Love, Truth and Honesty

逢坂莉子

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好きになってごめんね(1)

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「……蒼?」

 思わず名前を呼ぶと、彼はちょっと笑って小さく頷いた。

「驚いたよ、もう誰もいないだろうと思ってたから」
 それから、彼はあたしのおでこに手の甲を当てて、具合でも悪いの、と聞いてきた。
「そ、そういうわけじゃなくて……あの、足が……」
「足?」
 彼は視線を落とすと、今度は足首に触れてきた。
「少し腫れてるみたいだね、痛い?」
「ちょっとだけ……」
「早いとこ冷やした方がいいな。大丈夫、立てる?」
 あたしは、彼に支えられながら立ち上がった。
 並んでみると、彼はあたしよりも20センチほど背が高い。
「こんな怪我までして、一体この雨の中で何をしていたの」
「……話すと、ちょっと長くなる」
 ふうん、と彼は不満そうに鼻を鳴らした。
 そのまま、彼の傘に入れてもらって、駐車場に止めてあった車まで連れて行かれる。
「これ……あなたの車?」
「そうだよ。はい、乗って」
 彼はリモコンで鍵を開けると、あたしを助手席に乗せてくれた。
 車は、国産の4WD。
 色は黒で、いたって普通の車だった。
「あたし、前に雑誌で、あなたの車は青いフェラーリだって書いてあるの読んだ」
 それを聞いて、彼は苦笑しながら車を発進させた。
「外向き、外向き。そんな目立つ車に乗ってたら、俺はここにいますよって宣伝して歩いてるようなもんだ」
「ああ、そっか……そうだよね」
「今日、コンサートに来てた?」
「ううん……あ、ホントはそのつもりだったんだけど、チケット忘れちゃったみたいで……」
 自分で言いながら、情けなくなって俯く。
 彼は、ハンドルを握って前を向いたままくすくすと笑った。
「へえ、今どきそんなドジをする子もいるんだ」
「だって、家を出るときすごく慌ててて、なんか頭がパニックだったんだもん」
「今度、そんなことがあったらスタッフに言いなよ。特別に入れてあげるからさ」
「ああ、うん……ありがとう」
 そこでなんとなく会話が途切れて、あたしは所在なげにフロントガラスを見た。
 滝のように流れる雨を、ワイパーが忙しなく拭っていく。

 なんか、全然普通に会話とかしてるけど。
 これって、絶対に現実じゃ有り得ないって感じもする。
 なのに、ずきずきと疼く足首とか、雨を吸ってしっとりと湿った服とか、静かな車内に響くお互いの息遣いとかが、夢にしてはやけに生々しい。
 でも、自分のとなりでハンドルを握る人が現実だなんて、やっぱり俄かには信じ難い。

 あたしは、そぉっと手を伸ばして、彼の腕のあたりに触れてみた。
「何、どうしたの?」
 笑った声で彼が聞く。
 あたしは、熱いものに触ったときみたいに、慌てて手を引っ込めた。
「何でもない、ごめんなさい」
「これって本物の蒼なの、とか思った?」
「う、うん……」
 すると、今度は彼が手を伸ばして、あたしの頬を軽くつねった。
「痛っ」
「てことは、本物じゃない?」
「そ、そうかも……」
 あたしは自分の頬っぺたを手のひらで押さえた。
 確かに、痛かった。
 だったら、これは夢じゃない。
「じゃあ、さっきマネージャーさんたちに囲まれてバンに乗ったのは誰?」
「ああ、あれは事務所の後輩。背格好が似てるんだ。キャップとサングラスで変装させればパッと見ならわからなかっただろ?」
 みんなにはあっちを追いかけさせといて、俺はその間にのんびりさせてもらうんだ、と彼はいたずらを自慢する子供のように笑った。
 そうだよね、ファンクラブの子たちも、みんなあのバンを追いかけて行ったもの。
 わかってみれば、なんて簡単なからくり。

