23 / 43
第4話
同期とサファイア ④
しおりを挟む
装備を整えた馬と、敷地の北側にある一四〇〇メートルの走路を横断し、走路内の馬場へ移動した。
そこで乗馬し、常歩、速歩、駈歩と、基本的な三つの歩法から確認していった。
入学前から乗馬クラブで馬術を習っていた正士郎は、難なく三歩法を使い分けた。
一人、乗馬経験のない同期は、厩舎裏に雨天練習用で建てられた覆馬場で、個別に基礎訓練を受けている。
小早川はそちらに付き、正士郎たちの方には他の実技教官四名が指導に立った。
翌日も、そのさらに翌日も、午前の実技訓練ではひたすら基本歩法が続いた。
反復練習とはいえ、気は抜けなかった。
乗馬姿勢ひとつとっても、クラブより数段厳しいことを要求される。馬へ意志を伝える、扶助のやり方も、かなり細かい指摘がされた。
幼少からの乗馬経験で自然と身に付いてしまっていた癖を、馬場馬術を通じて矯正する訓練が、何日間か続いた。
午後の学科では、座学や、フィジカルトレーニングが行われた。
柔道着に着替え、柔道場で受身の練習をする日もあった。
十日ほどして、覆馬場で個別練習していた同期が合流した。
その日から、障害馬場に移った。
七名で縦列を組み、馬場を周回する指示が出された。
合流した同期は、まだたどたどしくはあるが、歩速の変更にも対応し、列の最後尾をついて来られている。
柵の内側を何周かすると、馬場に設置されているクロスバーや垂直障害の間を縫うような、じぐざぐな進路をとる指示がされた。
正士郎の前を走る、あいの若馬が遅れ、間隔が詰まった。正士郎は手綱を使い、馬の歩速を緩めた。
青毛の若馬で、名は確かサファイアジャケットだった。あいは、サファイア、と愛称で呼んでいた。
あいがサファイアになにか呼びかけている。意志の疎通が上手くいっていないのか、サファイアはついに列から外れた。
同期の二、三人が失笑する。正士郎は、初日に鞍をつけるのも苦労していたのを思い出しただけで、あいを笑う気にはならなかった。
あい以外は、レース経験もある、乗られ方を知っている馬があてがわれていた。
サファイアは、若いだけでなく、人を乗せるのもはじめてなのかもしれない。その上、気難しい性格でもありそうだった。
そんな馬とあえて組ませるのは、あいが指導陣からなんらかの期待をされているということなのか。
「諏訪、大矢」
教官に呼ばれ、同期の一人と列から抜けた。
「二人とも、クロスバーいけるか」
「やれると思います」
正士郎が真っ先に答えると、同期の大矢も頷いた。
「よし、やってみろ」
他の同期には、等間隔で敷かれた横木の間を常歩で通過する訓練が言い渡された。
「僕からでいいか、大矢」
「おう」
正士郎は、助走距離を測ってから、馬腹を蹴り、勢いをつけさせた。クロスバーを跳躍した。難しい高さではなかった。正士郎にあてがわれた馬は、難しい気性を持っているわけでもない。
ゆったりと馬場を旋回していると、横木歩行の順番待ちをしているサファイアが、こちらをじっと見つめていた。
「やってみたいの?」
あいが話しかけると、サファイアはふいと視線を切りった。横木に進んでいく。
間に小休止を挟み、三時間ほどの訓練が終わると、訓練中に馬がした糞を、馬場を歩き回って拾い集めた。
厩舎前の洗い場で、馬の汗や砂汚れを拭ってやり、馬房で水と飼料を与えた。
着替えて、寮の食堂へ移動した。
「正士郎、さっきの障害飛越、めちゃくちゃ格好良かったな」
昼食の生姜焼きを食べていると、隣の席の同期が、羨むように話しかけてきた。
「巧かったのは、馬の方さ」
「正士郎の姿勢だって全然乱れてなかったぜ。大矢も堂々としてさ。俺も早くお前らぐらい乗れるようになりてえな」
