9 / 19
9. 耳飾り
しおりを挟む
部屋の隅にある重厚な造りの暖炉からは、パチパチと音が鳴り、時折炎が舞い上がる。この部屋には五人も人が居るというのに、その音以外に聞こえる音があるとしたら、ごくたまにティーカップがソーサーの上に乗せられて鳴るカチャリという音ぐらいであった。
向かい合ったソファには、片側にビリーとバルトラ中将が座り、対面にはロザリオ侯爵、ジブリール、そしてグレースが座っていた。ビリー、バルトラ中将、ロザリオ侯爵、ジブリールの四人は視線をグレースに向けて返事を待っている。
グレースは、またティーカップを持ち上げて口元に運んだ。別に喉は乾いていない。何かしていないと落ち着かないのだ。
口火を切ったのは父ロザリオ侯爵であった。
「行ってきなさい、グレース」
「ええっ?」
グレースは口からティーカップを離した。
「王都の寄宿学校で学べるなら、この先の人生にきっと役に立つ。これからは女性も男性同様の教育が必要であろう」
グレースはセンターテーブルに置かれた入学推薦状を見つめる。グレースに入学を薦めてきているのは王太子フランソワだが、推薦状に封をしていた赤い封蝋には、国王の印章が押されていた。
王都にある王都の寄宿学校は、高位貴族の子息と、身分関係なく才能によって選ばれた国民、そして人数は少ないが高位貴族の令嬢が通う。入学許可を得るには身元や才能を保証する貴族、司教、騎士団長などの有力者の推薦が必要であり、グレースの推薦状に押された印章は、この国で一番の信頼性を保証されたものであった。
「こんな推薦状を持って入学したらプレッシャーが半端ないんですけど……」
基本的に令嬢が教育を受けると言えば、自宅で家庭教師から教育を受けるだけである。グレースも七歳の時から家庭教師を迎えて、淑女たるものとは何かを仕込まれていた。パブリックスクールなどに通い出すのであれば、遅くとも十三歳位には入学するだろう。十七にもなってから、既に構築されている在学生徒達のコミュニティに入って行くのは勇気がいるし、国王の推薦に叶うだけの結果を何で示せばいいのかもわからない。安易に喜んで受けて良いものかだいぶ悩んでいる。
「王都で暮らせば、大好きな王太子殿下に会えるかもしれないじゃないか」
ジブリールがやけに王都行きを押してくる。何を企んでいるかわからないが、とにかく決断をしないといけない。
「そうね……フランソワ様に気に留めて頂くなら、一流の教育は受けておくべきよね」
「おや? 王太子殿下の事は諦めたのではなかったのか?」
王太子殿下の事は諦めたとばかり思っていたロザリオ侯爵にとって、グレースの反応は予想外だった。
「え? ああ、いえ、以前ほど盲目的になっていないだけで、今も気持ちはあります。それに……」
「それに?」
グレースはロザリオ侯爵の顔を見て、父親に言う事ではないなと思い、ニコリとだけ笑ってみせた。
(キスをされたり、こうして推薦してくれるっていう事は脈があるってことなんだから、迷う方が馬鹿よね)
ビリーは眉を寄せてグレースを訝しんだ目で見ている。
(おいおい何だそれは? くそっ、フランソワの姿でキスなんてするんじゃなかった。自分自身を敵に回してどうするんだ俺は……)
この話に関係のないジブリールが、急に意気揚々と手を挙げた。グレースはそもそも何故ジブリールが同席してるのかも疑問だった。
「じゃあ私も一緒に行きますね、王都」
その場がしんっと静まり返り、全員がジブリールを見る。
「……え……結構です」
グレースは行く気満々のジブリールに手のひらを向けてお断りする。
「でも確かにジブリールが行くのは良い案だな。あちらで何かあってもここからだとすぐに駆けつけるのは不可能だ。近くにジブリールがいた方がいい」
「え゛!?」
まさかのロザリオ侯爵の同調に、グレースは顔を引き攣らせた。
「そうでしょう、お父様。私が戻った理由もグレースの為ですし。あ、王都に用事がある際に利用する別荘がありますよね? 私はそちらで暮らしますよ」
「そうだな、ジブリールはガウルとディアナと共に王都近くの別荘で暮らしなさい」
グレースのみならずジブリールも、ロザリオ侯爵からのまさかの提案に顔を引き攣らせた。
「……え゛? ガウル……とか必要ですか?」
「当たり前だろ。誰がお前達を守り、お前の監視をするんだ。ついでだから、お前は王都の大学に行きなさい」
「そんなぁー」
ロザリオ兄妹は二人揃ってうなだれた。その様子を見ていたビリーは思わず笑いが込み上げてしまい、堪えきれずクッと笑ってしまった。
グレースがその声に反応して目を向けると、手の甲で口元を隠して笑いを堪えるビリーと目が合った。ビリーはゆっくりとその手を膝に戻すが、その間ずっとグレースを見つめていた。
(ん……? 何でそんな目で見つめてきてるの?)
