深く刻まれた皇妃への想い

さくらぎしょう

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9.フィガロ皇子にしかできないこと

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 小規模な村だが、市場が開かれる日は普段は見掛けない人々も集まり、まるで祭りのように大賑わいだった。
 立ち並ぶ露店には野菜や果物だけでなく、自家製パンや、手作りのアクセサリーや、薬なども売られていた。様々な方言が飛び交い、農民が引いてきた牛の鳴く声が聴こえ、子供たちがはしゃぐ声が響く。青い空を彩るようにカラフルなガーランドが横切っている。フィガロ皇子は目を輝かせてその光景を眺めた。
 市場は馬車で通り過ぎた事はある。だけど、こうして同じ目線で活気に満ちた空気を感じたのは生まれて初めてだった。

「ほら、二人で蜜菓子を買ってこい」

 バルドがフィガロ皇子の手に小銭を握らせた。

「先に店を手伝うから、これはあとででいいよ」

 フィガロ皇子は手のひらを開いて小銭をバルドに差し出した。

「そんな顔して市場を見ている奴をいつまでも拘束してられるか。セラとゆっくり回ってこい」

 バルドはまたもフィガロ皇子の手をギュッと掴んで小銭を握らせた。

 フィガロ皇子はバルドの優しさに感動し、爛々とした目で彼を見つめる。

「よせ、そんな子犬みたいな目で見るな。いけいけ」

 バルドは追い払うように手を振った。

「さ、行こう」

 セラフィーナがフィガロ皇子の手を握り締め駆け出した。
 フィガロ皇子に振り返って笑顔を見せるセラフィーナは、彼の世界をまた輝かせた。
 フィガロ皇子は繋がれた手の感触を妙に意識してしまい、少し汗ばみ、思わず手を離してしまった。

「あら、嫌だった? こうでもしないと動かなそうだったから引っ張ってしまったの。ごめんなさいね」

「嫌じゃないよ。むしろ、うっ、嬉し……」

「あっ! 見て見て!!」

 セラフィーナはフィガロ皇子にはお構いなしですでに市場の商品に目を奪われていた。どうやら市場を楽しみにしていたのはセラフィーナも同じだったようだ。

「そうですよね……ずっとあの部屋にいたんですから……」

 フィガロ皇子は小さな声で呟き、セラフィーナの姿を見つめながら微笑む。

 二人で市場を巡り、互いに今までの生きて来た環境ではお目見えしなかった品々を見て驚き、笑い、関心した。
 一通り見て回ったあと、「やっぱりあのナツメの砂糖菓子だ」と二人で声に出してナツメの砂糖菓子があった場所まで戻り、それを買って帰ることにした。

 セラフィーナが代金を払っていた時、フィガロ皇子は隣の露店で売られているアクセサリーを何となく眺めていた。
 どれも自分が知っているアクセサリーとは違い、宝石がくすんでいたり、鉄の指輪は造りが荒かったりする。それでも、アクセサリーの一つでもセラフィーナに買ってあげられたらどんなにいいだろうと思った。だが皇子の時と違って、今の自分には買ってあげることが出来ない。そして、フィガロ皇子が視線を値段に移した時、更に驚愕する。フィガロ皇子にとってはナツメの砂糖菓子の方が価値が高いが、このガラクタは百倍くらいの値段がした。

 フィガロ皇子は苦笑いしながら買い物を終えたセラフィーナの元に戻った。

「さ、帰るわよ」

 セラフィーナは微笑みながら自然と手を差し出す。
 この手は、姉が弟を無事に連れて帰ろうとしている気遣いだ。
 フィガロ皇子はセラフィーナに気づかれないよう手を太ももで拭ってから彼女の手を握った。

 この村の青年たちは、恋をした時にどうしているのだろうか?

 そんなことを考えながら、フィガロ皇子は彼女の手をキュッとまた握り締める。

 その夜、フィガロ皇子は部屋で眠る準備をしていた時に、ベッドの上に座るセラフィーナに隣に座るように言われる。何が起きるのだろうと、不純な考えと葛藤しながら彼女の隣に座ると、セラフィーナは真剣な目で見つめてくる。フィガロ皇子の心臓は大騒ぎしており、気をつけないと視線が勝手に彼女の唇に向かってしまう。目を瞑ったほうがいいかとか、逆に自分から動くべきかと悩んだり、最初はもっとロマンチックな場所がいいんじゃないかとか、だとしたらあの有名なアンディース塩湖に二人で行ってみたいなとか、どんどん妄想を広げていると、セラフィーナが口を開く。

