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精一杯のありがとう(2)
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あたしの部屋は2階で、窓の外は小さなベランダになっている。
電灯もない暗がりに、人が立っていたのだから驚いて当然だ。
その人は、長身の背を丸めるようにしてジーンズのポケットに両手を突っ込み、所在無げな様子で足元に視線を落としていたけれど、カーテンの隙間から洩れた明かりに気づいて顔を上げた。
一瞬、目が合ってしまい、あたしは慌ててカーテンを閉じる。
何これ、幻覚?
とりあえず、3つ数えて深呼吸。
もう1度、カーテンを細めに開けて外を窺う。
すると、彼はあたしがそうすることを見越していたように、こちらを覗きこんで笑い返した。
どうやら幻覚じゃないみたい。
だとすれば、本物の、……鷹宮蒼が、あたしの部屋のベランダにいるってこと?!
あたしは急いで窓を開け、彼の腕を引っ張って部屋に入れた。
彼は笑いながら、靴を脱がなくちゃなんて言うけど、今はそんな場合じゃない。
こんな彼の姿、近所の人にでも見られたら、それこそ一大事だ。
「どっ、どうして蒼がこんなところにいるのよ?!」
「君に会いに来たんだよ、当たり前だろ」
「当たり前じゃないよ! しかも、いきなりベランダに現れるなんて、どういうつもり?」
「だって、この場合仕方がないだろ、それとも玄関から入って、アイドルの鷹宮蒼と申します、お嬢さんに会いに来ましたなんて家族に自己紹介した方が良かった?」
「だから、そういう問題じゃなくて――」
そこで腰の辺りをぐいと抱き寄せられ、言葉が続かなくなる。
降りてきた唇を、あたしは顔を背けて避けた。
あたし以外の人と「熱愛発覚」なんて雑誌に書かれたくせに、平気な顔して家にまで押しかけてくる、蒼の本意を量りかねた。
それ以前に、あんな写真を撮られたあとだ、ただでさえ、彼の周りには決定的なスクープを狙う記者やカメラマンがうようよしているに違いない。
そんな状況なのに、どうしてわざわざ危ない橋を渡るような真似をするの?
「離してっ」
「誰が離すもんか、人の気も知らないで」
「それはこっちの台詞だもんっ、蒼の嘘つき!」
「嘘つき、俺が?」
「噂のこと、あたしが知らないとでも思ってるの?」
胸を押し返そうとした抵抗は難なく抑え込まれ、逆に両手首を痛いほどつかまれる。
けれども、腹立ち紛れに睨んだ彼の顔には、なぜか満足そうな笑みが浮かんでいた。
「そっか、……やっぱりあの記事が原因だったんだ」
「やっぱりって何よ、笑い事じゃないでしょっ」
「これが笑わないでいられるかっての」
蒼は、大きく嘆息して、ベッドに寝転がった。
彼に手首をつかまれていたあたしも、つられて彼の身体の上に倒れこんでしまう。
「ねえ、やきもち焼きの、意地っ張りさん?」
言いながら、あたしの頬っぺたを軽くつねる。
「何それ、どういう意味」
「顔も見せない、電話も繋がらない、メールに返信もない、何かあったのかと心配になって来てみれば、つまらないことで臍を曲げているし」
カチンときた。
あの記事を読んで、あたしがどれほど落ち込んだかも知らないくせに。
「蒼にとってはつまらないことでも、あたしにはショックだったの! 辛くて苦しくて悔しくて、悲しくていっぱい泣いたの! 人の気も知らないのは蒼の方じゃない、どうせ遊びだったんだろうし、あたしの気持ちなんてどうでもいいんでしょ!」
あたしは彼の上に馬乗りになって捲くし立て、思いつく限りの悪態をつく。
蒼は少し驚いたような、それでいてどこか面白がるような表情を浮かべて、あたしを見上げていた。
「蒼なんか嫌い、大っ嫌いなんだから」
言いながら、涙がぼろぼろ零れる。
これで彼との甘い夢も終わってしまうのかと思ったら泣けてきた。
「……本当に、困った子」
溜息をつきながら言い、蒼は親指の腹であたしの頬をそっと拭う。
「そんなに思いつめる前に、どうして直接俺に何も言ってこないの」
彼は肘をついて身体を起こし、あたしを抱き寄せた。
抗う気力も果ててしまって、あたしは彼の肩に濡れた頬を押し付ける。
微かな汗の混じった彼のにおいが愛しい。
大嫌いなんて、嘘。
こんな目に遭っても、あたしは蒼のことがまだ好きだ。
好きで、大好きで、ココロが壊れてしまいそうなくらいに。
「黙っていた方が君のためになると思っていたけど、……こんなに辛い思いをさせてしまうなら、先に打ち明けた方が良かったね」
あたしの背中をあやすようにゆっくりと撫でながら、実は、と蒼は切り出した。
* * * * *
「あの噂は、ヤラセなんだよ」
「ヤラセ……?」
「そう、でっち上げの大嘘、できレース」
ベッドに片肘をついたまま、もう一方の手であたしの髪を撫でる蒼。
本当だろうか。
いくら芸能界とはいえ、そんなものが本当に存在するのだろうか。
にわかには信じ難い。
「何のために、そんなことするの」
相手のことは知らないけど、蒼は立派に名の通ったアイドルだ。
恋愛が絡んだゴシップは、1歩間違えれば、蒼自身のイメージダウンにも繋がる。
そんな危険を冒してまで、あえてヤラセの噂を流す理由などないように思える。
「もうすぐ番組改編の時期だろ、俺も、月9枠で主役のドラマがあるんだけど……」
そう言って、彼は話しはじめた。
国民的アイドルと呼ばれる蒼の出演するドラマは、いつも高い視聴率を打ち出す。
主役でなくても、出演者の欄に蒼の名前があればそれだけで視聴率を稼ぐことができるのだから、局にとってこれほど楽な手はない。
ただ、他局もそれに甘んじているかと言えばそうではなく、毎回手を変え品を変え、様々な趣向を凝らした裏番組で対抗してくる。
特に、今期は強力な裏番組が顔を揃え、蒼が主演するドラマも総じて安泰とは言えない状況らしい。
そこで番組関係者が頭を捻って考え付いたのが、今回のヤラセの熱愛発覚。
噂になった当人同士が共演するとなれば、いやでも視聴者の興味を引くだろうというわけで、いかにも安直な考え方のようだけれど、これが案外効果的なのだそうだ。
「あの人、…蒼の共演者だったんだ……」
薄暗い照明の下、親しげに顔を寄せ合っていた2人の写真が目に浮かぶ。
それだけで、胸が痛いくらいに苦しくなる。
「もともとは舞台出身で演技力はなかなかのものだと聞いているけど、テレビの世界での知名度はまだまだ無いに等しいからね。鷹宮蒼とのゴシップは即、売名にも繋がるし、向こうは2つ返事でOKしたらしい」
「でも、それじゃ……蒼は、テレビ局と相手役の人に利用されたようなものじゃない」
「まあ、うちの事務所にとっても、鷹宮蒼が視聴率を稼げるタレントか否かは重大問題なわけだし……こうなると、俺ひとりが嫌だと言ってどうなるものでもないから」
人間、どこかで折り合いつけないとね、と蒼は苦笑する。
「華やかに見えて、裏じゃ結構苦労してるんだぜ、これでも」
冗談めかして彼は言ったけど、素直に大変なんだなって思った。
アイドルなんてもてはやされて、派手で傲慢な印象ばかりが先行しがちだけど、実際の蒼はとても礼儀正しい。
現場ではスタッフや共演者や周りの人にいつも気を使って、メディアで流布されているイメージと全然違うなって、出会ったばかりのころ、すごく驚いたのを覚えてる。
それに、2週間に1度は恋愛絡みのゴシップで雑誌の見出しを飾るような彼が、実は一本気で優しい人だということも、あたしは彼と付き合うようになってから知った。
あたしは、アイドルとしての蒼ももちろん大好きだったけど、蒼の素顔を知るにつれ、さらに彼という人に惹かれていった。
2人きりのときに見せる彼の笑顔、あたしに触れるときの彼の優しい手、抱き合うときの切なげな吐息も、あたしだけが知っているのだと思ったら何だかすごく誇らしかった。
あたしは、本当に、ココロの底から、蒼のことが好きだった。
「最初からそう言ってくれれば良かったのに……あたし、あの写真見たとき超ショックだったんだよ?」
「そうだろうね、辛い思いをさせて悪かった」
蒼の手は、相変わらずあたしの髪を梳いている。
頑なだった気持ちが解れていくのを感じる。
「どうして、何も言ってくれなかったの?」
「言っても良かったんだけど……でも、そうしていたら君は賛成した?」
「え、…それは、その……」
思わず返答に詰まる。
いくら仕事のためとはいえ、彼が自分以外の人と雑誌に載ると打ち明けられたら?