グレースはビリーの熱い視線に心拍数が上がってきた。ロザリオ侯爵はうなだれている息子に喝を入れるのに忙しく、ビリーがグレースに向ける視線には気がついていないようだ。バルトラ中将は気がついていたようだが、見て見ぬフリをしていた。
ビリーが口だけ動かして何かグレースに伝えてくる。グレースは目を凝らして唇の動きを読み解いた。
す・き・だ
グレースは口を開けて固まった。自分は何を勝手に解釈したのだろう。まさかビリーがそんな事を言っているわけないのに、そんな風に読み解いてしまった自分が恥ずかしくて仕方なかった。王太子とのキスで自分は誰彼構わず欲情してしまうようになったのかと心配になる。
父と兄の一悶着が終わり、五人で軽い会話を交わしてお開きとなり、客人を玄関まで見送る。父と兄とバルトラ中将が三人並んで楽しそうに会話に夢中になりながら歩いている。そして少し離れたその後ろを、グレースとビリーは歩く。
「なあ」
ビリーがグレースに声を掛けた。グレースはビリーに顔を向ける。
「好きだ」
何の脈絡もなく放たれた言葉に、グレースは動揺して立ち止まってしまった。
「おいおい、止まるなよ。前の三人に変に思われるだろ」
「アンタが変な事言うからでしょ」
グレースは気を取り直してまた歩き始める。その歩みに合わせてビリーが隣をぴったりと歩く。
「なあ」
「何よ」
ビリーは突然グレースの手に指を絡めてきた。驚いたグレースが「え?」と言いながら立ち止まってビリーを見ると、彼はその手を自分の口元まで持っていき、グレースの目を見つめながら彼女の指にキスをした。
「好きだよ、グレース」
ビリーが囁くと、彼の温かい吐息が手に触れ、グレースの体温も上昇した。
「ちょっ……ちょっと、どうしたのよさっきから」
グレースの顔は真っ赤になっている。
「俺を見ろよ」
「そう言う事言われると恥ずかしくて逆に見れないでしょーが」
グレースは赤くなった顔を横に逸らしてビリーの視線から逃げる。ビリーはグレースが顔を逸らして自分を見ようとしないので、抱きしめて逃げられないようにした。
「……なあ……お前を守る役目、俺にくれない?」
グレースは呼吸を整えようと、ビリーの胸で深呼吸をする。だが彼の香りに更に濃く包まれてしまい、どうにかなってしまいそうだった。
「なんで……アンタとフランソワ様はよりによって同じ香水つけてるのよ……」
ビリーは顔を下に向け、抱きしめているグレースを見た。
「香水?」
「同じ匂いで、余計に頭が混乱する」
グレースは彼の胸に両手を添えながら、真っ赤になった顔の口元を少し膨らませてビリーを睨んでいる。ビリーから見た彼女の目は自然と上目遣いになっており、その表情がたまらなく可愛いく、愛おしく感じた。
「お前……ずるいな」
「……は?……」
ビリーはパッと手を離し、グレースを解放する。彼の顔もまた赤く染まっていた。
「じゃあ、また、王都で会おう」
ビリーは赤くなった顔でグレースに微笑んでから、玄関に向かって歩き出した。
グレースは緊張しながらビリーをチラッと見ると、左耳のイヤーカフがきらりと光り、その姿が印象に残った。
——グレースはその晩、夢を見る。
また前世の夢だ——
「これ、温めて」
レジカウンターに缶コーヒーとウィンナーパンが置かれる。
(げっ、また来た、この暴走族)
紫の目の前にはヤマトと呼ばれる暴走族が、特攻服姿で立っていた。紫がシフトに入っている時は必ずと言っていいほどパンかおにぎりを買って行く。そして全てレンジでの温めを希望するのだ。