「スノーベアを倒しに行くわよ」

「え?」

 セラフィーナの口にした場所はロマンチックな塩湖ではなく、スノーベアの出る危険な山だった。

 確かに市場へ向かう時にセラフィーナは勝手に宣言していた。そんなことどう考えても不可能だし、バルドも反対したので、フィガロ皇子はてっきり流れた話だと思っていた。

「バルドから旅の資金を提供してもらわないといけないし、スノーベアが山を降りる原因も知りたいわ」

「でもどうやって……」

「あなたが戦うのよ」

「そんなムチャな」

「でもあなただってスノーベアと戦いたいはずよ?」

「僕が?」

「取り戻したいでしょ? バルドの娘を」

 フィガロ皇子はセラフィーナの目を見たまま静思した。

 お世話になっているバルドとラーラのために働きたいと思っている。彼らが一番喜ぶことがあるとしたら、娘が帰ってくることだろう。そして、もう一人喜んで貰いたい人が居る。目の前にいるセラフィーナだ。
 カッコいい所を見せたい。そういった思いもないとは言えない。ただそれよりも、一人の男性として誰かを助けることが出来て、誰かを守れる存在になりたかった。もちろん、自分で稼ぐということも含めて。

「私が……」

 漏れ出た小さな言葉に、セラフィーナが背中を叩く。

「あなたにしか出来ないの」

「具体的にどういったことを考えているの?」

「この世界で攻撃魔法が使えるのはあなただけよ」

 あまりに突拍子もない考えで、フィガロ皇子は目を大きく開いて瞬きするしかなかった。

「基礎的な攻撃魔法の術式は教えられる。ただ、私には発動できる力がないの。魔法は術式を頭に念じて、その動力となる力を注ぐと発動できるんだけど、ただ注げばいいってもんじゃなくて、術式に合った動力じゃないといけないのよ。同じ人間がいないように、魔法使いの持つ魔力もそれぞれ要素が違うの」

「うーん……そうか」

「適当に受け流さないで。いーい? あなたの体内ではすでに魔力が循環し始めている。時々あなたに触れては魔力のレベル上げを手助けしていたの。見てて」

 セラフィーナはフィガロ皇子の手を掴み、にっこりと微笑む。すると、二人の手のひらが発光し始め、その光がフィガロ皇子の両腕を通って身体中に走り出した。
 心地よい熱が全身を温めほぐしていく。この力が身体を癒し、満たされていく感覚を覚えると、巡る発光が段々弱くなり、セラフィーナの手がフィガロ皇子の手から離れていこうとした。フィガロ皇子は無意識に彼女が離れないよう強く握ってしまった。互いに驚きハッとした表情で目を合わせた瞬間、満天の星空の下の塩湖に転移していた。

 塩原に雨水がたまり塩湖を作る。ちょうど今の季節は雨季の終わりで、雨水で満たされた塩湖は鏡の様に星空を映し出していた。どこからどこまでが空なのか、澄んだ空気に浮かぶ星空だけでも圧巻なのに、星空を映す塩湖に座った二人は、まるでその中に吸い込まれたかのように、頭の上から足先まで全ての方向が星空である。

「なんて……」

 二人はあまりの絶景に何が起きたかも考えようともせず、ただただ言葉を失っていた。

 先に言葉を掛けたのはセラフィーナだった。

「やっぱりちゃんと魔法を教えないと、フィーは自分で転移して迷子になりそうね……」

「僕が?」

 セラフィーナは目の前のフィガロ皇子に微笑んだ。

「そうよ。ジョアンに襲われていた時は、きっと危険のないどこかを願ってバルドのところへ転移したんだと思う。今も、私がふんだんにフィーの魔力を増幅したから、あなたが転移できるだけの魔力が一気に循環したのね。それで、あなたが転移したいと望んだ場所がここだったのよ」

 自分がここを望んだと言われて身に覚えがあり、恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。

 セラフィーナは立ち上がった。

「あー、服がびしょびしょね。ほら、フィーも立って。あなたが転移魔法を使ってくれないと帰れないんだから、今から強制的に魔法の訓練よ」

「え」

 セラフィーナはフィーの腕を掴んで引っ張り上げると、先ほどまでの微笑みとはまったく違った、悪魔のような微笑みを見せた。

「本気でやってよ。早く着替えて寝たいの」

「は……はい。すいません」
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