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恋する笑顔に恋をした(2)
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蒼が話したところによると、ヒガシさんは、彼の先輩にあたる人なのだそうだ。
10年ほど前、ヒガシさんは同期の2人とトリオを組んでいて、当時は一世を風靡するほどの人気だったらしい。
らしい、と言うのは、彼らの最盛期にあたしはまだ小学校の低学年で、申し訳ないけど、リアルタイムでの彼らの活躍をまったく覚えていないから。
人気が下火になると、ヒガシさんは潔く芸能界を引退して、もともと興味のあった夜の世界に足を踏み入れ、現在では、若くして界隈で1番の人気ホストクラブを切り盛りするやり手社長として名を馳せているという。
「トリオっていうと……他のお2人はどうしちゃったんですか?」
あたしの質問に、ヒガシさんは苦笑しながら頭を掻いた。
「ハハ、……当時は俺らの解散の話題で、テレビも雑誌も持ちきりだったけどね、藍ちゃんくらい若い人になると、記憶に残っていなくても無理はないか」
「あ、スミマセン! 別に、そういうつもりじゃ……」
あたしが恐縮すると、ヒガシさんは、気にすることはないよと笑って言った。
「俺はこの通り、足を洗ってしまったけど、残りの2人はまだ業界にいるよ」
そのうちのひとりは、今でも現役で活躍中の植村真之という中堅タレントで、残るひとりは、驚いたことに蒼のマネージャーでもある桂木さんだった。
「桂木さんって、元アイドルだったんですか?」
道理で、初めて会ったときも、自分がタレントであってもおかしくないと思ったわけだ。
「蒼には、桂木もずいぶんと入れ込んでいたからね」
こいつは、いつか日本を代表する大スターになる、なんて青臭いこと言ってさ、ヒガシさんは蒼の頭を軽く小突いた。
「しかし、初めて会ったときにはクソ生意気なガキだったのに、10年経った今、お前はその予言を現実にしちまったからな」
「いや、俺ひとりの力でここまで来れたわけじゃないです、ヒガシさんにもいろいろアドバイスもらって、桂木さんにもすげえ世話になって、皆さんのお陰ですから」
誰もが認める国民的アイドルとして、時に傲慢で俺様的な振る舞いも目立つ蒼(それはそれで彼の大きな魅力なのだけれど)が、殊勝なことを言うから驚いた。
蒼の事務所には「ジュニア」と呼ばれる若年層のグループがあって、彼らは幼いころから子役やモデル、先輩格タレントのバックダンサーなどを務めながら「修行」を積んでいく。
けれども、どんなに頑張っても実際にスターとして華々しくデビューできるのは、その中でもほんのひと握りにすぎない。
そんな彼らだからこそ、下積みの大変さを知っているし、後輩にも目をかける。
そして、後輩たちも文字通り先輩の活躍を目の当たりにしながら、自らも夢を追う。
「まあ、蒼もアイドルなんて呼ばれて浮いた話には事欠かないやつだけど、わざわざ俺に紹介しようと連れてきた子は君が初めてだよ」
「はあ……そうなんですか」
その返答があまりに間が抜けて聞こえたのか、ヒガシさんは、再び額を押さえてくつくつと笑った。
一方、なぜか気恥ずかしげに鼻の横を掻いていた蒼は、大きく嘆息して天井を仰ぐ。
「君、本当に天然なんだな、もっとも、蒼は君のそういうところにも惹かれたのだろうけど」
天然って……褒め言葉のようには聞こえないけど、もし蒼がそんなあたしを好いてくれているのなら、それだけで嬉しいとあたしは思った。
例えば、それが彼の周りにいるきれいな女優さんや可愛いタレントさんとは毛色が違っていて物珍しい、だからあたしに興味が湧く、といった意味でも。
蒼とヒガシさんは業界のことや共通の知人の噂話なんかをしばらく話していたけれど、やがて蒼が先に腰を上げた。
「ヒガシさん、俺たちそろそろ……」
