあいまいになってしまうのだ。
「お前のおかげで、ようやくそういう気になれた。想いのあらわし方は、一つではないしな」
「殿……」
「ずっと、分かってはいたのだ……」
顔をゆがめる貴之の背を、源次郎は思いをこめて一心になでた。
「殿、もうお眠りになっては?」
うん、と幼くうなずき、貴之は笑みを取り戻す。源次郎は本当のところ、つらそうな貴之の姿を、ほんのわずかでも見ていたくなかった。由貴への深すぎる想いが透けて見えるのが、嫌なのかも知れない。
貴之が布団の上に伸ばした腕を置くと、源次郎は当然のようにその腕を枕にして貴之に身を寄せた。
「いいものだな」
しみじみしたつぶやきの意味が分からず、源次郎は微笑む貴之を見上げる。
「こんな些細なことにも、俺は喜びを感じられる。ありがとう」
礼を言われても、なにに感謝されているのか分からない。首をかしげると、貴之は破顔した。
「これからも、遠慮は無用だぞ」
「あ、あの、失礼いたしました、つい……」
当たり前に腕枕をしてしまったのが、さすがに慣れ慣れしかったのかも知れない。やっとそれに気づいて、源次郎は頭をどけようとした。
「いや、いいんだ。俺はうれしい」
貴之の笑顔に、言葉をなくす。そんなにも苦しかったのかと、胸が痛んだ。いったい、貴之と由貴は、どんな夜を重ねてきたのか。どうすれば、そこまで想われるのか。想えるのか。
源次郎はやるせなさに、子供のようにべったりと貴之に抱きついた。
「……殿、それがしはずっと、ここにおります」
小さく胸に押しつけた言葉。貴之はただ腕に力をこめることで、返した。
翌日、源次郎はやっと典医からも許しが出て、由貴を見舞いに行った。ところが、先に知らせていた刻限どおりに訪ねると、由貴は眠っていた。よくなってきたとはいえ、かなり体力を消耗していて、まださほど物も食べられず、眠っていることが多いという。
源次郎は由貴の寝所に通され、しばらく由貴の寝顔を見つめた。
すっかりやつれた、青白い顔。それでもやはり、その寝顔は整って美しい。つい手を伸ばしたくなるような、色気がある。貴之はおそらく、そういうところにも魅かれたのだろう。
由貴は由貴。自分は自分。そう割り切ることが、なかなかできそうにない。由貴の存在は、あらゆる意味で大きい。暗い感情を持たずにはいられない。貴之のこころの大部分はまだ、由貴にとらわれている。
だが、貴之がそこまで由貴に執着したからこそ、源次郎がここに呼ばれたのだとも言えた。由貴が貴之に応えていれば、源次郎は今ここにはいないだろう。それを思えば、むしろ由貴に感謝しなければならないのかも知れない。
とはいえ、貴之を傷つけ、苦しめ続けた由貴を、責めたい気持ちもある。他人にこんな思いを抱いたのは初めてで、その相手が由貴だということが、よけいに源次郎をとまどわせていた。
「源次郎様、目を覚まされましてございますよ」
小島の声にはっとして由貴を見る。源次郎はうずまく思いを隠すのに苦労し、ぎこちなく笑った。すると由貴も、瞳を細めやつれた顔でまぶしそうに笑みを返す。
「もっと早くにお見舞いをと思っておりましたが、御典医のお許しがなかなか下りず、ご無沙汰いたしました。お加減はいかがでござりますか」
なんとかそつなく、見舞いの言葉を言えた。確か最後に会ったのは、一月ほど前だったはずだ。あの時の由貴の笑みが、いまだに忘れられない。今思えばあの日、由貴はみかんもむけないほど動揺していた。さすがに、決意はしていても心乱れていたのだろう。
その決意が貴之にどれほどの衝撃を与えるか、隠された貴之の弱さを由貴が知らないはずはない。そんなことになる前に、なんとかできなかったのだろうか。貴之も由貴も、まっすぐで不器用すぎる。
「みかんをありがとう。あとは治っていくばかりだろうと、自分でも思い始めたところだ」
田山は見舞いの品も不要だと言ったが、源次郎は母親からの差し入れのみかんを藤尾に持たせてやった。藤尾があまりにおろおろしているので、由貴のもとに行く口実を作ってやったのだ。
「それはよろしゅうござりました。一時はそのみかんすら口にできなかったとうかがい、心配しておりましたが、こうしてお顔を見て安心いたしました」
由貴の笑みは澄んで、解放感に満ちているように見えた。多少腹立たしさにも似た思いを感じないでもなかったが、由貴には重荷だったものも、自分にはこの上ない幸せを与えてくれる。喜んで引き受けようと、源次郎は改めて決意した。貴之もそれを、喜んでくれている。
「殿を頼む」
いきなりの言葉に、源次郎は驚いた。心中を見透かされたかのようで、恥ずかしかった。
「それがしにできる限りのことはいたそうと思っております」
思わずこそこそとつぶやくように言い、由貴に深々と頭を下げる。由貴への敬意を、あらわしたつもりだった。どうあがいても由貴を超えられないのは明らかで、悔しく、うらやましい。
その思いをそのまま口にすると、由貴は静かに微笑んだ。瞳が、急に翳る。なにかに耐えるように目を閉じ、由貴は言った。
「……なにが、うらやましい」
感情があざやかな、重く硬い声。由貴も、つらい。それは分かっている。けれど、もう少しうまく、なんとかできなかったのか。貴之は、過ちを繰り返したくないと言った。
「どうすればよろしゅうござりますか」
「分からぬのだ。なぜ、こんな男を十年もの間、いつくしんで下さったのか」
それは由貴の本心のようだった。疲れが、その笑みに浮かんだ。
「殿は、一目惚れだったとおっしゃいました。でも結局、俺が惚れた笑顔を一度も見ることはできなかったと」
「どうか、殿をよろしく頼む」
それだけを言う由貴に、源次郎は逃げられたと感じた。
「それがしは、ずっと殿のおそばにあろうと、心に決めました」
つい感情があらわになったことに、源次郎は気づかなかった。強い決意が、源次郎の心をほてらせていた。
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