 しばらく走ってから、彼はウィンカーを出して、車をどこかの駐車場に入れた。
「着いたよ」
「着いたよって……ここ、どこ?」
「俺のマンション」
「……」
 言われた言葉を理解するまでに、少し時間がかかった。
 そのインターバルの分だけ驚きは増幅されて、あたしは唖然とした。
「蒼の、…マンション?」
「自宅の方が勝手が良いから、手当てもしやすい。その足、早く冷やさないと悪化する」
 彼はさっさと車を降りて助手席のドアを開けると、軽々とあたしを横抱きにした。
 そのまま、リモコンでドアをロック。
 それから、いきなりのことに戸惑って言葉もないあたしのことなんて気にも留めずに、エレベーターに乗り込んでボタンを押した。

 目を上げると、すぐ側に蒼の顔がある。
 産毛の1本1本まで数えられるくらいに近い距離。

 エレベーターが目的の階で止まると、長い廊下を歩いた突き当りの部屋の前で、彼はやっとあたしを降ろして、ドアを開けた。
 どうぞ、と屈託のない笑顔で彼が言う。

 やっぱりこんなの信じられない。
 思わぬ急展開に、頭の中は真っ白だ。
 それでも、あたしの身体は勝手に動いて、部屋の中へと足を踏み入れていた。

 背後で、蒼がドアを閉めるがちゃんという音が、やけに大きく響いた。

* * * * *

 蒼の部屋……。
 廊下の突き当たりのドアを開けると、そこはフローリングのワンルーム。
 広さは20畳くらいあるかも知れない。
 モノトーンで統一された家具、オーディオが充実しているのは蒼の趣味かな。
 奥の方に、シルクっぽい光沢のあるカバーがかけられた大きなベッドがある。
 壁の一方はクロゼットになっているようで、おしゃれな蒼らしい。

「シャワーを浴びておいでよ、そのままじゃ風邪を引く」
 そう言って、蒼は廊下の左手にあるドアを手で示したけど、あたしは少し戸惑った。
 わけもわからず、成り行きでここまで連れて来られたようなもので、思考がまだちゃんと働いてない。
 頭のどこかでは、これはやっぱり夢かも知れない、なんて思う部分もあって。
 蒼は、そんなあたしを知ってか知らずか、お湯には浸かっちゃだめだよ、捻挫は温めると悪化するから、なんて言う。
「蒼……」
 もじもじとそこから動けないでいると、蒼は首を傾げてニコッと笑った。
「どうしたの、抱っこして連れて行って欲しい? それとも手伝ってあげようか?」
 蒼の言葉に、あたしはそれこそ耳まで真っ赤になった。
「い、いいですっ、自分でできますっ」
 びっこを引きながらバスルームに向かうと、蒼はリネンの棚から黒いタオルを1枚取って渡してくれた。
「あいにく、来客用のタオルなんて用意してないから、俺ので悪いけど」
 全然、悪くなんてない。
 蒼と同じタオルを使えるなんて、それこそ夢みたいだ。
「着替えも、俺のシャツでいい?」
「うん……」
「じゃあ、出しとく。ほら、早く入っておいで」
 ポン、と軽く肩を叩いて、蒼が出て行く。
 あたしは、ひとりになって大きな溜息を吐いた。

 広くてきれいなバスルーム。
 蒼の使っている小物がたくさん置いてある。
 あたしは、蒼のボディソープで身体を、蒼のシャンプーで髪を洗った。
 シャワーを浴び終わると、脱衣所のかごにワイシャツが畳んで置いてあった。
 ……これを着ろってことかな。
 蒼のバスタオルで身体を拭いたあたしは、蒼のワイシャツを羽織った。