「そうか。それじゃ、今夜はお開きだな」
ヒガシさんは、よしと弾みをつけるようにして立ち上がった。
「ちょっと、事務所の方にいいか?」
「あ、はい……じゃあ、君は入り口の階段を上がったところで待ってて」
そう促され、最初に入ってきた事務所のドアのところから送り出された。
あたしがいたら都合でも悪いのかと思ったけど、誰にでも他人に聞かれたくない話というものはあるのだから、と思い直した。
彼らのように、特殊な環境を生業にしている人なら尚更かも知れないし。
ひとりで、蒼と一緒に下りてきた階段を上がる。
時刻はもう夜半を過ぎているはずだけれど、繁華街には煌々とネオンが灯り、通りは行き交う人たちで賑やかだ。
何気なく大きく息を吸い込むと、夏の夜特有の熱気も一緒に入り込んでくる。
「ねえ君、こんなとこで何やってんのォ?」
明らかに酔いの混じった口調で声をかけられたのはそのときだ。
振り向くと、だらしなくネクタイを緩めたサラリーマン風の2人連れが、じろじろとあたしを見ていた。
「あらら、可愛いねえ、高校生くらいかな? こんな時間まで夜遊びはだめだよォ」
教育的指導! とかなんとか面白くもなんともないことを言って笑っている。
いい年して、酔っ払って女の子に絡むなんて、これだからオヤジは嫌いだ。
「関係ないでしょ、さっさと帰って頭冷やしなさいよ」
「大人に向かってそういう生意気な口をきくかァ? オジサン、感心しないなァ」
礼儀ってものを教えてやるから一緒にホテルに行こう、みたいなことを呂律の回らない口調で言って、彼らはあたしの腕をつかんだ。
冗談じゃない、そんなこと願い下げだ。
でも、絡まれたのがあたしひとりで良かったと思った。
こんなところに蒼が居合わせたら大変なことになる、酔っ払いとのいざこざなんかに彼を巻き込むわけにはいかない。
適当に応じるふりをして、隙を突けば逃げられるだろうか?
酔っ払っているとはいっても腕をつかむ力は強い、相手は大人の男が2人だ。
二進も三進も行かない、とはこういうことを言うのかも知れない。
* * * * *
どうしよう、どうしよう、と思いながら、押し問答を繰り返すうちに、背後から階段を上がる足音が聞こえてきた。
「……藍?」
名前を呼ばれるのと同時に身体がよろめき、引き寄せられたのは広い胸。
「ごめん、ちょっと遅くなったか、大丈夫?」
降ってきた声に顔を上げると、心配そうな蒼の顔がそこにあった。
「そ、……」
あたしも彼の名前を呼んでしまいそうになって、慌てて口を噤む。
蒼のバカ、こんな場面で現れることないじゃないって思った。
面倒なことになってるのは見ればわかるんだから、知らん顔してればいいのに。
けれども、蒼はそのままあたしの肩を抱くと、あ然とする男たちに向かって、言った。
「悪いけど、この子、俺の連れだから」
それから、あたしに向き直り、本当に君って子は、と困った顔をする。
「まったく、これだから放っておけないんだ、帰るよ?」
「う、うん……」
頷きながら、このまま何事もありませんように、彼らが蒼の正体に気づいたりしませんようにと心の中で願った。
でも、歩き出した蒼の肩を、ひとりが引き止めるようにつかむと、無理やり彼を振り向かせた。
「ちょっと待てよ……こいつ、鷹宮蒼じゃないの?」
案の定、男はそう言った。
それを聞いたもうひとりも、しげしげと蒼の顔を覗き込むようにする。
「本物? 驚いたね、好感度ナンバー1の人気アイドルが、こんな夜中に繁華街をウロウロしてていいのかな? しかも、女の子まで連れちゃって」
「関係ないだろ、俺が誰とどこにいようと、他人の知ったこっちゃない」
そう言って、煩わしい虫を払うように振った蒼の手が、運悪く相手の顔に当たった。
ばしん、と意外に大きな音がして、男は、本当に頬を張られでもしたみたいに大袈裟に後退った。
「何だ、こらァ? 芸能人だからって、一般人に暴力ふるってもいいってのか?!」
男は、頬を押さえながら、わざとらしい大声を出した。
因縁をつけようとする魂胆が見え見えの態度だ。
ムカつくけど、不可抗力とはいえ、先に手を上げてしまったのは蒼だ。
しかも、相手は酔って気が大きくなっているから、余計に始末が悪い。
あたしがおろおろしている間に、男は蒼の胸倉を掴み上げようとしていた。
ここであたしが止めに入っても、かえって逆効果になってしまうだろう。
かといって、通行人に助けを求めるわけにもいかない。
どうすればいいの、誰か頼りになる人は……。
「あ、…あたし、ヒガシさん呼んでくる!」
あたしは、そう言って踵を返し、地下への階段を駆け下りた。
「たっ、助けてください!」
事務所のドアを開けるなり、狭い室内に響き渡るような声で叫んだあたしに、読んでいた雑誌から顔を上げたヒガシさんは、本当に驚いたように目を丸くした。
「藍ちゃん?」
「大変、蒼が、……蒼が、あたしのせいで酔っ払いに絡まれて――」
言い終わらないうちに、素早く立ち上がったヒガシさんは、携帯で電話をかけ、間髪入れず出た相手と話しながら、ドアのところで息を切らしているあたしの横をすり抜けて表へ向かう。
あたしも慌ててあとを追うけど、ヒガシさんの姿はもう消えていて、足が長いから走るのも早い、とこんなときなのに変なことに感心した。
少し遅れてあたしが地上に戻ると、肩を怒らせて腰に手を当てたヒガシさんと、そのとなりで口元にハンカチを当てている蒼が目に入った。
そして、その側には、どこから駆けつけたのか、体格が良くて強面の男性が仁王立ちしていて、その人に睨みつけられて、例の酔っ払い2人ががすっかり縮こまっている。
「生憎だが、こいつは本物の鷹宮蒼じゃない、うちのショーに出てるそっくりさんだ。その大事な商売道具に傷つけられて、こっちが黙ってるとでも思っているんじゃないだろうな?」
「ス、スミマセン……これは、ほんの弾みとちょっとした行き違いが原因で……」
「スミマセンで済んだら、警察はいらないってよく言うだろ? ガキの遊びじゃないんだ、このまま足に重しつけて東京湾に沈めてやってもいいんだぞ」
しどもど弁解しようとした彼ら――酔いはとっくに醒めてしまったようだ――は、強面さんに首根っこを捕まえられてさらに青ざめた。
「これに懲りたら、2度と他人のすることに首を突っ込まないことだ。わかったな?」
短い間に何を言われ何をされたか知らないけど、いくらか痛い目に遭ったらしい。
ヒガシさんに念を押されると、2人組みは首振りの人形みたいに何度も頷き、それから文字通り転がるようにして逃げ出した。
「ご苦労様です、総和会の皆さんには、いつもいろいろとお世話になって」
彼らの姿が見えなくなると、ヒガシさんはそう言って、強面さんに頭を下げた。
「いや、ミカジメをいただいている以上、シマの皆さんの安全を守るのも、私たちの立派な仕事だと、上からも言い使っていますんで」
見かけによらず礼儀正しい人のようで、強面さんはヒガシさんに向かって慇懃に礼をすると、また何かあったら、と言い残して去っていった。
シマとかミカジメとか、そもそも総和会っていうのも何の会なのかわからないけど、あの人がどうやらこの辺りの用心棒みたいなことをしているというのだけは察しがついた。
「この野郎、無茶しやがって」
ヒガシさんは、振り向きざまに蒼の頭を平手で叩いた。
顔を顰めながらも苦笑いした蒼のハンカチには、血がついていた。
さっきのいざこざの間に口の中を切ったのだろうか、これも自分せいなのだと思うと、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
「桂木に電話をしておいたから、そのうちに飛んでくるだろう。とりあえず、事務所に戻って傷の手当てをしないとな」
ヒガシさんに促され、はい、と頷いて顔を上げた蒼と、あたしの視線が合う。
「蒼……、ごめんね」
「なんで藍が謝ってんだよ」
