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記憶
しおりを挟む今度は同意されて嬉しくなる。私の感情の振り幅、どうなっちゃったんだろう。
「そうだ 」と、祈璃はゴソゴソとバッグから手帳を取り出した。
「見て下さい。これ、ここの桜なんですよ 」
パラパラとめくるページ。挟まれた、水色の台紙に綺麗に留められている、桜の花びらの押花。
「私の宝物なんです。でも不思議なんですよ。ここのところに日付と公園の名前が書いてあるんですけど、コレ、私の字じゃないんです。」
ボールペンで書かれた小さな文字を指差す。祠月は黙って見ていた。
「忘れちゃってるけど、きっと私、大切な人に貰ったんじゃないかって……。え、え? 祠月さんっ?! 」
ビックリしたのは、祠月がポロッと涙を溢したからだった。
「目、ゴミが入った 」そう言いながら立ち上がる。
「大丈夫ですかっ?!」
「平気 」
こちらを見ずに歩き出すから、今日はここまでなのかなと思い立ち上がらずにいたら、祠月の足がピタリと止まった。
「来ないの? お茶くらい奢るよ 」
そう言われて、弾かれた様に体が動く。祠月の元へ走ろうとしたら、「ゆっくりでいい 」とぶっきらぼうに言われた。
◆◆◆◆◆
「何で、分かったんですか? 」
「……なんとなく 」
連れて来られたのは、いつもの駅前のカフェ。祈璃の目の前には、アイスティーと苺のショートケーキが置かれている。
「それに、先生って呼ばれてましたよね? 」
「だって、僕、先生だもん 」
テーブルに頬杖をついて、ふっと微笑う。
だもん……って、だもん、て、可愛い過ぎます、祠月さん。ギャップ萌えですか?
いや、そんなこと考えてる場合じゃない。部活帰りだろうか、さっき祠月に声を掛けたきた高校生は、祈璃の母校の制服を着ていた。
「もしかして、祠月さんは私のことを知っていたんですか? 私の卒業した高校の先生ってことですよね? 」
ショートケーキが好きなことは当てずっぽうでも当たる気がする。だけど、極度の猫舌で寒い時でもアイスティーを頼むことはそれなりに相手のことを知っていなければ、分からないことの様な気がする。
そこまで考えて、心臓がどくんと震えた。私は本当に大切なことを忘れてしまっているのではないか。
「戸惑ってるみたいだね 」
「……はい」
祠月が湯気の立つブレンドを啜る。
「種明かしをしようか?」
「え……? 」
カランとアイスティーの氷が音を立てた。祠月はずっと微笑んでいる。だけど、祈璃を見ている瞳は決して笑ってはいなかった。
「あのね、僕にはとても好きな子がいたんだよ 」
「好き、なコ…… 」
頷く祠月に、ズキンと胸が痛む。
「その子は2年生になって、僕がクラスの教科担任になってから、僕に付き纏うようになった。それだけじゃなく、事あるごと好きだって言う。僕はほとほと困ってしまっていた 」
「生徒さんだったん、ですか? 」
「うん、だけどね。あの夜、そう学校の屋上で一緒に花火を見たんだ。深い群青の空にドン…と色とりどりに満開に咲いて、パラパラと散ってね。忘れないよ、見惚れるその子の横顔に、僕は気持ちを自覚した 」
祠月は懐かしむように言った。自分を見ていると思っていた瞳は、自分を見ていない。もっと遠くを見ていることに気付く。
「水族館でマンボウを2人で見てた。動きが可愛くて、2人でずっと見ながら笑ってた。スワンボートも彼女と2人で乗ったんだ。楽しくて、楽しくて、好きな人と一緒にいることがこんなに幸せなんだと彼女は教えてくれた 」
指先が冷たいのはアイスティーのせいだろうか。悴んで震える。
「あの公園にはよく行ったよ。あの時は、早咲きの桜が沢山咲いていた。花びらが彼女の髪についていて取ってやったら、綺麗だと言って嬉しそうに笑ったんだ。僕はその花びらで押し花を作った 」
ハッとして祈璃が顔を上げると、祠月は、またあの悲しそうな表情《かお》で祈璃を見ていた。
「まだ、応えられないって、どういう意味なのか分かってくれてると思ってた 」
「まさか…… 」
カタンと祠月が立ち上がる。祈璃は祠月を茫然と見上げた。
「僕はもう、図書館も水族館も公園も、彼女との思い出のある場所には行かない。だから、君もどこかで僕を見掛けても、もう声を掛けないでください 」
言いたいことがあるのに、何も言葉が浮かばない。私は、私はーーーーー。
「でも、私は、祠月さんの…… 」
すると、祠月が祈璃の言葉を遮る様に言った。
「違うよ。君は君であって、僕の好きになった《本山》じゃない。」
祠月が立ち去ってからも、祈璃は暫く席を立てないでいた。
私は、どうして忘れてるの? こんなに好きなのに。好きになっちゃってるのに。
行動範囲が同じな訳じゃない。私は祠月さんを探していたんだ。ずっと会いたくて、記憶は無くても、無意識に思い出のある場所に行っていたんだ。
頭がガンガンと痛い。涙が溢れて喉が変な音を立てる。
でも、会いたい。今別れたのに、もう話し掛けるなと言われたのに、会いたくて仕方がない。
それからも祈璃は祠月の姿を探した。会いたくて、会いたくて、思い付く場所へ出掛ける。
けれど祠月の宣言通り、偶然に彼に逢えることは無くなった。
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