泉界のアリア

佐宗

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第二部 虚構の楽園

29夢想③

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 隣で眠るルゥの、愛らしい唇から漏れる寝息を暫く聞いていたいと思い、ナシェルは吾が子の美しい寝顔をうっとりと眺めた。彼女の存在はいま、ナシェルの狂気に蝕まれた心身を癒す唯一の聖性であった。

 それはナシェル自身は気づいていないが、冥王が遙かな昔、幼子のナシェルに対して抱いていた汚れなき神聖への羨望と愛情に酷似した感情である。
 ――だがひとつだけ歴然とした差があるとするならば、冥王がナシェルの清らかな魂を己の傍まで堕としめることに悦びを見出したのとは真逆に、ナシェルのルゥに対する愛の中には劣情などいささかもないのだ。




 あわせて小一刻ほどだったのだろう。ルゥは昼寝から目覚めてすぐ、隣に大きな人影が寝そべって自分を見下ろしていることに気づき、驚いて眼を瞬かせた。

「!?」
「おはよう、ルゥ。よく眠っていたな」

 ナシェルは彼女の見開いた瞳が亡き継母に似たヽヽヽヽヽヽヽ翠色であることを確認しながら微笑んだ。ルゥは横たわったままナシェルをまじまじと見つめた。

「何だぁ、にいさまかぁ、びっくりしたあ。いつからいたの? 女の子の部屋に勝手に入っちゃだめなんだよ!」

 彼女がびしっとナシェルに指を突きつけると、彼女とともに目を覚ましていた命の精たちが反射的にナシェルを女神の敵と見做して臨戦態勢に入る。毎回の光景で、いい加減ひとの顔を覚えろといいたいのだが、かたや癒しを司る命の女神、かたや死の神なのだからこの反射は仕方がない。

 ナシェルはとりあえず黒髪を引っ張ってくる一匹を指で摘んで背後にぽいっと放り投げ、他の一匹をひねり潰そうと手を伸ばした。とても敵わぬとわかると精霊たちは全員ルゥの背後に隠れてしまった。ルゥは起き上がりながら頬を膨らませる。

「ルゥの精霊をいじめちゃだめよ」
「……済まん」
「あ、そうだ。エベールにいさまは来てないの? ルゥ、エベールにいさまと探検ごっこする約束してるのよ。早く会いたいなあ」
「エベール? さあ、知らないな」

 突如出された異母弟の名に、ナシェルは異母弟に己も会わねばならぬ用があったことを思い出した。王女とエベールがたびたび遊んでいるのは知っていたが、待ちわびるほど親密とはいただけない事態だ。

「探検ごっこは私とじゃ駄目なのか」
「だめ」

 王女はにべもなく断言する。彼女はエベールと共に見つけた例の「秘密の抜け穴」をまた探索したくてたまらなかったのであるが、ナシェルには与り知らぬことだ。
 ナシェルの傷ついた表情にルゥはさすがに悪かったと思ったのか、すぐににっこりと笑顔を見せてくる。

 その愛らしい表情が、失ったセファニアの面影をナシェルに思い起こさせた。
 「ルゥ、早く大きくなれ。早く結婚しような」
 なんの脈絡もなく、思わずそう口走るナシェルである。

「けっこん? ルゥとにいさまがけっこんするの?」
「そうだよ。嫌か?」
「う~ん……」
 王女が考え込みはじめたのでナシェルは慌てた。

「ま、まだそなたにはこの話は早かったな。悪かった、あまり深く考え……」
「ルゥ、しってるわ! けっこんって、ヴァニオンとサリーみたいなことするんでしょ?」
「!? な、なにを云っ……」

 衝撃が奔る。あいつらまさか、年端も行かぬ幼児に色事を覗かれたのか……?

「ルゥ、前に見ちゃったんだもん。お口とお口でちゅーしてたの」
「……見たのはそれだけ?」
「うん」

 ナシェルは脱力して寝台に突っ伏した。そういえばヴァニオンが、疑似天に来てから一度もサリエルとそういう行為には及んでいないと云っていたではないか。ルゥに見られるはずが無いのだ。

「ね、けっこんてちゅーすることなの?」
「それもするが、そうではなくてだな……何て説明すればいいのか。乳母殿とアシュレイドのような関係だ。大人の男と女がだ…お互いに…」
「ヴァニオンとサリーは両方男の人だよ」
「あれは例外だ」
「ふうん…」

 ルゥはまだよく分かっていないようだった。無理もない。我々冥界神の血族のあいだに今、ルゥに例示できるような婚姻の形は存在していないのだから。
 かつては冥王とティアーナ、または冥王とセファニアがその関係にあったが、冥王が二番目の妻セファニアを失ってから、早二百年が経つ。

 ぴょいと寝台を降りるルゥの後姿を、ナシェルは見つめる。
 脳裏には失った継母セファニアのことがよぎっていた。

 いつだったか……まだ継母が死ぬ前に、エベールの水晶玉でルゥの成長した姿を見た事を思い出す。

 冥王と己が生き写しであるのと同様に、ルゥもまた、瞳の色を除いてセファニアに生き写しだった。いや、これからそのように育つのだ。

(セフィ、貴女は生まれ変わると云った。そして云っていた通り、幼い姿で私の前にいる。
 足りないのは貴女の記憶と、愛だけだ。
 本当に何も覚えていないのか?)

 ルゥの後姿に問いかけたい思いであった。無邪気に育つルゥを見て、ふたりを混同してはなるまいと思う一方、やはり娘に彼女の姿を重ねていた。

 ナシェルは寝台の上で頬杖をつきルゥを眺める。
 我ながら呆れ返っていた。

 冥王の神司を……あの壮大な闇に抱かれることを無上の喜びと分かっているのに……、
 それでもセフィの魂を我がものとすることに、未だにこだわりつづけている。
 全く我ながら信じられない。度し難い強欲さだ、己は……。


 王に、いまさら全てを打ち明けるなど到底できぬ。

『そなただけは何処へも行かぬと誓ってくれ』……セファニア亡き後、そう言ってナシェルを抱き肩を震わせていた冥王の姿は、今もナシェルの胸に鮮明である。

 二人の妻を亡くした冥王の悲嘆は、察するに余りある。王の前ではもう……セファニアの名を出してこの話を蒸し返すことすら、躊躇われた。

(こんなに身も心も疲れ果てて、あなたの神司だけが癒しであると理解しているのに。
 私ははじめに貴方についた嘘を、意地でもまだ貫こうとしている。
 身勝手にもほどがある……。ここにいるのは最低の悪神だ)


 そのように己を蔑むナシェルに背を向け、大きな姿見の前で、幼いルゥは無邪気に唇を尖らせる。
 はじめは「ちゅー」の形を真似ていたのだが、そのうちに変顔をして遊び始めた……。




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