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第4話
同期とサファイア ③
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朝の五時前に起床したら、寮を入ってすぐのところにある体重計で検量をしなければならなかった。
あいと交代で加奈恵も体重計に乗った。
厩務員課程の学生も、検量は義務付けられている。ただ、騎手課程のように、規定体重を超過したからといって退学させられるわけではなかった。
「それじゃ、あい、ファイトやで」
「うん、加奈恵も、頑張ってね」
寮の前で加奈恵と別れ、あいは厩舎へ走った。途中で坊主頭の男子の一団と合流した。
厩舎の褐色の屋根と、白塗りの壁が見えてきた。横に長い木造の建物で、騎手課程の学生が世話をする四十数頭の馬がいる。
隣接して、百頭ほどがいる厩舎もあり、そちらの馬は厩務員課程の学生が世話をしている。
中央に立派な椚が植えられている、騎手課程の厩舎の前庭に、実技教官の小早川が待ち構えていた。
「おはようございます」
威勢のいい男子の声が、朝焼けの空に響く。あいも慌てて後に続いた。小早川は頷き返した。
「全員揃っているな。では、これからお前たちが担当する馬を伝えていく。ついてこい」
小早川を先頭に厩舎へ入った。
学生の名前が呼ばれ、馬房でくつろいでいる馬と引き合わされていく。
「諏訪正士郎」
「はい」
三番目に呼ばれた正士郎が、一歩前に出て直立した。
「お前の担当はこの二頭だ」
「はい」
「次、藤刀あい」
「は、はいっ」
あいは前に出ようとして、つんのめった。
「なにをしている。馬房内での事故は、お前だけでなく、馬の怪我にも繋がるんだぞ」
「す、すみません」
「全員に言っておくが、見ての通り、厩舎内は広くない。周囲には気を配って作業するように」
「はい」
「では、藤刀あい、お前の担当馬は、この二頭だ」
小早川の示した、並び合った二つの馬房に顔を向けた。栗毛の馬と、青毛の馬がいた。
「よ、よろしくね」
あいが馬房に近寄り、馬の名前が刻印された木札を見、手を差し出した。
栗毛の方は、牝馬だった。歳は七、八歳ぐらいだろう。
「コハナ」
名を呼ぶと、穏やかな眼差しで首出し穴から鼻先を出した。コハナは、あいの匂いを確かめると、耳を前後に二回振った。
よろしく、と返されたのだろうか。心を開いてくれている感じはある。
綾とは、言葉を交わし合えるほど、心が通じていた。それは姉妹同然に育った綾だったからだ。
他の馬でも、表情や仕草からある程度気持ちを汲み取ることはできるが、綾ほどはっきりとはわからなかった。
「えっと、あなたは、サファイアジャケットね。サファイアって呼んでいい?」
隣の馬房にいる、青毛の馬、サファイアにも話しかけた。
サファイアは、馬房の奥で蹄をひとつうち鳴らしただけで、あいには一瞥もくれなかった。馬房の採光窓から、外を見つめている。
「もしかして、昨日もそうやって、私たちを覗いてた?」
サファイアは振り返ったが、あいの問いかけに応えず、食事を催促するように飼葉桶を鼻先で押しただけだった。
「小早川先生、質問いいでしょうか」
「諏訪か。なんだ」
「見たところ、僕らの担当する馬は、六歳以上の馬のようですが、藤刀さんのあの青毛の馬は、まだ二、三歳ですよね」
「ああ、二歳だ。あの馬は、昨年末、とある馬主が諸事情で手放すことを検討していたので、こちらで引き取ったのだ」
「通常、一学年ではレースを引退した大人の馬を任されると聞いたことがあるのですが」
「そうだが、別段決まりがあるわけではない。馬の割り当ては、個々の特性を加味して考えられている」
「藤刀さんと、あの若馬の組み合わせにはなにか意味がある、ということですか?」
「ふん、余裕だな」
「え、」
「父を超えたいのだろう。なら、人の心配より、自分の馬に集中しろ」