「温めですね、はい」
紫は商品バーコードをスキャンすると、パンをレジカウンター後ろの電子レンジに入れ、その間に会計をした。おつりを渡すと、チンッと音がする。
レンジから出したパンの袋は膨張して膨れ上がっていた。袋の端に少し切り込みを入れるのを忘れていた。
「……パンが……パンパンだ……」
目の前の暴走族が真顔でギャグを言った。
二人の間に微妙な空気と間が生まれ、それがまた絶妙な笑いを誘い、紫は耐えきれず吹き出してしまった。
「え? 何? 面白かったの?」
どうやらギャグではなかったようだ。
「え? ギャグじゃないんですか?」
紫は血の気が一気に引いた。こんなタチ悪そうな輩の言ったことを笑ってしまった。
すると、ヤマトは笑い出す。
「まじか。そんなんでウケんのかよ。もっと早く言っときゃ良かった」
笑顔のヤマトは可愛らしく、いつものイカつい雰囲気とのギャップにキュンときてしまった。ヤマトが紫を見て小首を傾げながら微笑むと、両耳につけたシルバーリングのピアスが煌めいた。
「前から思ってたんですけど、ピアス似合ってますね」
紫はそう言いながら、レジ袋にコーヒーとウィンナーパンを詰めてヤマトに差し出す。別に大した意味はなかった。ただ何となく前から思っていた事を、会話を繋げるために口に出しただけだ。
「ねぇ、下の名前、教えて」
「……ユカリ……です。紫でゆかり」
「おれはヤマトね。大きいに和でやまと」
「はあ……大和……さん」
急に大和の目つきが変わった。
「大和、ね」
まるで獲物を狩る時の獰猛な動物のような目で紫を見ながら、軽く首を右に傾けて両手で右耳についていたピアスを外す。
そして、紫から差し出されたレジ袋ではなく、それを掴む紫の手を握った。
「ねえ、紫……」
いきなり呼び捨てで呼ばれ、紫はドキドキしてしまう。
「俺の右耳のピアスもらってくれない?」
「……はい?……」
握っていたレジ袋を払い落とされ、その手にピアスを握らされた。ヤマトの顔を見ると、左耳に残っていたもう片方のピアスが輝いている。
——そこで夢は終わった。
グレースはベッドの上で薄っすらと目を開き、天井をぼーっと眺めている。
「なんか、意味があった気がする……」
グレースはそれが何かまったく思い出せなかった。まだ眠気が残っており、うとうとと目を瞑ると、すぐにまた眠りについた。
向かい合ったソファには、片側にビリーとバルトラ中将が座り、対面にはロザリオ侯爵、ジブリール、そしてグレースが座っていた。ビリー、バルトラ中将、ロザリオ侯爵、ジブリールの四人は視線をグレースに向けて返事を待っている。
グレースは、またティーカップを持ち上げて口元に運んだ。別に喉は乾いていない。何かしていないと落ち着かないのだ。
口火を切ったのは父ロザリオ侯爵であった。
「行ってきなさい、グレース」
「ええっ?」
グレースは口からティーカップを離した。
「王都の寄宿学校で学べるなら、この先の人生にきっと役に立つ。これからは女性も男性同様の教育が必要であろう」
グレースはセンターテーブルに置かれた入学推薦状を見つめる。グレースに入学を薦めてきているのは王太子フランソワだが、推薦状に封をしていた赤い封蝋には、国王の印章が押されていた。
