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クールビューティーと呼ばれる僕は、憧れだったピアノの貴公子への想いをどうしても諦めきれない
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初めてステファンを見たのは、彼のロンドン公演だった。
ピアノを習い始めてすぐにその才能を開花させ、ロンドンのジュニアピアノコンクールを総なめにしてきた僕は、その頃ピアノなんて誰にでも弾ける、容易いものだと思っていた。
それを根底から覆したのが、ステファンの演奏だった。
フランツ・リストの「ラ・カンパネッラ (la Campanella)」 。
まるで心の琴線を奏でられたかのように、鐘の音が胸の中に鳴り響いた。優雅でありながら情感的で、それでいて切なさと哀愁が潜んでいる。
その演奏は、聴衆を一瞬で彼の世界へと引き込む。
心が大きく躍動し、自然に涙が溢れた。
ピアノはただ音を鳴らすためのものじゃない。心を伝え、響かせるためのものなのだと感じた。
彼の演奏に憧れ、彼のようにピアノを弾きたいと思った。その憧れはどんどん大きくなり、彼に会ってみたい、彼といつか一緒に演奏したいという思いへ変化していった。
ラインハルトからウィーンに来ないかと誘われた時、興味がないからと断った。本当は家を出ることを父が許すはずがないと知っていたから、行けなかったのだ。
父は上流階級の人間で、息子を亡くしたことで後継を失った。僕は、父が気まぐれで一度だけ関係をもった場末の劇場で踊り子をしていた女の息子で、父は僕の存在を知って引き取り、ゴミ溜めのような貧民階級から一気に上流階級へと引き上げてくれた。たとえ彼に愛されてなくても、あの世界に戻ることだけは絶対に嫌だ。
けどその後、ステファンがラインハルトの元で師事すると聞き、心が大きく揺れた。僕は父の猛反対を押し切り、パブリックスクールを退学してまで、ウィーン行きを決めてしまった。
ステファンに会いたかった。彼の演奏を近くで観て、聴いて、感じたかった。
ステファンに直接会った時、今までの人生で初めて緊張した。こんなに美しい人が、世の中に存在するのかと思った。この人の視界に少しでも自分が長く留まっていられたらと、願うようになった。
憧れは、恋心となった。
ピアニストとしてのステファンは、どこまでもストイックだった。自分の納得いく演奏が出来るまで、何時間でも練習に打ち込んだ。ラインハルトと曲の解釈について、激しく討論することもあった。
僕はそんなステファンに少しでも追いつきたくて、彼の後を常について回り、彼の演奏スタイルからフィンガリング(指遣い)、強弱のつけ方など全て真似をした。ラファエルに『生まれたてのひよこが母親の後ろをついてるみたい』と揶揄されても、そんなことはちっとも気にならなかった。だいたい、あんなオカマ野郎の言うことにいちいち腹を立ててたら身がもたない。
ラインハルトに『今はステファンの真似でも勉強になることはあるかもしれんが、将来ピアニストとして大成したいなら、独自の演奏スタイルを確立するべきだ』と言われたのは、少しは気になったけど。
そんな僕にステファンは嫌な顔をするどころか、いつも優しく接してくれていた。
ステファンがゲイでないことは知っている。
僕に、希望などないことはわかってる。
ステファンの周りには常に色んな女が寄ってきたし、家に女を連れ込むようなことはしなかったけど、女遊びをしているという噂を聞いていた。
それでも、ステファンに恋する気持ちを止める理由にはならなかった。溢れ出る思いを、言葉で伝えられずにはいられなくなった。
『ステファンが、好きだ。恋人になりたいって意味で、言ってる』
ステファンは驚くことなく、ただ優しく微笑んだ。
『あなたのお気持ちは嬉しいですが、私はノアを弟のような気持ちで思っています。あなたの才能も買っているし、もっとそれを高めていけると信じています。
その恋心を、音楽で昇華させて下さい』
ステファンに告白することで、避けられたらどうしようと不安に思っていたけど、ステファンはそんなことはしなかった。今までと変わらぬ態度で接してくれた。それは嬉しくもあり、苦しくもあった。
それでも、ステファンの側にいられるだけで幸せだった。
ステファンからピアノの指導を受ける時、彼の視線は僕を見ている。僕はその瞬間、ステファンを独占している。
たとえ思いが叶うことがなくても、ずっとこうしていられればいい。こんな日々がずっと続いていけばいい。
そう、願っていた。
ウィーンに来てから3年後、ステファンは英国に帰国すると正式に皆に伝えた。
ラインハルトに師事するのは3年だけとは、以前から聞いていた。それでも、ステファンがウィーンを発つと聞いて驚きを隠せなかった。
僕だけでなく、兄弟弟子であるベンジーやラファエル、それに師匠であるラインハルトも散々説得したけど、ステファンは聞く耳を持たなかった。
皆がステファンを中心にして集まって、お互い切磋琢磨し、刺激を受け合っていい関係を築き上げてたのに......