 恐る恐る部屋に戻ると、蒼はソファに座ってコーヒーを飲んでいた。
「あの……シャワー、ありがとう」
「どういたしまして。こっちへおいで?」
 蒼が自分のとなりを示したので、仕方なくそこに腰を下ろす。
 蒼は、あたしの前にもコーヒーのカップを引き寄せて、砂糖はいくつ、と聞いた。
「あ、あたし、お砂糖は入れないの」
「ブラック? 女の子なのに珍しいね」
「甘いもの、あんまり好きじゃないから」
 へえ、と蒼は言って、あたしの顔を一時しげしげと見た。
 それがあんまり無遠慮な様子だから、あたしはちょっとどぎまぎしてしまう。
「足の具合はどう?」
「やっぱり、…まだちょっと痛いみたい」
 蒼は、ソファから降りてカーペットに膝をつくと、あたしの足首にそっと触れた。
 それから、何やらを取り出してあたしの足に巻こうとする。
「何するの?」
「テーピング。応急処置だけど、何もせずに放って置くよりはいい」
「そんなことできるの?」
 意外に思って聞くと、蒼は少し心外そうな表情で顔を上げた。
「もちろん。俺のステージは飛んだり跳ねたりが激しいからね。だからって、ちょっとやそっとの怪我で、公演を途中で止めるわけにはいかないだろ?」
「ふうん……結構大変なんだ」
 感心したあたしに、蒼は笑って、足首に視線を戻す。

 あたしの目の前に、蒼のつむじがある。
 ああ……蒼の姿を、こんな位置から眺めるのは初めてだ。
 何だか、すごく得をした気分。

 いくらもかからずに、蒼は手際よくその措置を終えて、あとは2人で並んでコーヒーを飲んだ。
 こうして、黙ったまま過ぎていく時間が、ものすごく芳醇なものに思える。

 不意に、蒼の手があたしの髪に触れた。
「髪、まだ濡れてる」
「あ、うん……大丈夫、そのうち乾くし」
「だめだめ、洗いっ放しは髪が傷むよ」
 さっさと立ち上がった蒼は、ドレッサーからドライヤーを取り上げて戻って来くると、コンセントを入れてから、再びあたしのとなりに腰を下ろした。
 ぶうん、という低い音。
 額にかかる温風。
 そして……はらはらと髪を梳く、蒼の優しい手。
 気持ちいい。
 このまま眠くなっちゃいそう。
「きれいな髪……伸ばしてるの?」
「前に雑誌のインタビューで、女の子はやっぱり髪の長い方がいいよねって、蒼が」
「へえ、そうなんだ」
 そうなんだ、なんて他人事みたいな言い方。
「ああいうのって、事務所と編集が、相談して当たり障りのないこと書くんだよ。テレビや雑誌で見る鷹宮蒼なんて作り物で、本当の俺じゃない」
 その口調が、あんまり投げやりだったから、あたしはちょっと返答に困る。
 あたしにとっては、その「雑誌やテレビで見る蒼」が蒼の全てだったわけだから、いきなりそんな風に言われたらやっぱりショックだ。
「でも、俺のために伸ばしてるなんて言われると、嬉しい気もするね」
 蒼は、今さっきの自分をごまかすみたいにそう言って笑い、あたしの髪をさらに梳いた。
 時おり地肌に彼の指が触れると、どうしてだかお腹の奥の方がきゅんとした。
「こうしてみると、確かに髪の長い女の子も悪くない」
 耳元に囁きを落とされて、思わずぶるっと震えてしまう。
「ふふ、可愛い」
「蒼……?」
 首のうしろの窪みに、押し付けられる湿った感触。
 それが彼の唇だと気づいて、心臓が大きく跳ねた。
「華奢な首筋……いい感じ」
 つつ、と舌がそこをなぞる。
「あ、や……」
「この、丸い肩口も」
 シャツの上から、肩に軽くキス。
 背中から、長い腕で抱きしめられる。
「……君って、かなり俺の好み」
「蒼……」
 ふわり、と抱き上げられて、大きなベッドに運ばれる。
 何が起こっているのか理解できないまま、見上げた彼は艶やかに微笑んだ。

「何も考えなくていい……楽しい夢を見ていればいい」

 ああ、そうか。
 やっぱり、これは夢の続きなんだ。
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