王都にある王都の寄宿学校は、高位貴族の子息と、身分関係なく才能によって選ばれた国民、そして人数は少ないが高位貴族の令嬢が通う。入学許可を得るには身元や才能を保証する貴族、司教、騎士団長などの有力者の推薦が必要であり、グレースの推薦状に押された印章は、この国で一番の信頼性を保証されたものであった。
「こんな推薦状を持って入学したらプレッシャーが半端ないんですけど……」
基本的に令嬢が教育を受けると言えば、自宅で家庭教師から教育を受けるだけである。グレースも七歳の時から家庭教師を迎えて、淑女たるものとは何かを仕込まれていた。パブリックスクールなどに通い出すのであれば、遅くとも十三歳位には入学するだろう。十七にもなってから、既に構築されている在学生徒達のコミュニティに入って行くのは勇気がいるし、国王の推薦に叶うだけの結果を何で示せばいいのかもわからない。安易に喜んで受けて良いものかだいぶ悩んでいる。
「王都で暮らせば、大好きな王太子殿下に会えるかもしれないじゃないか」
ジブリールがやけに王都行きを押してくる。何を企んでいるかわからないが、とにかく決断をしないといけない。
「そうね……フランソワ様に気に留めて頂くなら、一流の教育は受けておくべきよね」
「おや? 王太子殿下の事は諦めたのではなかったのか?」
王太子殿下の事は諦めたとばかり思っていたロザリオ侯爵にとって、グレースの反応は予想外だった。
「え? ああ、いえ、以前ほど盲目的になっていないだけで、今も気持ちはあります。それに……」
「それに?」
グレースはロザリオ侯爵の顔を見て、父親に言う事ではないなと思い、ニコリとだけ笑ってみせた。
(キスをされたり、こうして推薦してくれるっていう事は脈があるってことなんだから、迷う方が馬鹿よね)
ビリーは眉を寄せてグレースを訝しんだ目で見ている。
(おいおい何だそれは? くそっ、フランソワの姿でキスなんてするんじゃなかった。自分自身を敵に回してどうするんだ俺は……)
この話に関係のないジブリールが、急に意気揚々と手を挙げた。グレースはそもそも何故ジブリールが同席してるのかも疑問だった。
「じゃあ私も一緒に行きますね、王都」
その場がしんっと静まり返り、全員がジブリールを見る。
「……え……結構です」
グレースは行く気満々のジブリールに手のひらを向けてお断りする。
「でも確かにジブリールが行くのは良い案だな。あちらで何かあってもここからだとすぐに駆けつけるのは不可能だ。近くにジブリールがいた方がいい」
「え゛!?」
まさかのロザリオ侯爵の同調に、グレースは顔を引き攣らせた。
「そうでしょう、お父様。私が戻った理由もグレースの為ですし。あ、王都に用事がある際に利用する別荘がありますよね? 私はそちらで暮らしますよ」
「そうだな、ジブリールはガウルとディアナと共に王都近くの別荘で暮らしなさい」
グレースのみならずジブリールも、ロザリオ侯爵からのまさかの提案に顔を引き攣らせた。
「……え゛? ガウル……とか必要ですか?」
「当たり前だろ。誰がお前達を守り、お前の監視をするんだ。ついでだから、お前は王都の大学に行きなさい」
「そんなぁー」
ロザリオ兄妹は二人揃ってうなだれた。その様子を見ていたビリーは思わず笑いが込み上げてしまい、堪えきれずクッと笑ってしまった。
グレースがその声に反応して目を向けると、手の甲で口元を隠して笑いを堪えるビリーと目が合った。ビリーはゆっくりとその手を膝に戻すが、その間ずっとグレースを見つめていた。
(ん……? 何でそんな目で見つめてきてるの?)
