虹の向こうの少年たち

十龍

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《90》

 着替えが終わるとジャロリーノは部屋の外にいたパピルスの先導でアフタの部屋に赴いた。
「ジャロ、どうする? 俺の部屋にする? 予定通り《湾》にするか?」
 アフタも着替えを済ませていて、ジャロリーノが来るとわざわざドアまで来てくれた。入れよ、と言葉にはせずに示してくれ、パピルスがスッと後ろに下がり、姿を消した。
 部屋の中にはジャロリーノとアフタだけになった。
 嬉しい反面、なぜかお腹の奥がゾワゾワする。
「んー……と……」
「《湾》にするか。確か星祭りの飾り付けが終わったとこがあるはず」
 そう言えばカーキ伯爵が是非見て欲しいと言っていた。
 入ったばかりの部屋から出て、
「こっちの《湾》がメインだと思う」
 と、アフタに手を引かれて壮大な飾り付けがされた部屋に移動した。
 二人が飾り付けされた《湾》に入れば直ぐにティータイムのセッティングがされる。
 広げられた星祭りにちなんだクロスの上に、やはり星祭りにちなんだモチーフのティーセットやカトラリーが並べられた。
 運ばれてきたトレイには、色とりどりのドーナツが並んでいる。
 季節のベリーチョコやナッツチョコ、星みたいなアラザンがまぶされたもの、目移りするくらいだ。
「食べ放題だな」
 なんて呟けば、
「晩餐会もあるからな?」
 とアフタが笑いながら釘を刺す。
「分かってるよ」
 そう笑い返し、アフタとこうやってお喋りがまた出来ることが嬉しくて堪らなかった。昨日からは考えられない。
「そう言えばアフタは星祭りの服、どんな風なのにしたんだ?」
「んー、まあ、オーソドックスなやつかな。今の流行の形を勧められたんだけど、いまいちピンとはこなくて。ジャロリーノは?」
「分かんないな。……行くのかな、俺。ネイプルスは行かないって言われた気がする……」
「……じゃあ、ジョーヌおじ様は……開会の星歌とか国歌とか歌ってすぐ帰るのか……?」
「多分」
 星祭りは、兄様たちの命日に近い。ネイプルス城は星祭りの時期こそ喪に服したような装飾にかわり、ジャロリーノはシェパイと一緒に礼拝室にいた。
「…………。そっか、」
「あ、でも、……ビガラス兄様とお爺様が来るから、……」
 今年はこれまでよりは喪には服さないのかもしれない。
「えっ! ほんとに? いつ帰ってくるんだ?」
「年末だってさ。それで、……ネイプルス城、……工事。……あと、お姉様たちの、内装……? 変えるから、ネイプルス城少し煩くて……? だから昨日来た」
「そうだったんだ。へー。…………、じゃあしばらくはグロウ城にいるんだよな? ジャロリーノが星祭りいかないなら、俺もグロウ城にいようかな」
「けど……お嫁さん、探すんだろ?」
「それならジャロリーノもだろ」
「…………」
「お父様の言い方だと、ジャロも星祭り行くんじゃないかな」
「けど服とか装飾品とか、俺知らない……」
 もしかしたらチャコールが用意しているのかもしれない。香水や、サイズのあった服が用意されていた。
「あー……。あ、じゃあちょうど良く今宝飾品店の人間が来てるじゃん。お姉様もなんか買ったらって言ってくれてたし、見に行こうぜ。これ食べたら」
 乗り気はしなかったが、自分で買い物をするのはしばらくぶりだった。
「お金、……あるかな、俺」
「お金? 考えたことなかった」
「……俺も。……でも……」
 自由に使える資産。
「戦争の間は……ほら……えーと、……困窮してただろ? 食事も。市民よりはマシだったけど」
「王族は配給も無かったし、国民の目があったから節制したし、……国庫も解放したからな。……けど、ネイプルスは戦勝国が受けとる賠償金のうち、貰える割り当てが一番多いしさ」