興奮気味に喋り続ける同期に、適当に相槌をうちながら、斜向かいで黙然と昼食を摂っているあいをちらりと覗った。
サファイアのことを、考えているのだろうか。周りの会話は耳に入っていなさそうだ。
昼食を終え、同期が席を立ちはじめると、あいは自分だけ遅れているのに気づき、慌てて飯を搔きこみ、盛大に噎せた。
「ほら、水。まだ時間はあるから、急がなくても平気だよ」
正士郎は見かねてコップを差し出した。
「あ、ありがとう」
食器を調理場のカウンターに返して食堂を出ると、午後の学科授業のため、部屋へ教本や筆記用具を取りに行った。
「藤刀って、ちょっとどんくさいよな」
本館へ移動し、階段を上がっていると、後ろから同期の話し声が聞こえてきた。
「まぁ、ちょっとな。でも、二次試験でトラブルが起こったときは、裸馬に乗って興奮した馬を鎮めてたろ。あれは、すごかったな」
「そこが、よくわかんねえんだ。裸馬に乗れて、鞍つきの馬に乗るのが下手って、そんなことあるか?」
陰口というほどのものでもなかった。ただ、話している同期は、サファイアの難しさに気がついてはいない。
実技訓練では、馬は交互に乗り替えていた。あいが担当するもう一頭の、栗毛の牝馬とは、そつなく訓練をこなせているのだ。
にもかかわらず、あいがどんくさい印象をもたれるのは、訓練以外での失態が多いせいだろう。
正士郎はあいに対して、もう少し漠然とした、得体の知れなさを感じていた。
馬上にいる方が、自然なのだ。それ以外の時、藤刀あいは、浜辺にうち上げられた魚のようだった。
一体、どんな環境で育ったら、そんなふうになるのか。
「とにかくさ、あんな感じで、よくこの学校に入れたよな」
それは、正士郎も同意見だったが、口に出して言うようなことではなかった。案の定、話し相手の同期も、言い過ぎだぞ、と窘めた。
そこで乗馬し、常歩、速歩、駈歩と、基本的な三つの歩法から確認していった。
入学前から乗馬クラブで馬術を習っていた正士郎は、難なく三歩法を使い分けた。
一人、乗馬経験のない同期は、厩舎裏に雨天練習用で建てられた覆馬場で、個別に基礎訓練を受けている。
小早川はそちらに付き、正士郎たちの方には他の実技教官四名が指導に立った。
翌日も、そのさらに翌日も、午前の実技訓練ではひたすら基本歩法が続いた。
反復練習とはいえ、気は抜けなかった。
乗馬姿勢ひとつとっても、クラブより数段厳しいことを要求される。馬へ意志を伝える、扶助のやり方も、かなり細かい指摘がされた。
幼少からの乗馬経験で自然と身に付いてしまっていた癖を、馬場馬術を通じて矯正する訓練が、何日間か続いた。
午後の学科では、座学や、フィジカルトレーニングが行われた。
柔道着に着替え、柔道場で受身の練習をする日もあった。
十日ほどして、覆馬場で個別練習していた同期が合流した。
その日から、障害馬場に移った。
七名で縦列を組み、馬場を周回する指示が出された。
合流した同期は、まだたどたどしくはあるが、歩速の変更にも対応し、列の最後尾をついて来られている。
柵の内側を何周かすると、馬場に設置されているクロスバーや垂直障害の間を縫うような、じぐざぐな進路をとる指示がされた。
正士郎の前を走る、あいの若馬が遅れ、間隔が詰まった。正士郎は手綱を使い、馬の歩速を緩めた。
青毛の若馬で、名は確かサファイアジャケットだった。あいは、サファイア、と愛称で呼んでいた。
あいがサファイアになにか呼びかけている。意志の疎通が上手くいっていないのか、サファイアはついに列から外れた。
同期の二、三人が失笑する。正士郎は、初日に鞍をつけるのも苦労していたのを思い出しただけで、あいを笑う気にはならなかった。
