Love, Truth and Honesty

逢坂莉子

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いずれは涸れてしまうもの(1)

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 甲斐くんからは、あれからも何度か電話があった。
 会って話がしたいと彼は言ったけど、今はまだ、彼と顔を合わせる気にはなれない。
 あたしの中に残ってしまった彼への不信感は拭いようがないし、それに対する彼の弁解を聞いても、こうなってしまった関係はもう修復不可能だ。

 それに……。
 あたしだって、そもそもそんな彼を責めることができる立場にない。

 今が夏休みで良かったって、本気で思った。
 でも、いつまでもこのままでいいわけないことも、ちゃんとわかってる。
 夏休みが終わるまでには、きちんと話し合うべきだとも思う。
 付き合うのを止めても、彼とは同級生だし、お互いに気まずいまま新学期を迎えるのだけは避けたい。

 一方、あたしと蒼の微妙な関係も、どうにか続いてる。
 別荘の一件があった夜から、あたしと蒼の距離は確実に縮まったと思う。
 相変わらず、彼の口から「好き」の一言を聞くことはできないけど、彼があたしを大事に思ってくれていることは確かだ。
 彼は、なるべくあたしを手元に置いておきたがったし、時おり垣間見れる独占欲らしきものも、あたしには嬉しかった。
 時どき連れて行かれる、スタジオやロケ先などの「業界」の雰囲気にも、やっと慣れた。
 今でもたまに、好奇の視線や露骨な嫌味にぶつかることはあるけど、蒼の側にいれればそれでいい。

 その日も、雑誌の取材とその撮影がある蒼に連れられて、あたしは、都内のスタジオに来ていた。
 それは、まったく別の分野で活躍する2人を対談させるというもので、人気ホストと清純派女優とか、お笑い芸人と女性代議士とか、異色の組み合わせが話題を呼んでいる人気の企画だ。
 国民的アイドルである蒼の相手は、亜紗妃という風俗嬢で、その業界ではかなりの有名人らしいけど、あたしには縁遠い世界の話で、もちろん顔も知らなかった。
 撮影用の衣装に着替え、軽くメイクされている蒼は、離れて見ていても本当にカッコいい。
 人を惹きつけるオーラみたいなものが、全身から溢れてるって感じだ。
 蒼のスタンバイと撮影の準備が整ったころ、お相手が現れた。
 正直なところ、風俗嬢と聞いて、派手でけばけばしい女性を想像してたけど、この亜紗妃という人は、ごくごく普通の女の子でちょっとビックリした。
 華奢な身体つきに、小作りな顔。
 ノースリーブのワンピースから伸びた手足が、細くて長い。
 黒目がちの大きな瞳が印象的で、ただ通りを歩いているだけでも十分に人目を惹きそうなくらい可愛らしい人なのに、どうしてわざわざ風俗嬢になんかなったんだろう。
 まあ……人それぞれ、事情というものはあるに違いないけど。

 対談といってもちゃんと台本があって、いちおうは筋に沿って進められていく。
 たまにアドリブや笑いも交えながら、取材自体はスムーズに進行した。
 カメラマンの注文に応えて、軽いスキンシップを取る2人は、今日が初対面だとは思えないほどに打ち解けて見える。
 これが蒼の仕事なんだとわかってはいても、実際に目にすればやっぱり面白くない。
 目のやり場に困って辺りを見回すと、近くに立っていた桂木さんと視線が合った。
「珍しく乗っているね、今日の蒼は」
「……?」
 言われた意味がわからなくて怪訝な顔をすると、桂木さんは小さく苦笑した。
「取材なんて鬱陶しいだけだ、どうせ思ってることの半分も言えやしないんだからって、露骨に乗り気じゃない顔をしていることが多いんだけど、今日はそうでもないみたいだ」
 そこで、思わせぶりに声を潜め、桂木さんは囁いた。
「お相手のおかげかな……蒼、可愛い子には目がないから」
 咄嗟には返す言葉のないあたしを軽く一瞥してから、桂木さんは取材中の2人に視線を戻した。
 ドキドキした。
 桂木さんの言葉には、きっと深い意味なんてない。
 男の人なら誰だって、美人とお近づきになる機会があれば嬉しいに決まってる。
 それは蒼だって例外じゃなくて当たり前だ。
 きっと、そういう意味なんだ……ただ、それだけのことだ。

 なのに、こんなにも胸が苦しいのはどうしてだろう。

 和やかな雰囲気の中、取材は無事に終わったようだった。
 対談で使っていたソファに並んで座り、彼らはしばらく顔を寄せ合ってひそひそ話を交わしていたけど、やがて、ご機嫌な様子で蒼が戻ってきた。
「お待たせ。どうだった、今日は退屈しなかった?」
「うん、大丈夫。……蒼は、楽しそうだったね」
 最後に何を話していたの、とさり気なく聞くと、彼はポケットから名刺を取り出した。
「業界の人間って、仕事が不規則だし、なかなか本命にかける時間がなくてね、風俗にはまってるやつも多いんだ。そいつらに紹介しちゃおうと思って、亜紗妃ちゃん」
 ぴんと名刺を指で弾き、楽しげに蒼は言った。
「蒼も……?」
「俺は今んとこ、風俗には興味ないけど」
「でも……蒼、可愛い子には目がないんでしょ」
「ええ? 誰から聞いたの、そんな話」
「桂木さん……今日の蒼、いつになく乗ってるみたいだって」
 それを聞いて、蒼は「ははっ」と声を上げて笑った。
「さすがは長い付き合いのマネージャーだな。よく見てるよ、俺のこと」
 さらにくつくつと可笑しそうに笑う。
 そして、複雑な表情でいるあたしのことなど意に介さないように、彼は言った。

