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ちっぽけな存在(2)
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ぐったりとしたあたしをベッドに横たえると、蒼は背を向けて服を脱ぎ始めた。
あたしはうつ伏せになって重ねた手の甲に顎を置き、それを眺めた。
薄く筋肉のついた背中が、きれい。
ホントに、どこをどう取って見ても素敵な人。
ジョッキーショーツだけの姿になった彼は、あたしの側に腰を下ろし、肩甲骨の辺りにちゅと音を立てて口づけた。
「……くすぐったい」
思わず首をすくめたあたしをくるりと仰向けにして、蒼の肩が覆いかぶさってくる。
「さっき、スタイルに自信がないみたいなこと言ってたけど、そうでもないじゃない」
「ううん、全然だめだよ……チビだし、痩せっぽちだし」
「小柄な女の子の方が、男の保護欲そそって可愛い」
そう言って、額に落とされる軽いキス。
目と目が合うと、彼はまた首を傾げてニッコリした。
「華奢なわりに胸、あるし。この細い腰とかも、俺的にはかなり萌え」
ウェストから腿のラインを、ゆっくりと手のひらでなぞられて、背中が粟立った。
堪えようとしても、溜息が洩れる。
「それに君、感度も抜群にいいじゃない」
「蒼が、そういう風に触るからだよ……」
本当に、蒼の手のひらからは電気が発生してるみたいで、彼が触れた場所は全部性感帯になってしまったような気がするくらいに、どこにどう触られてもものすごく感じた。
例えば、髪に指を入れて梳かれるだけでも。
指先で、頬から顎の線を辿られるだけでも。
「ねえ……あれから、甲斐ってやつとは何回セックスした?」
「……どうして、そんなこと聞くの」
「聞きたいから」
どうして、蒼があたしと甲斐くんのことにこだわるのかわからない。
あの夜も、甲斐くんとはセックスしてるのかって聞かれた覚えがある。
「2回、…くらいかな」
あたしがそう答えると、蒼は大げさに驚いて眉を上げた。
「甲斐って同級生なんだろ? やりたい盛りの年頃に、ずいぶんと堪え性のある男だな」
「あたしが怪我してたし、期末テストとかもあったから……」
「へえ、ずいぶんと妬ける言い方をするね」
そうじゃなかったら、もっと何度もやってたって言いたいの、と頬を膨らませる。
「そ、そういう意味じゃないよ」
「だったら、どういう意味」
「……意地悪、甲斐くんのことばっかり聞かないで」
せっかく、夢が叶ってまた蒼と一緒にいられるのに。
こんなときに、他人の話なんてしたくない。
それがたとえ……自分の彼氏の話であっても。
「何も思い出したくないよ……今は、蒼のことだけ考えてたい」
広い胸に顔を埋めるようにすると、蒼は、あたしの頭を宥めるように撫でた。
「可愛いことを言ってくれる」
一体どの口が言ってるんだろうね、と彼は唇を重ねてきた。
頭を撫でていた手がきゅっと強く髪を掴み、首の下を通ったもう一方の手が肩を抱く。
唇ごと彼のそれで覆われて、呼吸すらも奪い尽くされてしまいそうな深くて激しいキス。
「甲斐と一緒のときは、俺のことを思い出しもしなかった?」
「もう、また……」
「答えろ」
「蒼のことを、忘れたことなんてなかったよ……いつもいつも、気がつけばあなたのことばかり考えてた」
「それは、なぜ?」
なぜ……?
それを知りたいのは、あたしの方。
諦めよう、忘れようと思えば思うほどに、蒼はあたしの心の中で存在感を増した。
「どうして、かな……わかんない」
「教えてあげようか?」
「う、うん……」
頷くと、蒼は出来の悪い生徒に言って聞かせる教師のような口調で、言った。
「なぜなら、君が、俺のことを好きだからだ」
「蒼……」
彼の胸に顔を寄せると、とくとくと心臓の鼓動が伝わってきた。
それは、紛れもなく目の前にいる彼が生身の人間である証拠。
「うん、好きだよ……あたしは、蒼が好き」
この想いは、アイドルとしての彼に抱いていた憧れとは明らかに違う。
きっと、好きになったらいけない人だけど。
走り出した気持ちはもう止めようがない。
「今日が終業式だと言っていたよね。明日から、夏休み?」
あたしは、蒼にしがみついたまま小さく頷いた。
明日なんて来なければいい。
今日のまま、今この瞬間のまま、時間が止まってしまえばいい。
「じゃあ、今日は帰さなくてもいいね?」
「……え?」
「ホントは、今日と言わず、明日も明後日も、その次の日だって帰したくないけど」
蒼は、意思を持ってあたしの乳房に触れてきた。
ああ、抱かれるんだって思う。
そして、あたしは、蒼のものになる。
それは、単純に彼に身を任せるという意味だけじゃなくて、心も身体も文字通り彼に囚われてしまうことを示していた。
「あたし、戻れなくなる」
「どこへ?」
「もう、どこへも……」
彼は、小さく首を傾げてふっと笑った。
「戻らなくていいよ」
「蒼……」
そんな優しい声で囁かないで。
あたし、本気にしちゃう。
あなたの側を離れたくないって思っちゃう。
それでも、いいの……?