「……それも大半は市民に還元されるし、兵士への褒賞にも……」
「それにしたって、ネイプルス家の取り分は相当なもんさ。元々裕福だし。それに対してグロウ家は貧乏なもんだよ」
「貧乏……?」
「二十年以上前の内戦の賠償金を払ってるんだ。馬鹿馬鹿しい」
「グロウ、負けたの?」
「引き分け……? 勝つには勝ったけど、裁判所がグロウ側に原因があるとして、戦争にかかった費用を国に返すよう命じたわけ。加えて、敗戦地で起こる暴動やテロやデモなんかをどうにかする費用も全部グロウ持ちだ」
「……グロウ領、豊かそうなのにな……」
「栄えてるとこは大都市だけで、天然資源公害みたいなのも多いし、主要港は戦争で爆撃されて復興中だ」
「……ネイプルスは……」
「あー、西側は今回の戦争ではあまり被害がないよな。……流石にネイプルス領にさらに攻撃したらまずいとコーン側も思ったんだろ。あと、西側南部にはグロウの宿敵がいる」
「宿敵?」
「旧ラブラドラ公爵領。今のビスマス家直轄ラブラドラ州。二十年以上前にグロウと戦ったとこ」
「……銃殺……」
「あー……。らいしな。……あまり教えてくれないけど、ラブラドラ家は本家も分家も……連なる貴族家も処刑されて……。……かつてはラブラドラ国として存在してた歴史ある公爵家は滅亡したわけ。けど……まあ……生き残りってのはいるらしくてさ。ラブラドラの血は薄いかもしれないけど、処刑まではされずに取り潰しされた元貴族ってのが市民として生きてるわけだろ? だからしょっちゅうそいつらを神輿にして、ラブラドラ王家復活を掲げた暴動が起こってんの」
「……そうなんだ。……じゃあグロウのお金が飛んで行くわけか」
「そー。……もしかして経済戦争しかけられてないか? これ」
「けど、それがなんでネイプルスが戦争であまり攻撃されないことに繋がるんだ?」
「ラブラドラ私兵団が作られて、一つの軍事領として名乗りを挙げて参戦したんだってさ。なんでもネイプルスとラブラドラは友好領で長い年月同盟を組んでたとか。グロウとラブラドラの戦争中は、……なんか……? 良く分かんないけどネイプルスがグロウに味方しなかったから好感度高いらしい」
「そりゃネイプルスはグロウの味方はしないよな? だって俺たちは仲良いけど、領としては仲悪い」
「な。俺たちは仲良いよな」
「大人になっても、仲良くいような?」
「もちろん。……、……、もしさ、俺たちが結婚したら、……」
 突然アフタがそんなことを言うものだから、ジャロリーノは思わず固まった。
 結婚。
 俺とアフタが。
「……え、……お、男同士じゃん……」
 なんとかそう絞り出す。
 バレた。
 きっとバレたんだ。ジャロリーノは震えそうになった。
 昨夜、きっとチャコールとセックスしたのを知ってるんだ。声、凄く出した。
 アナルに、たくさん、ぺニス、入れて貰った。
 心臓が破裂しそうなくらい激しく脈打っていた。目の奥にじわっと熱がわいてきて、視界が潤んだ。
「ま、そーだけど。もし、政略結婚したらさ、結婚同盟で仲良くなれるかなって思ったんだよ」
「……同盟……」
「そう! だからそんな青ざめるなよ。だからさ、……仲悪い王家同士だし……領民感情もあまり良くないけど……。……もし結婚したら……仲良くなるかなって……思っただけだよ!」
「……、そ、うかな……」
「多分! ……、でもまあ、……そんな最終手段使うくらい仲悪いわけじゃないか。……するならグロウとラブラドラだよな。はは」
「……」
 アフタと結婚。
 アフタと。
 アフタと、白い服を着て、白い神殿か聖堂で、結婚式を挙げて、キスをする。
 なぜかそんな場面が思い浮かんで心臓がドキドキしてきた。