蒼は、いつもと同じ笑顔で、いつもと同じように小さく首を傾げて見せた。
このとき、あたしは感じた。
自分の心の中で、蒼への気持ちが着実に変化を遂げていることを。
10年ほど前、ヒガシさんは同期の2人とトリオを組んでいて、当時は一世を風靡するほどの人気だったらしい。
らしい、と言うのは、彼らの最盛期にあたしはまだ小学校の低学年で、申し訳ないけど、リアルタイムでの彼らの活躍をまったく覚えていないから。
人気が下火になると、ヒガシさんは潔く芸能界を引退して、もともと興味のあった夜の世界に足を踏み入れ、現在では、若くして界隈で1番の人気ホストクラブを切り盛りするやり手社長として名を馳せているという。
「トリオっていうと……他のお2人はどうしちゃったんですか?」
あたしの質問に、ヒガシさんは苦笑しながら頭を掻いた。
「ハハ、……当時は俺らの解散の話題で、テレビも雑誌も持ちきりだったけどね、藍ちゃんくらい若い人になると、記憶に残っていなくても無理はないか」
「あ、スミマセン! 別に、そういうつもりじゃ……」
あたしが恐縮すると、ヒガシさんは、気にすることはないよと笑って言った。
「俺はこの通り、足を洗ってしまったけど、残りの2人はまだ業界にいるよ」
そのうちのひとりは、今でも現役で活躍中の植村真之という中堅タレントで、残るひとりは、驚いたことに蒼のマネージャーでもある桂木さんだった。
「桂木さんって、元アイドルだったんですか?」
道理で、初めて会ったときも、自分がタレントであってもおかしくないと思ったわけだ。
「蒼には、桂木もずいぶんと入れ込んでいたからね」
こいつは、いつか日本を代表する大スターになる、なんて青臭いこと言ってさ、ヒガシさんは蒼の頭を軽く小突いた。
「しかし、初めて会ったときにはクソ生意気なガキだったのに、10年経った今、お前はその予言を現実にしちまったからな」
「いや、俺ひとりの力でここまで来れたわけじゃないです、ヒガシさんにもいろいろアドバイスもらって、桂木さんにもすげえ世話になって、皆さんのお陰ですから」
誰もが認める国民的アイドルとして、時に傲慢で俺様的な振る舞いも目立つ蒼(それはそれで彼の大きな魅力なのだけれど)が、殊勝なことを言うから驚いた。
蒼の事務所には「ジュニア」と呼ばれる若年層のグループがあって、彼らは幼いころから子役やモデル、先輩格タレントのバックダンサーなどを務めながら「修行」を積んでいく。
けれども、どんなに頑張っても実際にスターとして華々しくデビューできるのは、その中でもほんのひと握りにすぎない。
そんな彼らだからこそ、下積みの大変さを知っているし、後輩にも目をかける。
そして、後輩たちも文字通り先輩の活躍を目の当たりにしながら、自らも夢を追う。
「まあ、蒼もアイドルなんて呼ばれて浮いた話には事欠かないやつだけど、わざわざ俺に紹介しようと連れてきた子は君が初めてだよ」
「はあ……そうなんですか」
その返答があまりに間が抜けて聞こえたのか、ヒガシさんは、再び額を押さえてくつくつと笑った。
一方、なぜか気恥ずかしげに鼻の横を掻いていた蒼は、大きく嘆息して天井を仰ぐ。
「君、本当に天然なんだな、もっとも、蒼は君のそういうところにも惹かれたのだろうけど」
天然って……褒め言葉のようには聞こえないけど、もし蒼がそんなあたしを好いてくれているのなら、それだけで嬉しいとあたしは思った。
例えば、それが彼の周りにいるきれいな女優さんや可愛いタレントさんとは毛色が違っていて物珍しい、だからあたしに興味が湧く、といった意味でも。
蒼とヒガシさんは業界のことや共通の知人の噂話なんかをしばらく話していたけれど、やがて蒼が先に腰を上げた。
「ヒガシさん、俺たちそろそろ……」
「そうか。それじゃ、今夜はお開きだな」
ヒガシさんは、よしと弾みをつけるようにして立ち上がった。
「ちょっと、事務所の方にいいか?」
「あ、はい……じゃあ、君は入り口の階段を上がったところで待ってて」
