センゴク☆ロック

井ノ上

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第8話

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「十二人、か」
 仙極は、ステージ袖からホールの様子を覗き見た。
 信永たちの対バンライブ開演まで、一時間を切ろうとしている。
 このひと月、今日に向けた宣伝の成果が、十二人の客だった。しかもその内の四人は、前座に出演する高校生バンドの同級生らしかった。
 作ったポスターは、商店街の大店にはほとんど断られ、張る許可を貰えたのは、裏通りのレコードショップ、時計屋、カフェなど数店だけだった。
 他にも、ビラを作り、駅前で道ゆく人に配り続けてきた。
 晩夏の陽射しにかれ、仙極の肌は浅黒くなっていた。こんなふうになったのは、中学以来だった。
「充分だ」
 奥からやってきた信永が、労うように仙極の肩を叩いた。
「『天下布舞』とか、二人の名前を出せば、もっと客を集められたと思います」
「そうしなかったのは、光秀のことを慮ったのだろう。人情家のお前らしい」
「すみません」
「あほう、お前はそれでいいのだ。それより、反対袖に控えているガキどもに、声をかけてやったらどうだ。ファーストライブでは散々だったと聞いたぞ。今頃、その時の記憶に苛まれているに違いない」
 高校生バンドと光秀のバンドが一緒に待機している、反対のステージ袖をちらりと見た。人の姿はわかるが、影になっていて表情までは読み取れなかった。
「信永さんも、そんな経験あったりするんですか?」
「さぁな、若い頃のことは忘れたよ」
 信永流のとぼけ方だ。普段気取らせない振る舞いをしているだけで、繊細シャイなところもある男だった。
「彼らなら、自力でトラウマを克服できます。それだけの稽古は、積んできましたから」
「そうか。なら、さっさとモニターへ行け。じき開演だ」
「そうします」
 仙極が信永に追い払われるように舞台袖を後にしかけると、九鬼が神妙な面持ちで階段をあがってきた。
「信永の旦那、仁羽のアニキがいまさっき」
 九鬼が信永の耳に顔を寄せて小声で言ったのが、仙極にも辛うじて聞こえた。
 仁羽が死んだ。身体の中を風が吹き抜けるような、妙な浮遊感に襲われた。
「いま報せるべきか、迷ったんですが」
「報せてくれて礼を言う」
「いえ」
 九鬼は唇を引き結び、仙極には一瞥をくれただけで、ステージ袖を出て行った。
 ギターとして信永方に加わる滝川和益はライブまでにできる限り体力を温存しようとしているのか、瞑目してじっと動かない。
「信永さん」
「まだいたのか。さっさと持ち場に着け」
「でも」
「やつとの別れは済ませてある。いまは、ライブだ」
 兄弟同然だった信永がそう言う以上、他がとやかく言うべきではない。仙極は気持ちを切り替え、一礼してからその場をあとにした。
 