 結婚、しても、いいかも。
 なんて思ってしまったから恥ずかしくてアフタを見れなくなった。
 結婚式の後は初夜みたいなのも当然あるよな。
 アフタと、キスだけじゃなくて、セックスもする。
 ダメだ、今夜もまたアフタで抜きそうになる予感しかない。
 昨日はギリギリだった。ギリギリアウトだけど、ギリギリセーフだと思いたかった。途中からチャコールとのセックスになったし、アフタは汚してないはずだ。
 けれど、今夜は汚してしまいそうだ。
 どうしよう、既にぺニスに違和感が出始めている。
「ん……」
「どうした?」
「いや、なんでもない」
「ごめんな。変なこと言って」
「そうじゃないよ」
 ちょっとトイレ、そう言ってジャロリーノは席を外した。
 急いで自室に戻り、
「チャコール、……チャコールいる?」
 と呼んだが出てこない。
 股間がじんじんと熱を持っている。
「なんで……」
 ジャロリーノは半泣きで寝室に入り、壁と家具の隙間にしゃがみこんだ。
 誰にも見られていない場所、元よりジャロリーノしかいないが、それでも人目につかない場所が良かった。
 はあ、……はあ、……はあ、
 ゆっくりと股間を揉んでから、下着ごとズボンを下げると立ち上がっていたぺニスを握った。
 そして
「はあっ、はあっ、」 
 目を瞑る。
 手を夢中で上下させ、
「んっ、あっ、あっ、んっ、んっ、んっ、アフタっ」
 ビュッ
「…………はぁっ……はぁ……はぁ……」
 イった。
「……」
 いつもよりあっけなかった。
 精液も少量で、指を開けば糸が引き、切れた。
「……アフタ……、ごめん」
 ぺニスは力を失っていたがまだ敏感で、しかし室内の冷たい空気が包んでいる。その冷たさのおかげで性器も頭も落ち着いた。
 ぺニスを下着にしまい、ジャロリーノは洗面台で手を洗う。
「……、アフタ……、」
 ごめん。
 本当にごめん。
 そしてオペラから貰ったピルケースを思い出したが、あれはチャコールが持っている。
 ダメだ、アフタに会えない。
「なあ、ジャロリーノ?」
 ドアの向こうからアフタの声がした。びくりとして、
「な、なに!」
 と大声で返事をしてしまった。
「大丈夫か?」
「大丈夫……」
「なら宝石とか見に行こうぜ。宝石以外にも色々あるらしい。時計とかもあるって。カフスとかもあるかも」
「へ、へー。……今行くから、」
 そうは言うものの、アフタのそばに行きたくなかった。
 アフタで抜いた。オナニーした。
 会えない。
 それに、きっと臭い。
 精液の臭いがする。




 部屋から出た時の自分はどんな顔をしているだろう。ジャロリーノはそう考えながら部屋から出た。するとアフタはごく自然にジャロリーノの手を握った。
 一瞬その手を振り払いそうになって、堪えた。
「うっわ、手、凄く冷えてるけど、大丈夫か?」
「あ、……水で手を洗ったから……かな」
「今度からお湯使えよな? 地熱で温かいのが出るんだからさ。ま、今の時期はボイラーで沸かし直してるかもしれないけど」
「……うん……」
 今繋いでる手は、本の数分前まで。
 アフタを妄想しながら。
 その手を今アフタはなにも知らずに握ってくれている。
「ジャロリーノは何が欲しい?」
 そう問われてすかさず
「手袋」
 と答えていた。
「……手袋? お前、お気に入りのやつ持ってるじゃないか。それ以外使いたくないっていつも言い張ってたくせに」
 そうだったろうか。耳当ては大事にしているけれど、手袋はあまり意識した記憶が無かった。
「……でも……欲しいかな……」
「ふーん。……」
 手がきゅっと強く握り直された。体温がじんわり伝わってくる。
「手が冷たいか?」
「う、うん」
「そっか。…………手袋ね、…………、ふーん……、」