グレースはビリーの熱い視線に心拍数が上がってきた。ロザリオ侯爵はうなだれている息子に喝を入れるのに忙しく、ビリーがグレースに向ける視線には気がついていないようだ。バルトラ中将は気がついていたようだが、見て見ぬフリをしていた。
ビリーが口だけ動かして何かグレースに伝えてくる。グレースは目を凝らして唇の動きを読み解いた。
す・き・だ
グレースは口を開けて固まった。自分は何を勝手に解釈したのだろう。まさかビリーがそんな事を言っているわけないのに、そんな風に読み解いてしまった自分が恥ずかしくて仕方なかった。王太子とのキスで自分は誰彼構わず欲情してしまうようになったのかと心配になる。
父と兄の一悶着が終わり、五人で軽い会話を交わしてお開きとなり、客人を玄関まで見送る。父と兄とバルトラ中将が三人並んで楽しそうに会話に夢中になりながら歩いている。そして少し離れたその後ろを、グレースとビリーは歩く。
「なあ」
ビリーがグレースに声を掛けた。グレースはビリーに顔を向ける。
「好きだ」
何の脈絡もなく放たれた言葉に、グレースは動揺して立ち止まってしまった。
「おいおい、止まるなよ。前の三人に変に思われるだろ」
「アンタが変な事言うからでしょ」
グレースは気を取り直してまた歩き始める。その歩みに合わせてビリーが隣をぴったりと歩く。
「なあ」
「何よ」
ビリーは突然グレースの手に指を絡めてきた。驚いたグレースが「え?」と言いながら立ち止まってビリーを見ると、彼はその手を自分の口元まで持っていき、グレースの目を見つめながら彼女の指にキスをした。
「好きだよ、グレース」
ビリーが囁くと、彼の温かい吐息が手に触れ、グレースの体温も上昇した。
「ちょっ……ちょっと、どうしたのよさっきから」
グレースの顔は真っ赤になっている。
「俺を見ろよ」
「そう言う事言われると恥ずかしくて逆に見れないでしょーが」
グレースは赤くなった顔を横に逸らしてビリーの視線から逃げる。ビリーはグレースが顔を逸らして自分を見ようとしないので、抱きしめて逃げられないようにした。
「……なあ……お前を守る役目、俺にくれない?」
グレースは呼吸を整えようと、ビリーの胸で深呼吸をする。だが彼の香りに更に濃く包まれてしまい、どうにかなってしまいそうだった。
「なんで……アンタとフランソワ様はよりによって同じ香水つけてるのよ……」
ビリーは顔を下に向け、抱きしめているグレースを見た。
「香水?」
「同じ匂いで、余計に頭が混乱する」
グレースは彼の胸に両手を添えながら、真っ赤になった顔の口元を少し膨らませてビリーを睨んでいる。ビリーから見た彼女の目は自然と上目遣いになっており、その表情がたまらなく可愛いく、愛おしく感じた。
「お前……ずるいな」
「……は?……」
ビリーはパッと手を離し、グレースを解放する。彼の顔もまた赤く染まっていた。
「じゃあ、また、王都で会おう」
ビリーは赤くなった顔でグレースに微笑んでから、玄関に向かって歩き出した。
グレースは緊張しながらビリーをチラッと見ると、左耳のイヤーカフがきらりと光り、その姿が印象に残った。
——グレースはその晩、夢を見る。
また前世の夢だ——
「これ、温めて」
レジカウンターに缶コーヒーとウィンナーパンが置かれる。
(げっ、また来た、この暴走族)
紫の目の前にはヤマトと呼ばれる暴走族が、特攻服姿で立っていた。紫がシフトに入っている時は必ずと言っていいほどパンかおにぎりを買って行く。そして全てレンジでの温めを希望するのだ。
「温めですね、はい」
紫は商品バーコードをスキャンすると、パンをレジカウンター後ろの電子レンジに入れ、その間に会計をした。おつりを渡すと、チンッと音がする。
レンジから出したパンの袋は膨張して膨れ上がっていた。袋の端に少し切り込みを入れるのを忘れていた。
「……パンが……パンパンだ……」
目の前の暴走族が真顔でギャグを言った。
二人の間に微妙な空気と間が生まれ、それがまた絶妙な笑いを誘い、紫は耐えきれず吹き出してしまった。
「え? 何? 面白かったの?」
どうやらギャグではなかったようだ。
「え? ギャグじゃないんですか?」
紫は血の気が一気に引いた。こんなタチ悪そうな輩の言ったことを笑ってしまった。
すると、ヤマトは笑い出す。
「まじか。そんなんでウケんのかよ。もっと早く言っときゃ良かった」
笑顔のヤマトは可愛らしく、いつものイカつい雰囲気とのギャップにキュンときてしまった。ヤマトが紫を見て小首を傾げながら微笑むと、両耳につけたシルバーリングのピアスが煌めいた。
「前から思ってたんですけど、ピアス似合ってますね」
紫はそう言いながら、レジ袋にコーヒーとウィンナーパンを詰めてヤマトに差し出す。別に大した意味はなかった。ただ何となく前から思っていた事を、会話を繋げるために口に出しただけだ。
「ねぇ、下の名前、教えて」
「……ユカリ……です。紫でゆかり」
「おれはヤマトね。大きいに和でやまと」
「はあ……大和……さん」
急に大和の目つきが変わった。
「大和、ね」
まるで獲物を狩る時の獰猛な動物のような目で紫を見ながら、軽く首を右に傾けて両手で右耳についていたピアスを外す。
そして、紫から差し出されたレジ袋ではなく、それを掴む紫の手を握った。
「ねえ、紫……」
いきなり呼び捨てで呼ばれ、紫はドキドキしてしまう。
「俺の右耳のピアスもらってくれない?」
「……はい?……」
握っていたレジ袋を払い落とされ、その手にピアスを握らされた。ヤマトの顔を見ると、左耳に残っていたもう片方のピアスが輝いている。
——そこで夢は終わった。
グレースはベッドの上で薄っすらと目を開き、天井をぼーっと眺めている。
「なんか、意味があった気がする……」
グレースはそれが何かまったく思い出せなかった。まだ眠気が残っており、うとうとと目を瞑ると、すぐにまた眠りについた。
44
あなたにおすすめの小説
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
婚約破棄された夜、最強魔導師に「番」だと告げられました
有賀冬馬
恋愛
学院の祝宴で告げられた、無慈悲な婚約破棄。
魔力が弱い私には、価値がないという現実。
泣きながら逃げた先で、私は古代の遺跡に迷い込む。
そこで目覚めた彼は、私を見て言った。
「やっと見つけた。私の番よ」
彼の前でだけ、私の魔力は輝く。
奪われた尊厳、歪められた運命。
すべてを取り戻した先にあるのは……
望まぬ結婚をさせられた私のもとに、死んだはずの護衛騎士が帰ってきました~不遇令嬢が世界一幸せな花嫁になるまで
越智屋ノマ
恋愛
「君を愛することはない」で始まった不遇な結婚――。
国王の命令でクラーヴァル公爵家へと嫁いだ伯爵令嬢ヴィオラ。しかし夫のルシウスに愛されることはなく、毎日つらい仕打ちを受けていた。
孤独に耐えるヴィオラにとって唯一の救いは、護衛騎士エデン・アーヴィスと過ごした日々の思い出だった。エデンは強くて誠実で、いつもヴィオラを守ってくれた……でも、彼はもういない。この国を襲った『災禍の竜』と相打ちになって、3年前に戦死してしまったのだから。
ある日、参加した夜会の席でヴィオラは窮地に立たされる。その夜会は夫の愛人が主催するもので、夫と結託してヴィオラを陥れようとしていたのだ。誰に救いを求めることもできず、絶体絶命の彼女を救ったのは――?
(……私の体が、勝手に動いている!?)
「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」
死んだはずのエデンの魂が、ヴィオラの体に乗り移っていた!?
――これは、望まぬ結婚をさせられた伯爵令嬢ヴィオラと、死んだはずの護衛騎士エデンのふしぎな恋の物語。理不尽な夫になんて、もう絶対に負けません!!
P.S. 推し活に夢中ですので、返信は不要ですわ
汐瀬うに
恋愛
アルカナ学院に通う伯爵令嬢クラリスは、幼い頃から婚約者である第一王子アルベルトと共に過ごしてきた。しかし彼は言葉を尽くさず、想いはすれ違っていく。噂、距離、役割に心を閉ざしながらも、クラリスは自分の居場所を見つけて前へ進む。迎えたプロムの夜、ようやく言葉を選び、追いかけてきたアルベルトが告げたのは――遅すぎる本心だった。
※こちらの作品はカクヨム・アルファポリス・小説家になろうに並行掲載しています。
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
破談九十九回目を迎えたイケメン令嬢は道で拾った異国の男に溺愛される
さくらぎしょう
恋愛
爵位継承の必須条件は、性別は問わないが、正式な妻か夫がいること。
スクードベリー伯爵が亡くなり、継承期間が開始された。だが前伯爵の一人娘ジェインは破談回数九十九回目を迎え、いまだに婚約者が見つからない。縁談相手にはいつもジェインの男顔負けのイケメン容姿を揶揄された。
継承保留期間は一年。それまでに相手を見つけて結婚しなければ、継承順位第二位の従妹カルミアに全てを奪われてしまう。
“どこかに婿が落ちてないものか……”
神に願いが届いたのか、失意の帰り道に異国の男性が倒れていた。この男こそがジェインの運命の相手だった。
※エブリスタにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる