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番外編
氷竜退治と愛の呪言①
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※冒頭、昔話調といいますか、少々文語調ではじめてみましたが、ラストは結局いつもの父子になってしまった小話です。(2頁)
◇◇◇
魂の審判の神、三界の一つを治る冥王は、何時いかなる時にも伴侶である死の神に会いたくて会いたくて仕方がないのである。
そして冥王は(あまり返事の来ぬ)手紙に、いざ如何ように綴れば相手が己に会いたくて仕方がなくなるのかを知っていた。
だが――その甘言は、いざという時でなくば使うことのできぬ、多用すればめっぽう効果の薄れてしまう、魔法の如き極めつけの文言なのである。
王はあるとき、永の冬眠から目覚め氷の湖を荒らしはじめた悪しき竜を征伐しに氷獣界へ赴く折、ついにその目映き言葉をしたためる時が来たと筆をとった。
しなやかな指でさらさらと、半身を己のほうへ呼び寄せるに違いないであろうそのきらめく呪言を、麻紙の便箋へと書きとめた。
眷下の闇の精霊たちはまろまろと懐からまろび出で、主神の魅惑的な、もの思わしげな愛の一筆をうっとりと胸に押し戴いた。
そして風の吹き込む窓辺から、もうひとりの主神の住まう暗黒界の方角へと巣立って行った。
――闇の神は、半身が示すであろう反応を想像して満足げに嘆息し、毛襟を立てて闇嶺の馬首を巡らし、そうして暗黒界とは逆の方向へと旅立って行った。
氷獣界の魔竜は冥王の神司をもってしても容易には打ち滅ぼすことの能わぬ難敵であった。
おそらくこの氷竜は冥界に住まうあらゆる悪獣のたぐいのなかで、この期に及んでもまだ王に従っておらぬ、最たる上級の妖魔だっただろう。
この竜はそれこそ王が冥界に堕ちて来た時よりも遙か太古から、この湖に棲んでいるのである。
得体のしれぬ“神”などという存在に滅ぼされるなど、古竜としての矜持が許さぬようだ。
さて、この大いなる妖魔に相対するのに、王は、ただひとりの配下の魔族をも連れて来てはおらぬ。
軍を率いておれば必ずや死者が出るであろうと予測されたがゆえに。
此度の単独行は、いたずらに兵を害うならば……との想いからであった。
よっていま王に従うは、ただ一頭の悍馬と一振りの剣のみ。
冥王は<紅血の断罪>と名付けられたその神剣を竜に向かい翳した。
◇◇◇
三日の昼夜にわたる死闘の末、竜はとうとう魔力を使い果たし氷の湖にどうと倒れた。
氷竜はもはや絶命寸前の蟲の吐息であったが、王もまた負傷して氷山の陰にその身を隠匿していた。
これまで刃毀れひとつしたことのない神剣であったが今はそれも毀つき欠けており、竜の首に止めをさすことができぬ状態にあった。
氷竜が最後の力を振り絞り、氷山ごと冥王を呑み込もうと大口を開けたその時、
<紅血の断罪>は己の番いの剣の神司を察知して、湖氷を罅割れさすほどに激しく鳴動した。
竜は神秘の黒光を懼れて怯み、後退りした。
―――そうして目晦ましの暗き光が収斂した時、竜と冥王との間には、一対の神々しき騎馬が佇んでいたのである。
光陰の如き、旋風の如き素早さで王の加勢に現れたは、むろん世嗣の御子神であった。
<蒼眸の慈悲>を構えた御子神は夜空色の瞳に冴え冴えとした怒りを滲ませつつ、竜に差し向った。
溢れんばかりの凄まじい神司が全身から、蒼く揺らめく焔のごとく湧き上がる。
冥王とほぼ同格といってよい神が無傷で馳せ参じたことで、魔竜は己の戦いの決着を悟る。
「ディルムトよ。私はそなたに敬意を払い止めは刺さぬこととする。
今さら二対一となっては陋劣であろうからな」
誰にも告げたことのないその真名を言い当てられた氷竜は、肯くように唸り、喉の奥に吐くための最期の吹雪を溜めているようであった。
「しかし私は一方で、常世の君主たる冥王陛下を斯様に冒涜したそなたを逃すつもりもない。
選択肢をくれてやるゆえ二つに一つを選ぶがよい。
ひとつ、我が手によって再び氷の湖の底へ封じられるか。
ひとつ、この場でわれわれ双神にこの先永劫に忠実なるを誓うかだ」
若い神の蒼きまなざしは、さながら氷の礫のように老竜の心を穿った。
その激しいまでの凛凛しさ、若い神の魅せる雄々しさに、竜の最期の闘争心はとうとう縮み、口の中に芽生えていた氷焔はしぼみ消えた。
……御子神の睨みと恫喝が効いたとみえ、竜はやがておずおずとその姿を変え、掌に乗るほどの小さな竜となって神馬の傍へやって来、その一対の神々に永劫の忠誠を誓ったのである。
◇◇◇
神馬セルシオンの背から降り、氷の湖に帯剣をがつりと粗雑に突き立てた御子神は、そのまま氷の上を歩いて来て冥王の傍へ膝をついた。
「ご無事で在られるか、我がきみ」
「応。馬手の骨が砕けたよ。危ない所であったが、そなたが来てくれると思っていた。
……それにしても氷竜の鱗があれほど硬いとは知らなんだ。よもや我が神剣が欠けるとはな」
(後半へ続く)
◇◇◇
魂の審判の神、三界の一つを治る冥王は、何時いかなる時にも伴侶である死の神に会いたくて会いたくて仕方がないのである。
そして冥王は(あまり返事の来ぬ)手紙に、いざ如何ように綴れば相手が己に会いたくて仕方がなくなるのかを知っていた。
だが――その甘言は、いざという時でなくば使うことのできぬ、多用すればめっぽう効果の薄れてしまう、魔法の如き極めつけの文言なのである。
王はあるとき、永の冬眠から目覚め氷の湖を荒らしはじめた悪しき竜を征伐しに氷獣界へ赴く折、ついにその目映き言葉をしたためる時が来たと筆をとった。
しなやかな指でさらさらと、半身を己のほうへ呼び寄せるに違いないであろうそのきらめく呪言を、麻紙の便箋へと書きとめた。
眷下の闇の精霊たちはまろまろと懐からまろび出で、主神の魅惑的な、もの思わしげな愛の一筆をうっとりと胸に押し戴いた。
そして風の吹き込む窓辺から、もうひとりの主神の住まう暗黒界の方角へと巣立って行った。
――闇の神は、半身が示すであろう反応を想像して満足げに嘆息し、毛襟を立てて闇嶺の馬首を巡らし、そうして暗黒界とは逆の方向へと旅立って行った。
氷獣界の魔竜は冥王の神司をもってしても容易には打ち滅ぼすことの能わぬ難敵であった。
おそらくこの氷竜は冥界に住まうあらゆる悪獣のたぐいのなかで、この期に及んでもまだ王に従っておらぬ、最たる上級の妖魔だっただろう。
この竜はそれこそ王が冥界に堕ちて来た時よりも遙か太古から、この湖に棲んでいるのである。
得体のしれぬ“神”などという存在に滅ぼされるなど、古竜としての矜持が許さぬようだ。
さて、この大いなる妖魔に相対するのに、王は、ただひとりの配下の魔族をも連れて来てはおらぬ。
軍を率いておれば必ずや死者が出るであろうと予測されたがゆえに。
此度の単独行は、いたずらに兵を害うならば……との想いからであった。
よっていま王に従うは、ただ一頭の悍馬と一振りの剣のみ。
冥王は<紅血の断罪>と名付けられたその神剣を竜に向かい翳した。
◇◇◇
三日の昼夜にわたる死闘の末、竜はとうとう魔力を使い果たし氷の湖にどうと倒れた。
氷竜はもはや絶命寸前の蟲の吐息であったが、王もまた負傷して氷山の陰にその身を隠匿していた。
これまで刃毀れひとつしたことのない神剣であったが今はそれも毀つき欠けており、竜の首に止めをさすことができぬ状態にあった。
氷竜が最後の力を振り絞り、氷山ごと冥王を呑み込もうと大口を開けたその時、
<紅血の断罪>は己の番いの剣の神司を察知して、湖氷を罅割れさすほどに激しく鳴動した。
竜は神秘の黒光を懼れて怯み、後退りした。
―――そうして目晦ましの暗き光が収斂した時、竜と冥王との間には、一対の神々しき騎馬が佇んでいたのである。
光陰の如き、旋風の如き素早さで王の加勢に現れたは、むろん世嗣の御子神であった。
<蒼眸の慈悲>を構えた御子神は夜空色の瞳に冴え冴えとした怒りを滲ませつつ、竜に差し向った。
溢れんばかりの凄まじい神司が全身から、蒼く揺らめく焔のごとく湧き上がる。
冥王とほぼ同格といってよい神が無傷で馳せ参じたことで、魔竜は己の戦いの決着を悟る。
「ディルムトよ。私はそなたに敬意を払い止めは刺さぬこととする。
今さら二対一となっては陋劣であろうからな」
誰にも告げたことのないその真名を言い当てられた氷竜は、肯くように唸り、喉の奥に吐くための最期の吹雪を溜めているようであった。
「しかし私は一方で、常世の君主たる冥王陛下を斯様に冒涜したそなたを逃すつもりもない。
選択肢をくれてやるゆえ二つに一つを選ぶがよい。
ひとつ、我が手によって再び氷の湖の底へ封じられるか。
ひとつ、この場でわれわれ双神にこの先永劫に忠実なるを誓うかだ」
若い神の蒼きまなざしは、さながら氷の礫のように老竜の心を穿った。
その激しいまでの凛凛しさ、若い神の魅せる雄々しさに、竜の最期の闘争心はとうとう縮み、口の中に芽生えていた氷焔はしぼみ消えた。
……御子神の睨みと恫喝が効いたとみえ、竜はやがておずおずとその姿を変え、掌に乗るほどの小さな竜となって神馬の傍へやって来、その一対の神々に永劫の忠誠を誓ったのである。
◇◇◇
神馬セルシオンの背から降り、氷の湖に帯剣をがつりと粗雑に突き立てた御子神は、そのまま氷の上を歩いて来て冥王の傍へ膝をついた。
「ご無事で在られるか、我がきみ」
「応。馬手の骨が砕けたよ。危ない所であったが、そなたが来てくれると思っていた。
……それにしても氷竜の鱗があれほど硬いとは知らなんだ。よもや我が神剣が欠けるとはな」
(後半へ続く)
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