「……なに」
「けど少しは温まってきただろ?」
 アフタの体温と自分の体温が混じりあっている気がした。アフタが自分に混じり、自分がアフタに混じっている。
「まあ……そうだな」
「だろ?」
 ふわりとアフタから良い香りがした。爽やかで仄かに甘い。香水だろうか。アフタの美しさが途端にグッとました気がした。
 思わず身体を引く。
「なんだよ。なんで離れるんだよ」
「ん……」
「また具合悪くなった? トイレ行く?」
「……大丈夫」
「ほんとかよ」
「……あんまり……近寄られたくなかった……」
「なんで」
「……ん……と、……良い匂いがした」
「は? ……? 苦手な香りだったか?」
「いや。良い匂いだ」
「じゃあなんで離れるんだよ。もっと近寄れって」
 ぐっと引っ張れて、さっきよりも近く、寄り添うように密着した。
 落ち着く。
 嬉しい。
 どうしよう。
 離れたくない。
 駄目だと分かっているのに、ジャロリーノはその柔らかな温もりに包まれていたくて、甘えてしまった。
 変な臭いに気づかれませんように。
 握ってくれている手の穢らわしさを気づかれませんように。
 ああ、早く離れたい。
「アフタ……温かいな、お前」
「だろ?」
 耳のそばで声がする。染み込んでくる。
 ああ、離れたくない。



 アフタに包まれるような感覚の中、ジャロリーノは地上の城に足を踏み入れた。丸みを帯びた地下の本城とは違い、表の地上城は細い金の直線で組んだような繊細な線と角が至るところにある。
 差し込む光をポキポキ折って作ったような城だった。
 輝かしきグロウ。
 その表の更に表、表層部分の豪華絢爛な区画は本城の丸みを帯びた海の世界とは似ても似つかず、まさしくグロウ家の美しさを表したような場所で、それがむしろまやかしのようにさえ思えた。
 グロウ家の仮面のような場所だった。
「ネイプルス城とは……違うなあ……」
「そうか? ネイプルスっぽくないか?」
「ネイプルス城は……入り口が……質素だろ……」
「ん? んー……どういうこと?」
「グロウ城、奥のほうが……かわいい……」
「あ、そゆこと。昔の王様が見栄っ張りだったんじゃないか?」
「ネイプルス城、伽藍としてる……」
「だからこそ、空襲警報のときに近くの市民に避難場所にとして解放できたんだけどな。それでかなり感謝されたじゃん」
 その事は聞いて知っていた。ジャロリーノはその市民たちとは一切交わらない場所にいた。
「王宮だって表と奥じゃ全然違うだろ。別に見栄っ張りなのはグロウだけじゃないし。……ネイプルス城だって、見慣れてるから感じないだけで表と奥だとかなり違う」
「……そっかな……。……ネイプルス城、……なんか暗い……かわいくない」
「可愛い場所が好き? ならずっとグロウにいろよ」
「……うん……ずっといる……」
「白熊の赤ちゃん見に行こうな」
「ペンギン……」
「ペンギンも見に行こう。犬ぞり用の犬、ちゃんと訓練できてるかな」
「犬ぞり……スキー……してない……」
「確かに犬スキーしてないな。犬ぞりより迫力あるからあれ好きだ。極夜が終わったらネイプルスの森で犬にスキー引かせて、グロウの氷河で犬にそり引かせよう」
「うん」
「白熊の赤ちゃん、2月くらいには見れるかな。お父様に言ったら赤ちゃん熊を乱獲しについてくるかもしれないから秘密だぞ」
「……おじさま……シロクマ……好き」
「そー。生死問わずな。あの人が白い毛皮着てたらそれ白熊だし。あと一角とか好きだから、見かけたらボートで海に走り去ってくぜ」
「いっかく……?」
「覚えてないのか? 皆で旅行行っただろ。ほら、オーロラが見える島。ここでも見えるのにわざわざ休暇で行ったとこ。一角とかアザラシとかシャチとかも集まるとこでさ。一角の親子が海岸沿いに来てたから、船で見に行ったじゃん」
「……そうだっけ……」
「時間あったら、昔のアルバム見てみようか」
「…………うん……見たい」
 繋いでいる手、その指を組み、絡めるように握りあう。アフタの肩に頬を乗せ、ジャロリーノの髪にアフタが唇を寄せた。
 なんて心地が良いのだろう。うとうとしてしまいそうで、ジャロリーノは睡魔の誘いになんとか抗い、アフタにもたれながらも頑張って意識を保ちながら、商談が行われている広い応接室に入った。

 天井の高い応接室。繊細な調度品に煌めく白い光に溢れていて、ジャロリーノはつい目を見開いた。
 少しだけ涼しい風が吹く。
 けれど暖かい。
 応接室には様々な品物が陳列されていた。さながら超一級の高級品店のようだった。
 コートにドレス、スーツ、靴、シャツにソックス、杖や手袋、帽子、タイにレース、宝飾品に化粧品、葉巻や香水。ありとあらゆる宝飾品が輝かんばかりに並べられていた。
 使用人とは違う人間がそれらの側に控え、中央のテーブルセットには品物の側に控えている人々よりも僅かに高級そうな服を着た男性が座っていて、ジャロリーノとアフタを見つめていた。
 ジャロリーノは思わずアフタに抱きついた。
 その品定めをするような目付きに身震いした。
「わきまえたまえ」
 不意に低い声が響いた。
 振り向くとプルッシャン伯が漆黒の杖で床をカンカンと突いた。持ち手が丸く銀に似た鉱石で作られた杖は、いかにも高貴な人間の持ち物であり、プルッシャン伯の身分を象徴しているかのようだった。
 あまり接したことのないプルッシャン伯に、ジャロリーノはやや居心地の悪さを禁じ得ず、その視線から逃れるように俯いた。
「王族のご尊顔を、ましてや目を見つめることは不敬。処罰の対象になる。いくら平民とはいえ、それくらいの教養はあると思っていたが、違うようだな?」
「め、滅相もございません。いえ、その、王子様が突然いらっしゃるものですから、少々驚いてしまいまして」
 男性は焦ったように視線を下げた。
 プルッシャン伯がアフタに、そしてジャロリーノにも会釈をする。
「アフタ様、……ジャロリーノ様も、ようこそおいでくださいました。どうぞお座りになってごゆるりとご覧下さい。……姫様達はあちらに」 
 プルッシャン伯が目配せした先には衝立があり、どうやらなにかの試着をしているようだった。
 ジャロリーノとアフタはテーブルセットの一番大きなソファーの真ん中に座った。その間、例の男はチラチラとジャロリーノを見ていた。アフタに対してはけして瞳を直視しないように注意を払っているようではあるが、度々ジャロリーノとは視線があう。その度にジャロリーノには悪寒のような気持ち悪さが這い上がってくるのだ。
「ジャロ、大丈夫か?」
「あ、……うん」
 力なく答えれば、例の男は
「王子様方はどのような品がご所望でしょうか」
 とアフタに向けて恭しく尋ね、周りの部下らしき人々に目配せをした。
「男性貴族の方々にお薦めの品も多数ご用意しております」
 すかさず部下らしき人々がテーブルの上に品物を並べ始めた。
 宝石をあしらったカフスやピン、そしてチーフや小物入れ。
 ピルケースみたいなものもあり、ジャロリーノはつい手を伸ばした。
 すると男がスッとその商品を手前に引いた。
 勝手に触ってはいけなかったようだ。確かに高価そうであるし、男性は白い手袋をしていて、自分は素手である。
「……ジャロリーノ、あれが気になるのか?」
「あ……、まあ、少し。なにかなって思って」
「ふうん。それはなんだ?」
「ドリス国内で職人の手で作られているミントケースです」
「ミントケース?」
