センゴク☆ロック

井ノ上

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第7話

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 仙極が精力的に動き回っていた。
 近頃が大人しかった分、まるで別人に変わったようだと、九鬼には感じられた。
 しかし思い返してみれば、仙極は元から静と動を併せ持つ男だった気もした。少なくとも、仙極のドラムは、豊かなダイナミクスで定評があった。
 サイガ不動産の裏工作により、AZMARUにはバンドマンの寄り付かない状態が続いていた。
 それを逆手にとり、仙極は空いた時間で積極的に信永と光秀の対バンライブの宣伝に注力していた。
 それだけでなく、対バンライブの前座に、高校生ばかりのスリーピースバンドを出演させることも計画していた。いつの間にか信永の了承も取りつけ、ほとんど付きっきりで技術指導を行っている。
 ギターやベースは、専門外なはずだが、自身も一緒に勉強するというかたちで、高校生バンドの技術の底上げを試みている。
 ドラム一筋の仙極だが、その他の楽器に関しても無知なわけではなかった。
 全国制覇に向けて躍進していた『天下布舞』で、若くから一流のベースやギターの演奏に触れ続けてきたのだ。演奏を見る目、聞く耳に関して、仙極はすでに完成されたものを持っている。
 ただし、知っていることを言語化して他者に教示するには、理論が必要になってくる。仙極は広報活動の合間にその理論を勉強し、自らに蓄えられた経験と結びつけ、高校生の指導に反映させているのだった。
 九鬼から見ても、かなりの忙しさだが、仙極は活き活きとしていた。
「水を得た魚か」
 九鬼は早朝に水揚げした魚を卸売市場で売り捌いてから、船から車に乗り換え、仁羽長秀が療養する越前の屋敷へと向かっていた。その道中、AZMARUに立ち寄り、高校生を指導する仙極の様子を覗いてきたのだ。
「人がどこで場所を得るかは、ほんとうにわからんものだな」
 車に語りかけるように、九鬼は呟いた。
 船も車も、九鬼にとってはただの乗り物ではなく、生きることの苦楽を共にする戦友だった。
 代々漁師をやってきた家に生まれ、自分も当然のように十代から船に乗りはじめた。
 九鬼家は志摩の複雑に入り組んだ湾を中心に、魚が豊富な海域で漁業権を握り、組合にも相当強い発言力を有していた。ほとんど疑問も持たないまま、九鬼は船乗りになった。
 信永と出会ったのは、十九の時だ。当時の信永はベースボーカルを務め、キーボードの羽芝秀吉、ギターの滝川和益らとバンドを組んでいた。
 偶然だった。路上ライブをしているところに出くわし、瞬く間に信永の演奏に惹きつけられた。心を鷲掴みにされた、と言ってもいい。
 蓄えていた小遣いだけでは足りず、親に頼み込んで前借し、信永を真似てベースを買ったが、ひと月と続かなかった。そこで自分は音楽をやるより、聞いていたい人間なのだと理解した。だが、客の一人というのでは物足りなかった。
 そこで、翌年を待って中型の免許を取り、家の仕事に使われていたバンに乗って尾張に足を運んだ。
 当時から信永が本拠としていたAZMARUを訪ねると、滝川和益が対応に出てきて、頼んで引き合わせてもらった。
 それから家業の折を見ては車で馳せ参じ、信永グループの専属ドライバーを自称するようになった。
 それが周囲からも認められるようになったのは、数年が経ってからだ。
 信永は関ケ原での対バンライブで井間川いまがわをからくも破り、美濃尾張一円で絶大な人気を得ていた。
 そのあたりから信永はボーカルに専念するようになり、全国制覇を視野に入れはじめた感じがあった。
