泉界のアリア

佐宗

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第二部 虚構の楽園

20世界のほころび②

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 エベールは指を舐め、裂け目の中にかざしてみた。
 濡れた人指し指に、微かに風の感触がある気がする。気のせいだろうか?

 ルゥはこれを見つけて興奮していたのだろう。
 と納得して振り返ると、当のルゥは探検ごっこに最適なその洞窟など眼中にないように、ぺたんと座って両手に握りこんだ何かを見つめている。

「たからもの見つけちゃったあ……、ここにおちてたの。うふふ」
「宝物?この洞窟のことじゃなくて?いったい何を見つけたの」

 エベールは今一度王女に近づき、誇らしげに両手で突き出された“宝物”を覗き込んだ。
「……何だコレ。ごみじゃないか。汚いな」
 エベールは退いた。泥で汚れている。こんなものを宝という子供の感覚は理解不能だ。

「ごみじゃないもん、ルゥが見つけたたからものだもん。……でもこれ、ホントなにかなあ」

 ルゥは異母兄の言い草に口を尖らせながらも首をかしげた。
 かなり土にまみれているが、金属製らしい“何か”。

 丸くて、平べったく、厚みは小指の頭ほどもない。大きさは、小さなルゥの手の平ぐらいか。
 その平べったい上面ガラスの中に太い針が入っており、それがルゥの手のかすかな振動でゆらゆらと揺れていた。

 それは地上界テベルの人間が用いる、『方位磁針』と呼ばれるものであった。
 しかし冥界から外に出たことの無い彼らには、それが何を意味するものなのかは判らなかった。

「これ、なにかなあ……針がふよふよしてる。ねえエベールにいさま、なんだと思う?」
「……」

 エベールはルゥの“宝物”と、目の前に広がる上り坂になった“洞窟”を、ある一つの可能性に思いを来たしながら交互に見つめていた。

「……ルゥ、それ、本当に、ここに……この洞窟の前に、落ちてたんだよね?」
 エベールは一言一言区切りながら確認した。

 彼はそれを最初はゴミと云ったが、内心ですぐ前言を撤回していた。
 明らかに冥界の産物ではないと、悟ったのだ。
 何かは知らないが、これは、地上界の、人間の持ち物だ。
 ならば。

(この裂け目、もしかしたら、いや、おそらく……、地上界テベルに、繋がっているのか……!?)

 大変な衝撃だった。
 冥界において、地上への出入り口は、暗黒界の最果て<三途の河ステュクス>の向こうにしかない。

 そこはつねに冥界軍が守備しており、死者の魂と精霊以外には通行が許されない、絶対の関所である。
 さらにそこに至るまでには暗黒界の三つの砦をも通過せねばならず、一般の魔族はおろか黒天馬を持つ王子エベールでさえ忍び抜けるのは困難だ。

 人間も魔族も、生きて三途の河を越え二界を行き来することは許されないのだ。
 その遥かに遠いと思われた地上界が、この固そうな行き止まりの壁を隔てて、何とすぐ間近に存在していたとは!

 しかもこの裂け目は、見たところ少しずつ地殻が変動して広がったもののようである。
 向こう側から、何者かが穴を掘ったようには見えない。明らかに人の手による穴ではない。
 そして見渡す限りでは侵入者……つまり地上の民がこの疑似天に入り込んだ形跡もない。

 この“宝物”も、落ちてきてだいぶ時間が経過しているようだ。おそらく、誰かが落としたか風に飛ばされたかで、偶然コロコロと傾斜した穴に入り込みここまで落ちてきたと思われた。

 これは、自然にできた穴なのだ。

 大変なことになったぞ……、とエベールは唾を呑んだ。

 この穴を早く塞がなければ、いつなんどき地上界の人間があやまって(もしくは故意に?)侵入してこないとも限らない。このまま放置しておくわけにはいかない。

 万一この洞窟の先、地上界側の出口にもこれほどの大きさの穴が開いていたとして、そこからたくさんの地上人が侵入してきた場合、この疑似天にはそれを防ぐための軍備がないのだ。
 当たり前である。ここは王女のための小さな箱庭でしかない。だれが外敵の侵入を想定し得るだろうか。

「ねえねえ、にいさま、エベールにいさまってばぁ」
 王女が袖をくいくいと引っ張ってきた。

「どうしたの?ぼんやりして、へんなの」
「あ、ああ、ごめんごめん……」
「これさあ、ナシェルにいさまか、とおさまに聞いたら、何なのかわかるかなあ? 今度きいてみよっと」

 王女は“宝物”を大事そうにドレスの前ポケットに仕舞う。
 エベールは異母兄の名を聞き瞬時に首を振った。

「ルゥ、だめだ」
「ふぇ?」
「いいかい、よく聞いて」

 エベールは腰を落として妹に視線の高さをそろえた。まがい物には見えない、ルゥの美しい緑の瞳がきょとんと彼を見返してくる。
 本来ならば彼女の瞳は地上界の夜空のような藍青色なのだ。
 異母兄のこざかしい小細工によって、今は瞳の色を変えられている……。

 「ルーシェ、このことは僕たち二人だけの秘密にしよう。この宝物のことも、ここにある洞窟のことも、誰にもしゃべっちゃだめだ。ここはルーシェと僕だけの秘密の場所にしよう」
「え? アシュタルにも、サリーにもしゃべっちゃだめなの?」
「そう。そして兄上にも父上にも内緒だよ。秘密の隠れ家にしよう。楽しそうだろ?」
「んー……」

 せっかくの宝物を見せびらかしたい気持ちと、目の前にちらつかされた“秘密の隠れ家”という甘美な響きを両天秤にかけて、しばし彼女は瞳に葛藤を覗かせていたが、やがてこくんと頷いた。

「わかった。誰にもないしょね。これはルゥと、エベールにいさまだけのひ、み、つ」
 小さな王女はうっとりとポケットの上から“宝物”を握り締めた。子供というのは内緒事にはからきし弱いものだ。

「いい子だ。さあ、アシュタルが僕らを探しているかもしれない、上に戻ろう」
 エベールは異母妹を負ぶって、降りてきたときのように木の根や草の蔓を使って崖をよじ登った。
 幼女とはいえ華奢なエベールにとっては大荷物である。
 崖の上に辿り着いたときには息が上がって、べたりと地面に這いつくばっていた。服もルゥに劣らず泥だらけだ。

「にいさま、だいじょうぶ?」
「はあはあ、心配なら、ど……退いてくれるかな」
 「やだ、やっぱりルゥあるけないよぉ、足が疲れちゃったんだもん。このまま城までおねがい」

 ルゥ、君は本当に天然なのか……? 自覚系Sなんじゃないか……?
 疑念に囚われつつ、逆らうことのできない兄である。

 それにしてもあの裂け目、どうして開いたのか。
 この疑似天は父王が無理矢理このあたりの岩盤を吹っ飛ばして造ったという。
 そのときにできた亀裂なのか?
 
 まあいいや……、とにかく凄いものを見つけた……今日は大収穫だ。
 面白くなってきたぞ……。
 エベールはほくそ笑んだ。
 見てろよ、偽善者ぶった死神め。
 周りから崩してやる。
 大変なことになるぞ。

 遠くで、アシュタル少年が二人を探している声がする。なかなか探しに来てくれないので心配になって出てきたのだろう。

「ルゥ~、エベールさま~、どこにいるんですか~?」
「アシュタル、こっちよ!」

 王女が背中の上で応えた。
 無邪気な少女は、己を背負う異母兄が冷たい笑みを浮かべていることにも気づかず、可愛らしい小さな足をぶらぶらさせていた。


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