「口臭消しとしてミントを携帯していた時代の名残で、今はガム等を入れる用にサイズが変わりましたが、実際にフレッシュなミントやハーブを入れることもできます。ご婦人方の気付け薬を入れた小瓶のネックレスの紳士版のようなもので、装飾品の一つとして人気です。ご高齢のかたは、こちらに常備薬を入れて持ち歩くこともあります。また、常備薬やエチケットのガムなどを持ち歩く場合はこういったシガレットケースも人気です。国内外の質の良くデザイン性も高いものを持って参りました」
 テーブルの上はすぐさまミントケースやシガレットケースに入れ替わった。
「ふうん」
 アフタは興味無さそうだったが、ジャロリーノは気になって仕方がなかった。これなら薬を持ち運んで、おかしくなりそうになったらこっそり飲めるかもしれない。
「ジャロ、何が気になるのあったか?」
「あー、……あれ、とか」
 ジャロリーノが指をさすと
「そちらは国内ブランドのキリオネラ社製のシガレットケース型薬箱で、お値段56万となります」
 とジャロリーノを見てからアフタに顔を向けた。
「値段はいいから見せろよ」
 とアフタが言う。
「もしかして、成人前だから支払いの権限がないと思ってるのか?」
 苛立たしげな口調になった。おじ様に似ているなと思った矢先、プルッシャン伯が慌てたように間に入った。
「どうされましたか、殿下」
「こいつが商品を見る前に値段を言うものだから、気に触っただけだ。僕たちには売る気はないらしい」
「申し訳ありません、殿下。おい、どういうつもりだ?」
 プルッシャン伯の眼光が鋭くなった。
「いえ、申し訳ありません。私の誤りでございます」
 あからさまに男は怯え、恐縮したとばかりに頭を下げる。
「いいから、見せるのか見せないのかどっちなんだ」
 アフタが更に苛立ちながら声を少し大きくしたので、ジャロリーノは申し訳なくてたまらなくなった。
「いいよ、別にどうしても欲しい訳じゃないし。……オペラに頼んでみるから」
「……オペラって……ああ、あいつか。ま、あいつはセンスいいしな。……商品を下げろ。全部」
「は、かしこまりました」
 素早い動きで商品が撤収されてゆく。
 本当はじっくり見たかったのだが、ここはグロウであるしアフタの意向のほうが優先だろう。そう考えながらジャロリーノは、キリオネラ社、とだけ頭にメモをした。チャコールかオペラに頼んでキリオネラ社のピルケースをいくつか取り寄せてもらうことにした。
 内ポケットからサッと取り出してスマートにガムを口に運ぶ、その様がなんだかかっこいいような気がした。
「そろそろ陛下がいらっしゃる頃ですが、……遅れているようですね。変わりに姫様たちのお見立てをなさいますか?」
「イブ姉様もドーン姉様も俺よりお父様の見立てを信用してるから、やだ」
「おじ様お洒落だからな」
「あの人はギラギラのブランドロゴの全身金ぴかスーツにゴッツイ宝石の指輪を重ねづけしても似合うからな」
「……確かに」
 それならグロウ家は全員そうだよ、とは思ったが言わなかった。大体の人間がダサくなるド派手な衣装もグロウ家の人々は二度見するくらい完璧に着こなすのだが、アフタが好むのはシンプルな装いだ。しかもその理由が、俺ほど美しいと質素なくらいがバランスがとれる、というもので、臆面もなく豪語する。
 逆に、側にいる自分は多少華やかな装いをしないと釣り合いが取れなくなってしまうではないか。
「そうだ、最近レースのリボンタイを新調してないな」
 すると商人の男がちらりとジャロリーノをみた。
「あー、ジャロリーノ、一時期それを愛用してたよな。でももう子供じゃないんだし、シンプルなクラバットにしたらどうだよ」
「そしたらアフタとお揃いになるだろ」
「……………………、……………………、………………お揃いだとなにが駄目なんだよ」
「俺が完全に背景化する」
「何言ってるか分かんないな」
「リボンタイでしたらご用意がございますよ」
 いきなり男が会話に入ってくる。
「リボンタイをこちらへ」
 そう部下たちに命じると、
「念のためにお持ちして良かった」
 などと嬉しそうに言い、ジャロリーノを見つめてニコニコと笑みを浮かべた。
「ありとあらゆるデザインをご用意しておりますので、是非ご一緒にお選びください」
 お姉様達の着替えの衝立の手前で待機していたプルッシャン伯が青ざめた顔で振り向いたのが見えた。
 そして
「それを即刻しまえ!」
 と怒声が響き渡った。プルッシャン伯の声だった。
 ジャロリーノに恐怖が走った。
 男の、怒声。
 腹のそこから叫びたくなった。思わずアフタにしがみついた。
 怖い。怖い、怖い。
「貴様、そんなものを出してどういうつもりだ。しまえ。今日はもういい、即刻帰れ!」
「いやしかし、リボンタイが見たいとおっしゃったものですから」
「だからといってそんな物を広げるとは何事だ!」
 目の前に広げられかけていたリボンタイは、素材も様々で色とりどりのタイであり、宝石の嵌められていない金や銀のブローチのようなものが付属で添えられている。
 ジャロリーノの思っているレースのリボンタイとは少し違うが、どれも美しかった。
「プルッシャン伯、そんなに怒らなくても。僕が最近レースのリボンタイを新調してないと言ったから気を利かせてくれたのだと思います」
 恐怖を必死で堪えながらジャロリーノが言えば、プルッシャン伯は苦虫を噛み潰したかのような顔になり、
「レースのタイをお出ししろ。……まあ、貴様の持ってくるものなど大したものではないだろうがな。……いつもの女性外商であればどれほど良かったか」
 そう、コメカミをピクつかせながらなんとか怒りを押し込めていた。
 ジャロリーノはほっと息をついた。
 少しして、リボンタイが仕舞われてからレースの男性用タイやスカーフ、クラバットが並べられた。
「なんだかどれも見たことあるデザインだなあ」
 なんて呟けば、
「これらは特許を得ている特別なデザインで、そう簡単にお目にかかることのないレースです」
「へえ、じゃあ値段は?」
 と嫌みったらしく聞いたのはアフタで、男は汗を拭いながらへらへらと笑った。
「……大体は30万前後かと」
「安いな。出し惜しみか?」
「……、わかりました。ではこちらを」
 と、取って置きとばかりに取り出して
「200万は下らないレースの手袋です。女性用と男性用とあります」
「へえ、ジャロリーノ、手袋だってさ。お前欲しがってたじゃん」
「まあそうだけど。別にレースの手袋は欲しくないよ。まあお洒落だけど。それにこのレースのデザイン、うち似たのたくさんあるし」
「お言葉ですが、このデザインは本当に希少でして、世の中にそんなにたくさん出回ることはないのです」
「……そうなのか……? ……、そうか、分かった。僕の見る目がないだけみたいだな。……じゃあお薦めを一つくれ」
 ジャロリーノはなんとなく折れて、男性用のレースの手袋を一つ購入することにした。白地の上に白いレースを被せているような作りで、女性用のレースを主張したものとはことなり、よくよく見ればレースであるとわかるようになっている。華美ではなく、遠目からでは気がつかないだろう。
 ジャロリーノは早速嵌めてみた。
「どうだ? アフタ、これ」
「可もなく不可もなくかな」
「そっか。でもほら、」
 ジャロリーノはにかっと笑ってアフタの手を取った。
「これで手を繋げるな」
 汚くない。
 手袋をしているから、もう汚いのはうつらない。

 続く
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