Love, Truth and Honesty

逢坂莉子

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行き場のない涙(1)

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 結局、その夜は蒼のところに泊まって、家に帰ったのは翌日のお昼過ぎだった。

 まだ寝不足って感じだし、おまけにちょっと筋肉痛だ。
 なんか、いっぱいイカされて……足とか突っ張って力入ってたからかも知れない。
 えっちってこんなに体力消耗するんだって、初めて知った……。

 フラフラしながら家の門までたどり着くと、いきなり門扉が内側から開いた。
 出てきたのは、甲斐くんだった。
「え、藍?」
 甲斐くんは、びっくりしたような声を出したけど、驚いたのはこっちだ。
「甲斐くん、どうしたの?」
「玄関のチャイム押しても誰も出ないから、仕方なく帰ろうと思ったとこ」
「ああ、誰もいないんだ、ごめんね」
 あたしは慌ててカバンからキーホルダーを出し、自分の鍵で玄関を開けた。
 あ、思い出した。
 小6の妹が今日から夏期講習で、初日はママが送って行くって言ってたっけ。
「どうぞ」
 スリッパを出してそう言うと、甲斐くんは「お邪魔します」ってお辞儀をして靴を脱いだ。
 こういうところがお坊ちゃまだなあと思う。
 礼儀正しくて、いかにも育ちが良さそう。
「適当に座っててくれる、冷たいものでも用意するから」
「いいよ、気を使わなくて。藍も、今戻ったとこでしょ?」
 甲斐くんの口調がちょっと微妙で、あたしは、麦茶をグラスに注ぎながら、キッチンのカウンター越し、リビングのソファに座る彼を見た。
「昨日の昼から携帯も全然繋がらないしさ、また怪我したり、何かあったんじゃないかって思ったら心配になって、来てみたんだけど」
「あー、うん……」
 あたしは、制服を着たままだった。
 これじゃ、昨日から帰ってませんって、言ってるようなものだ。
「どこ、…行ってた?」
 ちょっとだけ探るみたいに聞かれる。
 あたしはなんでもないことみたいに笑って、言った。
「昨日、中学時代の友達から電話があってね、久しぶりに会ったら盛り上がっちゃって。ご飯食べてカラオケして、終電なくなっちゃったから、その子の家に泊まっちゃった」
「そっか……そういえば、高塚もそんなこと言ってた。別に、何でもなかったならいいんだ」
 やっぱり友紀ちゃんにも電話してたんだ……。
 友紀ちゃんと一緒だったって嘘つかなくて良かった。
「ごめんね、ホント、心配かけてばっかりで」
 麦茶をテーブルに置きながら言うと、甲斐くんは優しい笑顔でにっこりした。
「この間も言ったじゃない、好きな子の心配しないで、誰の心配するのって」
 甲斐くんが、あたしの手を握る。
 なんとなく視線が合って、あたしは思わず俯いた。
「僕と付き合ってるからって、女友達と遊ぶななんて言わないよ。多分、僕が心配性すぎるんだ。藍、可愛いから、ナンパでもされてるんじゃないかって」
「あたし、そんなにモテないよ……」
 引き寄せられて、髪にキスされる。
 愛しむように抱きしめられる。
「藍が好きだよ……本当はもっと束縛したいのに、勇気がないんだ」
「甲斐くん……」
 鼻の頭と、唇に、啄ばむようなキス。
 ブラウスの裾から忍び込んだ手が、素肌に触れる。
「ん、だめ……誰か、帰ってくるかも……」
「構わないよ、僕らの仲は、藍のご両親にも公認でしょ」
「だめったら、もう、……意地悪」
 ソファの上に押し倒したあたしを、甲斐くんが見下ろしてきた。
「なんか、今日の藍、いつもとちょっと違う……急に色っぽくなったみたい」
「……え?」
 あたしは、一瞬はっとした。
 甲斐くんは、そのまましばらくしげしげとあたしの顔を眺め、やがて小さく苦笑めいたものを洩らした。
「気のせい、かな。藍が変わってしまうはずはないものね」

