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運命の朝
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司会が成人式開幕を告げ、まずは学長の挨拶から始まった。
次に東京都知事が来賓として祝辞を述べ、続いて来賓挨拶の名前が告げられる。
「では、続いてこのホテル総帥である櫻井龍太郎氏に、成人の祝いの挨拶をお願い致します」
ぇ......
突然呼ばれた父の名前に、薫子の心臓が跳ね上がる。
考えてみれば、父が来賓挨拶するのは可能性としてはあり得ることであったが、薫子はそんなことなど全く考えが及んでおらず、受付で貰った案内にも目を通していなかった。
龍太郎は黒地の紋付袴を堂々と着こなし、風格が備わっていた。ゆっくりと壇上に上がると、落ち着いた様子で話し出す。
「新成人となられた皆さん、本日は誠におめでとうございます。私ごとですが、私の娘も皆さんと同じように成人を迎え、父として娘の成長を誇りに思っておる次第であります......」
その言葉に、薫子は目の前の景色が虚飾に塗り替えられていくように感じた。
父親らしい気遣いなど見せたことのない父が、こうして皆の前でいかにも自分がよき父親であるかのように語る姿に、胸の奥からドロドロとした嫌悪感が湧いてくる。
やっぱり...この人の言いなりになり、道具とされるような人生は嫌。私は...この人から逃れなければいけないんだ。
その後の龍太郎の話は覚えていない。ただ目の前を映像が流れ、耳をすり抜けていくだけだった。
大きな拍手の音に薫子の意識が戻る。気づくと、龍太郎は笑みを浮かべて壇上から立ち去るところだった。
喧騒が収まると、司会が進行を続ける。
「それでは、次に新成人代表挨拶となります。代表として、風間財閥の後継者であり、青海学園中等部から入学し、それ以来ずっと学年トップの成績を誇ってきた風間悠さんにお願いします」
『風間悠』の声が上がった途端、司会のマイクからの声も掻き消すほどの拍手と女性たちの歓声が響く。
薫子の座っている2列前の座席に座っていた悠は、優雅な所作で立ち上がると壇上へと向かう。悠の動きに合わせ、女性たちの視線も同じように動いていくのが分かる。
そして、薫子もそのうちの一人であった。悠が視界に入ってしまうと、思わず魅入られてしまう。
悠が壇上に上がり、胸元から紙を出し、折り畳まれたそれを指先で開いていく。そんな仕草さえ美しく、会場からは溜息が漏れた。まるでそこだけ空気さえも違う気がする。
悠は壇上のマイクの前で一度深呼吸をした後、手元にある紙には一切目線を落とさず話し出した。
「本日は、私たちの為にこのような盛大な成人式を催して頂きまして、誠にありがとうございます。また、お祝いと激励の言葉を頂きまして、都知事、来賓の方々、ご出席頂いた皆様に深く感謝申し上げます......」
悠の低く落ち着いた声を聞いていると、薫子は宥められ、安らぎに満たされていくのを感じた。
中等部の入学式で悠との初めての再会も壇上からこうして見つめていたのだったと、ふと思い起こす。
悠は、青海学園での思い出をなぞらえながら、自分達が多くの人達に支えられてきたこと、そのお陰でたくさんの素晴らしい経験と思い出を作ることが出来たこと、そして現在、大学でも充実した日々を過ごしていることへの感謝の意を表した。
それを聞きながら、薫子の心がだんだんと曇っていく。
私は、今まで自分のことで精一杯で......悠の気持ちに立って考える余裕がなかった。中等部から高等部、そして大学へと進み、悠にはきっと将来に向けてのプランがあった筈。常に学年トップを保ち、風間財閥の御曹司として既に父親の仕事を手伝い、有望な未来への道を歩んでいたのに。
大学さえちゃんと卒業できないまま駆け落ちし、異国の地でふたりで暮らすことは、悠にとって幸せなの?
本当に悠は、それを望んでいるの? 向こうで仕事のツテはあると言っていたけれど、それは悠のやりたい事なの?
私はここで、悠の未来をこんな形で奪ってしまってもいいのだろうか。
膝の上に置いていた手が震え出し、拳をギュッと握り締めた。
悠が...私と出会わなければ。私と恋に落ちなければ......
悠は、青海学園で充実した大学生活を送り、風間財閥の後継者として仕事を任され、家族に祝福されながら愛する人と結婚し、子供を持ち、幸せな生活を過ごせた筈だったのに。
私がいなければ......悠は、幸せに......
一度悲観的な考えを持ってしまってからは、薫子はどんどんと底なし沼に沈んでいくかのように更なる悲観的な思いに足を引かれ、そこから抜け出せなくなっていた。
「...ッ」
感情の高ぶりと共に瞼の奥が熱くなり、喉に硬い石が詰まったように苦しくなる。ハンカチを口元に当て、込み上がってくる嗚咽をなんとか押し留めた。
次に東京都知事が来賓として祝辞を述べ、続いて来賓挨拶の名前が告げられる。
「では、続いてこのホテル総帥である櫻井龍太郎氏に、成人の祝いの挨拶をお願い致します」
ぇ......
突然呼ばれた父の名前に、薫子の心臓が跳ね上がる。
考えてみれば、父が来賓挨拶するのは可能性としてはあり得ることであったが、薫子はそんなことなど全く考えが及んでおらず、受付で貰った案内にも目を通していなかった。
龍太郎は黒地の紋付袴を堂々と着こなし、風格が備わっていた。ゆっくりと壇上に上がると、落ち着いた様子で話し出す。
「新成人となられた皆さん、本日は誠におめでとうございます。私ごとですが、私の娘も皆さんと同じように成人を迎え、父として娘の成長を誇りに思っておる次第であります......」
その言葉に、薫子は目の前の景色が虚飾に塗り替えられていくように感じた。
父親らしい気遣いなど見せたことのない父が、こうして皆の前でいかにも自分がよき父親であるかのように語る姿に、胸の奥からドロドロとした嫌悪感が湧いてくる。
やっぱり...この人の言いなりになり、道具とされるような人生は嫌。私は...この人から逃れなければいけないんだ。
その後の龍太郎の話は覚えていない。ただ目の前を映像が流れ、耳をすり抜けていくだけだった。
大きな拍手の音に薫子の意識が戻る。気づくと、龍太郎は笑みを浮かべて壇上から立ち去るところだった。
喧騒が収まると、司会が進行を続ける。
「それでは、次に新成人代表挨拶となります。代表として、風間財閥の後継者であり、青海学園中等部から入学し、それ以来ずっと学年トップの成績を誇ってきた風間悠さんにお願いします」
『風間悠』の声が上がった途端、司会のマイクからの声も掻き消すほどの拍手と女性たちの歓声が響く。
薫子の座っている2列前の座席に座っていた悠は、優雅な所作で立ち上がると壇上へと向かう。悠の動きに合わせ、女性たちの視線も同じように動いていくのが分かる。
そして、薫子もそのうちの一人であった。悠が視界に入ってしまうと、思わず魅入られてしまう。
悠が壇上に上がり、胸元から紙を出し、折り畳まれたそれを指先で開いていく。そんな仕草さえ美しく、会場からは溜息が漏れた。まるでそこだけ空気さえも違う気がする。
悠は壇上のマイクの前で一度深呼吸をした後、手元にある紙には一切目線を落とさず話し出した。
「本日は、私たちの為にこのような盛大な成人式を催して頂きまして、誠にありがとうございます。また、お祝いと激励の言葉を頂きまして、都知事、来賓の方々、ご出席頂いた皆様に深く感謝申し上げます......」
悠の低く落ち着いた声を聞いていると、薫子は宥められ、安らぎに満たされていくのを感じた。
中等部の入学式で悠との初めての再会も壇上からこうして見つめていたのだったと、ふと思い起こす。
悠は、青海学園での思い出をなぞらえながら、自分達が多くの人達に支えられてきたこと、そのお陰でたくさんの素晴らしい経験と思い出を作ることが出来たこと、そして現在、大学でも充実した日々を過ごしていることへの感謝の意を表した。
それを聞きながら、薫子の心がだんだんと曇っていく。
私は、今まで自分のことで精一杯で......悠の気持ちに立って考える余裕がなかった。中等部から高等部、そして大学へと進み、悠にはきっと将来に向けてのプランがあった筈。常に学年トップを保ち、風間財閥の御曹司として既に父親の仕事を手伝い、有望な未来への道を歩んでいたのに。
大学さえちゃんと卒業できないまま駆け落ちし、異国の地でふたりで暮らすことは、悠にとって幸せなの?
本当に悠は、それを望んでいるの? 向こうで仕事のツテはあると言っていたけれど、それは悠のやりたい事なの?
私はここで、悠の未来をこんな形で奪ってしまってもいいのだろうか。
膝の上に置いていた手が震え出し、拳をギュッと握り締めた。
悠が...私と出会わなければ。私と恋に落ちなければ......
悠は、青海学園で充実した大学生活を送り、風間財閥の後継者として仕事を任され、家族に祝福されながら愛する人と結婚し、子供を持ち、幸せな生活を過ごせた筈だったのに。
私がいなければ......悠は、幸せに......
一度悲観的な考えを持ってしまってからは、薫子はどんどんと底なし沼に沈んでいくかのように更なる悲観的な思いに足を引かれ、そこから抜け出せなくなっていた。
「...ッ」
感情の高ぶりと共に瞼の奥が熱くなり、喉に硬い石が詰まったように苦しくなる。ハンカチを口元に当て、込み上がってくる嗚咽をなんとか押し留めた。
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