「この夏中、可愛がってあげるから」
その言葉の意味を深くは考えられないうちに、あたしは快楽の波に巻き込まれた。
自分を抱いているのが蒼だということ、その事実だけがすべてで、他のことは何の意味も成さないような気がした。
ああ……我ながら、何て浅はかだったんだろう。
* * * * *
ヤバイ、と思った。
かなり、…はまっちまいそうで。
見た目は、どこにでもいる今どきの女子高生って感じだし、自分でも言っていたけど、顔だってずば抜けて可愛いってわけじゃない。
かといって、外見よりは中身に惹かれたんだ、とはっきり言えるほど、彼女のことを知ってもいない。
なのに、この気持ちって何なんだ?
俺、頭がどうかしちまったんじゃないのか?
短い置き手紙だけを残して、消えちまった彼女。
正直、がっかりしたと言ってもいい。
携帯の番号とか、連絡先くらい置いてけよって思ったし、普通はそうするだろ。
現に、それまでにつまみ食いした女の子たちは、こっちがウンザリするほど、また会ってね、電話ちょうだいねってうるさかった。
もちろん、自分から連絡した子なんていなかったけど。
でも、よく見ると何か書きかけて消した跡がある。
電灯に透かして見たら、それは数字の列で、並びから見て電話番号ぽかった。
小癪、とか思ったね。
なんて思わせぶりなことするんだろうって。
あれがもし、計算づくだったとしたら完全に彼女の勝ちだ。
だって俺、何とかしてそれを解読しようと躍起になったもの。
で、小1時間かけてやっと全部の数字を抜き出したけど、携帯の番号にしちゃ、あと2桁ほど足りないことにそこで気づいた。
唸ったね、マジで。
だけど、これが計算でないことはそこで知れた。
わざと焦らして気を惹くつもりだったとしても、ここまでやったらかえって逆効果だ。
ホント、素なのにも程があるって笑いが洩れた。
絶対に見つけ出してみせるって、意地にもなった。
残るのがあと2桁なら、00から始めて99まで、片っ端からかけてやるって思った。
それは、はっきり言って気が滅入るほど億劫な作業に違いなかったけど、ある意味、俺をここまで焦らせたのは彼女が最初で、だから、もう1度会わなきゃ気が済まない、みたいな部分もあったことは事実だ。
会って、確かめたかった。
自分の胸の中に蟠る、焦燥感の理由を。
だけど、まあ……思うように事が運ばないのは世の常で。
俺は、その翌朝から日本を離れた。
早く彼女にたどり着きたいと気は急いたものの、作業は一時中断せざるを得なかった。
この空白の期間に、彼女は、俺のことなどきれいさっぱり忘れてしまうかも知れない。
それなら、それでいいとも思った。
今朝の飛行機で帰国し、この部屋に戻るなり、俺は作業を再開した。
そして、とうとう彼女を見つけた。
突然の電話に彼女は驚いていたけれど、結局は俺の元にやって来た。
玄関で顔を見た瞬間に、抱きすくめたくなったのはなぜだろう?