 初めて、悪いことをしてると思った。
 あたしは、甲斐くんに酷いことをしてる。
 叶うはずのない夢を見て、こんなに優しい人を裏切ってる。

「甲斐くん、あたし……」
 言いかけた言葉は、甲斐くんの眼差しで遮られた。
 甲斐くんの瞳はひどく静かで、あたしは何も言えなくなった。

 ごめんね、甲斐くん……。
 あたし、きっと……本当に変わっちゃんだ。

 多分もう、元には戻れない――。

* * * * *

 ある日、あたしは、蒼が主演するドラマの収録に連れて行かれた。
 テレビ局の舞台裏なんて初めてで、すごい緊張する。

 朝、蒼と手を繋いで現れたあたしを見て、彼を迎えに来たマネージャーさんはちょっと驚いていたけど、すぐに意味ありげな笑顔になって、あたしに握手を求めてきた。
「蒼のマネージャーをしています、桂木です」
「樫村藍です……よろしくお願いします」
 蒼ほどの上背はないけど、やっぱり長身でカッコいい人だった。
 マネージャーなんて裏方よりも、タレントやモデルをやっていた方が似合いそうな感じだ。
 挨拶を交したあと、桂木さんは、蒼に向かって「懲りないなやつだな、お前も」と低声で囁いた。
 蒼は、それには答えず、小さく肩をすくめただけだった。
 それから、桂木さんの運転する黒いバンに乗って、テレビ局に向かう。
「蒼、お前ちゃんと台本覚えてきたのか」
 ハンドルを握る桂木さんが、運転席から声をかけると、蒼はひらひらと手を振った。
「楽勝、楽勝。俺、こう見えても要領いいし」
 言いながら、これ見よがしな欠伸をする。
 本当に大丈夫かなって、あたしは少し不安になった。
 昨夜だって、台本らしきものなんて全然読んでなかったし。
「それよりさ、相手の子、どうにかしてよ。演技は下手くそだし、台詞だってろくに覚えてないんだぜ。あれでよくあの役ゲットしたと思うよ。プロデューサーとできてんじゃないの」
 なんて、蒼はその子のファンが聞いたら怒り出しそうなことを平気で言う。
 彼女は売り出し中の新人タレントで、確かに、月曜9時の帯ドラマのヒロインは大抜擢らしいけど、相手役の蒼がそんなことを言ったら身も蓋もない。
「たださあ、キスシーンとベッドシーンだけは、やたら熱が入ってて上手いんだよね」
 思わせぶりにあたしを見つめながら、蒼が言う。
 そういうの、聞けばやっぱりいい気分はしないのに。
「……今日も、あるの?」
「キスシーンは、あるよ」
 蒼は、さらりとそう言ってから、「妬けちゃう?」と耳元で尋ねた。
 バックミラー越し、桂木さんがちらりとこちらを窺ったのが見えた。
「それがお仕事なら、しょうがないじゃない」
「ふぅん、ずいぶんと物分りがいいんだね」
 蒼の手のひらが、スカートの裾から入って腿を撫で上げる。
「ち、ちょっと、やだ……こんなところで何す――」
 言い終わらないうちに口づけられた。
 強引な手はもう、あたしの足の間を探ろうとしてる。
「素直じゃない子には、お仕置き」
 薄く笑った彼の指先が、ショーツの上から敏感な核を捉える。
 思わず声が出そうになって、あたしは慌てて手の甲を口に当てた。
「んんっ、そ、……だめ、お願い」
「少しは嫉妬してよ、あたし以外の女の子とキスなんかしちゃ嫌、とかさ」
 ショーツの隙間から進入した指が、その部分に押し付けられる。
 今朝方まで愛し合っていた余韻を残す身体は、火がつくのも早い。
「あ、や、……あんっ」
「ふふ、可愛い」
 蒼が、笑いながらあたしを弄ぶ。
 その度に、ぴくぴくと反応してしまう自分の身体が恨めしい。
 桂木さんにも、とっくに気づかれているに違いない。
「ああっ、だめ、もうだめっ」
 あたしは、蒼の肩に額を押し付けて足を突っ張った。
 またしても、彼の指1本でイカされてしまった。
 蒼は、いとも簡単にあたしを高みへと誘(いざな)うことができる。
「ホント、楽しませてくれるよね」
 蒼は、スカートの中から抜き出した手を、ハンカチで拭きながら、言った。

「もっともっと染まってしまってよ、俺の好みに」

 染めて欲しいって思った。
 あたしの世界を、蒼の色で、全部。

「蒼……」
 大好き、と言いかけて、飲み込んだ。
 バックミラーに映った桂木さんの瞳が、皮肉っぽく笑っているように見えたから。

 あたし、もしかしたら……大きな過ちを犯しかけているのかも知れない。
 でも、今さらそれに気づいたところで、後戻りなんてできるわけがないけど。
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