ステファンがいなくなった家は、祭りの後のように虚しく、寂しかった。
ショックで、しばらくピアノを弾くことが出来なかった。ピアノを弾けばステファンがいた時のことを思い出して辛くなるので、触れることすら出来ずにいた。
僕も英国に帰りたかったけど、学校を退学し、父から勘当された僕は、一流のピアニストとなって父に認めてもらえるまでは帰ることは許されない。
ここにいればまたステファンが戻ってくるかもしれないという希望を胸に、ラインハルトの元でピアノの練習に励んだ。
ステファンが公演に来た時に彼に会いに行き、ウィーンに戻るよう何度も説得した。けど、ステファンが戻ってくることはなかった。
そんなステファンが、ようやくウィーンに帰ってきたと聞かされた。
帰国の連絡を聞いていなかったので驚きつつ、ずっと前から知っていたじいさんに怒りつつ、前日に僕に黙ってステファンとウィーン観光し、今朝も何も言わずに彼を迎えに行ったベンジーに殺意を抱きつつも、ステファンに会えるのだと思うと嬉しくて仕方なかった。
ステファンは、初めてラインハルトの家に女を連れてきた。姪も一緒だと聞いていたが、ステファンにとってその女が特別な存在なんだってことを、すぐに感じた。
ステファンのサラへの気持ちが恋心であることは、『シューベルトのセレナーデ』から奏でられる彼のピアノが語っていた。
僕の好きだったステファンのセレナーデ。叶わぬ恋を嘆くかのように、切なくて胸が絞られるほどの哀愁を漂わせていた。
それが、どうだ。
恋人への愛を高らかに歌い、幸せに満ち溢れたメロディがこの部屋を満たしていく。
嫌だ。
そんな曲、聴きたくない......
「こんなの、僕の知ってるステファンじゃない!」
ヴァイオリンの弓を床に投げつけ、部屋を飛び出した。
「誰を……誰を、思ってたんだよ。
ステファン……僕の気持ち、分かってるでしょ……」
追いかけてくれたステファンの首に腕を回し、サラが見ているのを知っていてキスをした。こんなことでふたりの仲が壊れるなら、それだけの関係ってことだ。
僕は、ステファンが誰とキスしたって、誰を抱いたって気持ちは変わらない。彼を愛している。
ステファンは、以前告白した時の優しさとは比べものにならないほど冷たい声で言い放った。
「私は、貴方の想いに応えることは出来ないと、以前にもお伝えした筈ですが?」
サラの眼の前でわざとキスしてやったことに、腹を立てているようだった。
こんなことで、僕の気持ちは変わらないよ。
「ステファン!!