「わかりました」
小早川の監督のもと、初日の朝の厩舎作業に取りかかった。
担当馬を厩舎前の洗い場へ移し、馬房の清掃をした。
新しい寝藁を敷いた馬房へ戻す前に、馬の健康状態を診た。蹄の状態や舌の色、鼻や目の湿り具合、体温など、確認すべきポイントは、小早川から教示された。
学生が朝食を摂るのは、馬の世話を終えてからだ。
献立は栄養士が監修しており、学生の健康維持に過不足がない品目、分量を、細かく計算されている。
いずれ騎手になり、一人立ちしたら、自分でウェイトコントロールをしなければならない。そういう意味では、日々の食事すら学習の一環だった。
食器を片付け、食事量を記録してから、ボディプロテクターとヘルメットを抱えて厩舎に駆け戻った。
少ししてから、小早川の他、四名の実技訓練の教官が到着した。
担当する馬の一頭を馬房から引き出し、頭絡と鞍の装着が指示された。
銜を噛ませ、革紐を締めると、サファイアがそわそわしだした。
「だ、大丈夫? 鞍、つけるね」
サファイアの背骨の突き出した部分に緩衝材を挟み、背中に鞍を押し上げた。
腹帯で鞍を固定しようとすると、サファイアが激しく身動ぎをした。
「わ、わわ、動かないで」
「宥めて、少し落ち着かせてからの方がいい」
自分の馬に鞍をつけ終えた正士郎が、横合いからアドバイスをくれる。
「正士郎くん、もうつけられたの? は、早い」
「僕だけじゃないよ。乗馬クラブでやっていた連中は、手馴れているから」
正士郎の言う通り、すでに五人の同期が準備を整えていた。
手こずっているのは、あいと、乗馬未経験で合格した学生で、そちらには小早川がヘルプに入っていた。
「焦る必要はないよ。どうも、その馬は気性が難しそうでもあるし」
「う、うん」
確かにサファイアは、心を閉ざしているのか、気持ちが読みとりづらい。透明な壁で隔てられているような、かたい印象だった。
正士郎に励まされ、サファイアの様子を見ながら、なんとか鞍をつけることができた。
騎乗前から、汗びっしょりになっていた。
あいと交代で加奈恵も体重計に乗った。
厩務員課程の学生も、検量は義務付けられている。ただ、騎手課程のように、規定体重を超過したからといって退学させられるわけではなかった。
「それじゃ、あい、ファイトやで」
「うん、加奈恵も、頑張ってね」
寮の前で加奈恵と別れ、あいは厩舎へ走った。途中で坊主頭の男子の一団と合流した。
厩舎の褐色の屋根と、白塗りの壁が見えてきた。横に長い木造の建物で、騎手課程の学生が世話をする四十数頭の馬がいる。
隣接して、百頭ほどがいる厩舎もあり、そちらの馬は厩務員課程の学生が世話をしている。
中央に立派な椚が植えられている、騎手課程の厩舎の前庭に、実技教官の小早川が待ち構えていた。
「おはようございます」
威勢のいい男子の声が、朝焼けの空に響く。あいも慌てて後に続いた。小早川は頷き返した。
「全員揃っているな。では、これからお前たちが担当する馬を伝えていく。ついてこい」
小早川を先頭に厩舎へ入った。
学生の名前が呼ばれ、馬房でくつろいでいる馬と引き合わされていく。
「諏訪正士郎」
「はい」
三番目に呼ばれた正士郎が、一歩前に出て直立した。
「お前の担当はこの二頭だ」
「はい」
「次、藤刀あい」
「は、はいっ」
あいは前に出ようとして、つんのめった。
「なにをしている。馬房内での事故は、お前だけでなく、馬の怪我にも繋がるんだぞ」
「す、すみません」
「全員に言っておくが、見ての通り、厩舎内は広くない。周囲には気を配って作業するように」
「はい」
「では、藤刀あい、お前の担当馬は、この二頭だ」
小早川の示した、並び合った二つの馬房に顔を向けた。栗毛の馬と、青毛の馬がいた。
「よ、よろしくね」
あいが馬房に近寄り、馬の名前が刻印された木札を見、手を差し出した。