しかも、その記事が熱愛発覚というものだと聞かされたら?
確かに、内心は穏やかでなかったかも知れない。
それどころか、そんなことをする必要が本当にあるのかと言って、彼を困らせてしまったかも知れない。
答えられないあたしに、蒼は小さく苦笑を洩らす。
「ほらね……君には、余計な心配をかけさせたくなかった」
「でも、傷ついたのは同じだもん、すごく裏切られた気分だった」
「だから、意地を張って、いきなり音信不通になって、こんなにも俺を焦らせた?」
「だ…だって、それは蒼のせいじゃん」
いつだって、蒼には会いたかった。
だけど、それができなかったのは、蒼の口から別れを告げられるのが怖かったから。
だからあたしは自分の殻に閉じこもって、その現実から目を逸らそうとしていただけ。
「俺だって、いきなり君と連絡取れなくなってショックだったよ? 全然、信じてもらえてなかったんだなあって、情けなくもなった」
蒼の両手が背中に回り、そのままぎゅっと抱きしめられる。
蒼の胸は、いつもとても大きくて、温かい。
「俺は、君のこと考えたら居ても立ってもいられなくなって、会いたい気持ち一心で家にまで押しかけて、後先考えずベランダから忍び込もうとしちゃうくらい、君に夢中なんだけど」
君は違うのかなって蒼が言う。
そんなこと、あるわけないのに。
「あたしも、好き……大好きだよ、蒼……」
「うん、それを聞いただけでも、わざわざ訪ねて来た甲斐があったよ」
「仲直りのキス、……して?」
にっこりと満足そうに笑った蒼の顔が近づいてきて、あたしが目を閉じたそのとき。
忙しないノックの音がして、あたしが何か答える間もなくドアが開いた。
電灯もない暗がりに、人が立っていたのだから驚いて当然だ。
その人は、長身の背を丸めるようにしてジーンズのポケットに両手を突っ込み、所在無げな様子で足元に視線を落としていたけれど、カーテンの隙間から洩れた明かりに気づいて顔を上げた。
一瞬、目が合ってしまい、あたしは慌ててカーテンを閉じる。
何これ、幻覚?
とりあえず、3つ数えて深呼吸。
もう1度、カーテンを細めに開けて外を窺う。
すると、彼はあたしがそうすることを見越していたように、こちらを覗きこんで笑い返した。
どうやら幻覚じゃないみたい。
だとすれば、本物の、……鷹宮蒼が、あたしの部屋のベランダにいるってこと?!
あたしは急いで窓を開け、彼の腕を引っ張って部屋に入れた。
彼は笑いながら、靴を脱がなくちゃなんて言うけど、今はそんな場合じゃない。
こんな彼の姿、近所の人にでも見られたら、それこそ一大事だ。
「どっ、どうして蒼がこんなところにいるのよ?!」
「君に会いに来たんだよ、当たり前だろ」
「当たり前じゃないよ! しかも、いきなりベランダに現れるなんて、どういうつもり?」
「だって、この場合仕方がないだろ、それとも玄関から入って、アイドルの鷹宮蒼と申します、お嬢さんに会いに来ましたなんて家族に自己紹介した方が良かった?」
「だから、そういう問題じゃなくて――」
そこで腰の辺りをぐいと抱き寄せられ、言葉が続かなくなる。
降りてきた唇を、あたしは顔を背けて避けた。
あたし以外の人と「熱愛発覚」なんて雑誌に書かれたくせに、平気な顔して家にまで押しかけてくる、蒼の本意を量りかねた。
それ以前に、あんな写真を撮られたあとだ、ただでさえ、彼の周りには決定的なスクープを狙う記者やカメラマンがうようよしているに違いない。
そんな状況なのに、どうしてわざわざ危ない橋を渡るような真似をするの?
「離してっ」
「誰が離すもんか、人の気も知らないで」
「それはこっちの台詞だもんっ、蒼の嘘つき!」
「嘘つき、俺が?」
「噂のこと、あたしが知らないとでも思ってるの?」
胸を押し返そうとした抵抗は難なく抑え込まれ、逆に両手首を痛いほどつかまれる。
けれども、腹立ち紛れに睨んだ彼の顔には、なぜか満足そうな笑みが浮かんでいた。
「そっか、……やっぱりあの記事が原因だったんだ」
「やっぱりって何よ、笑い事じゃないでしょっ」
「これが笑わないでいられるかっての」
蒼は、大きく嘆息して、ベッドに寝転がった。
彼に手首をつかまれていたあたしも、つられて彼の身体の上に倒れこんでしまう。
「ねえ、やきもち焼きの、意地っ張りさん?」
言いながら、あたしの頬っぺたを軽くつねる。
「何それ、どういう意味」
「顔も見せない、電話も繋がらない、メールに返信もない、何かあったのかと心配になって来てみれば、つまらないことで臍を曲げているし」
カチンときた。
あの記事を読んで、あたしがどれほど落ち込んだかも知らないくせに。
「蒼にとってはつまらないことでも、あたしにはショックだったの! 辛くて苦しくて悔しくて、悲しくていっぱい泣いたの! 人の気も知らないのは蒼の方じゃない、どうせ遊びだったんだろうし、あたしの気持ちなんてどうでもいいんでしょ!」
あたしは彼の上に馬乗りになって捲くし立て、思いつく限りの悪態をつく。
蒼は少し驚いたような、それでいてどこか面白がるような表情を浮かべて、あたしを見上げていた。
「蒼なんか嫌い、大っ嫌いなんだから」
言いながら、涙がぼろぼろ零れる。
これで彼との甘い夢も終わってしまうのかと思ったら泣けてきた。
「……本当に、困った子」
溜息をつきながら言い、蒼は親指の腹であたしの頬をそっと拭う。
「そんなに思いつめる前に、どうして直接俺に何も言ってこないの」
彼は肘をついて身体を起こし、あたしを抱き寄せた。
抗う気力も果ててしまって、あたしは彼の肩に濡れた頬を押し付ける。
微かな汗の混じった彼のにおいが愛しい。
大嫌いなんて、嘘。
こんな目に遭っても、あたしは蒼のことがまだ好きだ。
好きで、大好きで、ココロが壊れてしまいそうなくらいに。
「黙っていた方が君のためになると思っていたけど、……こんなに辛い思いをさせてしまうなら、先に打ち明けた方が良かったね」
あたしの背中をあやすようにゆっくりと撫でながら、実は、と蒼は切り出した。
* * * * *
「あの噂は、ヤラセなんだよ」
「ヤラセ……?」
「そう、でっち上げの大嘘、できレース」
ベッドに片肘をついたまま、もう一方の手であたしの髪を撫でる蒼。
本当だろうか。
いくら芸能界とはいえ、そんなものが本当に存在するのだろうか。
にわかには信じ難い。
「何のために、そんなことするの」
相手のことは知らないけど、蒼は立派に名の通ったアイドルだ。
恋愛が絡んだゴシップは、1歩間違えれば、蒼自身のイメージダウンにも繋がる。
そんな危険を冒してまで、あえてヤラセの噂を流す理由などないように思える。
「もうすぐ番組改編の時期だろ、俺も、月9枠で主役のドラマがあるんだけど……」
そう言って、彼は話しはじめた。
国民的アイドルと呼ばれる蒼の出演するドラマは、いつも高い視聴率を打ち出す。
主役でなくても、出演者の欄に蒼の名前があればそれだけで視聴率を稼ぐことができるのだから、局にとってこれほど楽な手はない。
ただ、他局もそれに甘んじているかと言えばそうではなく、毎回手を変え品を変え、様々な趣向を凝らした裏番組で対抗してくる。
特に、今期は強力な裏番組が顔を揃え、蒼が主演するドラマも総じて安泰とは言えない状況らしい。
そこで番組関係者が頭を捻って考え付いたのが、今回のヤラセの熱愛発覚。
噂になった当人同士が共演するとなれば、いやでも視聴者の興味を引くだろうというわけで、いかにも安直な考え方のようだけれど、これが案外効果的なのだそうだ。
「あの人、…蒼の共演者だったんだ……」
薄暗い照明の下、親しげに顔を寄せ合っていた2人の写真が目に浮かぶ。
それだけで、胸が痛いくらいに苦しくなる。
「もともとは舞台出身で演技力はなかなかのものだと聞いているけど、テレビの世界での知名度はまだまだ無いに等しいからね。鷹宮蒼とのゴシップは即、売名にも繋がるし、向こうは2つ返事でOKしたらしい」
「でも、それじゃ……蒼は、テレビ局と相手役の人に利用されたようなものじゃない」
「まあ、うちの事務所にとっても、鷹宮蒼が視聴率を稼げるタレントか否かは重大問題なわけだし……こうなると、俺ひとりが嫌だと言ってどうなるものでもないから」
人間、どこかで折り合いつけないとね、と蒼は苦笑する。
「華やかに見えて、裏じゃ結構苦労してるんだぜ、これでも」
冗談めかして彼は言ったけど、素直に大変なんだなって思った。
アイドルなんてもてはやされて、派手で傲慢な印象ばかりが先行しがちだけど、実際の蒼はとても礼儀正しい。
現場ではスタッフや共演者や周りの人にいつも気を使って、メディアで流布されているイメージと全然違うなって、出会ったばかりのころ、すごく驚いたのを覚えてる。
それに、2週間に1度は恋愛絡みのゴシップで雑誌の見出しを飾るような彼が、実は一本気で優しい人だということも、あたしは彼と付き合うようになってから知った。
あたしは、アイドルとしての蒼ももちろん大好きだったけど、蒼の素顔を知るにつれ、さらに彼という人に惹かれていった。
2人きりのときに見せる彼の笑顔、あたしに触れるときの彼の優しい手、抱き合うときの切なげな吐息も、あたしだけが知っているのだと思ったら何だかすごく誇らしかった。
あたしは、本当に、ココロの底から、蒼のことが好きだった。
「最初からそう言ってくれれば良かったのに……あたし、あの写真見たとき超ショックだったんだよ?」
「そうだろうね、辛い思いをさせて悪かった」
蒼の手は、相変わらずあたしの髪を梳いている。
頑なだった気持ちが解れていくのを感じる。
「どうして、何も言ってくれなかったの?」
「言っても良かったんだけど……でも、そうしていたら君は賛成した?」
「え、…それは、その……」
思わず返答に詰まる。
いくら仕事のためとはいえ、彼が自分以外の人と雑誌に載ると打ち明けられたら?
しかも、その記事が熱愛発覚というものだと聞かされたら?
確かに、内心は穏やかでなかったかも知れない。
それどころか、そんなことをする必要が本当にあるのかと言って、彼を困らせてしまったかも知れない。
答えられないあたしに、蒼は小さく苦笑を洩らす。
「ほらね……君には、余計な心配をかけさせたくなかった」
「でも、傷ついたのは同じだもん、すごく裏切られた気分だった」
「だから、意地を張って、いきなり音信不通になって、こんなにも俺を焦らせた?」
「だ…だって、それは蒼のせいじゃん」
いつだって、蒼には会いたかった。
だけど、それができなかったのは、蒼の口から別れを告げられるのが怖かったから。
だからあたしは自分の殻に閉じこもって、その現実から目を逸らそうとしていただけ。
「俺だって、いきなり君と連絡取れなくなってショックだったよ? 全然、信じてもらえてなかったんだなあって、情けなくもなった」
蒼の両手が背中に回り、そのままぎゅっと抱きしめられる。
蒼の胸は、いつもとても大きくて、温かい。
「俺は、君のこと考えたら居ても立ってもいられなくなって、会いたい気持ち一心で家にまで押しかけて、後先考えずベランダから忍び込もうとしちゃうくらい、君に夢中なんだけど」
君は違うのかなって蒼が言う。
そんなこと、あるわけないのに。
「あたしも、好き……大好きだよ、蒼……」
「うん、それを聞いただけでも、わざわざ訪ねて来た甲斐があったよ」
「仲直りのキス、……して?」
にっこりと満足そうに笑った蒼の顔が近づいてきて、あたしが目を閉じたそのとき。
忙しないノックの音がして、あたしが何か答える間もなくドアが開いた。
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