Love, Truth and Honesty

逢坂莉子

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望ましくない光景(2)

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 それからの数日間、甲斐くんの別荘での日々は、穏やかに過ぎた。

 野尻湖は、長野県の北端に位置する高原の美しい湖で、その形が芙蓉の葉の形に似ていることから、芙蓉湖とも呼ばれている。
 そしてその湖岸には、大正時代に外国人宣教師によって避暑地として見出されたというだけあって、国際色豊かな別荘地が広がっていて、周辺を散策するだけでも楽しい。
 甲斐くんと一緒に、遊覧船にも乗った。
 北信五岳と呼ばれる黒姫、妙高、戸隠、飯綱、斑尾の山々が、湖を取り囲むようにそびえ、湖面に姿を映していたのがきれいだった。
 黒姫高原のコスモス園にも行ったし、黒姫童話館や、小林一茶の記念館にも連れて行ってもらったし、なんかリゾートライフ満喫って感じ。
 でも、印象深く胸に残ってるのは、黒姫の伝説だ。
 黒姫という美しい姫君に恋をした大蛇が、若侍に化けて姫と結ばれるけど、結局は彼が蛇だということがバレて、嘆き悲しんだ2人は自害する、その場所が黒姫山と呼ばれるようになったというお話だった。
 封建時代の身分違いの恋を蛇に喩えているんだろうって、秀才らしく甲斐くんは言ったけど、日本の伝説ってどうして悲恋物語が多いのかななんて、ちょっと思ったりもした。

 その日、あたしと甲斐くんは、野尻湖周回のサイクリング・コースに出かけた。
 全長16キロ、甲斐くんに誘われたときには、自転車ならたいした距離じゃないと思ったけど、実際はアップダウンもあって結構キツかった。
 2時間半くらいかけて1周終えたときには、早くも足が筋肉痛になりかけて、最後の方はきれいな景色を楽しむ余裕もなかったくらいだ。
 甲斐くんは、そんなあたしを見ながら、「夏は暑くてちょっとキツイね。今度は秋の涼しいころに来よう」なんて笑っていたけど、もう懲り懲りだ。

 自分の部屋のお風呂で汗を流したあと、大きなダイニングで甲斐くんとご飯を食べる。
 初日に甲斐くんも言っていたけど、小笠原夫妻の奥さんのお料理は最高に美味しい。
 出された料理を片っ端から平らげて行くあたしに、奥さんは「美味しそうに食べていただいて、作った甲斐がありますね」って言ってくれた。
 なのに、それに対して、「彼氏の前でも全然遠慮がなくて豪快でしょう? 僕は、彼女のこういう飾らないところも好きなんですよ」って、微妙な褒め方をする甲斐くん。
 甲斐くんはあたしをそんな風に見てるのか。
 そういえば、あたしも甲斐くんの前では、自分の気持ちを抑えたりって、あんまりしたことない。
 蒼と一緒にいるときは、なるべく迷惑かけないようにとか、必要以上にべたべたしないようにとか、彼の負担にならないようにすごく気を使うのに。

 ああ、また……蒼のこと、思い出てる。
 もう、あんまり考えないようにしようって決めたのに。

 夕食後は、甲斐くんと一緒に部屋に戻った。
 この別荘に来て、観光っぽいことはたくさんした。
 でも、それ以上にえっちもいっぱいした。
 誰にも邪魔されず2人きりなのに加えて、日常を離れた開放感も、お互いの気持ちに拍車をかけたのかも知れない。
 甲斐くんは、時間があればあたしを抱きたがったけど、あたしの方も、積極的に彼を求めた気がする。
 だって……抱き合ってないと、何だか不安になった。
 自分の気持ちに整理なんてついてないし、この旅行が終わって東京に帰ったら、自分がどうしたいのかも、今はわからない。
 自分の心が揺れていること、見て見ないふりをするために、甲斐くんの優しさに縋っていたんだと思う。