 表舞台でベースをらなくなったのは残念だったが、それでも信永のロックは九鬼の心を掴んで放してはくれなかった。
 県境を跨ぎ、ほどなくして、仁羽の屋敷に到着した。
 夕刻にさしかかっていて、豆腐売りの笛の音がどこからか聞こえていた。
 バンを屋敷正面から見て右側にある駐車場へ入れた。コンクリートの打たれた駐車場から草木が茂る前庭へ回ると、犬の藤吉が駆け寄ってきた。胸を撫でてやってから、玄関の戸を開け屋内に上がった。
 土間には下足が一組だけあり、それは病床の仁羽の世話をする通いの看護婦のものだった。
 九鬼が台所を覗くと、五十絡みの看護婦が食後の食器を洗っている最中だった。九鬼に気づくと、愛想よく挨拶をしてきた。濡れた手をエプロンの裾で拭い、茶を用意してくれようとするのを遠慮した。
 一歩ごとにギシリと床鳴りのする廊下を進んでいき、そっと寝所の襖を開けた。仁羽は布団から上体だけを起こし、ひっそりとした趣の裏庭を眺めていた。
「どうも」
「やあ、さっきの車の音は、やっぱり君のバンだったか」
 縁側に、パンくずを乗せた小皿が出されていた。それを啄みにきていた雀が、九鬼の気配で飛び去っていった。
「こりゃ飯の邪魔をしましたかね」
 九鬼は縁側へ出て行って言った。仁羽が微かな笑い声をさせた。
「すぐ戻って来るよ。食欲旺盛でね。僕などは最近、雀の食いっぷりを見ているだけで、満足してしまうぐらいだ」
「いけませんぜ、食うものを食わんと、治る病も治らない」
 振り返ると、仁羽は穏やかな表情を向けてきた。
「そうだね。先ほどもうめ子さんが作ってくれた粥を、半分も食べられなくてね。残してしまうのも申し訳ないから、量を減らしてくれと頼んでしまったが、次は少し頑張って食べてみるよ」
「それがいいや」
 九鬼は縁側から戻り、仁羽の布団の傍に腰を下ろした。気を緩めると、また一回りやつれた仁羽から目を反らしてしまいそうになる。
 もともと華奢な方ではあったが、今では手など骨に皮を張りつけたようになっていた。下手な女よりもきれいだった丹羽の手は、もう戻りはしないのだと思うと、胸がじくりと痛んだ。
「そうか、仙極君は、高校生相手にレッスンを」
 九鬼がする知人の近況の話を、仁羽は目を細め、楽しげに聞いた。
「ちょうど、仙極が旦那に連れてこられたのも、あれぐらいの歳頃でしたな」
「ああ、そうだったね。学校が休みの日に、河川敷で仲間たちと草野球をやっていたら、信永に見つかったんだ。それで突然、僕の店に引っ張って来てさ、ドラムの前に座らせて、叩いてみろって。僕は何事かと面を食らったが、仙極君はもっと困惑していた」
「そんな経緯だったんですか。学生の時に野球をやっていたって話は、聞いたことありましたが」
「仙極君の協調的なプレーが、あいつの琴線に触れたらしい。で試しに引っ張ってきてドラムを叩かせたら、リズム感も悪くなかった」
「すぐ叩けたんですかい?」
「まさか。手足はバラバラで、まともに叩けなかったよ。でも、手足別々になら、一定のリズムで叩くことは、最初からできてた。それぞれを独立させて同時に動かすことは、やっていれば馴れるものだし、そこはあいつも気にしてはいなかったな」
 信永をあいつ呼ばわりするのは、九鬼が知る中では仁羽だけだった。兄弟同然に育ち、お互いそのように思っているらしいことは、長年傍で見ていればわかった。
「懐かしいな。仙極君が野球をやめてドラムに集中すると決めた時も、ちょっとした騒ぎがあったんだよ」
「騒ぎ?」
「彼の野球仲間が、うちに押しかけてきて、抗議するのさ。うちのチームから彼をとらないでくれって」
「そりゃ、ずいぶんな慕われようだ」
