深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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5.謹慎

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 噂は瞬く間に広がった。

 第四皇子が入学直後に深夜の校舎に侵入して、早々に一週間の謹慎をくらっていると。

「どんだけ目立ちたいんだよ」

 “皇子”という立場に歓迎する者もいれば不満を抱く者もいる。皇子が何か一つ失敗すれば、何でもなかった他の出来事も、揚げ足取りのように攻撃材料にされてしまった。

「生徒会長にたてついたんですって」

「うそ、なんで?」

「生徒会長がドロバンディ家の人だから」

「うわぁ、くだらなーい。第四皇子はそんなことで目くじら立てる人なのね」

「第四皇子は正妃である皇妃様のお子。側妃の一族に一方的に敵意があるのよ」

「こーわっ。ドロドロ」

「フィガロ皇子の高圧的な態度に耐えられなくて、ベッティーナ嬢も生徒会の集まりの最中に泣いてしまったって」

「昨年卒業された第三皇子のジョアン皇子は生徒会長として活躍なさっていたのに、フィガロ皇子は随分傲慢な方なのね」

「ここだけの話、フィガロ皇子の母君であられる皇妃様は、側妃様に夢中になった皇帝の愛と興味を取り戻そうとして、自分の息子である前皇太子殿下を殺したって噂があるものね……」

「悲劇の母を演じたってこと? でも、前皇太子殿下は病で亡くなられたでしょ?」

「前皇太子殿下は病気のため甘いものは禁止だったそう。なのに、皇妃様は病状を悪化させるために与えていたとか……」

「まあ、なんて恐ろしい。どおりで、フィガロ皇子も……」

「皇子は今日まで寮の自室で謹慎されてるわ」

 学校では噂の的になっている頃、一等男子寮の一室では、平手打ちの音が痛々しく響いた。

 赤く熱を持った頬をフィガロ皇子はおさえ、俯く。
 彼の前には最上級のドレスや宝石に身を包む貴婦人が、痛む手を摩りながら立っている。
 そして、冷たい声でフィガロ皇子を叱責した。

「貴方は小さな過ちも犯してはいけないと、何度も言い聞かせていたはずです」

「申し訳ありません……お母様」

「大人しく、目立たぬよう、勉学にだけ励みなさい。貴方のためを思って言っているのですよ」

「はい……承知しております。お母様」

「なら、夜中に校舎に侵入なんてするんじゃないっ!!」

 皇妃が珍しく声を荒げた時、部屋の扉がノックされ、一人の男性が入ってきた。
 滑らかなカナリアブロンドの長い髪で、背は高く、身体はガッチリとしており、角ばった骨格や凛々しく整った顔立ち。中性的なフィガロ皇子とは対照的な、男性的な魅力に溢れた青年だ。