         ◆

 光秀は、仲間と、光の中へと出て行った。
 対バンライブに、MCはいない。両陣営が交互に演奏していく。そういう魂がせめぎ合う中で、新しい音が生まれてくる。それが対バンだった。
 ステージには、二機のドラムセットが左右に分かれて置いてある。互いに一曲ずつ曲を演り、三回交代する。その都度、楽器の調整をしていられないので、ドラムセットも二機用意されているのだった。
 スタンドに立てかけられたギターを、手に取った。シールドで繋がっている、アンプのスイッチを入れる。
 『天下布舞』で使っていたギターは、すでに手元になく、AME所属時代のギターでこの対バンに臨む気にもなれなかった。
 九鬼と再開した翌週に新調したギターだったが、すでに身体の一部だと思えるほどには仕上げてあった。
 背中で、カウントをとるドラムスティックの音がした。
 一音目。フレットと弦を挟む指に、確かな音の手ごたえを感じる。
 曲がはじまった。
 キャパ四百ほどのライブハウスに、たった十二人しかいない。客ははじめ所在なさげにしていたが、すでにそのことを忘れて、歓声を上げている。
 信永方が初手でぶっつけてきた、一曲目。それが、AZMARUに漂っていた倦怠を吹き飛ばし、客の空気をがらりと塗り替えた。
 視界の隅に立つベースは、汗が噴き出し、雨にうたれたようになっていた。ボーカルが右足を一歩踏み出し、サビに入る。ドラムが唸る。
 悪くない、どころか、絶好調だ。なのに、なぜだ。なにか、物足りない。
 光秀は、左頬に、じりじりと肌を灼くような熱を感じていた。視線ではない。先程まで信永が立っていた場所に、炎が立ち昇っているのだ。
 幻だということは、わかっている。信永の曲の余韻が、炎に化けて見えているのか。
 光秀は背を反らし、ギターをかき鳴らす。間奏のギターソロだ。
 これは信永の挑発なのだ。俺が残した余韻に打ち勝ち、客の心を引っ張り寄せられるか、どうか。やってみろ、ということだ。
 ソロが終盤に差しかかる。しかしまだ、なにかが足りない。なにが、足りないのか。
 眼を開いた。光。その先に、客がいる。そのさらに先の、ステージの照明も届かないホールの隅に、男が立っていた。サイガの男。忍び働きをしてきた先祖をもつと語った、稀有な男。このバンドが対バンの実戦経験を十分に積めたのは、この男のバックアップがあったからだといっていい。
 あんたの演奏を聞いてみたい、と言っていた。それをいま、聞いている。にも関わらず、サイガの男はホールの隅で、無表情に突っ立っている。
 まるでなにも響いていないというふうな男の虚ろな眼に、怒りにも似た衝動が噴出してきた。
 ギターソロ。終わらせなかった。ギターを抱き包むように背を丸め、弾く。驚いたボーカルが振り返るのが、見えていなくてもわかった。ドラムとベースは、際どくついてきて、演奏を繋ぎとめてくれる。
 すまない、だがやらせてくれ。
 光秀は仲間に心の中で一度詫び、考えるのをやめた。信永との対バンのことも、忘れた。思うさまに、ギターをかき鳴らす。
 どうだ、サイガ、これがお前が聞きたいと言った、俺の音だ。俺のロックだ。
 ドラムの音が前に出てきた。無軌道になりかけた演奏が、ベースによって曲に引き戻される。悪くないタイミングだ。ボーカルが乗っかり、光秀もリズム隊に従った。
 曲が終わった。やりきった、とは思わなかった。まだ一曲目だ。
 ステージ右手袖から、信永らが出てきた。目を合わせることもなく、アンプのスイッチだけを切り、ギターをスタンドに立てかけ光秀は左袖に掃けた。
 袖に戻ると、高校生バンドの面々がタオルや水を差しだしてくれた。前座を見事に務めきり、ふらふらになっていたはずだが、両陣営の演奏の間に息を吹き返していた。
 他の追随を許さない、信永の圧倒的なベースボーカルが聞こえてくる。
 すぐ、二曲目の番が回ってきた。
 再び光の中に立った。心地よさが、光秀の全身を包んでいる。
 スポットライトの外から、ふよふよと漂ってくる別の淡い光があった。かすかに埃っぽい匂いが、鼻先をくすぐった。かつて『天下布舞』のライブでも時折視かけたことのある、玉響タマユラだった。
 光秀は、この得体のしれない現象が、あまり好きではなく、やや水を差された気分になった。魂の宿った音楽に寄って来る妖精だかなんだか知らないが、演奏に集中している時は、目障りでしかない。
 光秀は玉響を無視して、ホールに目をやった。サイガの男は、いつの間にか姿を消していた。闇に帰っていったか、とだけ思った。
 右足を二度タップし、ギターリフで曲に入った。隣でボーカルが腹に息を吸い込み、両足の爪先を開いてスタンスをとった。
 
         ◆

 玉響が飛んでいた。繁殖時期の蛍ぐらいの数が寄ってきている。これほどの玉響を視るのは、若い頃に密かに観戦しに行った、川中島での対バンライブ以来だ。
 一個一個の表情が見えそうなぐらい近い玉響の、ちょっと独特な匂いに浸りながら、このまま死んでもいい、と信永は思った。
 今日のために用意してきた、オリジナルの三曲目だった。この後は、光秀方の演奏を一つ残すばかりだ。
 光秀方のバンドは、序盤こそ堅かったが、一曲目の後半から急に威勢がよくなった。
 間奏でのギターソロ。そこで、光秀が殻を破った。それによってほかのメンバーも引っ張り上げられ、血の通ったライブとなった。
 音に血を通わせられるかどうかは、演奏の技巧とは別の能力だった。録り直しの利くレコーディングでは生まれない、ライブならではの揺らぎとも言える。
 光秀に、どういう心境の変化があったのかはわからない。わかる必要もなかった。生み出される音。ステージでは、それだけがすべてだ。
 曲が、間奏に差しかかった。練習では、滝川和益のギターとのセッションでやってきた。本番も、そのつもりではいた。
 和益に目配せした。和益が頷き返してくる。
 信永は、ずいと前に出た。ギターとドラムがぴたりと止まった。ベースで重低音を繰り広げていく。耳で聴くというより、肌で音圧を感じる。客も、それは同じなはずだ。全身で、信永のベースの音圧を受ける。一人、二人と、音圧に打ちのめされたように、失神する者が出てきた。
 目を閉じた。構わず弾き続ける。
 聴いているか、長秀よ。お前が、俺より先に死ぬとは、人生わからんものだな。亡霊だなんだと言ったって、俺はいま生きて、ロックを続けている。この先も、続けていくのだろう。
 眼を開いた。ステージ正面にあるモニターブースに立つ仙極が、信永の視線に気づき、握りしめた拳を突きあげた。
 信永は、にやりと笑った。
 お前が育てたガキども、なかなか様になっていたな。ドラマーとしても悪くなかったが、お前の生きる場は、他にもあるのかもしれん。まぁ、なんでもいい。お前は俺が見込んだ男なのだ。こんなところで燻ってなどいないで、思うさまに生きてみろ。
 心で語りかけながら、ソロを弾ききった。
 ラストのサビ。ベースラインに、歌声メロディを重ねる。さすがに、別のことを考えている余裕はなくなった。
 演奏を終えた途端、滝川が膝から崩れ落ちそうになるのを、信永はベースを片手に持ち替え、抱きとめた。客からの歓声には拳でのみ応え、ドラムと両側から滝川を支え、ステージ袖に戻った。
「無茶させたな、じいさん」
「楽しかったよ、リーダー。あんたと、またロックをやれてよかった。もう思い残すことはない」
「俺も、」
「あんたは違う」
 言いさした信永の言葉を遮り、滝川が見つめてくる。信永に倣って髪を黒く染めているが、信永とは異なり、生え際がだいぶ白っぽくなっていた。
「だろう?」
 滝川はいたずらっぽく笑い、信永の肩から離れ、壁に凭れかかった。置いて行け、とでも言うように、顎をしゃくった。
「世話になった」
 信永は先に楽屋へ戻った。
 しばらく待つと、最後の演奏を終えた光秀が、一人でやってきた。
「三曲目もよかったぞ、光秀」
 小さなライブハウスである。楽屋にいても、ステージの演奏は十分聞こえてきた。
「ありがとう。でも、負けた」
「客が決めることだ」
「でも、負けた。俺はそう感じている」
 光秀が、楽屋のソファに座っている信永の横に立った。沈黙が落ちる。ホールにいる客や他の演者の気配は、僅かに伝わってくるだけだ。
「すまなかった」
 光秀はおもむろに、深く頭を下げた。
「謝っても、許されることではない。許してもらおうというつもりもない。それでも、すまなかった」
「過ぎたことだ」
「しかし、俺さえ裏切らなければ、あんたは天下に届いていた」
「天下とは、なんなのかな、光秀」
 信永はのそりと立ち上がった。
 ステッカーに埋め尽くされ、カラフルな壁に手で触れる。そこに張られた一枚一枚が、かつてここでライブを行ったバンドが残していったものだ。長秀が営々と築きあげ、死ぬ前に仙極に譲った、AZMARUの象徴でもあった。
「正直、わからない。考えたこともない」
「人だよ、光秀。俺にとっては、ということだが」
「人」
「ああ。人や、人がつくり出す営み。それこそが天下なのだと、俺はあらめて考えて思った」
 光秀は噛みしめるように、もう一度、人、と呟いた。
「人の営みの傍にあり続ける、それがあなたのロック、『天下布舞』の志なのか」
 本来、音楽と人の営みとは、切っても切り離せないものなはずだ。しかし、そんな当然のことも、人はときに忘れてしまったりする。
 それを忘れず、心に刻みつけておく。その意思を志と呼ぶのならば、そうだろう。
「和益のじじいに言われた。俺は一生ロックをやめられんとな。その通りだ。だから、俺はもう行く。お前も一緒に来い、光秀」
「俺などが」
「どの道、お前もロックは手放せまい。今回の対バンで、身に沁みたろう」
 光秀がロックを捨てたのかどうか。それを確かめるために、対バンをやったようなものだった。そして、その甲斐はあったのだ。
「二度同じことは言わせるなよ」
 信永が言うと、光秀は直立したまま項垂れた。靴の先が、水滴で濡れていく。
「先に出るぞ」
 光秀を楽屋に残しステージ袖に戻ると、和益はいなくなっていた。九鬼と、死んだ長秀に会いに行ったのだろう。
 ホールでは、倒れた客を介抱する仙極の姿があった。ライブハウスのオーナーが、なかなか板についてきている。
 演者が掃け、照明も落とされたステージには、両陣営の楽器だけが残されている。
 AZMARUから撤収したら、まず長秀邸で留守番をさせている藤吉を迎えに行かなければならない。
 賢い犬なので、多少帰りが遅くともおとなしく待っているだろう。
「光秀とこれからのことを話し合うのは、その後だ」
 信永は祭りの後にも似た寂しさを湛えたステージを見つめながら、誰にも聞きとめられない声で呟いた。
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