「その通り。俺って、可愛い子が大好物なんだよね」

* * * * *

 蒼の部屋で、蒼に抱かれる。
 知り合ったばかりのころこそ、躊躇いや戸惑いもあったけれど、今ではもう、当たり前みたいに繰り返されている行為。
 あたしは、彼にこうされるために、この部屋を訪れていると言ってもいい。
 でも、そうなるのも無理ないかなって自分でも思う。
 言葉がない分、抱き合っていないと、触れ合っていないと、何を頼りにこの恋を続けていけばいいのかわからなくなる。
 ううん、……恋、という言い方は少し違うかも知れない。
 多分、恋焦がれているのはあたしの方だけで、蒼にとっては、きっと火遊びみたいなものだから。

 ――夏の間中、可愛がってあげる。
 彼にそう言われたことがある。
 言われたときにはその意味を考えてもみなかったけど、今ならわかるような気がする。
 夏なら、夏休みの間なら、あたしは学校というものに煩わされなくて済む。
 その間、蒼は思う存分、あたしを自由にすることができる。
 そして、あたし自身がそれを望んだんだ、きっと。

 飼い猫みたい。

 鎖で繋がれてるわけでもない、檻に入れられているわけでもない。
 もちろん、自由を制限されているわけでもない、窓はいつだって大きく開かれている。
 逃げようと思えば逃げられる……あたしにその意思があるのなら。
 それでも、あたしはこの部屋に舞い戻ってしまう。
 彼が、あたしの顔を覗き込み、お利口なペットにするように頭を撫で、ふわりと抱き上げてくれるのを期待して。

「藍……」
 背後からあたしを抱きしめる蒼の腕。
 大きな手が、胸のふくらみを柔らかく包み込む。
「藍の声って最高、ぞくぞくする……もっと俺の名前呼んで」
 囁く蒼の声に、あたしの方がぞくぞくしちゃう。
 一体、何人の人が彼の歌声に心奪われ、その声を耳元で聴きたいと願っただろう。
 あたしの耳は今、とても無防備にその幸せを味わっている。
「……蒼」
「ん、もっと呼んで……」
「好き、蒼……大好き……」
 それに返ってくる言葉はないけど、彼はあたしを抱く腕に少し力をこめた。
「ああ、マジ堪んないよ……君の声、君の肌、それから、そのちょっと潤んだ瞳とかさ」
 顎に指を添えて上向かされる。
 落ちてくるキス、キス、キス……・。
「この俺を夢中にさせてんの、わかってる?」
 その言葉の熱っぽい響きに、すごく想われてるみたいな気持ちになる。
 だけど、あたしはそれが錯覚でも構わない。
 もともとがかりそめの恋なら、彼とこうして抱き合っているときくらい、愛されていると思い込んだって罰は当たらないはずだ。

「どうされたい?」
 あたしの背中に体重をかけるようにしながら、蒼が甘く尋ねる。
 あたしが彼にどうされたいかなんてわかっているくせに、わざと聞いてくる。
 耳のうしろをちろりと舐められて、全身が粟立った。
「ねえ、どうされたいか言ってごらんよ」
 耳朶を軽くなぞった舌が、小さな穴の入り口あたりにたどり着き、そこを擽るように這う。
「あっ、そ、…そんなとこ舐めちゃ、や……っ」
「ふぅん、ココをこんな風にされるのが好きなんだ」
「違うっ、耳はだめなの、……ひゃっ」
 潤んだ舌が、ぴちゃと淫らな音を立てた。
 流れ込む吐息に、頭の中まで蕩けそうになる。
「蒼、お願い……だめだから、も……」
 身体を捩るようにして振り向いたあたしと、蒼の視線が、絡む。
 すると、彼は切れ長の目を細めて少し笑った。
「ヤバイんだけど、そんな顔されちゃうと」
 何が、と聞き返す前に、あたしは彼の下に組み敷かれていた。
「可愛い子は大好物だって、言ったろ」
「う、うん……」
 あの雑誌の取材があった日、可愛い子には目がないんでしょ、と多少の皮肉も込めて言ったあたしの言葉を、いともあっさりと肯定した蒼。
 可愛い子なら誰でもいいの、という問いは口に出せなかった。
 なぜなら、あたし自身がそんな「可愛い子」のひとりである可能性も、十分すぎるくらいあったから。
「可愛いから、滅茶苦茶にしたくなるんだ」
 広い肩が、あたしに覆いかぶさる。
 蒼は、意地悪にも見える笑みを唇の端に浮かべて、言った。
「泣いた顔もきっと可愛いだろうなんて、思う俺は相当屈折しているのかもね」
 彼は、ゆっくり腰を進めながら、あたしにそっと口づけた。
「涙を流して懇願するくらい、俺を求めて……俺に溺れてしまってよ」

 もしも、彼が本当にそれを望むなら、あたしは躊躇わずにそうする。
 溺れることなど怖くない。
 あたしが怖いのは、彼という存在が消えて、溺れるべき海さえも涸れてしまうこと。
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