「皇妃様、おやめください」

 皇妃は急に現れた青年を見て、目を丸くして羞恥心に顔を赤くした。

「ジョアン皇子、なぜあなたがここに」

「フィガロを心配して来ただけです。おかしい事ですか?」

「ええ、おかしいわ」

 ジョアン皇子は自嘲気味に笑った。

「母は違えど、私もフィガロの兄なんですけどね……」

「そんなこと思ってもいないでしょう」

「思ってますよ」

 ジョアン皇子と皇妃は、互いに一歩も譲らない様子で涼し気な目で威嚇しあっていた。

「ジョアン皇子、フィガロは母との団らん中です。今日は帰りなさい」

「おや? 先ほど怒鳴り声が廊下にまで響き渡っていましたよ? ちょうど私の侍従が廊下で一緒に聞いていた。確認して陛下にご報告致しましょうか?」

「お前は……」

 悔しがる皇妃にむかって、ジョアン皇子はにっこり微笑む。

「私もフィガロと話したいだけです。ご許可頂けるなら、事を荒立てるつもりはありません」

 皇妃は息子フィガロ皇子を一瞥し、視線で余計な事を話すなと釘をさす。
 そして、側妃の息子であるジョアン皇子を睨んでから、顔をふんっと背けて部屋を出て行った。

 ジョアン皇子は去って行った皇妃の残像を眺めながら、堪えるように笑っていた。

「あの……兄上、なぜこちらに?」

 フィガロ皇子はジョアン皇子を覗き込みながら恐る恐る聞く。
 視線をフィガロ皇子に移したジョアン皇子の顔は、口角は上がっているが、目は笑っていなかった。

「入学早々謹慎を食らったと聞いて、居てもたってもいられず来てしまったよ」

「……ご心配をお掛けして誠に申し訳ありませんでした」

「いいじゃないか、羽目を外すくらい。そういう年頃だし」

 皇妃が出ていき、やっと会話を始めたばかりなのに、すぐに部屋の扉がノックされた。

「はぁ……皇妃様はしつこいな」

 ジョアン皇子が溜め息混じりに扉を開けに行く。だがそこに立っていたのは皇妃ではなく、封印の部屋にいたセラフィーナだった。

 扉の前で動きを止めたジョアン皇子とセラフィーナ。二人は驚いた様子で見つめ合ったまま、黙りこくっている。

 フィガロ皇子がセラフィーナに声を掛けようと口を開いたが、セラフィーナはそれを遮る様に声を出す。

「フィガロ、この方はどなた?」

 セラフィーナは明らかに怪訝な顔をしてジョアン皇子に向かって指を差している。そしておそらく指を指されるなど初めての経験であろうジョアン皇子は、セラフィーナの攻撃的な指先を見て固まっていた。

「私の兄です」

 フィガロ皇子の答えにセラフィーナはまたも驚いた表情でジョアン皇子を見る。

「あなたが皇子ですって……?」

 皇子と知ったセラフィーナの表情を見て、ジョアン皇子はくすりと笑い、これ見よがしに優雅なお辞儀をして挨拶をした。

「ガレアータ帝国皇帝の第三皇子、ジョアン・ヴァレリアーニと申します」

「あら……そ……」

 皇子にむかって素っ気なく言い放つセラフィーナに、ジョアン皇子は彼女の一連の行動と合わせて、とうとう両手を広げて呆れかえった。

「は? それだけ? 私は皇子だぞ? せめてカーテシーくらいすべきなんじゃないのか?」

 セラフィーナは雑なカーテシーを瞬時に終わらせ、プイッと顔を横に逸らした。

 険悪なムードになりはじめた二人を見てフィガロ皇子が慌てて二人の間に入る。

「兄上、申し訳ないですが、セラフィーナ嬢と二人きりにしてもらえますか?」

 しかし、彼女の名前を聞いたジョアン皇子は目を見開いて反応した。

「黒髪の……セラフィーナだと?」

 ジョアン皇子はゆっくりと視線をセラフィーナに移す。

「おい、お前、家名を名乗れ」

「あなたに名乗る家名などない」

「では、出身はどこだ」

「どこだっていいでしょ」

「いい加減にしろっ!!」

 セラフィーナの次から次へと繰り出される態度に怒りを露わにし、ジョアン皇子が手を振り上げた瞬間、咄嗟にフィガロ皇子がセラフィーナの前に立ち、代わりに頬を思い切り打たれた。

「フィガロ!?」

「そこをどけ、フィガロ!!」

 成長期に入ったばかりの身体はまだ華奢で小さい。鍛えられた肉体を持つ大人の男性のジョアン皇子からの平手打ちは、フィガロ皇子にはかなりの衝撃だった。
 フィガロ皇子はよろけつつも、セラフィーナの前をどこうとしなかった。

「そこをどけと言ってるだろ、フィガロ」

「いえ、女性に手をあげようとしているのをわかっていながら、ここをどくわけがないでしょ」

 フィガロのこれまでになかった気迫に、ジョアン皇子は手段を変えてにっこりと優しく微笑んだ。

「叩くわけないだろ、フィガロ。ただその女が誰かわかったんだ。こっちに引き渡して欲しい。その女は危険だ」

「危険?」

 フィガロ皇子は背後に匿うセラフィーナをちらりと見た。彼女と会ったのはこれで二回目。大した会話もしていなければ、互いのことは何も知らない。だけど、彼女が危険だとは到底思えなかった。

「私には……兄上に引き渡す方が危険な気がします」

「本当はもう少し待つつもりだったが……」

「待つ?」

 ジョアン皇子は腰に携えていた剣の鞘に手を添えた。

「兄上?」

「予定より少し早くなっただけだ」

 ジョアン皇子は剣を引き抜くと、フィガロ皇子に襲い掛かって来た。咄嗟にセラフィーナがフィガロ皇子を突き飛ばし、彼女の胸から腹がばっさりと斬られ倒れた。

「セラフィーナっ!!!」

 フィガロ皇子は大慌てでセラフィーナに駆け寄り、彼女の傷口を両手で圧迫する。

「大丈夫だ、セラフィーナっ! 気をしっかり」

 セラフィーナは手のひらをフィガロ皇子の胸元にあて、にっこりと微笑む。

「ええ、大丈夫よ」

「え?」

 何が起こったのか理解する間もなく、フィガロ皇子は気がつけば寮の自室ではなく、来たことも見たことも無いあぜ道の真ん中にいた。
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