あい以外は、レース経験もある、乗られ方を知っている馬があてがわれていた。
サファイアは、若いだけでなく、人を乗せるのもはじめてなのかもしれない。その上、気難しい性格でもありそうだった。
そんな馬とあえて組ませるのは、あいが指導陣からなんらかの期待をされているということなのか。
「諏訪、大矢」
教官に呼ばれ、同期の一人と列から抜けた。
「二人とも、クロスバーいけるか」
「やれると思います」
正士郎が真っ先に答えると、同期の大矢も頷いた。
「よし、やってみろ」
他の同期には、等間隔で敷かれた横木の間を常歩で通過する訓練が言い渡された。
「僕からでいいか、大矢」
「おう」
正士郎は、助走距離を測ってから、馬腹を蹴り、勢いをつけさせた。クロスバーを跳躍した。難しい高さではなかった。正士郎にあてがわれた馬は、難しい気性を持っているわけでもない。
ゆったりと馬場を旋回していると、横木歩行の順番待ちをしているサファイアが、こちらをじっと見つめていた。
「やってみたいの?」
あいが話しかけると、サファイアはふいと視線を切りった。横木に進んでいく。
間に小休止を挟み、三時間ほどの訓練が終わると、訓練中に馬がした糞を、馬場を歩き回って拾い集めた。
厩舎前の洗い場で、馬の汗や砂汚れを拭ってやり、馬房で水と飼料を与えた。
着替えて、寮の食堂へ移動した。
「正士郎、さっきの障害飛越、めちゃくちゃ格好良かったな」
昼食の生姜焼きを食べていると、隣の席の同期が、羨むように話しかけてきた。
「巧かったのは、馬の方さ」
「正士郎の姿勢だって全然乱れてなかったぜ。大矢も堂々としてさ。俺も早くお前らぐらい乗れるようになりてえな」
興奮気味に喋り続ける同期に、適当に相槌をうちながら、斜向かいで黙然と昼食を摂っているあいをちらりと覗った。
サファイアのことを、考えているのだろうか。周りの会話は耳に入っていなさそうだ。
昼食を終え、同期が席を立ちはじめると、あいは自分だけ遅れているのに気づき、慌てて飯を搔きこみ、盛大に噎せた。
「ほら、水。まだ時間はあるから、急がなくても平気だよ」
正士郎は見かねてコップを差し出した。
「あ、ありがとう」
食器を調理場のカウンターに返して食堂を出ると、午後の学科授業のため、部屋へ教本や筆記用具を取りに行った。
「藤刀って、ちょっとどんくさいよな」
本館へ移動し、階段を上がっていると、後ろから同期の話し声が聞こえてきた。
「まぁ、ちょっとな。でも、二次試験でトラブルが起こったときは、裸馬に乗って興奮した馬を鎮めてたろ。あれは、すごかったな」
「そこが、よくわかんねえんだ。裸馬に乗れて、鞍つきの馬に乗るのが下手って、そんなことあるか?」
陰口というほどのものでもなかった。ただ、話している同期は、サファイアの難しさに気がついてはいない。
実技訓練では、馬は交互に乗り替えていた。あいが担当するもう一頭の、栗毛の牝馬とは、そつなく訓練をこなせているのだ。
にもかかわらず、あいがどんくさい印象をもたれるのは、訓練以外での失態が多いせいだろう。
正士郎はあいに対して、もう少し漠然とした、得体の知れなさを感じていた。
馬上にいる方が、自然なのだ。それ以外の時、藤刀あいは、浜辺にうち上げられた魚のようだった。
一体、どんな環境で育ったら、そんなふうになるのか。
「とにかくさ、あんな感じで、よくこの学校に入れたよな」
それは、正士郎も同意見だったが、口に出して言うようなことではなかった。案の定、話し相手の同期も、言い過ぎだぞ、と窘めた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる