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明かされる心
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「 RTS には最初の3段階と4つ目の段階に分けられます。ステージと言っても個人差があるので、戻ったり、飛び越したり、停滞したりと人によって様々です。
第一段階は「急性クライシス」。被害者は、事件の直後から、急性で強烈な様々な心的苦痛を体験します。一日中泣き続けたり、パニックや解離を経験したり、気が狂いそうになったり、不眠の日が続いたり、小さな音に過敏になったり、 どうしようもない無力感や虚無感に襲われたり、集中できなくなったり、全ての異性に対して懐疑的、防衛的になったり、感情が麻痺したり……」
そう言われて、美姫は事件直後の自分の様子を思い出した。
事件の記憶が蘇って突然発狂したように金切り声を上げたり、秀一に泣き縋ったり、かと思うと放心状態で何もする気になれなかったり、ひとりになるのに恐怖を感じたり、眠れなかったり、友達の勝にまで拒絶反応を起こしたことを……
忘れたいのに、こびりついて剥がすことの出来ない、赤黒い血痕のような記憶。
躰が緊張して強張ってきた美姫に秀一が気付き、話を中断した。
ここで私が動揺を見せてしまったら秀一さんは私を気遣い、話が終わってしまう……落ち着くんだ……ここで、こんな中途半端に終わらせたくない……
美姫はソファについた手をギュッと握り締め、唇を固く引き結び、俯きかけた顔を上げて秀一へと視線を向ける。無言で頷いた美姫を確認すると、秀一は話の続きを進めた。
「しかし、これから暫くたつと、彼らは第2ステージの「表面的な調整」という局面に入ります。「急性クライシス」からは少し落ち着いて、表面上は、日常生活に戻れるようになってきた段階です。この時、家族や周りの人々は、それを見て安心しがちですが、ここで大事なのは、これはあくまで「表面上」調整されているだけであって、本人の内的世界はその前の局面とあまり変わっていないということです。
……そして、昨日の私がまさにそれでした。旅先での興奮も手伝って以前のように振る舞う貴女を見て、私はすっかりトラウマは過去のものだと過信してしまったのです……」
秀一が視線を落とし、眉を顰めた。
秀一さんのせいじゃないのに……悪いのは、私なのに……
秀一を安心させたつもりが、失望させてしまった。その事実に、美姫は失望した。
「「表面的な調整」を経て、被害者の人々はやがて、第3段階の「統合」という局面に入ります。この局面がRTSの最終ステージで、ここでは様々な生産的なことが行われます。異性に対して懐疑的になっていた人々が再び異性を信じられるようになったり、疑惑に満ちていた世界が、危険は存在するけれど、信じられる人もたくさんいる、というふうに調整して認識されるようになったり、物事に対する新しい対応の仕方を学んだりします」
秀一が一瞬躊躇った後、決意したように真っ直ぐに美姫の瞳を見つめた。
「……ここで必要なのは『レイプを経験した』という事実を受け入れ、自分の一部として統合しなければなりません。それによってアイデンティティーが更新されるのです」
『レイプを経験した』という事実を、受け入れる……
一瞬、何を言われたのか分からないくらい、美姫の頭が真っ白になる。
忘れたくて忘れたくて……記憶から抹消して、何もかもなかったことにしてしまいたいと、悲痛な程に願っているというのに……その事実を受け入れなければ先に進めない、と言うの……?それ以外に道は……ないの?
……どう、しよう……私、私…私、は……やっぱり、まだ…あの事を受け入れるのは、怖い……直視、出来ない……まだ鮮烈すぎて、消化できる気がしない……
「……私……」
それから言葉が続かない美姫に、秀一の優しい声が静かに響く。
「美姫、いいのですよ……無理をしなくても……」
秀一の後押しに美姫は小さく頷いた。
やっぱり、今は…無理……
たとえそれが、唯一の方法だと知っていても。
「帰国したらその専門医を紹介しますので、一緒にカウンセリングを受けに行きましょう」
「……分かりました」
美姫は蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
メンタルヘルスの専門医、と聞いて身を固くしてしまったけれど、秀一さんがついてきてくれるなら……きっと、大丈夫……
「あ、の...第4段階とは、何なんですか」
先ほどの説明では第3段階が最終ステージだと言っていた。それなら、第4段階とは、何になるんだろう?
美姫は躊躇いつつも、おずおずと質問した。
秀一がぐっと言葉を詰まらせた。前屈みになって軽く合わさっていた手を包み込むようにしてギュッと握り込み、苦しげに言葉を発した。
「……第4段階は「トラウマを喚起させる物事」と呼ばれています……「統合」した後もトラウマを喚起させるような物事は起きるのだけれど、それによって、しばらくの間、以前の局面に戻されたりしながら、やがて、そうした物事にもあまり影響されないくらいに統合が進んでいくそうです……」
統合された後も...まだ苦しみが続くんだ。
美姫はその事実に打ちのめされる。
私はまだ、秀一さんと大和によって途中で救われたけれど……もっと酷い性的暴力を受けた人の痛みは…どれぐらいのものなのだろう。辛い、なんて一言で言えないぐらい……壮絶な苦しみをもつ体験に違いない……
そう、思う自分も確かにいる。だが、あの出来事を事実として受け入れるまでにはとてもなれず、美姫は何も言葉を返すことが出来なかった。
第一段階は「急性クライシス」。被害者は、事件の直後から、急性で強烈な様々な心的苦痛を体験します。一日中泣き続けたり、パニックや解離を経験したり、気が狂いそうになったり、不眠の日が続いたり、小さな音に過敏になったり、 どうしようもない無力感や虚無感に襲われたり、集中できなくなったり、全ての異性に対して懐疑的、防衛的になったり、感情が麻痺したり……」
そう言われて、美姫は事件直後の自分の様子を思い出した。
事件の記憶が蘇って突然発狂したように金切り声を上げたり、秀一に泣き縋ったり、かと思うと放心状態で何もする気になれなかったり、ひとりになるのに恐怖を感じたり、眠れなかったり、友達の勝にまで拒絶反応を起こしたことを……
忘れたいのに、こびりついて剥がすことの出来ない、赤黒い血痕のような記憶。
躰が緊張して強張ってきた美姫に秀一が気付き、話を中断した。
ここで私が動揺を見せてしまったら秀一さんは私を気遣い、話が終わってしまう……落ち着くんだ……ここで、こんな中途半端に終わらせたくない……
美姫はソファについた手をギュッと握り締め、唇を固く引き結び、俯きかけた顔を上げて秀一へと視線を向ける。無言で頷いた美姫を確認すると、秀一は話の続きを進めた。
「しかし、これから暫くたつと、彼らは第2ステージの「表面的な調整」という局面に入ります。「急性クライシス」からは少し落ち着いて、表面上は、日常生活に戻れるようになってきた段階です。この時、家族や周りの人々は、それを見て安心しがちですが、ここで大事なのは、これはあくまで「表面上」調整されているだけであって、本人の内的世界はその前の局面とあまり変わっていないということです。
……そして、昨日の私がまさにそれでした。旅先での興奮も手伝って以前のように振る舞う貴女を見て、私はすっかりトラウマは過去のものだと過信してしまったのです……」
秀一が視線を落とし、眉を顰めた。
秀一さんのせいじゃないのに……悪いのは、私なのに……
秀一を安心させたつもりが、失望させてしまった。その事実に、美姫は失望した。
「「表面的な調整」を経て、被害者の人々はやがて、第3段階の「統合」という局面に入ります。この局面がRTSの最終ステージで、ここでは様々な生産的なことが行われます。異性に対して懐疑的になっていた人々が再び異性を信じられるようになったり、疑惑に満ちていた世界が、危険は存在するけれど、信じられる人もたくさんいる、というふうに調整して認識されるようになったり、物事に対する新しい対応の仕方を学んだりします」
秀一が一瞬躊躇った後、決意したように真っ直ぐに美姫の瞳を見つめた。
「……ここで必要なのは『レイプを経験した』という事実を受け入れ、自分の一部として統合しなければなりません。それによってアイデンティティーが更新されるのです」
『レイプを経験した』という事実を、受け入れる……
一瞬、何を言われたのか分からないくらい、美姫の頭が真っ白になる。
忘れたくて忘れたくて……記憶から抹消して、何もかもなかったことにしてしまいたいと、悲痛な程に願っているというのに……その事実を受け入れなければ先に進めない、と言うの……?それ以外に道は……ないの?
……どう、しよう……私、私…私、は……やっぱり、まだ…あの事を受け入れるのは、怖い……直視、出来ない……まだ鮮烈すぎて、消化できる気がしない……
「……私……」
それから言葉が続かない美姫に、秀一の優しい声が静かに響く。
「美姫、いいのですよ……無理をしなくても……」
秀一の後押しに美姫は小さく頷いた。
やっぱり、今は…無理……
たとえそれが、唯一の方法だと知っていても。
「帰国したらその専門医を紹介しますので、一緒にカウンセリングを受けに行きましょう」
「……分かりました」
美姫は蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
メンタルヘルスの専門医、と聞いて身を固くしてしまったけれど、秀一さんがついてきてくれるなら……きっと、大丈夫……
「あ、の...第4段階とは、何なんですか」
先ほどの説明では第3段階が最終ステージだと言っていた。それなら、第4段階とは、何になるんだろう?
美姫は躊躇いつつも、おずおずと質問した。
秀一がぐっと言葉を詰まらせた。前屈みになって軽く合わさっていた手を包み込むようにしてギュッと握り込み、苦しげに言葉を発した。
「……第4段階は「トラウマを喚起させる物事」と呼ばれています……「統合」した後もトラウマを喚起させるような物事は起きるのだけれど、それによって、しばらくの間、以前の局面に戻されたりしながら、やがて、そうした物事にもあまり影響されないくらいに統合が進んでいくそうです……」
統合された後も...まだ苦しみが続くんだ。
美姫はその事実に打ちのめされる。
私はまだ、秀一さんと大和によって途中で救われたけれど……もっと酷い性的暴力を受けた人の痛みは…どれぐらいのものなのだろう。辛い、なんて一言で言えないぐらい……壮絶な苦しみをもつ体験に違いない……
そう、思う自分も確かにいる。だが、あの出来事を事実として受け入れるまでにはとてもなれず、美姫は何も言葉を返すことが出来なかった。
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