「なんでも、まともな監督もいなくて、あまり強くもないチームだったらしい。それでも練習をして、公式戦で一、二勝はできるチームになれたのは、仙極君が選手でありながら監督も兼業して導いてくれたからだというんだ」
「ははん、案外、プレイヤーでいるより、育成とか、プロデュースとかって方面の方が、活きる男なんですかね、仙極は」
「それはわからないけど、AZMARUで高校生に稽古をつけていると聞いて、僕はその時のことを思い出したな」
 それから、九鬼は光秀が組んだバンドが、美濃に点在するロックバンドに、次々と対バンライブを挑んで回っているらしいことを話した。
 光秀は信永との対バンに向けて、いまのバンドで実戦経験を積もうとしているのだろう。
 気掛かりなのは、光秀にサイガ不動産が協力していることだった。
 AME(足利ミュージックエンタテインメント)の手先で、AZMARUを潰そうと裏工作をしていた男と、光秀が行動を共にしているのは無視できず、九鬼はサイガの男について探ってみた。
 勤め先についてや今の住所など、表面的なことはあっさりと出てきたが、男がどういう経歴の持ち主なのか、生家についてなど、そういったことはまるでわからなかった。
 そのうち、霞を追っかけているような徒労感を覚え、男の身元調査は断念したのだった。
 その件を、仁羽に話すのはどうか考えていると、廊下から足音が聞こえてきた。
 襖が開けられ、信永が顔を見せた。
「おう、まだくたばっていなかったか」
「旦那、それは」
 腰をあげかけた九鬼の袖を、仁羽がさり気なく引いた。
「お前のくれた薬が、多少効いたのかもしれないな。けれど、あとひと月とたなそうだ」
「他人事のように。十日後の光秀との対バンライブは、観戦に来るつもりなのだろう」
「生きていれば」
「仙極が余計な張り切り方をしていて、客を集めている。それはそれとして、死んで来ないかもしれんお前に、スペースを空けといてはやれんぞ」
「死んで霊になっておけば、たとえAZMARUが満員でも入れるか」
「名案だ。なら、さっさと死んでおけよ、長秀。俺が会いに来るのは、今日で最後にしておこう」
「ああ、わかった」
「さらば」
 信永は言うと、踵を返し、襖を開けたまま去っていった。
 仁羽の手が、九鬼の袖を離した。目が合うと、どこか憂いを滲ませた仁羽が、頷いてみせた。どういう意味で頷いたのか、わかるような、わからないような気分のまま、九鬼は立ち上がり、信永の後を追った。
 玄関を出ると、上がり框に滝川和益が座りこんでいた。
 ギターを背負ったまま、目を閉じ、うつらうつらと舟を漕いでいる。バンドの練習後、信永についてきたのだろう。
 もうじき六十になろうというのに今回の対バンで信永方のギターを担当する和益は、練習のたびに身を削るような疲労の仕方だった。
 和益を気遣い静かに戸を開け閉めして、屋敷正面の庭に出た。
 庭の隅に、信永の背を見つけた。近寄ろうとして、足を止めた。
 信永は片膝をつき、背を丸め、犬の藤吉の頭に手をやっていた。人を寄せ付けない背中に、声をかけるのは憚られた。
 仁羽の病状は進行している。
 もう会いには来ないと言ったのは信永だったが、それを望んだのは、これ以上兄弟に変わり果てていく自分の姿を見られたくない仁羽の方だったのかもしれない。
 憎まれ口を叩いてでも、最後まで対等な兄弟であろうとしたのか。
 九鬼は屋内に戻り、和益のために寝床を敷いてやることにした。
 通いの看護婦に予備の布団があるか尋ねると、仕舞ってある押し入れに案内してくれた。
 それを引っ張り出して空いている客間に運んでいる最中に、涙が零れてきた。
 これは、信永の涙だ。信永の涙が、自分の目から流れ出ているのだ、と九鬼は思った。
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