僕、絶対に諦めないからねっっ!!」
視界から遠ざかっていくステファンが滲んでいるのは、溢れる涙のせいだった。
分かってる。ステファンが僕を好きにならないってことは……
それでもあなたを、諦められないんだ。
どうしたら、この恋心を消すことが出来るんだ。
苦しくて、苦しくて……胸が張り裂けそうだ。
僕が、女だったらよかったのに。
女なら、ステファンに抱かれるチャンスもあったかもしれないのに。
どうして僕は、男なんだろう。
弟のようにだなんて、思われなくていい。躰だけ、形だけでもいいから、ステファンに抱かれてみたかった。
彼の肌の熱を、匂いを、感触を感じてみたかった……
ピアノを習い始めてすぐにその才能を開花させ、ロンドンのジュニアピアノコンクールを総なめにしてきた僕は、その頃ピアノなんて誰にでも弾ける、容易いものだと思っていた。
それを根底から覆したのが、ステファンの演奏だった。
フランツ・リストの「ラ・カンパネッラ (la Campanella)」 。
まるで心の琴線を奏でられたかのように、鐘の音が胸の中に鳴り響いた。優雅でありながら情感的で、それでいて切なさと哀愁が潜んでいる。
その演奏は、聴衆を一瞬で彼の世界へと引き込む。
心が大きく躍動し、自然に涙が溢れた。
ピアノはただ音を鳴らすためのものじゃない。心を伝え、響かせるためのものなのだと感じた。
彼の演奏に憧れ、彼のようにピアノを弾きたいと思った。その憧れはどんどん大きくなり、彼に会ってみたい、彼といつか一緒に演奏したいという思いへ変化していった。
ラインハルトからウィーンに来ないかと誘われた時、興味がないからと断った。本当は家を出ることを父が許すはずがないと知っていたから、行けなかったのだ。
父は上流階級の人間で、息子を亡くしたことで後継を失った。僕は、父が気まぐれで一度だけ関係をもった場末の劇場で踊り子をしていた女の息子で、父は僕の存在を知って引き取り、ゴミ溜めのような貧民階級から一気に上流階級へと引き上げてくれた。たとえ彼に愛されてなくても、あの世界に戻ることだけは絶対に嫌だ。
けどその後、ステファンがラインハルトの元で師事すると聞き、心が大きく揺れた。僕は父の猛反対を押し切り、パブリックスクールを退学してまで、ウィーン行きを決めてしまった。
ステファンに会いたかった。彼の演奏を近くで観て、聴いて、感じたかった。
ステファンに直接会った時、今までの人生で初めて緊張した。こんなに美しい人が、世の中に存在するのかと思った。この人の視界に少しでも自分が長く留まっていられたらと、願うようになった。
憧れは、恋心となった。
ピアニストとしてのステファンは、どこまでもストイックだった。自分の納得いく演奏が出来るまで、何時間でも練習に打ち込んだ。ラインハルトと曲の解釈について、激しく討論することもあった。
僕はそんなステファンに少しでも追いつきたくて、彼の後を常について回り、彼の演奏スタイルからフィンガリング(指遣い)、強弱のつけ方など全て真似をした。ラファエルに『生まれたてのひよこが母親の後ろをついてるみたい』と揶揄されても、そんなことはちっとも気にならなかった。だいたい、あんなオカマ野郎の言うことにいちいち腹を立ててたら身がもたない。
ラインハルトに『今はステファンの真似でも勉強になることはあるかもしれんが、将来ピアニストとして大成したいなら、独自の演奏スタイルを確立するべきだ』と言われたのは、少しは気になったけど。
そんな僕にステファンは嫌な顔をするどころか、いつも優しく接してくれていた。
ステファンがゲイでないことは知っている。
僕に、希望などないことはわかってる。
ステファンの周りには常に色んな女が寄ってきたし、家に女を連れ込むようなことはしなかったけど、女遊びをしているという噂を聞いていた。
それでも、ステファンに恋する気持ちを止める理由にはならなかった。溢れ出る思いを、言葉で伝えられずにはいられなくなった。
『ステファンが、好きだ。恋人になりたいって意味で、言ってる』
ステファンは驚くことなく、ただ優しく微笑んだ。
『あなたのお気持ちは嬉しいですが、私はノアを弟のような気持ちで思っています。あなたの才能も買っているし、もっとそれを高めていけると信じています。
その恋心を、音楽で昇華させて下さい』
ステファンに告白することで、避けられたらどうしようと不安に思っていたけど、ステファンはそんなことはしなかった。今までと変わらぬ態度で接してくれた。それは嬉しくもあり、苦しくもあった。
それでも、ステファンの側にいられるだけで幸せだった。
ステファンからピアノの指導を受ける時、彼の視線は僕を見ている。僕はその瞬間、ステファンを独占している。
たとえ思いが叶うことがなくても、ずっとこうしていられればいい。こんな日々がずっと続いていけばいい。
そう、願っていた。
ウィーンに来てから3年後、ステファンは英国に帰国すると正式に皆に伝えた。
ラインハルトに師事するのは3年だけとは、以前から聞いていた。それでも、ステファンがウィーンを発つと聞いて驚きを隠せなかった。
僕だけでなく、兄弟弟子であるベンジーやラファエル、それに師匠であるラインハルトも散々説得したけど、ステファンは聞く耳を持たなかった。
皆がステファンを中心にして集まって、お互い切磋琢磨し、刺激を受け合っていい関係を築き上げてたのに......
ステファンがいなくなった家は、祭りの後のように虚しく、寂しかった。
ショックで、しばらくピアノを弾くことが出来なかった。ピアノを弾けばステファンがいた時のことを思い出して辛くなるので、触れることすら出来ずにいた。
僕も英国に帰りたかったけど、学校を退学し、父から勘当された僕は、一流のピアニストとなって父に認めてもらえるまでは帰ることは許されない。
ここにいればまたステファンが戻ってくるかもしれないという希望を胸に、ラインハルトの元でピアノの練習に励んだ。
ステファンが公演に来た時に彼に会いに行き、ウィーンに戻るよう何度も説得した。けど、ステファンが戻ってくることはなかった。
そんなステファンが、ようやくウィーンに帰ってきたと聞かされた。
帰国の連絡を聞いていなかったので驚きつつ、ずっと前から知っていたじいさんに怒りつつ、前日に僕に黙ってステファンとウィーン観光し、今朝も何も言わずに彼を迎えに行ったベンジーに殺意を抱きつつも、ステファンに会えるのだと思うと嬉しくて仕方なかった。
ステファンは、初めてラインハルトの家に女を連れてきた。姪も一緒だと聞いていたが、ステファンにとってその女が特別な存在なんだってことを、すぐに感じた。
ステファンのサラへの気持ちが恋心であることは、『シューベルトのセレナーデ』から奏でられる彼のピアノが語っていた。
僕の好きだったステファンのセレナーデ。叶わぬ恋を嘆くかのように、切なくて胸が絞られるほどの哀愁を漂わせていた。
それが、どうだ。
恋人への愛を高らかに歌い、幸せに満ち溢れたメロディがこの部屋を満たしていく。
嫌だ。
そんな曲、聴きたくない......
「こんなの、僕の知ってるステファンじゃない!」
ヴァイオリンの弓を床に投げつけ、部屋を飛び出した。
「誰を……誰を、思ってたんだよ。
ステファン……僕の気持ち、分かってるでしょ……」
追いかけてくれたステファンの首に腕を回し、サラが見ているのを知っていてキスをした。こんなことでふたりの仲が壊れるなら、それだけの関係ってことだ。
僕は、ステファンが誰とキスしたって、誰を抱いたって気持ちは変わらない。彼を愛している。
ステファンは、以前告白した時の優しさとは比べものにならないほど冷たい声で言い放った。
「私は、貴方の想いに応えることは出来ないと、以前にもお伝えした筈ですが?」
サラの眼の前でわざとキスしてやったことに、腹を立てているようだった。
こんなことで、僕の気持ちは変わらないよ。
「ステファン!!
僕、絶対に諦めないからねっっ!!」
視界から遠ざかっていくステファンが滲んでいるのは、溢れる涙のせいだった。
分かってる。ステファンが僕を好きにならないってことは……
それでもあなたを、諦められないんだ。
どうしたら、この恋心を消すことが出来るんだ。
苦しくて、苦しくて……胸が張り裂けそうだ。
僕が、女だったらよかったのに。
女なら、ステファンに抱かれるチャンスもあったかもしれないのに。
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