深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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8.誰がスノーベアを倒す

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 誰もが寝静まった深夜、ガレアータ帝国寄宿学校の女子寮の一室の窓は開いていた。
 闇夜に紛れ、黒い鳥は颯爽と開いた窓に飛び込んで来る。部屋のハンガーポールに飛び乗ると、くちばしを開けてポトリと手紙を床に落とした。

「ごきげんよう、シャドウ」

 マリエッタは床に落ちた手紙を拾って机の上に置くと、まずはシャドウを労いに行く。カサカサと音が鳴る箱を手に持ってシャドウの前で蓋を開ければ、シャドウは大喜びで箱の中に頭を突っ込み、ご馳走を頬張った。

「私、虫取りは得意なの。フィガロ皇子は幼い頃に躊躇なく虫を捕まえる私を見て尊敬したと言ってくださったわ」

 得意気に話すマリエッタを、シャドウは気にすることもなく黙々と箱の中を漁っていた。
 マリエッタも鳥に対して本気で話しかけているわけではない。
 シャドウを労い終えれば、机に向かい手紙を開く。

 “親愛なるメアリー ラズベリーの新芽が出たよ。春が近づいてきた。この国はとても美しいと実感している。私が農作業をしているなんてレリオ先輩が知ったら、とても喜んでくれそうだね。いつも君のことを気にかけているよ。 フィーより”

 メアリーはマリエッタの文通上の仮名。フィーはフィガロ皇子のことである。
 二人はシャドウに手紙を運んでもらい、ずっと連絡を取っていた。

 マリエッタは微笑みながら手紙を折りたたむと、手紙の角を机の上のランプの炎にあてて火を移し、それを皿の上に置いて燃やしきった。
 そして、すぐに椅子に座り、机の引き出しから紙とペンを出す。

 マリエッタは少し悲しそうに微笑んでから、手紙を書き始める。

 “親愛なるフィー またあのケーキをご馳走になりに行きたいですね。もちろんフィーと一緒に。三人でのお茶会は心から楽しかったです。
 そのレリオ先輩は、卒業の半年も前から後継者教育が始まったようです。卒業後は大学に通いながら、本校でも講師として働くとか。何やら封印の部屋が慌ただしく、以前よりも生徒は近づけなくなったのですが、それがレリオ先輩の後継者教育を早める要因になったとか。
 私は大丈夫。と、言いたいところなのだけど、ここ最近は頻繁に楽しくないお茶会の方に参加させられています。学校生活だけならまだしも、婚約に響くので仕方ありませんね。今のところ上手くやってはいるつもりですが、お茶会での陰口大会には正直うんざりしていますし、陰口だけですまないところが腹黒いです。
 こうしてフィーに愚痴愚痴と溢す自分にも嫌気がさしています……。
 いつも気にかけてくれてありがとう。あなたの無事を心から願っています。 
 p.s. もしかして恋でもしてるの?”

 手紙を折りたたみ、シャドウの前に差し出すと、シャドウは器用にくちばしで咥えた。

「いつもありがとう、シャドウ」

 相手は鳥だが、マリエッタはカーテシーをして軽く頭を下げた。
 この文通はマリエッタの学校生活を支えていた。

 シャドウは返事をするように羽根をバサッと一度羽ばたき、颯爽と窓から飛び去って行った。

 ✳︎

 暗く深い紺色だった空が、段々と明るみを帯びた青藍色に色付き始め、地平線に近い辺りから橙が混じり始める。一番鶏の気持ち良さそうな鳴き声が響き渡ると、フィガロ皇子は床の上に敷いた布団で目を覚ます。
 早春のまだ肌寒い朝、フィガロ皇子はうーんと唸りながら布団から出る事に躊躇しつつ、視線は自然と隣にある部屋を仕切るカーテンに向かった。
 すでにカーテンの奥にあるベッドからは人の気配がしない。セラフィーナはもう起きているようだ。
 フィガロ皇子は起き上がり、急いで服を着替え、階下へと駆け下りて行く。
 
 暖炉の温かい空気が身体を包み、朝のスープの良い香りが鼻をかすめた。

「起きて来たわね。寝坊助さん」

 キッチンから顔を出してくれた、おたまを持って微笑むセラフィーナの姿が、フィガロ皇子の目を完全に覚ましてくれた。

「おはよう、セラ」

「スプーンを配っておいてね」

 セラフィーナはそう言うと、すぐにラーラの待つキッチンへ戻って行った。
 フィガロ皇子はにやつきながら、スプーンをテーブルにセットしていく。そのうちバルドも起きて来て、やがて賑やかな朝の食卓が始まった。

「急いで食べて市場に行く支度をしなきゃね」

 ラーラはそう言葉にしながら、ミルクを皆のコップに注いでいく。
 
「僕達も市場に行けるの!?」

 目を輝かせるフィガロ皇子に、ラーラはにんまりと笑う。

「バルドが二人に市場で蜜菓子を買ってあげたいんだとさ」

「蜜菓子!!」

 喜びを隠せないフィガロ皇子に、バルドもラーラも、セラフィーナまでも笑ってしまった。

「そうだよ。バルドが以前お土産にヘーゼルナッツの蜜菓子を二人に買ってきただろ? その時のフィーの喜びようが嬉しかったんだとさ。だから、市場には色んな果物やナッツの蜜菓子があるから、本人に選ばせたいって」