栗毛の方は、牝馬だった。歳は七、八歳ぐらいだろう。
「コハナ」
名を呼ぶと、穏やかな眼差しで首出し穴から鼻先を出した。コハナは、あいの匂いを確かめると、耳を前後に二回振った。
よろしく、と返されたのだろうか。心を開いてくれている感じはある。
綾とは、言葉を交わし合えるほど、心が通じていた。それは姉妹同然に育った綾だったからだ。
他の馬でも、表情や仕草からある程度気持ちを汲み取ることはできるが、綾ほどはっきりとはわからなかった。
「えっと、あなたは、サファイアジャケットね。サファイアって呼んでいい?」
隣の馬房にいる、青毛の馬、サファイアにも話しかけた。
サファイアは、馬房の奥で蹄をひとつうち鳴らしただけで、あいには一瞥もくれなかった。馬房の採光窓から、外を見つめている。
「もしかして、昨日もそうやって、私たちを覗いてた?」
サファイアは振り返ったが、あいの問いかけに応えず、食事を催促するように飼葉桶を鼻先で押しただけだった。
「小早川先生、質問いいでしょうか」
「諏訪か。なんだ」
「見たところ、僕らの担当する馬は、六歳以上の馬のようですが、藤刀さんのあの青毛の馬は、まだ二、三歳ですよね」
「ああ、二歳だ。あの馬は、昨年末、とある馬主が諸事情で手放すことを検討していたので、こちらで引き取ったのだ」
「通常、一学年ではレースを引退した大人の馬を任されると聞いたことがあるのですが」
「そうだが、別段決まりがあるわけではない。馬の割り当ては、個々の特性を加味して考えられている」
「藤刀さんと、あの若馬の組み合わせにはなにか意味がある、ということですか?」
「ふん、余裕だな」
「え、」
「父を超えたいのだろう。なら、人の心配より、自分の馬に集中しろ」
「わかりました」
小早川の監督のもと、初日の朝の厩舎作業に取りかかった。
担当馬を厩舎前の洗い場へ移し、馬房の清掃をした。
新しい寝藁を敷いた馬房へ戻す前に、馬の健康状態を診た。蹄の状態や舌の色、鼻や目の湿り具合、体温など、確認すべきポイントは、小早川から教示された。
学生が朝食を摂るのは、馬の世話を終えてからだ。
献立は栄養士が監修しており、学生の健康維持に過不足がない品目、分量を、細かく計算されている。
いずれ騎手になり、一人立ちしたら、自分でウェイトコントロールをしなければならない。そういう意味では、日々の食事すら学習の一環だった。
食器を片付け、食事量を記録してから、ボディプロテクターとヘルメットを抱えて厩舎に駆け戻った。
少ししてから、小早川の他、四名の実技訓練の教官が到着した。
担当する馬の一頭を馬房から引き出し、頭絡と鞍の装着が指示された。
銜を噛ませ、革紐を締めると、サファイアがそわそわしだした。
「だ、大丈夫? 鞍、つけるね」
サファイアの背骨の突き出した部分に緩衝材を挟み、背中に鞍を押し上げた。
腹帯で鞍を固定しようとすると、サファイアが激しく身動ぎをした。
「わ、わわ、動かないで」
「宥めて、少し落ち着かせてからの方がいい」
自分の馬に鞍をつけ終えた正士郎が、横合いからアドバイスをくれる。
「正士郎くん、もうつけられたの? は、早い」
「僕だけじゃないよ。乗馬クラブでやっていた連中は、手馴れているから」
正士郎の言う通り、すでに五人の同期が準備を整えていた。
手こずっているのは、あいと、乗馬未経験で合格した学生で、そちらには小早川がヘルプに入っていた。
「焦る必要はないよ。どうも、その馬は気性が難しそうでもあるし」
「う、うん」
確かにサファイアは、心を閉ざしているのか、気持ちが読みとりづらい。透明な壁で隔てられているような、かたい印象だった。
正士郎に励まされ、サファイアの様子を見ながら、なんとか鞍をつけることができた。
騎乗前から、汗びっしょりになっていた。
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