それから、戸惑う彼女に有無を言わせず、性急に抱いて、そして今――。
となりで寝息を立てる彼女を見る。
意外と長い睫と、まだ少し上気した頬。
耳のうしろに手を入れて、柔らかな髪を梳くと、彼女は目を閉じたままくすぐったそうに首をすくめた。
「藍……」
「んんぅ……」
鼻の頭に軽く口づけると、彼女は寝ぼけ半分でゆるゆると目を開けた。
「まだ眠い? 本当に泊まっていくのならそれでもいいけど」
「……今、何時?」
「10時くらいかな、もし帰るのなら送るよ?」
言いながら、まだ焦点の甘い瞳を覗き込む。
視線が合って、彼女ははっとしたように目を瞠った。
「そ、……」
今さらのように驚いて、俺から少し遠ざかろうとする。
でも、身動ぎした拍子に、自分がまだ全裸なことに気がついたのか、見る見るうちに胸元までを真っ赤に染め、慌てた様子で俺に背中を向けた。
「どうしたの?」
「あ、あたし、こんなところで何して――?」
「こんなところって、俺の部屋だよ」
「蒼の、部屋……?」
彼女は、思い切り訝しげな顔で振り返った。
「じゃあ、昼間の電話もホントなの? 夢じゃなかったの?」
「またつねられたい?」
「ううん、遠慮しとく」
急いで首を振る彼女に、思わず吹き出す。
初めて会った夜も、車でこの部屋に向かう途中、助手席に座った彼女が、まるで幻か幽霊でも見るみたいにそろそろと俺の腕に触れてきたりするから、俺は本物だよって、頬っぺたをつねって教えてやった。
そのときの、いかにも痛そうに頬を押さえていた姿を思い出した。
「藍はさ、どうしても俺のこと夢だと思いたいみたいだね」
「そ、そういうわけじゃ、ないよ」
「俺って、そんなに現実味の薄い存在?」
「だから、そういう意味じゃないって……」
はあ、とわざと大きく嘆息して見せると、彼女はもぞもぞと俺に寄り添ってきた。
俺の胸に額をつけて、小さな声で言う。
「ごめん……だって、本当に夢みたいだなんもん。蒼と、…ずっと憧れてた蒼と、こんな風に一緒にいられるなんて、実際にこうしてても信じられないんだもん」
「夢だった方が良かった?」
意地悪かとも思いながらそう尋ねると、縋るような瞳で見つめ返された。
「……わかんない」
「後悔してるの、俺とこうなったこと?」
「そう、…かも知れない」
「甲斐ってやつに、悪いことしたと思うから?」
甲斐というのは、彼女のボーイフレンドらしい。
初めて彼女を抱いた夜にも、明日のデートはどうしようかなんてメールが来てた。
ちゃんとやることはやってるみたいだし、それなりに仲良く付き合ってもいるんだろう。
けれども、この問いには、彼女は意外なくらいきっぱりと首を振った。
「違うよ、甲斐くんは関係ない」
「だったら、どうして後悔なんてするの」
重ねて尋ねた俺に、彼女はすごく辛そうな表情になった。
「蒼は……アイドルだから」
「は?」
「蒼はね、あたしなんかには手の届かない遠い存在のはずだったの。例えば、夜空に輝く星のように、誰からも崇められて……どこか、違う世界にいる人のはずだったの」
言いながら、小さな手で俺の指先をきつく握り締める。
「あたしなんかが触れていい人じゃなかったの。あたし、あなたとこうする度にあなたを貶めているような気がする……初めて会った夜もそうだった、そして今も……」
彼女の言わんとするところは、わからないでもなかった。
「アイドルだって人間だろ、みんながみんな清純ってわけじゃない」
「それじゃだめなの。もっともっと崇高で遠い人じゃないとだめ。そうでなきゃ、あたし――」
彼女は、そこで苦しげに言葉に詰まった。
促すように少し首を傾げて見せると、小さく溜息を吐いて彼女は続けた。
「あなたを、諦めることができなくなるかも知れない」
俺は、彼女を自分の胸に抱き寄せて、旋毛に口づけた。
「どうして、諦めなきゃいけないなんて思うの」
「だって、蒼は……」
言いかけた彼女の唇に、人差し指を当てて遮る。
「俺は夢でも幻でもないし、ましてや誰からも崇められる神様みたいなものでもない。みんなと同じようにトイレにだって行くし、恋だってする、セックスだってする。そんな俺を受け入れるのは嫌だということ?」
「そういうんじゃ、ないけど……」
俺は、彼女のふくらみを手のひらで包み、ゆっくりと揉んだ。
彼女は切なげに眉を寄せ、その唇から吐息が洩れる。
「君にこうして触れているこの手は本物だろ? 現に、藍だってちゃんと感じてる」
「蒼……」
「難しく考えることなんて何もない。大人しく、俺のものになればいい」
「ああ、蒼……好き、大好き……」
またしても、狂おしいほどの衝動に駆られて、俺は彼女を抱きしめた。
彼女が、どのくらい自分をちっぽけな存在だと思っているか知らない。
だけど……。
俺の心は確かに、彼女の何かに侵され始めている。
あたしはうつ伏せになって重ねた手の甲に顎を置き、それを眺めた。
薄く筋肉のついた背中が、きれい。
ホントに、どこをどう取って見ても素敵な人。
ジョッキーショーツだけの姿になった彼は、あたしの側に腰を下ろし、肩甲骨の辺りにちゅと音を立てて口づけた。
「……くすぐったい」
思わず首をすくめたあたしをくるりと仰向けにして、蒼の肩が覆いかぶさってくる。
「さっき、スタイルに自信がないみたいなこと言ってたけど、そうでもないじゃない」
「ううん、全然だめだよ……チビだし、痩せっぽちだし」
「小柄な女の子の方が、男の保護欲そそって可愛い」
そう言って、額に落とされる軽いキス。
目と目が合うと、彼はまた首を傾げてニッコリした。
「華奢なわりに胸、あるし。この細い腰とかも、俺的にはかなり萌え」
ウェストから腿のラインを、ゆっくりと手のひらでなぞられて、背中が粟立った。
堪えようとしても、溜息が洩れる。
「それに君、感度も抜群にいいじゃない」
「蒼が、そういう風に触るからだよ……」
本当に、蒼の手のひらからは電気が発生してるみたいで、彼が触れた場所は全部性感帯になってしまったような気がするくらいに、どこにどう触られてもものすごく感じた。
例えば、髪に指を入れて梳かれるだけでも。
指先で、頬から顎の線を辿られるだけでも。
「ねえ……あれから、甲斐ってやつとは何回セックスした?」
「……どうして、そんなこと聞くの」
「聞きたいから」
どうして、蒼があたしと甲斐くんのことにこだわるのかわからない。
あの夜も、甲斐くんとはセックスしてるのかって聞かれた覚えがある。
「2回、…くらいかな」
あたしがそう答えると、蒼は大げさに驚いて眉を上げた。
「甲斐って同級生なんだろ? やりたい盛りの年頃に、ずいぶんと堪え性のある男だな」
「あたしが怪我してたし、期末テストとかもあったから……」
「へえ、ずいぶんと妬ける言い方をするね」
そうじゃなかったら、もっと何度もやってたって言いたいの、と頬を膨らませる。
「そ、そういう意味じゃないよ」
「だったら、どういう意味」
「……意地悪、甲斐くんのことばっかり聞かないで」
せっかく、夢が叶ってまた蒼と一緒にいられるのに。
こんなときに、他人の話なんてしたくない。
それがたとえ……自分の彼氏の話であっても。
「何も思い出したくないよ……今は、蒼のことだけ考えてたい」
広い胸に顔を埋めるようにすると、蒼は、あたしの頭を宥めるように撫でた。
「可愛いことを言ってくれる」
一体どの口が言ってるんだろうね、と彼は唇を重ねてきた。
頭を撫でていた手がきゅっと強く髪を掴み、首の下を通ったもう一方の手が肩を抱く。
唇ごと彼のそれで覆われて、呼吸すらも奪い尽くされてしまいそうな深くて激しいキス。
「甲斐と一緒のときは、俺のことを思い出しもしなかった?」
「もう、また……」
「答えろ」
「蒼のことを、忘れたことなんてなかったよ……いつもいつも、気がつけばあなたのことばかり考えてた」
「それは、なぜ?」
なぜ……?
それを知りたいのは、あたしの方。
諦めよう、忘れようと思えば思うほどに、蒼はあたしの心の中で存在感を増した。
「どうして、かな……わかんない」
「教えてあげようか?」
「う、うん……」
頷くと、蒼は出来の悪い生徒に言って聞かせる教師のような口調で、言った。
「なぜなら、君が、俺のことを好きだからだ」
「蒼……」
彼の胸に顔を寄せると、とくとくと心臓の鼓動が伝わってきた。
それは、紛れもなく目の前にいる彼が生身の人間である証拠。
「うん、好きだよ……あたしは、蒼が好き」
この想いは、アイドルとしての彼に抱いていた憧れとは明らかに違う。
きっと、好きになったらいけない人だけど。
走り出した気持ちはもう止めようがない。
「今日が終業式だと言っていたよね。明日から、夏休み?」
あたしは、蒼にしがみついたまま小さく頷いた。
明日なんて来なければいい。
今日のまま、今この瞬間のまま、時間が止まってしまえばいい。
「じゃあ、今日は帰さなくてもいいね?」
「……え?」
「ホントは、今日と言わず、明日も明後日も、その次の日だって帰したくないけど」
蒼は、意思を持ってあたしの乳房に触れてきた。
ああ、抱かれるんだって思う。
そして、あたしは、蒼のものになる。
それは、単純に彼に身を任せるという意味だけじゃなくて、心も身体も文字通り彼に囚われてしまうことを示していた。
「あたし、戻れなくなる」
「どこへ?」
「もう、どこへも……」
彼は、小さく首を傾げてふっと笑った。
「戻らなくていいよ」
「蒼……」
そんな優しい声で囁かないで。
あたし、本気にしちゃう。
あなたの側を離れたくないって思っちゃう。
それでも、いいの……?
「この夏中、可愛がってあげるから」
その言葉の意味を深くは考えられないうちに、あたしは快楽の波に巻き込まれた。
自分を抱いているのが蒼だということ、その事実だけがすべてで、他のことは何の意味も成さないような気がした。
ああ……我ながら、何て浅はかだったんだろう。
* * * * *
ヤバイ、と思った。
かなり、…はまっちまいそうで。
見た目は、どこにでもいる今どきの女子高生って感じだし、自分でも言っていたけど、顔だってずば抜けて可愛いってわけじゃない。
かといって、外見よりは中身に惹かれたんだ、とはっきり言えるほど、彼女のことを知ってもいない。
なのに、この気持ちって何なんだ?
俺、頭がどうかしちまったんじゃないのか?
短い置き手紙だけを残して、消えちまった彼女。
正直、がっかりしたと言ってもいい。
携帯の番号とか、連絡先くらい置いてけよって思ったし、普通はそうするだろ。
現に、それまでにつまみ食いした女の子たちは、こっちがウンザリするほど、また会ってね、電話ちょうだいねってうるさかった。
もちろん、自分から連絡した子なんていなかったけど。
でも、よく見ると何か書きかけて消した跡がある。
電灯に透かして見たら、それは数字の列で、並びから見て電話番号ぽかった。
小癪、とか思ったね。
なんて思わせぶりなことするんだろうって。
あれがもし、計算づくだったとしたら完全に彼女の勝ちだ。
だって俺、何とかしてそれを解読しようと躍起になったもの。
で、小1時間かけてやっと全部の数字を抜き出したけど、携帯の番号にしちゃ、あと2桁ほど足りないことにそこで気づいた。
唸ったね、マジで。
だけど、これが計算でないことはそこで知れた。
わざと焦らして気を惹くつもりだったとしても、ここまでやったらかえって逆効果だ。
ホント、素なのにも程があるって笑いが洩れた。
絶対に見つけ出してみせるって、意地にもなった。
残るのがあと2桁なら、00から始めて99まで、片っ端からかけてやるって思った。
それは、はっきり言って気が滅入るほど億劫な作業に違いなかったけど、ある意味、俺をここまで焦らせたのは彼女が最初で、だから、もう1度会わなきゃ気が済まない、みたいな部分もあったことは事実だ。
会って、確かめたかった。
自分の胸の中に蟠る、焦燥感の理由を。
だけど、まあ……思うように事が運ばないのは世の常で。
俺は、その翌朝から日本を離れた。
早く彼女にたどり着きたいと気は急いたものの、作業は一時中断せざるを得なかった。
この空白の期間に、彼女は、俺のことなどきれいさっぱり忘れてしまうかも知れない。
それなら、それでいいとも思った。
今朝の飛行機で帰国し、この部屋に戻るなり、俺は作業を再開した。
そして、とうとう彼女を見つけた。
突然の電話に彼女は驚いていたけれど、結局は俺の元にやって来た。
玄関で顔を見た瞬間に、抱きすくめたくなったのはなぜだろう?
それから、戸惑う彼女に有無を言わせず、性急に抱いて、そして今――。
となりで寝息を立てる彼女を見る。
意外と長い睫と、まだ少し上気した頬。
耳のうしろに手を入れて、柔らかな髪を梳くと、彼女は目を閉じたままくすぐったそうに首をすくめた。
「藍……」
「んんぅ……」
鼻の頭に軽く口づけると、彼女は寝ぼけ半分でゆるゆると目を開けた。
「まだ眠い? 本当に泊まっていくのならそれでもいいけど」
「……今、何時?」
「10時くらいかな、もし帰るのなら送るよ?」
言いながら、まだ焦点の甘い瞳を覗き込む。
視線が合って、彼女ははっとしたように目を瞠った。
「そ、……」
今さらのように驚いて、俺から少し遠ざかろうとする。
でも、身動ぎした拍子に、自分がまだ全裸なことに気がついたのか、見る見るうちに胸元までを真っ赤に染め、慌てた様子で俺に背中を向けた。
「どうしたの?」
「あ、あたし、こんなところで何して――?」
「こんなところって、俺の部屋だよ」
「蒼の、部屋……?」
彼女は、思い切り訝しげな顔で振り返った。
「じゃあ、昼間の電話もホントなの? 夢じゃなかったの?」
「またつねられたい?」
「ううん、遠慮しとく」
急いで首を振る彼女に、思わず吹き出す。
初めて会った夜も、車でこの部屋に向かう途中、助手席に座った彼女が、まるで幻か幽霊でも見るみたいにそろそろと俺の腕に触れてきたりするから、俺は本物だよって、頬っぺたをつねって教えてやった。
そのときの、いかにも痛そうに頬を押さえていた姿を思い出した。
「藍はさ、どうしても俺のこと夢だと思いたいみたいだね」
「そ、そういうわけじゃ、ないよ」
「俺って、そんなに現実味の薄い存在?」
「だから、そういう意味じゃないって……」
はあ、とわざと大きく嘆息して見せると、彼女はもぞもぞと俺に寄り添ってきた。
俺の胸に額をつけて、小さな声で言う。
「ごめん……だって、本当に夢みたいだなんもん。蒼と、…ずっと憧れてた蒼と、こんな風に一緒にいられるなんて、実際にこうしてても信じられないんだもん」
「夢だった方が良かった?」
意地悪かとも思いながらそう尋ねると、縋るような瞳で見つめ返された。
「……わかんない」
「後悔してるの、俺とこうなったこと?」
「そう、…かも知れない」
「甲斐ってやつに、悪いことしたと思うから?」
甲斐というのは、彼女のボーイフレンドらしい。
初めて彼女を抱いた夜にも、明日のデートはどうしようかなんてメールが来てた。
ちゃんとやることはやってるみたいだし、それなりに仲良く付き合ってもいるんだろう。
けれども、この問いには、彼女は意外なくらいきっぱりと首を振った。
「違うよ、甲斐くんは関係ない」
「だったら、どうして後悔なんてするの」
重ねて尋ねた俺に、彼女はすごく辛そうな表情になった。
「蒼は……アイドルだから」
「は?」
「蒼はね、あたしなんかには手の届かない遠い存在のはずだったの。例えば、夜空に輝く星のように、誰からも崇められて……どこか、違う世界にいる人のはずだったの」
言いながら、小さな手で俺の指先をきつく握り締める。
「あたしなんかが触れていい人じゃなかったの。あたし、あなたとこうする度にあなたを貶めているような気がする……初めて会った夜もそうだった、そして今も……」
彼女の言わんとするところは、わからないでもなかった。
「アイドルだって人間だろ、みんながみんな清純ってわけじゃない」
「それじゃだめなの。もっともっと崇高で遠い人じゃないとだめ。そうでなきゃ、あたし――」
彼女は、そこで苦しげに言葉に詰まった。
促すように少し首を傾げて見せると、小さく溜息を吐いて彼女は続けた。
「あなたを、諦めることができなくなるかも知れない」
俺は、彼女を自分の胸に抱き寄せて、旋毛に口づけた。
「どうして、諦めなきゃいけないなんて思うの」
「だって、蒼は……」
言いかけた彼女の唇に、人差し指を当てて遮る。
「俺は夢でも幻でもないし、ましてや誰からも崇められる神様みたいなものでもない。みんなと同じようにトイレにだって行くし、恋だってする、セックスだってする。そんな俺を受け入れるのは嫌だということ?」
「そういうんじゃ、ないけど……」
俺は、彼女のふくらみを手のひらで包み、ゆっくりと揉んだ。
彼女は切なげに眉を寄せ、その唇から吐息が洩れる。
「君にこうして触れているこの手は本物だろ? 現に、藍だってちゃんと感じてる」
「蒼……」
「難しく考えることなんて何もない。大人しく、俺のものになればいい」
「ああ、蒼……好き、大好き……」
またしても、狂おしいほどの衝動に駆られて、俺は彼女を抱きしめた。
彼女が、どのくらい自分をちっぽけな存在だと思っているか知らない。
だけど……。
俺の心は確かに、彼女の何かに侵され始めている。
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