「おいラーラ、ペラペラしゃべるな」

「あらやだ、この人ったら照れてるよ」

 ラーラはひらひらと手を振って顔を赤くするバルドを茶化した。

「バルドさん、ありがとう。農作業、沢山して返すから」

 あまりに素直に礼を言ってくるフィガロ皇子に、バルドは目も合わせられなかった。

「子供がそんなこと気にしなくていい」

 朝食を終えれば、市場に持って行く野菜や卵、瓶詰めされたラーラお手製のジャムやザワークラフトを荷馬車に積む。バルドとラーラは御者席に座り、セラフィーナとフィガロ皇子は荷台に商品たちとともに乗った。

 道中がたがた揺られながら、市場へと荷馬車は進む。あまりの揺れに、フィガロ皇子は卵が割れないようにカゴをおさえたり、跳ね上がった人参を身を乗り出してキャッチした。

「ちゃんと座ってろよー」

「あ、はい。ごめんなさい」

 商品を守ったのに、律儀に謝るフィガロ皇子を見てセラフィーナはクスクス笑う。

「あんまり笑わないで欲しいな」

 頬を膨らませるフィガロ皇子の頭をセラフィーナは優しく撫でた。

「はいはい、とっても良い子。頑張っておじさん達の大切な商品を守ったのよね。作るまでの苦労を知っているから」

「そうやってまた子供扱いして」

 フィガロ皇子はセラフィーナに触れられ嬉しさ半分、悔しさ半分だった。

 二人の会話を聞いていたバルドとラーラは何やら相談を始める。

「そうだな……まだ声変わりは始まってないが、少し多めに蜂蜜を買っておくか」

「部屋もそろそろ準備してあげないと。片付ければフィーの部屋がつくれる」

「ああ、すぐに身体つきも変わって来るだろうし、いつまでもフィーだけ床で寝かすわけにもいかないしな」

 フィガロ皇子はセラフィーナと部屋が同じだという事にあれだけ騒いでいたのに、いざ分かれてしまいそうになると寂しく感じた。

「あら? 一人で眠るのが怖いの?」

 セラフィーナがフィガロ皇子の様子に気づき、本気でそう聞いてきた。

「そんなわけないでしょ……」

 子供扱いに慣れ切ったフィガロ皇子は、もう怒る気にもなれずがっくりとうなだれる。

 セラフィーナはやれやれといった様子でおもむろに御者席の方へと声を少しだけ張り上げた。

「おじさん、おばさん、私達同じ部屋のままでいいわ」

 ラーラはきょとんと後ろに振り返った。

「あら、どうして? 窮屈でしょ」

「私達、夏にはセラ峠を越えたいの。だから、その間だけ間借りさせてもらえたら大丈夫だから、わざわざ部屋を増やしてもらう必要はないわ」

 今度はバルドが渋い声を出す。

「……セラ峠だって?」

「そう。それで、交渉させて欲しいのだけど、市場でこの荷を全て売り切るから、少しでいいから旅の足しになるお給金を頂けたら助かるの」

「だめだ」

「え?」

 バルドはとうとう荷馬車を停めてしまった。

「まだリーアを殺したスノーベアが捕獲されていない。人間の味を知ったあいつらは、きっとまた人間を襲う。セラはリーアと髪色も顔も違うが、背格好は良く似ているんだ。狙われる危険が高い」

「リーア? スノーベア?」

 首を傾げたセラフィーナを見たフィガロ皇子は、彼女はバルドの娘が夏のセラ峠でスノーベアに襲われた事を知らなかったことに気づいた。痛ましい話だったので、フィガロ皇子は自分からセラフィーナに話すのはずっと控えていた。自分が伝えずとも、いずれバルドかラーラの口から直接セラフィーナに伝えられると思っていたのだ。それに、あの部屋を使っていればセラフィーナ自身も疑問に思って二人に確認するんじゃないかとも思っていた。
 だが、そんなことはなかったのだと今更知った。

「あのねセラ、二人には娘のリーアがいたんだけど、夏のセラ峠でスノーベアに襲われて亡くなったんだ。亡骸もスノーベアに持って行かれてしまって、まだ帰ってきていない。僕たちが使わせて貰っている部屋は、リーアさんの部屋なんだ」

「まあ、そうだったの? てっきりもう嫁いだ娘の部屋だと思ってた。しかもスノーベアが夏に山を降りて来るですって? 凄い時代になったのね」

 セラフィーナはまた御者席に向かって声を張り上げた。

「バルドさん、夏になったら私達が娘さんを連れ帰ってくるわ。だから、そのために必要な食糧やテントの提供をしていただけるかしら? そして、成功した暁には、峠を越える費用を少しでも助けて欲しい。これでどう?」

「何を馬鹿な事を。あいつらは一度捕まえた獲物を奪う奴を絶対に許さない。執拗に追いかけてきて食い殺される。だから大の大人の男でもスノーベアに立ち向かおうとは思わない」

「問題ないわ。スノーベアを倒してから娘さんを連れ帰るから」

「はあ? 誰が倒すだって?」

「この子よ」

 セラフィーナは御者席に良く見えるようにフィガロ皇子の腕を引っ張った。

「「「はあ???」」」

 寝耳に水のフィガロ皇子も、バルドとラーラに共鳴して声を上げる。

 バルドとラーラはフィガロ皇子をまじまじと見つめた。
 自分たちの家に来た時よりも、少し背は伸びたが、まだまだあどけない少年の姿。いや、美少女にも見える美しい中性的な顔立ち。周囲も怯む険しい顔つきで屈強そうなバルドでも、周りから娘を取り返しに行くことを止められるのに、こんな華奢な少年に倒せるわけがない。

「バカなことを。話はここまでだ。市場が終わっちまう」

 バルドはまた荷馬車を走らせ始めた。
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