そう促され、最初に入ってきた事務所のドアのところから送り出された。
あたしがいたら都合でも悪いのかと思ったけど、誰にでも他人に聞かれたくない話というものはあるのだから、と思い直した。
彼らのように、特殊な環境を生業にしている人なら尚更かも知れないし。
ひとりで、蒼と一緒に下りてきた階段を上がる。
時刻はもう夜半を過ぎているはずだけれど、繁華街には煌々とネオンが灯り、通りは行き交う人たちで賑やかだ。
何気なく大きく息を吸い込むと、夏の夜特有の熱気も一緒に入り込んでくる。
「ねえ君、こんなとこで何やってんのォ?」
明らかに酔いの混じった口調で声をかけられたのはそのときだ。
振り向くと、だらしなくネクタイを緩めたサラリーマン風の2人連れが、じろじろとあたしを見ていた。
「あらら、可愛いねえ、高校生くらいかな? こんな時間まで夜遊びはだめだよォ」
教育的指導! とかなんとか面白くもなんともないことを言って笑っている。
いい年して、酔っ払って女の子に絡むなんて、これだからオヤジは嫌いだ。
「関係ないでしょ、さっさと帰って頭冷やしなさいよ」
「大人に向かってそういう生意気な口をきくかァ? オジサン、感心しないなァ」
礼儀ってものを教えてやるから一緒にホテルに行こう、みたいなことを呂律の回らない口調で言って、彼らはあたしの腕をつかんだ。
冗談じゃない、そんなこと願い下げだ。
でも、絡まれたのがあたしひとりで良かったと思った。
こんなところに蒼が居合わせたら大変なことになる、酔っ払いとのいざこざなんかに彼を巻き込むわけにはいかない。
適当に応じるふりをして、隙を突けば逃げられるだろうか?
酔っ払っているとはいっても腕をつかむ力は強い、相手は大人の男が2人だ。
二進も三進も行かない、とはこういうことを言うのかも知れない。
* * * * *
どうしよう、どうしよう、と思いながら、押し問答を繰り返すうちに、背後から階段を上がる足音が聞こえてきた。
「……藍?」
名前を呼ばれるのと同時に身体がよろめき、引き寄せられたのは広い胸。
「ごめん、ちょっと遅くなったか、大丈夫?」
降ってきた声に顔を上げると、心配そうな蒼の顔がそこにあった。
「そ、……」
あたしも彼の名前を呼んでしまいそうになって、慌てて口を噤む。
蒼のバカ、こんな場面で現れることないじゃないって思った。
面倒なことになってるのは見ればわかるんだから、知らん顔してればいいのに。
けれども、蒼はそのままあたしの肩を抱くと、あ然とする男たちに向かって、言った。
「悪いけど、この子、俺の連れだから」
それから、あたしに向き直り、本当に君って子は、と困った顔をする。
「まったく、これだから放っておけないんだ、帰るよ?」
「う、うん……」
頷きながら、このまま何事もありませんように、彼らが蒼の正体に気づいたりしませんようにと心の中で願った。
でも、歩き出した蒼の肩を、ひとりが引き止めるようにつかむと、無理やり彼を振り向かせた。
「ちょっと待てよ……こいつ、鷹宮蒼じゃないの?」
案の定、男はそう言った。
それを聞いたもうひとりも、しげしげと蒼の顔を覗き込むようにする。
「本物? 驚いたね、好感度ナンバー1の人気アイドルが、こんな夜中に繁華街をウロウロしてていいのかな? しかも、女の子まで連れちゃって」
「関係ないだろ、俺が誰とどこにいようと、他人の知ったこっちゃない」
そう言って、煩わしい虫を払うように振った蒼の手が、運悪く相手の顔に当たった。
ばしん、と意外に大きな音がして、男は、本当に頬を張られでもしたみたいに大袈裟に後退った。
「何だ、こらァ? 芸能人だからって、一般人に暴力ふるってもいいってのか?!」
男は、頬を押さえながら、わざとらしい大声を出した。
因縁をつけようとする魂胆が見え見えの態度だ。
ムカつくけど、不可抗力とはいえ、先に手を上げてしまったのは蒼だ。
しかも、相手は酔って気が大きくなっているから、余計に始末が悪い。
あたしがおろおろしている間に、男は蒼の胸倉を掴み上げようとしていた。
ここであたしが止めに入っても、かえって逆効果になってしまうだろう。
かといって、通行人に助けを求めるわけにもいかない。
どうすればいいの、誰か頼りになる人は……。
「あ、…あたし、ヒガシさん呼んでくる!」
あたしは、そう言って踵を返し、地下への階段を駆け下りた。
「たっ、助けてください!」
事務所のドアを開けるなり、狭い室内に響き渡るような声で叫んだあたしに、読んでいた雑誌から顔を上げたヒガシさんは、本当に驚いたように目を丸くした。
「藍ちゃん?」
「大変、蒼が、……蒼が、あたしのせいで酔っ払いに絡まれて――」
言い終わらないうちに、素早く立ち上がったヒガシさんは、携帯で電話をかけ、間髪入れず出た相手と話しながら、ドアのところで息を切らしているあたしの横をすり抜けて表へ向かう。
あたしも慌ててあとを追うけど、ヒガシさんの姿はもう消えていて、足が長いから走るのも早い、とこんなときなのに変なことに感心した。
少し遅れてあたしが地上に戻ると、肩を怒らせて腰に手を当てたヒガシさんと、そのとなりで口元にハンカチを当てている蒼が目に入った。
そして、その側には、どこから駆けつけたのか、体格が良くて強面の男性が仁王立ちしていて、その人に睨みつけられて、例の酔っ払い2人ががすっかり縮こまっている。
「生憎だが、こいつは本物の鷹宮蒼じゃない、うちのショーに出てるそっくりさんだ。その大事な商売道具に傷つけられて、こっちが黙ってるとでも思っているんじゃないだろうな?」
「ス、スミマセン……これは、ほんの弾みとちょっとした行き違いが原因で……」
「スミマセンで済んだら、警察はいらないってよく言うだろ? ガキの遊びじゃないんだ、このまま足に重しつけて東京湾に沈めてやってもいいんだぞ」
しどもど弁解しようとした彼ら――酔いはとっくに醒めてしまったようだ――は、強面さんに首根っこを捕まえられてさらに青ざめた。
「これに懲りたら、2度と他人のすることに首を突っ込まないことだ。わかったな?」
短い間に何を言われ何をされたか知らないけど、いくらか痛い目に遭ったらしい。
ヒガシさんに念を押されると、2人組みは首振りの人形みたいに何度も頷き、それから文字通り転がるようにして逃げ出した。
「ご苦労様です、総和会の皆さんには、いつもいろいろとお世話になって」
彼らの姿が見えなくなると、ヒガシさんはそう言って、強面さんに頭を下げた。
「いや、ミカジメをいただいている以上、シマの皆さんの安全を守るのも、私たちの立派な仕事だと、上からも言い使っていますんで」
見かけによらず礼儀正しい人のようで、強面さんはヒガシさんに向かって慇懃に礼をすると、また何かあったら、と言い残して去っていった。
シマとかミカジメとか、そもそも総和会っていうのも何の会なのかわからないけど、あの人がどうやらこの辺りの用心棒みたいなことをしているというのだけは察しがついた。
「この野郎、無茶しやがって」
ヒガシさんは、振り向きざまに蒼の頭を平手で叩いた。
顔を顰めながらも苦笑いした蒼のハンカチには、血がついていた。
さっきのいざこざの間に口の中を切ったのだろうか、これも自分せいなのだと思うと、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
「桂木に電話をしておいたから、そのうちに飛んでくるだろう。とりあえず、事務所に戻って傷の手当てをしないとな」
ヒガシさんに促され、はい、と頷いて顔を上げた蒼と、あたしの視線が合う。
「蒼……、ごめんね」
「なんで藍が謝ってんだよ」
蒼は、いつもと同じ笑顔で、いつもと同じように小さく首を傾げて見せた。
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