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サブ

2016年11月17日

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自分から見ますと、人の言葉が――、今まで作品を通して、いくら解説してきても、相手は表層をなぞるばかりで、理解されず、誤解される無力感・無気力感があります。私が訴えることの、逆の意味に理解されたりするのは、辛い。

そして、それは仕方ないのだと、それが人間というものだ、ということ、痛感しております。知的生命体としては未熟な存在「現代人」。自他共、互いに知性が不足する。

自分の作品というのは、あくまで未来人に向けて書かれているのだろうか、という気がする。現代人には理解できる者が少ない……。その少ない中でも、先見性のある、ごく一部の人に、気づかせようとしている。

要するに、「気づかない人間」の言葉に、辟易《へきえき》している、のだろうか自分は。「未来の実像」とでもいうようなもの、それに気づかぬために、的外れな旧時代的思考をグルグル繰り返す方に、うんざりしているのかもしれない。



自分は、討論する気もなければ、討論を読む気にもなれない。
未来になれば一目瞭然なことを話しているからだ。
それに論理問題を解くわけではない。

無知からの、「不可能だ」という意見には、飽き飽きしている。現代という制限をかけるならともかく、未来にまで話がゆけば、不可能は、どこまでも可能になる。それすら、大衆の理解は追いていない様子、散見される。

論争に疲れた自分は、今後もコメント機能をオフにして、心も閉ざす。



情報が多くあふれた社会なのに、大事なことは、さほど伝わらない。

私は……もっと、数十年、数百年後に、生まれたかった。
すなわち、身体改造技術と精神改造技術が実現したのちの未来に。
そうなれば、自分の精神に、どのように欠陥があり、どう組み替えれば良いか、分かるだろう。
それは表面を見て、表面から思い込みや暗示で働きかける心理学や心理療法とは違う。
直接的に改変する。もちろん、一面的に改変するために異常を起こすようなヘマをせず、全体的に整え調和させるという改変すなわち改良処置だ。
だがそれも、結局、現代にはできないことだから、云うだけ虚しい。早く……未来に。
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