 だけど……。

「藍……」
 抱きしめられ、耳元で名前を呼ばれる度に、胸がぎゅうっと締め付けられる。
 でも、それはときめきというよりは、得体の知れない罪悪感のようなものだった。
「ごめん、甲斐くん……今日はちょっと、疲れちゃった」
 顔を背けるようにして、近づいてきた唇を避けると、甲斐くんは、それ以上無理強いすることもなく、あたしの身体に巻いていた腕を解いた。
「そっか……じゃあ、居間でDVDでも観る? 結構新しいのもあるよ」
「ううん、できたら今日はこのまま休みたいの。もちろん、甲斐くんが良ければだけど」
「僕が良ければ、なんて……いいに決まってるだろ、藍に無理なんてさせないよ」
 相変わらず優しい甲斐くんは、そう言いながら額に軽くキスをしてくれた。
 少し長めに唇を押し付けてから、名残惜しそうに身体を離す。
「それじゃ、また明日」
「うん……お休みなさい」
 パタン、と目の前でドアが閉まる。
 あたしは、意味もなく大きく嘆息した。
 今夜は、なぜかひとりになりたかった。

 木枠のはまった可愛らしい窓を開けて外を眺めると、昔懐かしいような、緑のにおいがする。
 外は薄闇に包まれつつあったけど、まばらな白樺の向こう、通りを歩く人の顔などは、まだ見分けることができる明るさだ。
 少し離れたところに止まっていた黒い国産の4WDから、人影が降り立つ。
 この時間だというのに、長身のその男性は、黒いキャップをかぶり、同じく黒いサングラスをかけていた。
 あたしは思わず、息を呑んでその人の動きを見守っていた。
 そんなあたしの視線に気づいたのか、その男性がこちらを向く。
 ゆっくりとサングラスを外し、にっこりと微笑む。

 窓を、閉めてしまえば良かった。
 けれども、あたしにはそうすることができなかった。
 舞台の上で台詞を忘れた役者のように、黙ってそこに突っ立っていることしかできなかった。
 真っ直ぐにこちらへ向かってきたその人が、窓枠にかけられたままだったあたしの手に、そっと手のひらを重ねるまで。

* * * * *

「何しに、来たの……」
 驚いて咄嗟には言葉も出なかったあたしが、やっとのことでそう言うと、蒼は、サングラスを傾げるようにして少し笑った。
「とは、ご挨拶だね。せっかく、東京から車を飛ばして会いに来たっていうのに」
 言いながら、窓枠に手をかけ、室内を覗き込むようにする。
「部屋に入れてよ」
「あたしの家じゃないんだから、勝手に他人を入れるわけにはいかない」
「こんな時間、こんな風に、地元の者じゃない人間と窓越しに話している方が、人目を引くと思うけど」
「……」
 悔しいけど、あたしは黙る。
 確かに、こんなところで押し問答していたら、近所から変に思われるかも知れない。
「じゃ、ちょっと行儀が悪いけど、ここから上がらせてもらうよ」
 反論できないあたしを尻目に、彼はさっさと窓を乗り越えて、部屋に入ってきた。
 こうなってしまった以上、大きな声を出して彼を追い返すこともできない。
 あたしは仕方なく窓を閉め、カーテンを引いた。
「なかなか良い別荘じゃない、さすがは天王寺物産の御曹司だね」
 ぐるりと室内を見回した彼が、言う。
「なんで、蒼が甲斐くんのこと」
「知ってるかって? 俺ね、こう見えても顔が広いの。例えば、名門私立高校の在校生名簿くらい、伝を辿れば簡単に手に入る」
「それで、……調べたの」
「まあね。藍の同級生に甲斐って名前はひとりしかいなかったから、すぐに見つかった」
 そう言って、断りもなしにベッドに腰掛けると、あたしを斜めに見上げてきた。
「君から、甲斐と一緒に野尻湖の別荘に行くってことは聞いていたしね。派出所で、天王寺さんの別荘に来たんだけど道に迷ったって言ったら、親切に教えてくれた。そのときに、ここの持ち主が天王寺物産の社長だってことも聞いたんだ」
 蒼は、長い腕を伸ばしてあたしの手をつかんだ。
「高原の別荘で2人きり、ヤリまくってるんだろうと思ったら面白くなくてね」
 ロケの帰り、気がついたら高速に乗ってた、と蒼は笑った。
 そのまま引き寄せられて、あたしは彼の膝の上に横座りになる。
「嫉妬ってやつなのかな、これも」
「どうして、蒼が嫉妬なんてするの」
「さあね……藍が可愛いからじゃない?」
 唇が重ねられる。
 押し付けられる柔らかい感触に、頭の中が蕩けそうになる。
 でも、背中を抱く腕に力を込められるのに気づいて、あたしは身体を捩った。
「だめっ」
「何が?」
「何がって……さっきも言ったでしょ、ここはあたしの家じゃないんだよ。そんなところに他人を引っ張り込んで、好き勝手なことして良いわけないじゃない」
「だったら、黙っていればいいさ。それとも何、君は俺がここに来たことを甲斐に報告するつもりなの?」
「そ、それは……」
 そんなこと、できるわけないの、わかってるくせに。
 そもそも、あたしと蒼がこうして会っていることだって、甲斐くんには話してない。
「ここまで来て、何もせずに帰れなんて、薄情なことは言わないよね?」
 スカートの裾から入り込んだ手で腿を撫でながら、蒼が言う。
 その声には、少しだけ面白がる口調が混じっていた。
「今日はすごく疲れてるの、だからいや」
 肩を押し返そうとすると、蒼は目を眇めてあたしを見た。
「疲れた、ね……他の男は欲しくもなくなるほど、甲斐に満足させてもらったってことか」
「ちっ、違う! そんなんじゃないよ!」
「だったら、何」
「野尻湖の周りをサイクリングしたの、だから疲れたの。蒼が考えてるみたいな、いやらしい意味じゃない」
 サイクリング、と口の中で言ってから、蒼はくくっと含み笑いを洩らした。
 ……なんか、嫌な感じだ。
「なんで笑うの」
「いや? ずいぶんと健康的だなあと思って」
 ひとしきりくすくすと笑ったあとで、蒼はいきなりあたしを押し倒した。
「健全な男女交際? 仲が良くて結構じゃない」
「……おかげ様で」
 含みのある言い方に、あたしがそう言い返すと、彼は片頬を微かに歪めた。
 それから、いつかのように両手首を一掴みにされて、頭の上で拘束される。
「優しくて理解があって、おまけに大金持ちの彼氏に想われているのにね。それでも俺を求めるんだ、ずいぶんと欲張りなんだな」
「求めてなんか、いない……」
 温かい舌が、首筋を這う。
 鎖骨にたどり着いた唇が、その部分を強く吸った。
「やっ、……痕つけないで!」
「どうして? 次に甲斐に抱かれるとき、言い逃れできないから?」
 彼はそう言って、赤く色づいただろう辺りをそっと指で触れた。
 その指の感触だけで、身体中がぞくっと粟立つ。
「俺が欲しいだろ?」
 冷ややかな声で、彼は言った。
「甲斐のと未熟なセックスじゃ満たされない部分を、俺に埋めてもらいたいと思ってるんだ、そうだろ?」
「そんなこと、思ってな――」
 言いかけたあたしは、腿に押し付けられた固まりを感じて、思わず言葉に詰まった。
 大きくて逞しい蒼のモノ……ソレがあたしの中を擦り上げながら進んでくる感覚を思い出すと、お腹の奥の方がきゅんと疼く。
「甲斐との、優しく労わるようなセックスじゃ満足できない。もっと激しく壊れるくらい、俺に抱いて欲しいと思ってるんだろ?」
 蒼は、「俺に」というところを強調するような言い方をした。

 蒼との、セックス……。
 確かに、彼は、自分でも知らなかったあたしの女の部分を目覚めさせた。
 1度のセックスで、何度もイケるということをあたしに知らしめたのも、蒼だ。

「本当は、藍も気がついてるんだろ?」
 俺と、甲斐……本当に欲しているのは誰か。
 それを聞いて、あたしは思った。
 彼は、知ってる。
 知っていて、ここに来た。
 自分の唇が、舌が、指が、あの部分が、あたしに目くるめくような快感を与えること。
 そして、……あたしがそれに溺れてしまっていることも。
「蒼……」
 あたしは、彼の背中に腕を回し、彼の名前を呼んだ。
 この美しい人からは、逃げられない……ううん、最初から逃げるつもりなんてなかった。
 蜘蛛の糸にがんじがらめにされて、ただ食べられるのを待つ蝶のように。
「藍の求めるものを、与えられるのは俺だよ……甲斐ではなくてね」
 そう言って、彼はあたしを抱きしめ返した。

 あたしの求めてるものってなんだろう。
 身体の快楽? それだけじゃないような気もする。

 ああ、でも……今は何も考えたくない。
 蒼に、翻弄されたい。
 あたしは、その瞬間に考えることを止めた。
 今が良ければ、それでいい、現実に目を瞑ってでも。
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