グローヴァー姉妹の選択

さくらぎしょう

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3.私の前に突然現れた男

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 溜息を零していると、宮廷医師と女性使用人が部屋に入って来た。使用人も入ってきて食事や飲み物もテーブルにズラリと並べられる。

 ダレン皇太子殿下と亜麻色髪の兵士はそれを確認して、入れ違うように足早に部屋を出て行った。

 私の足首は幸い軽くひねった程度で、膝もかすり傷。骨などにも異常はなさそうだ。
  
「数日はヒールの高い靴は控えた方がよろしいかと。ただ、全力で走ったりしなければ日常生活に問題はないかと思います」

「ありがとうございます。少し休んだら、痛みも落ち着いてまいりました」
  
 手当も終わり、医者も使用人達も部屋を出ると、宮殿の小さな一室にたった一人になる。

「はあ……」

 まだ、溜息を零さずにはいられない。

「皇太子くらい地位の高い男性が良かったのに……」

 私はヒールを脱いでゆっくりと椅子から立ち上がると、ぶつくさと思いつく令息の名を呟きながら部屋の中を一周してみる。

「ボンド子爵家テオドア様、ルノアーデル伯爵家トレイ様……うーん、フレスラン公国じゃないわ。隣のスウェルド辺境伯領にも婚約者のいない高位貴族の子息はいたかしら? でもスウェルドの寒さは耐えられないかも……インダルシア自由都市なら暮らすには退屈しなそうだし貴族以上の財を成した者もいるけど、爵位のない商人……う~ん……それはやっぱりダメだわ……」
  
「マイルース王国の王太子はどうかな?」

 突然背後から男性の声がして心臓が跳ね上がった。

 咄嗟に振り返れば大きな出窓がいくつも目に入る。そして、部屋の一番端にある出窓の奥まった空間で、若い男性が足を伸ばして座っていた。

「いつからそこに?」

「君が皇太子に抱えられて部屋に入ってくる前からかな」

「まあ、それは、失礼いたしました」

 私の方があとから部屋に侵入していたと知り、慌てて頭を下げて謝罪した。

 男性は窓際の空間からひょいと降りると、こちらに向かって歩いてくる。

 ガウンのような白い民族衣装を着た、薄い褐色の肌の男性で、緩くうねる焦茶色の髪は、少し長めのショートカット。

 歩くたびに前髪が目元で艶っぽく揺れる。その奥に光る瞳は野心家そのものだった。

 堀の深い顔立ちで、長い睫毛や少したれ目の容姿がなんとも甘い。優雅な身のこなし方や、自信に溢れた雰囲気から、この方はさぞ女性にモテるだろうと思った。

 二人の距離が縮めば、揺れる空気に乗って刺激的な香水の香りが鼻につく。

「デビュタントだね? どこの家のご令嬢?」

「フレスラン公国公女、ユリア・グローヴァーと申します」

「公女殿下とは。私はマイルース王国王太子、エルダンリ・ロシュヴァンと申します。以後、お見知りおきを」

 エルダンリ王太子が流れるように私の手を掴んでその甲にキスをした。

 見目麗しい王太子だが、この香水の香り同様苦手な部類で、背筋を大きな毛虫が這いずり思わず手を引いてしまった。

「月下美人……」

 そう呟きながら、私を見つめるエルダンリ王太子が無理。
 
 引き攣る笑顔を隠そうと、恥ずかしがるフリをして視線を逸らして背を向けた。

 社交界に繰り出す前に東の大国マイルースの王太子に嫌われるのは賢い選択とは言えないだろう。むしろ、ダレン皇太子殿下が望めないなら、彼の言う通りマイルース王国の王太子を考えるべきだ。

 が、私の背中が撫でられ始め、ゾワゾワと身の毛がよだつ。

「フレスランの公女がこれほど美しいとは……」

 エルダンリ王太子の指使いから息づかいまで、私の胸の中では警報が大騒ぎだ。

 これは、本当、ムリ。

 今自分がどちらの姿・・・・・かも忘れてしまい、咄嗟にエルダンリ王太子の纏わりつく指や腕から身をかわすだけでなく、護身術で王太子の足を薙ぎ払って倒せばドタンッと大きな音が部屋中に響き渡った。

 そればかりか……

 王太子が倒れた隙に腕を押さえて組み伏せてしまった。

「こっ……公女殿下は……軍人並みに強いな……」

 息苦しそうに喋るエルダンリ王太子の声にハッとし、すぐさま手を離して後ずさる。

「もっ、申し訳ございませんでした!!」

 エルダンリ王太子がゲホゲホと咳込みながら立ち上がると、今度は部屋の扉がノックもなく開き、トランクを持った男が素早く入ってきた。

「誰だ、ノックもなく失礼な」

 エルダンリ王太子が睨みつけたのは、 私と同じ月白色の髪の男。

 緩いくせ毛の髪が肩まであり、優し気な目元の奥に光る薄いエメラルドグリーンの瞳は相変わらず宝石のように美しい。 

 男性時には・・・・・背は決まって15センチ伸びるので、今は185センチもある。

 宮廷での男性正装は軍服か宮廷服。彼は膝上まであるライトグレーの宮廷コートと同色のズボンを着用し、白いロングブーツを履いた宮廷服姿だった。コートの襟や袖口や前立てには彼に良く似合う銀色の重厚な唐草刺繍が施されている。

 周りからは品が良いと評判の彼は、このドタバタ劇になりつつあった空気も、その存在感だけで静める。

 何事もなかったかのように静かに胸に手を当てて頭を下げて挨拶した。

「これは突然失礼いたしました。フレスラン公国公子アリステア・グローヴァーと申します」

 顔を上げた私の弟妹ていまい、アリステア・グローヴァーは、静かな雪景色に凛とたたずむ、美しい白樺のようだった。


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